第24話『新たな旅立ち』-1
――タイミングがいいのか悪いのか。
「あ、あなた達!」
「ちょっとアイリーンの事でお話を聞きたいんですけど!」
屋敷の前まで来た途端、姿を見せたスイーモを、シャルロットが捕まえた。偶然、外出する所だったのだろう。
「あ、あなた方に喋るような事は何も……! アイリーン様にはもうお会いする事も出来ませんよ! 旦那様とお話中ですし……」
視線の集まる皆の前で手をほどき、スイーモは坂を降りて行った。シャルロットとエディは顔を合わせた。アイリーンと話せないのなら、背を向けて歩く彼女しか頼れる人はいない。
「アイリーンは、あそこの家の子なんですよね? 働いているって、聞いてましたけど……」
早足で進むスイーモの隣を追いかけながら、シャルロットが言った。その後ろからもぞろぞろとついてくるエディ達に、スイーモは観念したようだ。坂を下りきり、屋敷からは自分達は見えないだろう。周囲にも人がいない事を確認してから、足を止めた。
「……ええ。もちろん、エルドッグ家のお嬢様ですよ」
「あんな扱いを受けているのに? あの時一緒に居たのは……お姉さんなんでしょう?」
エディの言葉に、スイーモは顔を曇らせた。
「……私が話したと、言わないで下さいよ」
屋敷から影にあたる石段で、シャルロット達は腰をおろした。物陰になっているので、通行人からも見えるのはワットとメレイの背中くらいだろう。
「旦那様の仕打ちに、驚かれたでしょう」
「もちろんです……!」
――当然だ。自分の娘に、あんな事をするなんて。
シャルロットの言葉に、スイーモが顔をうつむけた。
「旦那様とアイリーン様には、血のつながりは無いんです。アイリーン様は旦那様の後妻、フィフィカ様の連れ子でした」
「……後妻?」
「ええ。もう五年にはなるかしら……。旦那様は隣町に住んでいたフィフィカ様と再婚なさって、アイリーン様はフィフィカ様と一緒にやってきたんです。最初から、クェラお嬢様達のアイリーン様への扱いは快いものではありませんでした」
「クェラ?」
「エルドック家のお嬢様です。長女のクェラ様。先程おられたのは、三女のテテ様です」
「三女……。あんなのがあと二人もいるのね」
メレイがため息をついた。
「奥様は、とても気さくな方でした。控えめで、お美しい方で……。とても病弱だったんです。ご結婚なされてから半年もすると、奥様はすぐに床に伏すようになってしまいました。そして……そのままお亡くなりに」
話しながら当時が蘇ったのか、スイーモの目がわずかに潤んだ。
「それに、私は詳しい話は知らないんですけど……、何やら奥様の療養費に多大なお金をかけたらしくて……アイリーン様はそれを負担しているんです」
「何で?」
メレイが、思わず聞き返した。
「旦那の再婚相手なんでしょ? 何でアイリーンだけが? あんなでかい屋敷に住んでるなら、それくらい簡単に払えるでしょ?」
「……そう……ですよね」
メレイの言葉に、スイーモは顔を背けて唇を噛んだ。
「でも、アイリーン様は働いてお金を返そうとしているんです。……どうしてあんな小さな子が……とても一人で働いて帰せる額ではないでしょうに」
「それであの家の娘なのにあんな扱いなのか?」
ワットがため息をつくと、スイーモは手をかたく握り締めた。
「それにしても、最近の旦那様達は少々行き過ぎています。アイリーン様への扱いは、まるで私達以下……それどころか、毎日のように暴力を……」
突然、スイーモが我に返ったように口に手を当てた。「すみません……口が過ぎたようです」そう口走り、腰を上げた。
「待って! 私達、もう一度アイリーンに会いたいんです!」
シャルロットが声を上げると、スイーモは自分を見上げる面々から顔をそらしながら石段から抜け出した。
「無理です。アイリーン様はこれから夕方まで外出されますし、旦那様がお許しになるはずがございません! 私はこれで失礼します。時間内に買い物を終わらせて戻らなければならなりませんので……!」
固く口をつぐみ、スイーモはそのまま早足で町中へ去っていった。
「待っ……」
「やめとけ。これ以上はあの人にも迷惑がかかる」
ワットに腕を掴まれ、シャルロットは「でも!」と振り返った。――まだスイーモには聞きたい事は山ほどあるのに。
