第23話『傷跡』-3
朝になると雲が晴れ、久々に太陽の日が覗いた。雪に日差しが反射し、あたり一面が眩しい。
町は、早朝と同時に目覚め始めた。ぶ厚いコートに身を覆う人々が多く行き交う中、商人も多いが積雪が影響してか、客引きは少ない。大きな看板が掲げられた店が並ぶ通り、その中の一つの洋服屋の前の階段に腰掛けていた。両手には、その体には大きすぎるほどの紙袋を両手で抱えている。退屈から、欠伸も何度目だろうか。
「……ったく。ついてくるんじゃなかったぜ」
「まぁまぁ」
隣のエディが、そこに立ったまま同じ大きさの紙袋を抱えて笑う。アイリーンの服を買うついでに、食料の買出しも兼ねた外出は、パスとエディは荷物持ち役だった。
一方、その洋服屋の中では、白のタートルセーターに、深い赤のタータンチェックの短いスカート、膝までの茶色いブーツを履いたアイリーンが言葉も無く立ち尽くしていた。
「あらまぁ! 本当、かわいらしいお嬢さんだから何でも似合ってしまいますわね」
店の女主人は、先ほどからずっと手を合わせてアイリーンを褒め通していた。もちろん、それが商売言葉だという事などわかっているが、実際、シャルロット達から見てもそれはアイリーンに良く似合っている。
「旅のお方たちなんですの?」
女主人の言葉に、シャルロットはメレイは顔を合わせた。――アイリーンは、この町の子だが。
「(でかい町よ、知らない子くらいいるでしょ)……ええ、水の王国から参りましたのよ」
「あらあら、そうでしたの!」
女主人にとって大事なのは、会話の内容よりも服の売買らしい。シャルロットはアイリーンの全身を離れた所から見た。
「うん、やっぱこれが一番似合うね」
「そうね、さっきのよりこっちがいいわ。ねえ、このまま頂くわ」
「はいはい、ありがとうございます!」
女主人が笑顔で手を合わせた。その言葉に、アイリーンが「え!?」と顔を上げた。
「ち、ちょっと……!」
慌てて、ブーツの音を立ててメレイに駆け寄る。
「あら、気に入らない? さっきの方が良かった?」
「そ! そうじゃなくて! あたし……こんなの貰えない! お金も持ってないし……!」
「あら、買ってあげるわよ」
メレイが思わず笑った。
「外にエディ達が居るから先に行ってて。待ちくたびれてるわ」
メレイが会計に足を向けても、アイリーンはその場から動かなかった。
「……どうしたの?」
ふいに、シャルロットはアイリーンの手が、そのスカートの裾を握った事に気がついた。
「な……何で?」
アイリーンの小声に、シャルロットは「え?」と聞き返した。
「……何でそんなに優しくしてくれるの? あ、あたし……何も返せないよ」
そのうつむいた小さな肩には、力が入っている。シャルロットははっとした。この子――。
膝をつき、その体を両腕で抱きしめた。
「私達は何にもいらないの。アイリーンが、笑って受け取ってくれれば、嬉しいのよ」
――他人からの優しさを、知らないんだ。
体を離すと、アイリーンはシャルロットを見つめてその大きな黒目を揺らしていた。
「……私達、昨日あなたのあざを見た」
その言葉に、アイリーンの体に力が入ったのが分かった。しかし、やめるわけにはいかない。
「あなたの言うおうちの人がどんな人達かは知らないけど、そのあざをつけたのがその人達なら……許せない」
アイリーンはただ、シャルロットを見つめ返すだけだ。しかし、この子を前に、シャルロットはそうせずにはいられなかった。アイリーンを抱きしめ、心に決めた。
「あなたが家に帰る時、私も一緒に行くわ」
同じ頃、宿に残っていたニースは、部屋のテーブルに地図を広げてミラスニー・ノラ城へ行く道を再度確認していた。
唯一残ったワットはベッドに仰向けに寝そべり、ニースが地図を見ているのを眺めながら、欠伸を繰り返している。
「また、日程でも気にしてんのか?」
「この町に滞在する予定は無かったからな。まぁここからミラスニー・ノラまで半日もないが……。明日の昼頃に出発すれば充分だろう」
そう言いながら、羽ペンでサラサラとこのギダ・エアドーレの町並みを書き加えている。「シャルロットと」ニースの声に、ワットが顔を向けた。
「喧嘩でもしたのか?」
その問いに答えないワットに、ニースは手を止めて顔を上げた。
「それより、最近あいつらから何の接触もないな」
視線が重なると、話題を変えるように、ワットが言った。
「あいつら?」
ニースの脳裏に、風の王国の出口で会ったルジューエル賊団の二人の名が浮かぶ。
「ああ……例の。そうだな。だが、無いに越した事はない」
目を伏せ、ニースは地図と羽ペンを片付け始めた。「気にならねぇのか?」ワットがわずかに身を起こす。
「奴等は危険すぎる。あまり関わりたくないのが実情だ」
ニースは、その話題をそれ以上話すつもりはないようだ。ワットは再び枕に頭を沈めた。
