第23話『傷跡』-4
翌早朝、シャルロット達はアイリーンを連れてエルドッグの家へと向かった。アイリーンはシャルロット達がプレゼントした服で、ずっとうつむいている。そのマフラーの隙間から、ワルスヴォーグがチラチラと顔を覗かせていた。荷を持って全員が馬に乗ると、エディが自分の前に、アイリーンを乗せた。
石で舗装された道が広がるギタ・エアドーレの町は、馬で歩いてもまったく問題がない。町人達による、日々の雪かきの効果もあるのだろう。少しばかり馬を歩かせると、アイリーンが遠い高台に見える茶色い屋根の大きな二階建ての屋敷を指差した。
「あれだよ。あの茶色い屋根がエルドックの家だ」
アイリーンが指差しながら、ニースを先頭にパスとワット、メレイとシャルロットと順に続いた。
「なぁ、エディ達はどっから来たんだ?」
吐く息も白く残る中、アイリーンが背中のエディを見上げた。そのくるりとした黒目は、どことなくワルスヴォーグのそれと似ているかもしれない。「僕は水の王国だよ」そう答えながら、エディは笑んだ。
「他の皆は違うのか?」
「うん皆……、違うかな」
馬上から、周囲の馬を見回す。
「ニースさんは火の王国からだし、パスは南の大陸から……。ワットさんとシャルロットは砂の王国からだね。メレイさんは……」
――そういえば。メレイの話をあまり聞いたことがなかったエディは、言葉に詰まった。振り返るも、メレイは一緒に乗っているシャルロットと、何か話をしている。
「東の大陸……だったかな」
確か、パスからそう聞いた気もする。エディの答えに、アイリーンは「ふーん」と頷き、また前を向いた。
「これからも、またどっか行くんだろ?」
「そうだね、ミラスニー・ノラの城へ行って……、火の国に行くんだ」
「楽しそうだ。……あたしも一緒にいきたいな」
わずかにワクワクするような、それでいて他人事だと分かっている言葉――。
自分につかまる手に力が入ったのが分かると、エディは何も言えなくなった。これから向かっている場所が、この子にとって良くない場所であろう事は充分に分かっている。――それでも、解決方法を持たないエディは、何も言えなかった。
「あいつ、ずいぶんと気に入られたな」
エディとアイリーンの前方を進むワットが、それを視界に入れて呟いた。その言葉に、背中に乗ったパスが顔を上げる。
「エディは甘いからな。お前と違って懐かれやすいんだろ」
「バカ言え、俺だってガキには結構懐かれるんだぜ」
嘲笑に、心外だという顔で振り返る。
「そうかぁ?」
「まずお前だろ? それからー……」
指を折って数え始めるワットを、「オレはガキじゃねえ!」と、パスが遮った。
先頭のニースが、馬の速度を落としてエディ達を振り返った。
「アイリーン、あの屋敷か?」
「うん、あの青い屋根の……。左から回って坂を上るんだ」
アイリーンの案内で坂を上ると、急激な上り坂を経て、やっとで屋敷の入り口についた。
町で一番の高台だろうか。一面雪に埋もれたギダ・エアドーレが一望できる。馬を下りると、ニースが屋敷の入り口のベルを鳴らした。その隣で、アイリーンは、エディの服の裾をずっと掴んでいた。
すぐに、ドアの向こうから中年の女性が顔を出した。
「どちら様ですか?」
質素な服に身を包みんだ女性が、不思議そうにニースを眺めた。使用人だろうか、女性が順番にシャルロット達を見回すと、エディの隣のアイリーンでその目が見開いた。
「アイリーン様!」
「……スイーモさん」
表情も変えずに呟いたアイリーンとは対照的に、スイーモと呼ばれた女性は血相を変えてアイリーンの前で膝をつき、目線を合わせた。
「どこに行ってらしたんです! 心配したんですよ! 旦那様もたいそう心配なさって……」
「ごめんなさい。でもあの人が心配なのは、お金の事だけだ」
目をそらすアイリーンに、スイーモは眉をひそめた。しかし、アイリーンはそれ以上口を開こうとしない。スイーモが立ち上がり、シャルロット達を見回した。
「アイリーン様……この方達は?」
「お世話になった人達。あたし怪我して……手当てもしてくれたんだ」
「そうでしたか……。とりあえずお上がりになって下さいませ」
スカートの裾を持ち、スイーモは家の中に手を差し出した。
家の内装は豪華なものだった。細かい刺繍の入った絨毯に、飾られた美しい絵、彫刻の入った家具は、どれもこの家の階級がかなりのものだということを伺わせる。居間らしき場所に通されたシャルロット達は、ソファに案内されたが、アイリーンはずっとその隣に立っていた。
「座らないの?」
メレイの言葉に、アイリーンは「うん」と顔をそむけて頷いた。その時――。
「あら、アイリーンじゃないの」
突然、部屋に甲高い女性の声が響いた。振り返ると、部屋の入り口に立っていたのは、スカートの盛り上がった綺麗なドレスを着た、長い黒髪に見事なウェーブのかかった女性だった。腰に片手をあて、自分の美しさを誇示するような目つきを持っている。一見、二十歳前後にも見えたが、よく見ればそれは化粧のせいだけで、実際はもっと年齢は上だろう。女性は手で髪を流した。
「もう帰ってこないかと思ったわ」
鼻で笑ったような言葉に、シャルロットは胃の奥がかすかに沸き立った。
「あなた達は? どちら様?」
女性の目は、まるで汚いものでも見るかのようなものだった。
「テテ、下がりなさい」
「お父様」
女性の後ろから、中年の男性が入ってきた。杖を片手にぎこちない歩き方で、白髪交じりの厳格な雰囲気がある。背は、女性とさほど変わらないかもしれない。身につけた茶色いスーツはとても高価なものに見えた。小さな眼鏡をかけた向こうから、男性はアイリーンを見下ろした。
「――おとうさま」
アイリーンの呟きを、シャルロットは聞き逃さなかった。――お父様?
