第24話『新たな旅立ち』-4
夜も更けてくると、シャルロットは一人台所に立っていた。遅くなったが、夕食を作らなければならない。ニースはいらないと言ってくれたが、自分を含め、子供達の腹は正直だった。
鍋をかき混ぜていると、静かな台所に上階からの走り回るような足音が響いてくる。続けて、アイリーンとパスの怒鳴り声。
(……あの二人、ひょっとして相性悪い?)
毎日これだと、すぐにでもワットの怒りが爆発しそうだ。考えると、ワットが子供にいい顔を見せる事は無いし、もしかしたら子供が好きではないのかもしれない。
背後の足音に、シャルロットは我に返った。ワットが、頭をグシャグシャにしながら上から降りてきたところだった。その様子から、相当いらつきが溜まっているようにも見える。ワットが食堂の椅子に腰掛けた。二階からは、まだ足音が響いている。
「宿のおじさんに怒られちゃうね」
鍋を混ぜながら、シャルロットはワットに背を向けた。ここには、二人だけだ。心臓が音を立て始めるのに、気がつかないわけにはいかなかった。
「何でガキっつーのはあんなくだらねぇ事でケンカできんだか……」
そのまま、会話は途切れた。シャルロットが返さなければ当然といえば当然だが、シャルロットの頭は真っ白だった。
(……何か話さなきゃ……)
気がつけば、ワットの事を好きだと言ってしまった時以来、二人で話をするのは初めてだった。背を向けたまま、顔を向ける事などできるわけがない。鍋の様子を見るという役目があったのが、せめてもの救いだ。
「……クシャンッ!」
寒さに負けて、くしゃみがでた。台所で火を使う分、部屋よりは暖かいが、それでも外が雪に覆われているこの地では、建物の中でも容赦なく冷える。鼻をすすると、自分の背中に暖かい感触が当たった。
肩に、ショールがかかっていた。ワットのものだ。後ろに立っている。
「まだ無理すんなよ」
一瞬で、体が熱くなるのが分かった。耳の奥が麻痺するような感覚に、シャルロットは鍋を放棄した。
うつむけば、髪で顔が隠れる。それでも顔を上げられなかった。頬が熱いのが分かる。シャルロットは自分が恥ずかしかった。何より、悔しい――。
「……やめて」
「……え?」
小さな声に、ワットが聞き返した。鋭い目で、シャルロットは振り返った。――やめて。
「ワットには何でもなくても私は……!」
普通に話したいのに、声が震えてしまう。喉の奥が詰まり、目頭が熱い。視界がぼやける。
「私……まだワットと話なんてできないの!」
「……シャルロット?」
――想わないと決めたのに。
「優しくしないで……!」
涙が、勝手にこぼれ落ちる。自分を見下ろす見開いた目に、シャルロットは口走ったものを抑えた。
「……ご、ごめ……!」
悪いのは、ワットではないのに。――最低だ。今の自分は。
「顔……洗ってくる!」
シャルロットは台所から逃げ出した。ワットは、そこに立ち尽くしたままだった。
出発の朝になっても、シャルロットはワットと顔を合わせる事ができなかった。――やっと、わずかな会話ならできるようになってきたと思っていたのに。
ワットと常に離れた距離にいることで、わずかにメレイの視線が痛い気がした。
一早く支度を整えたアイリーンは、シャルロット達がプレゼントした服を身につけ、自分の古びたコートとマフラーを巻いて宿の外に立っていた。
「じゃああの子……キッピー、山に返したの?」
シャルロットの言葉に、アイリーンは顔を曇らせた。しかし、すぐに笑顔に戻る。
「キッピーは、ホントは山にたくさん友達がいるんだ。それにキッピーは雪を離れて生きられないってニースが言ってたから、仕方ないよな」
「……そっか。寂しいね」
シャルロットが頷くと、アイリーンは歩き進み、黒いウェーブの髪を振って振り返った。
「皆と一緒なら、寂しくねーよ! ……あ! エディがきた!」
宿から出てきたエディを見つけ、アイリーンはすぐに駆け寄った。その後ろから、ワットとパスが続いている。彼らの視線が向く前に、シャルロットは顔をそらし、メレイと一緒に馬に乗った。
ミラスニー・ノラに向かうまでには、再び雪の山道を進まなくてはならなかった。山道では雪が降りだし、視界も悪い。
寒さをしのぐために、極力防寒着に身を包み、シャルロットはメレイの背中にしっかりと抱きついた。しかし、感じるのはその温かさだけではなかった。
時折、睡魔のように意識が吸い取られる。頭によぎるのは、――薄暗い部屋。タバコの煙だろうか、それが立ち込める、狭い部屋が見えた。シャルロットは頭を振り、意識を取り戻した。――しっかりしなくては。
