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同じ天の下  作者: コトリ
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第23話『傷跡』-2




「これで、ひとまず大丈夫です」

 治療を終えたエディが、少女に毛布をかけ直した。部屋につれてきた時の姿を思い起こすと、少女の顔色はずっと良くなっている。

「しばらくしたら、目を覚ますと思います。……ワルスヴォーグの子は?」

 まるで皆の視線に気がつくように、シャルロットの膝で眠っていたワルスヴォーグがぴくりと反応し、首をキョロキョロとさせると、そこから降りて、その小さな手足で軽やかに少女のベッドに飛び乗った。そして、そのまま少女の枕元で再び体を丸めて目を閉じた。

「あの子の傍がいいみたい」

 シャルロットは思わず笑った。落ち着いて眠っている少女は、やはりまだパスと同じ歳くらいだろう。黒い髪と肌の白さ、その格好から、おそらく付近の町の子だろう事が伺える。

「この子の、熱や凍傷は長くあそこにいたせいだろうけど……」

 エディは言葉を濁らせる。

「あのあざは、人に殴られたあとね」

 代わりに、メレイが冷たくいい捨てた。「あざ……?」それを見ていなかったニースが、眉をひそめた。

「転んで、あんなあざはできない」

「……僕もそう思います」

 エディは少女を振り返った。静まり返る部屋で、ニースが立ち上がった。

「この子が目を覚ましたら、事情を聞こう。なぜあんな山道で一人で倒れていたのか……。もうすぐ日も落ちる。今日はここに泊まろう。エディも、疲れただろう。女将に、食事を頼んでくる」

 ニースはそのまま部屋を出て行った。シャルロットはベッドの脇に立ち、少女を見下ろした。

 こんな小さな少女に、一体何があったというのか。穏やかに眠る少女を見ても、あの時見た紫のあざが頭に浮かび、シャルロットは胸が痛んだ。




 町が静寂に包まれた真夜中、シャルロット達はとうに眠りについていた。唯一の明かりは、エディが伏せっているテーブルの上のランプだけだ。四つだけのベッドは、一つは少女が、残りはシャルロットとメレイ、パスが使っている。ベッドが足りない分、ニースとワットは壁に寄りかかったまま、床に座って眠っていた。