眉をひそめたまま、アイリーンは自分に近づいてくる男性を見つめている。その瞬間、鈍い音が部屋に響いた。
「あ!」
シャルロットは思わず立ち上がった。男性が杖で、アイリーンの腕を叩いたのだ。その勢いで、アイリーンは絨毯に倒れこんだ。
「アイリーン!」
エディが立ち上がり、アイリーンを支えた。
「何するんですか!」
シャルロットは思わず足を踏み出したが、隣のメレイに腕を掴まれた。「メレイちゃ……」しかし振り返ると、ワットとニースも座ったままだ。パスだけが、驚いて立ち上がってはいたが。
それでも、男性はシャルロットに一瞬目をくれただけで、再びエディに支えられているアイリーンを見下ろした。アイリーンは顔をうつむけたまま、腕を押さえて体を起こした。
「仕事に戻れ! この面汚しが……!」
男性がアイリーンに背を向けた。
「テテ、アイリーンが戻ったと、クェラに伝えておきなさい」
「はぁーい」
テテと呼ばれた女性は、まるで何事もなかったかのように笑顔で部屋から出て行った。その後を、男性が続いていく。
「ちょっと!」
シャルロットが声を上げても、男性は足も止めずに出て行った。シャルロットはメレイの手を振り払った。
「何で止めたのよ?!」
しかし、メレイはそれに答えない。シャルロットは、それよりもアイリーンに駆け寄った。
「大丈夫?!」
「……ありがと。送ってくれて」
「え……?」
アイリーンの声は、まったく落ち着いたものだった。「それから服も……嬉しかった」顔を伏せたまま、シャルロットとエディに起こされる。しかし、アイリーンはその手を離した。
「バイバイ」
一瞬、アイリーンは顔を上げて笑みを見せた。そして、シャルロット達が何もいえない間に、腕を押さえて部屋から出て行った。
アイリーンとほぼ入れ違いで、先ほどの使用人、スイーモが入ってきた。
「旦那様からのご伝言です。今すぐ、屋敷から出て行くようにと」
「で、でも、もう少しアイリーンと話を……」
「これ以上の滞在は」
シャルロットの言葉を、スイーモが遮った。
「アイリーン様のお立場を悪くされるだけですよ」
その言葉に、シャルロットはエディと顔を見合わせた。すると、「行こう」と、ニースが立ち上がった。
「ニース様! だって……!」
「シャルロット」
ニースの目に、シャルロットは言葉に詰まった。――これ以上の滞在は。
ワットもメレイも、黙って立ち上がっていた。シャルロットも、それに従わざるえなかった。
「信っじらんない! 何なのこのうちは!」
青い屋根のアイリーンの家から帰る帰路、その急勾配の坂で、シャルロットは完全に頭に血が上っいた。「あれが日常と見えるわね」隣で馬を引きながら、メレイが加える。
「そーよ! 何で止めたのメレイちゃん!」
「バカ、メレイのが正しいぜ。それじゃあのガキの立場が悪くなるだけだろ」
隣で馬を引くワットが言った。「だって!」と、それを振り返った途端、シャルロットは我に返った。思わず、視線を下げてしまった。まだ、ワットと普通に話すことを、体が拒絶する。
「大丈夫か?」
ニースの声に、エディは我に返った。ずっと黙ったままぼうっとしていたらしい。「僕……」
呟きながら、エディが足を止めた。
「あの子を、あそこから出してやる事はできないんですか?」
その問いに、ニースが足を止めた。――もちろん、それができればそうしてやりたい。ニースも、考えている事は同じだった。しかし、自分にはどうする事はできないだけだ。この坂を下り、また馬に乗って、雪の城に向かわなくてはならない。
「もう出発の時間だって事は分かっていますけど……! すみません! もう一度だけ……!」
きびすを返した途端、エディが坂を走って戻りだした。「おい、エディ!」隣にいたパスが驚いても、エディは振り返らなかった。エディがシャルロット達を通り過ぎると、シャルロットは「あ!」とそれに続いた。
「私も!」
もう一度、あの子と話したい。これで終わりなんて、絶対に嫌だ。
「おい、また追い出されるんじゃねぇか?」
「追い出されても行く!」
背中からのワットの声にも足を止めなかった。
「私も行こうかしら」
その背中がどんどん遠くなると、メレイが呟いた。「メレイ」ニースが、自粛させたい声で言う。
「すぐ戻るわよ」
しかし、メレイはそのまま歩いて馬を引き、坂を上っていった。
「俺も」
ワットも馬を引いて歩いていくと、ニースはため息をつくしかなくなった。隣に残ったパスに、顔を向ける。
「仕方が無い、行こう」
「あ、ああ」
パスは目を瞬きながら慌ててそれに続いた。