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「私があいつ、ってあいつって神のことな。あいつから離反するときに、まるで妻が夫に出て行くなら鍵を置いて行けと言うみたいに、私に、あいつに少しでも関係する記憶を置いて行けとお力を使ったわけなのよ」
「なるほど……でも、そしたらどうして神谷さんはあいつを覚えているんですか?」
「話は最後まで聞こうぜ。私だって神様の使い、そう簡単にはやられないさ。だから抗った私は、なんとかこうしてあいつに関する記憶を全て喪失せずに済んだんだ。けれど、やっぱりあいつは腐っても神様。根こそぎ記憶を取られるとまでは行かなくても、さっき言った通り、部分的に。具体的に言うと、あいつの声、姿、顔をどうしても思い出せなくなってしまったんだよ」
存在だけは思い出せる。
ただし正体は一切合財思い出せない――置き忘れてきてしまった、と。
「一から神様探しを始めなきゃいけないってことですか……」
「一つうか、ほぼゼロだな。ほぼというのはあいつがどういう奴だったかという情報は、断片的にとは言え残っているからだよ。残っている知識は全て公開する。私のメリットのためにも――失くした記憶を取り戻すためにもな」
神谷さんは言いたいことを全部言ったのか「ふぅ」と息を吐いてから話すのをやめた。
これにて利害一致と言ったところか。
僕は世界へ戻るために、神谷さんの手助けを借りつつ神様を探す。
神谷さんは記憶を取り戻すために、それから神、神谷さん的に言うとあいつを僕に矯正させるために、僕にあいつに関する情報を与える。
矯正ねぇ……想像するだけで鬱だ。
「……こういうのもなんだが、しかし分からないな」
「へ?」
唐突な神谷さんの言葉に、僕は阿呆そうな返事をしてしまうが、構わず神谷さんは姿勢を崩してぼりぼりと頭を掻きながら言う。
「普通なら間髪容れずに即引き受けるだろうと思ったんだよ。七伍君が懸念している点も大体予想がつくし、理解も出来るんだが――それを上回る程に、元々いた世界に戻りたいと普通は思うんじゃないか?」
僕は何も言わなかった。
「七伍君のこれまでの様子を見る限り、感情が薄いというのを差し引いても、どうも元々の世界に帰りたいようには見えないんだよ。いや、本当はそう思っていたのなら謝るが、その辺どうなんだ? 意思確認をしたい」
すぐに返答――はしなかった。
僕はしっかりと自分と向き合って、今自分がどうしたいのか考えてから口を開いた。
「帰りたいです」
「ほう」
「そこそこ」
「………………」
まあ、君ならしょうがないのかもしれないな、みたいなそんな半ば納得したような、半ば呆れたようなそんな複雑な面持ちをしていた。
この状況に置かれて考えてみれば、僕は元々いた世界にそれほど固執していなかった。
未練と言えば毎週楽しみにしていたアニメや漫画雑誌が読めなくなることだろうかと思ったけれど、もしかしたらこちらで読めるかもと希望が持てたし、そうすると本格的に、元々の世界に対する未練は無くなっていったのだった。
いや、でも友達関係。
こっちにも同じような顔をした、似て非なる者たちがいるけれど、やっぱり僕の知る彼らと会えなくなるのは悲しい。類義品じゃ満たされない。
でも、でも、それでも僕は――
「……色々思うことがあるのかもしれないがまあもう一つ言っておくことがあるんだ。いいか、世界に同じ人物が二人も存在してはならないんだ。オリジナルはオリジナルでなきゃ許されないんだ。オンリーワンじゃなきゃ、ダメなんだよ」
「つまり……どういうことですか」
「君がこっちにきたことによって、こっちの君があっちに飛ばされているんだよ」
刹那、僕にしては珍しく大きく揺らぎそうになったがしかし、考えてみればそう驚くことではなかった。その理論に則って考えると、そう驚くべきことではないだろう。
「だからあっちの七伍君のことも考えて」
「ちょっと待ってください」
割り込むような形で神谷さんの言葉を遮る。
「こっちの世界の僕は、僕だったんですか?」
「………………」
「答えてくださ」
「そういえば、そうだな」
思い出したように言った。
……そうか、それなら本当に。さらに本格的に。
「はは、僕が帰る理由はなくなったってわけだ」
「笑うなよ」
きっとあっちの世界の僕は僕で、神谷さんのような人とコンタクトをとり、まあ僕と同じように元々いた世界に対する未練がないことに驚き、そんな自分を諦めているんだろう。それにしても人間味に欠ける奴だよ、僕は。