第24話『新たな旅立ち』-3
一時間もしないうちに、アイリーンは荷物をまとめて屋敷の玄関に立っていた。荷物は、潰れたリュック一つだった。
同じく玄関に並んだシャルロット達を見上げ、その大きな目をキョロキョロとさせて事態を飲み込もうとしていた。
「ほ、本当にいいのか? あたし、ここを出ても……」
嬉しい気持ちはあるのだろう。しかしそれ以上に、戸惑いが目に見えてあらわれている。「荷はそれだけ?」シャルロットの問いに、アイリーンは数回頷いた。
「アイリーン様」
ひそめるような小声に振り返ると、スイーモが、居間から出てきたところだった。
「……どうかお元気で。今まで何のお力になれなかった事を……お許し下さい」
「スイーモさん……」
目を閉じ、アイリーンがスイーモのスカートに抱きついた。
「ありがとう、いつも優しくしてくれて……。この家で、スイーモさんだけが大好きだった」
自分に抱きつく小さなアイリーンに、スイーモは顔をそむけて肩を震わせた。――きっと、彼女にとっても、今までこの子を救えなかった事は心の傷となっていたのだろう。毎日過酷な目にあっている少女を目にしても、助けられない悔しさは、痛いほどによくわかった。
「あんたみたいな厄介者がいなくなってせいせいするわ」
テテの甲高い声が、玄関ホールに響いた。今のおくから、足音を響かせてこちらに歩いてくる。アイリーンが、スイーモのスカートから離れた。
「何よその目は」
自分を上目遣いに睨み上げるアイリーンに、テテがあごを上げる。
「今まで世話になった家に対して……きゃ!」
言葉は、途中で止めざる終えなかった。アイリーンが、手近の花瓶の水をテテに向かってひっかけたからだ。
「何すんのよ!」
伸ばされた手が届く前に、アイリーンが花瓶を床に叩きつけた。大きな音に、テテがもう一度悲鳴を上げる。
「今までお前らに反抗しなかったのは、お母さんの為だ。二度とお母さんの悪口言うんじゃねえぞ……!」
――憎しみのこもった目で。アイリーンのそれは、テテに言葉を失わせた。スイーモが、優しくテテの肩をとった。
「お嬢様、お着替えを……」
「……フン!」
髪を振り、テテはスイーモに連れられて玄関ホールをあとにした。最後まで、その燃えるような目はアイリーンの姿を睨み続けていた。途中、スイーモが一度だけ振り返った。その目が合うと、スイーモはアイリーンに小さく頭を下げた。
「……バイバイ」
アイリーンが、小さく呟いた。その肩に、シャルロットは手を置いた。
「アイリーン……?」
その声に、反応するように。ウェーブの黒髪を振って、アイリーンが振り返った。
「行こう」
その笑顔は、シャルロットが初めて見る笑顔だった。影が取り払われた、澄んだ笑顔――。
「……うん!」
その手を取ると、アイリーンはシャルロットと一緒に屋敷を出た。屋敷の坂を降りきった後、アイリーンは自分の親指に目を落とした。そっとそれを撫で、屋敷を振り返る。
「……バイバイ。お母さん」
そのあと、アイリーンは一度も屋敷を振り返らなかった。
宿に戻ってからは、旅支度で手がいっぱいになった。――ミラスニー・ノラ城。アイリーンに出会っていなければ、おとといにはそこに到着していたはずである。
シャルロットが荷の整理をしなおしている間、ニースはアイリーンと一緒に彼女を新しく迎え入れてくれる家族を探す為、町の役所出かけていった。エディも、それについていったが、残ったパスとワットにはまったく協力性はなく、一階の食堂でだらけているだけだ。忙しさも手伝って、シャルロットは唯一部屋に残っていたメレイを睨んだ。
「いつの間にあんなお金用意したのよ。私達に内緒で! メレイは知ってたんでしょ?」
それを知っていたら、もっと早くに安心できたのに。結局、知らなかったのは自分とパスだけだったらしい。
「私だって、エディがあんな物持ってきてるなんて知らなかったわ」
剣を磨いていたメレイが息をつくように笑った。
「お金の話が出た途端、あの子がこれを換金すればいいって言い出したのよ。……黙ってれば、自分は一生お金には困らなかったでしょうに」
「エディ……」
シャルロットは言葉が続かなかった。エディの優しさを、心から尊敬した。「ま、実家があれじゃ元々お金には困ってないでしょうけど」冗談めかし、メレイが加える。
自分の事より、はるかに人のことを考えられるエディは、歳が同じでも自分とはまったく違っている。
(……私は、いつも自分の事ばっかりだ)
その感情に、デジャヴを感じる。――あの時は、ワットに対してだったけれど。
(私も……そういう人間になりたい)
「ありえねえ!」
ドアの開く音と同時に飛び込んだ声に、シャルロットとメレイは反射的に振り返った。「マジでありえねえだろ!」声を上げて入ってきたパスの後ろから、ニースとエディ、アイリーンとワットが順々と戻ってきた。
「お、おかえり」
物々しい雰囲気に戸惑いつつも、とりあえず迎え入れる。パスはそのままベッドに飛び込むように座り、ニースとエディ、ワットも、しらりとしたまま付近に腰掛けた。
「ただいま!」
唯一、明るい返事をしたのはアイリーンだけだ。
「何」
明らかな異変に、メレイが呟く。誰も答えない代わりに、アイリーンが勢いよく手を上げた。そのマフラーの下から、ワルスヴォーグのキッピーが同時に顔を出す。
「あたしも一緒に行くって言ったんだ」
アイリーンの言葉に、メレイが「は?」返した。