もちろん、あんな目に合うのは二度とごめんだ。しかし、彼らがニースを狙っている以上、このまま手出しをしてこないというのは考えられない。それでいて、何も音沙汰が無いというのは、なんともはがゆいものだった。気を紛らすように、ワットは窓の外に目をやった。
「……遅ぇな。あいつらどこまで行ってんだ……」
その脳裏に、アイリーンの事を思い出した。
「……なぁ。あのガキの傷、見たか?」
ワットの言葉に、ニースは小さく「ああ」と答えた。
「痛々しいのだ。あんな幼子が」
「家に帰っても……同じ目に遭うだけだろ?」
ワットの言葉に、ニースは手を止めた。そんな事は、言われなくても全員が分かっている。
「……我々がどうこうできる問題ではない」
ニースの答えに、ワットが「何で」と顔を向けた。
「……あの子の仕事だ」
「仕事?」
「使用人なのに、あの子は逃げてきたと言っていた。……借金があると。解放するには、それなりの金が必要だということだ。俺達が簡単に関与すべき事じゃない」
冷めた言葉でニースが立ち上がると、ワットは思わず笑いを漏らした。その声に、ニースが振り返る。
「……おっ前、そういうセリフほんっと似合わねぇのな」
呆れたように笑った顔で、ワットがベッドから降りた。そのままニースを通り越して部屋のドアに手をかける。
「あのガキ、送ってやるんだろ? 俺は、あいつの『主人』とやらに会ってみたいからな」
「おい」
ニースが次の言葉を言う前に、ワットは部屋を出て行った。
「本当!? 本当にいいんですか?!」
皆でベッドに入る間際、シャルロットはニースの思わぬ返事に身を乗り出した。「あら、朝のうちに私達だけで行こうと思ってたのに」隣のベッドのメレイが、サラリと付け加える。
視界にニヤつくワットが入ると、ニースは必要以上に冷静な態度で荷の整理を始めた。
「ミラスニー・ノラ城に行くには同じ方向だからな。一緒に行っても、昼には出発できるだろう」
アイリーンはシャルロットの寝巻き用のワンピースを借りて、シャルロットと同じベッドの上に座っている。膝の上のワルスヴォーグを撫でながら、エディがベッドの隣を荷を取りに通りかかると、身を乗り出した。
「……お、お前も来るのか?」
「もちろん」
エディが笑顔を見せると、アイリーンは息をついたように顔をほころばせた。
「じゃあ、僕達は隣だから」
「おやすみ」
シャルロットが返事をすると、エディを先頭に、ニースとワットとパスが部屋から出て行った。
「あいつら、どこ行くんだ?」
アイリーンが首をかしげてシャルロットを見上げた。
「ニース様がね、もう一部屋とってくれたの」
「あの人数じゃ狭いでしょ? 男共がいなくなってすっきりしたわ」
メレイは笑ってベッドに寝そべる。その時、アイリーンが髪をすくと、シャルロットはその右手の親指に光る赤い石の指輪が目に付いた。
「綺麗な指輪」
シャルロットの言葉に、「ああ、これ?」とアイリーンが指輪に視線を落とす
「アイリーンの? 親指にして……大きいの?」
シャルロットの言葉に、アイリーンはもう一方の手先でそれをそっと撫でた。
「……これ、お母さんの指輪なの」
瞼を下げ、それを愛しむかのように。
「お母さんがいつも指にはめてたんだ。キレイな色で、あたしも大好きだったから……」
「お母さんは……」
「……死んじゃった。もうずっと前に」
指輪に視線を落としたまま、アイリーンは小さく寂しげな笑みを見せた。
「アイリーン……」
「悲しかったけど、もう平気なの。お母さんはいつも一緒にいるし!」
母親の代わりのように、それを触る。「あたしにはちょっと大きいけど、な」そう言って笑うアイリーンの顔に、シャルロットは胸が痛んだ。既に、悲しみを乗り越えた後の顔。
たった一人になっても、こんな幼いこの子が、どうしてそんな風に笑えるのだろうか。喉に詰まった言葉の代わりに、シャルロットはアイリーンの頭を優しく撫でた。
「なんだ?」
首をかしげ、アイリーンがシャルロットを見上げて目を瞬いた。しかし、シャルロットは何も答える事はできなかった。「ほら、キッピー。入りな」アイリーンは布団に入りながら、ワルスヴォーグを枕元に寝かせた。
「あたしのお母さんはね、占い師だったんだ」
「え……!?」
思わず、シャルロットとメレイの声が重なった。
「占い師って……!」
「お母さんが生きてた頃、あたし達は隣の国境の町にいて……、お母さんはそれでお金を稼いでたんだ。でも、エルドッグと会ってから……」
話しながら、アイリーンは顔をしかめた。まるで、何かを思い出して憎むかのように。やがて、その顔から力が抜ける。
「何でもない。もう寝ようぜ!」
「あ、うん……」
もっと話を聞きたかったが、アイリーンは布団を鼻元までかぶってワルスヴォーグに目をやっている。「私達も寝ましょうか」メレイの言葉に振り返ると、その顔からは、おそらく自分と同じ事を考えていたであろう事が伺えた。
「シャルロット?」
アイリーンの眠たげな声に、シャルロットは一緒にベッドに入った。
その日は、ずっと眠れなかった。