「……ん」

 小さな声を漏らし、少女の指がかすかに動いた。

「キ……」

 少女に反応があったことで、ワルスヴォーグが目を覚まし、少女の頬をペロリと舐める。少女の目がゆっくりと開き、それに向いた。

「……キッピー……」

 少女の指が、そっとワルスヴォーグの顔を触った。

「キッ、キッ!」

 嬉しげに反応するワルスヴォーグの声に、エディが目を覚まして顔を上げた。

「……気がついた? 良かった……!」

 エディがベッドの脇にかがむと、少女は一気に目覚めたように上体を起こした。自分がベッドに寝ている事、見知らぬ人間が周囲に何人もいる事に、初めて気がついたようだ。

「あ、あんた誰……?!」

 身を守るように布団を胸元に当て、少女はエディと距離をとった。しかしそれは一瞬の事だった。

「ここはどこ!?」

 掴んだ布団を投げ捨て、少女はエディの胸ぐらを掴んで詰め寄った。その勢いは、病み上がりの小さな体とはいえ、エディを飲み込むほどだった。

「……え? ここ? えっと……」

 睨み付けられ、エディは返答に戸惑った。今日来たばかりの町の名前など、すらすらとは出てはこない。

「……何だったかな……、ギタ・エアドーレ、て言ったかな……その町の宿で……」

「ギアドル!? あたし戻ってきちゃったの!?」

 エディの言葉を遮り、少女が声を上げた。

「行くよ、キッピー!」

 少女がエディを離し、ベッドから足を下ろすと、ワルスヴォーグが小さく鳴いて返事をした。

「だ、駄目だよ、まだ安静にしてなきゃ……」

 エディが止める間もなく、少女が駆け足で部屋の出口に向かったが、途中でつまづいて思いっきり音を立てて前に転倒した。

「キャア!」

「……うお! 何だ!?」

 つまづいたのは、壁に寄りかかったまま寝ていた、ワットの足だった。その音で、全員が同時に目を覚ました。

「な、何の音?!」

「……何だぁ?」

 シャルロットが体を起こすと、隣のベッドで同じく寝ぼけ気味のパスが顔を上げている。

「イタタ……!」

 少女が床に手をつきつつも、なんとか起き上がった。

「あ! 気がついたの?」

 シャルロットが呼びかけても、少女に反応はなかった。その痛みに耐える潤んだ目は、まっすぐにその転んだ原因、ワットしか見つめていなかったからだ。

 勢いよく、少女がワットの足をこぶしで叩いた。

「んなとこで寝てんじゃねえよこのデカブツが!」

 ――空気が凍る、とは、こういうことを言うのだろう。

 その小さな体には似合わない少女の怒声に、文字通り、部屋の空気が一瞬止まった。しかし、寝起きのワットにとって、それは相手が少女だという事実を忘れさせるきっかけでしかなかった。

「んだとこのガキ!」

 ワットの手が少女の腕に伸びた。

「何だよ! なめんなよ! キッピー、噛みついてやれ!」

 腕を掴んだままワットが立ち上がったことで、少女の体が斜めになる。しかしそれにまったくひるまず、少女がワットを指差した。すると、「キ!」とワルスヴォーグがその小さな口で、ワットの足に噛み付いた。

「いってえ!」

 ワットはとっさにワルスヴォーグを足から引っ張りはがすと、シャルロットのベッドに投げつけてきた。

「持ってろ!」

「わっ!」

 とっさのことに、シャルロットはベッドに倒れこむ勢いで、小さなワルスヴォーグを受け止めた。「ナイスキャッチ」と、隣のメレイが思わず漏らす。その隙に、少女がドアに向かって逃げ出していたが、その小さな体は軽々とワットに首ねっこを掴まれて持ち上げられていた。

「逃がすか!」

「離せよ! エルドッグになんて二度と帰るもんか!」

「げ! 暴れんな! 何なんだよこいつ!」

 少女がその細い手足をいっぱいに使って暴れるも、その攻撃はワットの体には届いていない。エディが少女を掴むワットの腕を取った。

「ち、ちょっと、二人とも!」

 興奮気味の少女も、反射的に割って入ったエディに視線を移した。

「落ち着いて。君に危害を加える気はないから。……ワットさんも」

 眉をひそめて、エディがワットを見上げる。

「君も、まだ外に出ちゃ駄目だ」

 エディの優しい声に、少女は少しずつ冷静さを取り戻し始めていた。

「お前ら……エルドッグの家の奴らじゃないのか?」

「エルドッグ……?」

 その反応に、少女の体から力が抜けた。すると突然、部屋に明かりが灯り、ワットは少女の手を離した。ニースが、部屋の明かりをつけたのだ。

「大丈夫か、ワット」

 ニースはワットの噛まれた足に視線を落とした。噛まれた足首は、くっきりと歯型が赤色に浮かび上がっている。

「クソ! 小さくてもワスルヴォーグだな……!」

 ワットはしびれる様な痛みに顔をしかめた。シャルロットの手の中で、ワルスヴォーグは何の悪びれもなく「キー」と鳴いた。




 明るい部屋で、少女はベッドの縁に腰掛けた。シャルロットのワンピースは少女には大きい。少女は肩から毛布を羽織り、足の間に手を置いて座った。丸くて大きな黒目に、同じ色のウェーブがかかった肩まで伸びた髪、手足も細く、その肌はとても白い。――まるで愛らしい小動物のような。

 そんな外見に似合わず、少女は眉をひそめ、口を曲げてワットを睨みつけた。その視線に気づいているのかいないのか、ワットは目を閉じて、頭の後ろに両手を置いたままだ。シャルロットはエディと一緒に、少女の正面に椅子を置いた。