「ふざけんな、ダメに決まってんだろ」
冷たい視線で、ワットが釘をさした。「だいたい今、里親探しの登録してきたんだろ?」面倒ごとには関わりたくない目が、ニースに向いた。
「だから最初から言ってんだろ! そんなのより一緒に行きたいって!」
その目に負けない勢いのアイリーンを見て、シャルロットの脳裏に、パスがだだをこねてついて来たときの事が思い起こされた。「アイリーン、それは止めた方が……」言いかけたが、アイリーンが勢いよく振り返り、言葉が止まった。
「じゃあこいつはどうなんだ?!」
その指が、鋭くパスを指した。「あたしと同じくらいだろ!?」同時に、パスが立ち上がった。飛ばっちりもいいところである。
「な! 何だよ! お前と一緒にすんな! オレは……」
「お前、何でついてきてんだっけ?」
ワットがパスを見て呟く。
「てめー! 何で覚えてねえんだよ!」
この際それは掘り起こさぬように、パスは矛先をアイリーンに戻し、その真横にある机を叩いた。
「オレはお前より年上だ! 十二だ十二! お前は十一だろ?!」
「大して変わんねーじゃねーか! それにお前の方がチビだ!」
――確かに。間髪入れないアイリーンの反論に、シャルロットは妙に納得してしまった。言われて見れば、並ぶとアイリーンの方がわずかに背が高い。
「う、うるせーこの男女が!」
「何だとこの野郎!」
途端に、アイリーンの手がパスの頭に飛んだ。「いて!」思わずそれをかばい、パスがよろける。ふん、と鼻を鳴らすアイリーンに、パスはスイッチが入った。
「てんめー! 女だと思って手加減してりゃあ!」
パスが両手でアイリーンの胸ぐらを掴むと、負けじとアイリーンも歯をむき出してそれに応戦する。怒声を発しながらベッドに転がりこんだ二人に、ニースが立ち上がった。
「いい加減にしないか、二人とも」
互いを殴りあう双方の腕を引くと、その力にパスとアイリーンはあっさりと引き離された。
「あたし、ニース達と一緒に行きたいんだよ!」
訴える目に、ニースは息をついた。――今更、驚きもしない事だ。もう一方の手に繋がったパスがその手を払ってベッドに戻った。口を曲げ、腕を組んだまま顔をそらしている。ニースが膝をつき、大人しくなったアイリーンと目線を合わせた。
「君には、新しい家族が必要だ」
「さっきっから聞いてる! そんなのいらないから、連れてってくれ! そっちの方がずっと楽しそうだし……」
「アイリーン、私達の旅は楽しい事ばかりじゃない」
ニースの目に、アイリーンの勢いが途切れた。
「私は国の任務を受けて各国を回っている。道中は、安全じゃない。……君みたいな子を、連れて歩くわけにはいかないんだ」
その言葉に、アイリーンはうつむいて肩を落とした。
「どうしても……だめなのか」
「一人ではない。新しい家族が、すぐにできる」
「……家族なんて……いらない」
アイリーンの声が、小さく揺れた。
「私の家族は、お母さんだけだ。……連れてってくれないなら、私は一人で生きてく」
シャルロットはエディと顔を合わせた。自分達が口を挟めることでは無いが、確かにアイリーンのような少女を連れて歩くのは賛成しかねる。事実、これだけの人数で歩けば移動手段にだって困り始めていたところだ。
「……最近は、滅多に危ない事があるわけじゃないかもね」
静まり返った部屋で、メレイが言った。ニースがアイリーンから手を離して立ち上がった。「メレイ」口を挟むな、と言わんばかりの呼びかけに、メレイは視線を向けた。
「私は反対よ、つれて歩く事には。でも、こんな小さな子を一人にする事にはもっとね」
アイリーンが口をあけて顔を上げた。
「マジかよ! メレイは賛成なのか!?」
パスが声を上げた。
「あ、あたし! 料理だって出来るぜ! 役に立てるし……なあ、いいだろ!?」
懇願の目で見上げられたそれに、ニースは顔をそむけた。「君には、新しい家族が必要なんだ」アイリーンの顔が、再び曇る。
「私の旅は、火の王国に帰ればそれで終わる。他の皆もだ。その後、君はどうする気だ? 一人だけで、ずっと生きていく事などできないんだぞ。それに、君のような年子で働ける場所などほとんどない」
「新しい家族なんて、この子がなじめるとは限らないじゃない」
「それでも、機会は必要だ」
珍しく話に割って入るメレイに、ニースは黙っていてくれという目を向けた。
「……ニース様。私も、この子を放っておけません」
平行線を崩さない二人の間に、シャルロットが入った。
「行くあてが無いのなら城で働くという事も……。今すぐじゃないなら、私と一緒に砂の城に戻ってたらどうでしょう……?!」
後半は、思いついたのと同時に喋っていた。
「あそこならいつも手が足りていませんし! 私もアイリーンよりずっとちっちゃい頃から働いていました!」
「ホント?! あたしそこ行く! シャルロットと一緒なら、あたしそうする! ニース、あたし決めた! そうするからな!」
服の裾を掴み、アイリーンがニースを見上げる。腰の高さほどの少女の目に、ニースは口元が引きつった。
仲間内では、よく笑われたものだ。――お前は、女、子供には甘いから。
厄介な話は、だいたいそこを介してやってくる。守るべき対象。一度その目で見た対象には、ニースはほとほと弱かった。
余計な思い出に、ニースは手で顔を抑えた。
「……ホント甘いよな。お前……」
呆れたようなワットの言葉にも返す言葉は無かった。