これが、自分の記憶ではない事は分かってる。
ギタ・エアドーレを出発して三時間も立たないうちに、シャルロット達は山を越え、王都、ミラスニー・ノラに入った。
中央に聳え立つ巨大な城を中心に栄えるこの町は、大部分が降り積もる雪に覆われている。城は雪で白銀に輝き、造り自体は水の王国の城と似ていると感じる。しかし、ここの城は上階につれて雪雲に覆われ、全景までははっきりと見えなかった。この大雪のせいか、城下町をあるく人の姿もまばらだ。
ニースが馬を止めた。
「向こうに宿があるようだ。先に行っていてくれ。国王との面会が済んだら戻る」
視線の先に、小さな宿屋が見える。シャルロットはメレイの後ろから顔を出した。「すぐに面会できるんですか?」ニースは馬の方向を一人変えている。
「ギタ・エアドーレから今日城に到着すると書状を送っておいた。時間はかからないだろう」
「いつもみたいに城に泊めてもらわねぇのか?」
パスが寒さに震えながらワットの後ろで声を上げる。
「いつも好意に甘えてばかりもいられないだろう」
「そ、そっか」
震えるほどの寒さのせいか、パスはそれ以上話そうとはしなかった。
「じゃあ、すぐ戻る」
ニースはそのまま、馬を蹴り、雪の中に消えて行った。雪は次第に強くなり始め、今や吹雪と化している。
「行くぞ」
それを見届けると、ワットはマフラーで口元を覆いなおし、宿に向かって馬を進めた。エディがそれに続くと、メレイは口元まで覆っていたマフラーを下げた。
「悪いんだけど」
メレイの声に、エディとワットが馬を止めて振り返る。「何だ?」ワットが、早くしろという口調で言った。
「宿に行ったら今日は休むだけでしょ?」
「だろうな」
「私はちょっと外れるわ」
シャルロットは寒さに震えつつも、背中からメレイを見上げた。アイリーンが、首を傾げてメレイを振り返る。
「何で? 早く宿に行こうぜ、寒いじゃんか」
「ちょっと行きたいところがあるの」
アイリーンの言葉を流し、メレイが馬から下りた。
「行きたいところ?」
アイリーンが聞き返しても、メレイは「ええ」と笑みを返すだけだ。シャルロットに手綱を渡し、メレイは一人、皆と方向を変えた。
「じゃ、そこの宿屋に戻ってくるから」
メレイはコートを羽織りなおしてマフラーを鼻元まで巻くと、雪に足を沈めながら別の方向へと歩いて行ってしまった。
「……メレイ、この町知ってんのかな」
アイリーンがエディを見上げた。
「メレイちゃんはいつもそうなの。新しい町や村に着くと、よくフラってどっかに行っちゃうんだ」
シャルロットの言葉に、アイリーンが「ふーん」と頷く。シャルロットは、馬に一人で座りなおした。
「おい、行くぞ」
ワットの声に、シャルロット達はすでに雪の中に消えたメレイの後姿から目を離し、再び宿に向かった。
吹雪で、視界がどんどん悪くなるのを感じる。宿の前まで来ると、シャルロットは馬を下りた。
「あ!」
突然のパスの声に、シャルロットは振り返った。「何だ?」と、ワットも振り返る。
「オレ……」
言葉にしながら、パスは自分の体をあちこち叩くように触った。
「財布落とした!」
「はあ?」
思わずワットが寒さを忘れた声を出す。
「どこでだよ」
「わっかんねぇ……! さっきニースから宿代もらった時にはあったから……その辺かも……」
ショックを受けた顔で、パスはワットを見上げた。
「どれくらい入ってたの?」
シャルロットは馬から手綱を放してそこに歩き寄った。
「オレのは銀貨数枚……。あとニースからもらった宿代……」
「……しょうがねぇな」
ワットがため息をついた。その視線は、吹雪に覆われたもと来た道に向いている。
「降りろ」
「え?」
「見てきてやる。お前ら先宿入ってろ」
「オ、オレも行くよ」
「飛ばすから降りろ」
寒さで、言葉に気を使う余裕はないようだ。ワットの態度に、パスは肩を落とした。
「……分かった。ワリィ……」
しぶしぶシャルロットの手を借りて、パスは馬から降りた。シャルロットがワットを見上げると、ワットは顔をそらした。
「すぐ戻る」
馬を蹴り、ワットは吹雪の中に消えて行った。こんな吹雪の中、小さな財布一つを見つけられるのだろうか。
吹雪は、どんどん強くなっている。アイリーンが馬から飛び下り、シャルロットの手を引いた。
「早く馬つないで中入ろうぜ」
「……そ、そうだね」
後ろ髪を引かれる思いだったが、シャルロットは馬の手綱を取って、宿の裏手の道に入った。