「名前は?」

 そこに座り、エディが優しく言った。少女の目が盗み見るようにエディを伺うと、それはすぐに膝の上のワルスヴォーグにおりた。その指先で、ワルスヴォーグを優しく撫でた。

「……アイリーン。アイリーン=フィフィカ」

「アイリーン、僕はエディ」

「エディ……」

 反復するように、アイリーンが小さくエディを見つめた。

「私はシャルロット。……ね、なんであんな山道で倒れていたの? 道に迷った?」

「……あんた達、エルドッグとは関係ないんだろ?」

 外見から想像させるより、少し低めの落ち着いた声でアイリーンが言った。

「さっきも言ってたけど、エルドックって何なの?」

 部屋の隅の椅子に腰掛けたメレイの言葉に、アイリーンはうつむいた。

「あたしの……今までいた家。あそこを出て、国境の町に向かってた」

「君一人であの山を越える気だったのか?」

 ニースが思わず組んでいた腕をほどいた。

「…一人じゃないよ、キッピーも一緒だったもん」

 アイリーンは膝の上で眠そうにしているワルスヴォーグの鼻を指先でついた。

「それ、ワルスヴォーグだろ?」

 呆れたようなワットの声に、アイリーンがじろりと想い視線を向けた。まだ、敵意が消えていないらしい。その顔に、ワットは目を逸らしてそれ以上話しかけるのをやめた。

「よく手なずけたわね。ワルスヴォーグは人にはなつかないって言われてるのに……」

「山道で会ったの。あたしの友達」

 興味ありげなメレイの言葉に、アイリーンがわずかに笑った。ようやく、自分達に対しての警戒心が薄れてきてくれたらしい。アイリーンが自分の体に巻かれた包帯や服に視線を落とした。

「あたしの怪我、治してくれたんだ。この服は?」

「私のよ。手当てはエディがしてくれたの」

 シャルロットは曲がっていたアイリーンの服を直した。

「さすがにちょっと大きいわね」

「あ……りがと。……ごめんなさい。助けてくれた人に……あんな……」

 アイリーンが肩を落とすと、ワルスヴォーグが励ますようにその手を舐めた。エディは、アイリーンの頭を撫でた。

「大丈夫だから、元気出して」

 その優しい手に、アイリーンはエディを黙って見返した。

「結局、お前どうすんだ? 家を出てきたんだろ? 隣町に行くのか?」

 進まない話にさっさと核心を持って行きたかったのか、ワットが言った。しかしそれに、アイリーンが眉をひそめた。

「あの家には……戻りたくない。あんなサイテーな家には……」

「おうちで、何かあったの?」

 今までの勢いが消えつつあるアイリーンに、シャルロットは優しく言った。

「あたしは……エルドッグ家で働いてた。でもあそこの連中は上流階級の人間のクセに、サイテーな奴らばっかり……。だから逃げてきたけど……またギアドルに戻ってきちゃったんだったら……。あたしはあそこから逃げられない運命なのかもな……」

「その家は、この町にあるの?」

 シャルロットの言葉に、アイリーンが小さく頷いた。

「戻るの?」

「……うん。仕方ないよ。あたし、あの家に借金があるんだ……」

 静まり返る部屋の中、窓の外が次第に明るみを帯びてきた。「夜が明けてきたな」ニースが外を眺めた。

「あんま寝れなかったぜ」

 パスが大きく欠伸をしながら両手を伸ばした。「……充分寝てただろ」ワットが隣で、呆れて呟く。

「もう少ししたら、町の店が開くわ。アイリーンの服、買いに行きましょうか」

 メレイの言葉に、アイリーンが思わず「え?」と顔をあげた。

「シャルロットの服じゃ、外歩けないでしょ? あんたの服じゃ、ボロすぎるし」

「そうだね、じゃ、支度しよっか」

 シャルロットが立ち上がると、アイリーンは声をかけるタイミングを失ったようにその口をただ閉じただけだった。



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