「お前も使用人だったなら分かるだろ。今の話だけでも十分解雇理由になるぜ」
その言葉に、シャルロットは腕から力が抜けた。――その通りだ。使用人にとって、主人の事を勝手に話すなど言語道断。即刻解雇されても、文句は言えないのだ。
シャルロットが諦めると、ワットも手を離した。
「ニース様! あの子をあの家から出してあげる事は出来ないんですか!?」
「……そうしてやりたいのは山々だが、あくまであの子はエルドッグ家の人間だ。いくら虐待を受けているとはいえ他人が……、しかも他国の人間がやすやすと口を出せる事じゃない」
「でもあの子は家を出たがってました。だから一人でも……あんなに離れた隣町に行こうとしてたんです。独りぼっちになったから……!」
シャルロットは手を握りしめた。放っておくなんて、できるはずがない。そして、ニースからそんな冷たい言葉など聞きたくもない。二つの感情が、胸のうちからこみ上げた。
「でも、アイリーンには借金があるって言ってたじゃない」
見かねたメレイが、シャルロットとニースの間に立った。
「それを返す為にアイリーンが働いてるんだったら、ただ連れ出せばいいって話じゃなくないわ。アイリーンだって、それを分かってて逃げたんだったら……」
「そんな借金自体おかしいじゃない!」
シャルロットが声を上げると、エディが顔を上げた。
「アイリーンを助けることは……本当にできないんでしょうか」
何であんな子が、そんな思いをして生きていなくてはならないのか。
「……状況次第だな」
ニースの言葉に、シャルロットは顔を上げた。
「え……?」
「あの子の借金の理由。……彼女の話だけではよく分からない。実際に会って、話を聞く必要がある。それと金額。もっと大事なのはあの子の気持ちだ。我々だけで、勝手にどうこうしていい問題ではないだろう」
「ニース様!」
一気に、胸の中の雲が吹き飛んだ。
「あのガキの気持ちなら、もう決まってんだろ」
ワットが口元に笑みを浮かべた。
「あの山ん中を、一人で歩き渡ろうとするほどの覚悟だ」
集まる視線に、ニースが諦めたように重く息をついた。
「……できるかどうか、わからないぞ」
「ありがとうございます!」
嬉しさのあまり、シャルロットはニースの腕に抱きついた。「おっと」腕にからんで跳ねるシャルロットに、ニースはがくがくと揺らされた。それを見て、メレイがニースの背を叩いて笑った。
「あんたもいいとこあんじゃない。……ま、アイリーンがいないんじゃ話しになんないわ。夕方にまた、出直しましょ」
宿に戻って間もなく、ニースとエディはどこかに出かけてしまった。気がつけば、メレイもいつものようにフラリとどこかへいなくなっている。一泊だけだろうと、ニースが一部屋しか取らなかったので、パスが外に走りこみに行ってしまうと、自然とシャルロットとワットが二人で残ってしまう事になる。気まずさに耐えかねる前に、シャルロットはパスと一緒に出る事にした。
「……はぁ」
外のベンチで、シャルロットは重く息をついた。視界の隅で、パスが一人で飛び回っているのが見える。それでも、それは元気の源にはならなかった。――私、だめだな。
気がつかないわけにはいかなかった。いくらワットの事を考えないようにしても、いつの間にか目で追ってしまう。それに気がつく度、ワットにとって、自分が何でもないただの連れだと思い知らされるのだ。この胸の詰まる思いに、自分はいつまで耐えられるだろうか。
息をつくたび、吐く息が白く残った。今は雪こそ降っていないものの、町は白一色だ。指先は、寒さでうまく動かない。
顔を上げると、遠い高台に青い屋根のエルドッグの屋敷が目に入った。
この真っ白な町で、アイリーンは何を思って生きてきたのだろう。あの小さな体で、母の死を一人で乗り越え、家族になった人達にあんな扱いを受けて。
アイリーンにプレゼントを贈った時の、わずかに見せたあの笑顔が、頭から離れなかった。あの笑顔を、あの気持ちも、彼女に忘れて欲しくなかった。――縛られるものがあったとしても。
彼女が笑って生きることを、誰にも邪魔はできないはずなのだから。
すっかり長い話になってきてしまいました。
(文字数見たら大変なことに……!)
まだしばらく連載は続きます。
お付き合いいただければこれからも宜しくお願いします<(_ _)>