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同じ天の下  作者: コトリ
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第23話『傷跡』-1




 翌朝、シャルロット達は新しいコートを身にまとって馬に乗った。

 馬車は車輪が雪にはまってしまう事から、ニースが朝のうちに店で交換したらしい。馬車から、水の王国の紋章だけは回収しておいたと、ニースが言っていた。質の良い馬車は、馬四頭と交換してもらえた。

「やっぱ全然違うな!」

 子供用の、深緑の分厚いコートにフードをかぶったパスは、その暖かさに満足しながらワットの前ではしゃいだ。

「……おめーは元気だな」

 同じくフードをかぶり、鼻までマフラーで顔を隠したワットが呟く。一人で馬に乗れないパスは、ワットと一緒に乗せてもらっていた。ニースもいつもの制服に濃紺のコート、顔の半分はマフラーで隠れている。シャルロット達も、例外ではない。

 ニースとエディは一人一頭ずつ馬に乗ったが、数の問題から、シャルロットはメレイの後ろに乗せてもらう事にした。

「ここから西に向かった方角にギダ・エアドーレと呼ばれる町がある。そこを越えたらミラスニー・ノラの城だ。今日はそこまで目指そう」

「町に行くまでは山を抜けるんでしょう? どれくらいなの?」

 馬を進めながら、メレイが言った。

「半日以上だな。宿の主人の情報では獣が多いらしいから、注意しないと。夜までには城につけるだろう」

「そう。シャルロット、平気?」

 二人乗りを気遣ったメレイの言葉に、シャルロットはその背中に抱きついて「うん」と答えた。




 町を出てから数分もたたないうちに、雪山に入った。整備されていない山は積雪で、馬で通るのが精一杯の道のりだ。

 馬車をやめたのは、正解だった。通れる道は細く、その両側は木々に覆われ、天候のせいで日も当たらず視界も悪い。唯一の救いは、今は雪が降っていないことだ。

 日中だというのに、周囲は不気味なほど静かで薄暗かった。時折耳に入るのは、鳥の声や犬の遠吠え、あとは葉擦れの音だけでとても気味が悪い。これが夜中になったらと思うと、シャルロットは今から不安だった。コートを羽織っても、寒さにやられて口数も減る。

 一、二時間も進むと、最初はあった会話も、寒さのせいですっかり無くなっていた。メレイの背に抱きついたまま、シャルロットは自然と進行方向の先を見つめた。先頭を走るニースに続き、エディ、ワットの背中がある――。

 シャルロットは我に返った。いつの間にか視点がそこで止まっていた。メレイの背に額をつけ、自ら視線を遮断する。――しっかりしろ。自分に、そう言い聞かせた。

 その時、何か聞きなれない高い音が聞こえた気がした。

(……ん?)

 顔を上げたが、メレイに反応はない。――耳鳴りだろうか。またメレイの背に額をつける。

「キー」

 今度は確かに聞こえた。高い音ではない。動物の声だ。まるで何かを呼んでいるような――。

「メレイ、何か聞こえない?」

 馬を進めながら、メレイがわずかに振り返る。「……そう? 狼か何かじゃない?」特別、関心も無さそうだ。

「狼って……こんな雪山に?」

「雪山だって狼くらいいるわ。ワルスヴォーグじゃないといいけど……」

「ワルスヴォーグ……?」

 聞きなれない言葉に、シャルロットはメレイを見上げた。

「雪山の動物よ。人里じゃ一級の危険動物。大人でも襲われればひとたまりもないわ」

 ――雪山の動物。確かに、それならここはまさにそうだ。シャルロットは不安を覚えて視線を落とした。

「キー」

 また、声が聞こえた。先程より近い。シャルロットは周囲を見回した。

(動物の……赤ちゃん?)

 ふいに、馬を進める道からそれた木々の隙間に、鮮やかなオレンジ色が垣間見えた。白銀の雪山にはあまりに不似合いなそれは、シャルロットの目を引いた。

(……布?)

 進みながら木々を通り過ぎるたびにチラチラと目に入る。どうやら、オレンジ色の布のようだ。地面に落ちたそれは、わずかに雪で埋もれている。

「キー!」

 確実に、それはその辺りから聞こえる気がした。視界が悪い中、シャルロットは目を凝らした。何かが、その布にくるまっている。そこから覗く、かすかな黒い――。

 それに気がついた途端、シャルロットはメレイの背から離れて雪道に飛び降りていた。――背筋が凍るほどに走った、寒気と共に。

「シャルロット?!」

 メレイが慌てて馬を止めたが、シャルロットは振り返りもせず一目散に山道から外れた木々の中に飛び込んだ。凍るなんてものじゃない。寒さなんて、どこかに吹き飛んだ。

「どうしたの?! 戻りなさい!」

 メレイの声が、先を進むニース達の足を止めさせた。雪に足が沈み、うまく走れなくても、シャルロットは夢中で走った。

「おい、どうした? シャルロットは……」

 メレイのすぐ前にいたワットがメレイを振り返った。

「さぁ、急に……」

 メレイが走っていくシャルロットを追おうと馬の向きを変えて進めた。シャルロットはそのオレンジの布の前に膝をつくと、それを触って確信した。

「大変……!」

 布にくるまって倒れていたのは、体の小さな黒髪の少女だった。体の大きさから見ても、歳はパスと同じくらいだろうか、この雪山にはあまりに薄着で、唯一の防寒着と思われる薄っぺらいオレンジの布にくるまって、意識もない。蒼白な顔色は生気を感じないほどに白いが、その体の一部はまだ暖かい――。

「シャルロット? ……ちょっ! 何よその子!」

 シャルロットの背後で、メレイが馬上から目を見開いた。「死んでるの……?」馬から下り、シャルロットの背後に立つ。

「エディを呼んで!」

 シャルロットは少女を抱え、立ち上がった。体の熱に、確信する。

「まだ生きてる……!」




 馬を無理矢理走らせ、シャルロット達は大急ぎで町へ向かった。元来た町へ戻るより、おそらくギタ・エアドーレに向かった方が早い。ニースが抱えた少女を包むオレンジ色の布が垣間見える度、シャルロットはメレイの背を強く抱きしめた。

 町には、一時間もしないで到着した。国境の町よりもずっと大きく、はるかに栄えた町だった。

『ようこそ ギタ・エアドーレへ』雪をかぶった看板をくぐってそう書かれた町の看板をくぐって町中に入ると、町人に一番近い宿の場所を教えてもらい、そこに飛び込んだ。

 ニースが抱えた少女を見ると、宿の女将は驚いて、すぐに中に入れてくれた。

「まあまあ! 大変! お医者様を呼びましょう! 町の中心に診療所があるから……」

「いえ! それよりお湯とタオルを持ってきてください!」

 コートを脱ぎながら、エディが遮った。

「わ、分かりました。じゃあ上のベッドへ……!」

 女将がお湯を沸かしに行く間、シャルロット達は少女を二階の暖まった部屋のベッドに寝かせた。四人部屋程度の狭い部屋では全員が入ると窮屈だった。しかし、そんな事を気にしている場合でもない。少女はベッドの上で苦しげに細く、肩で息をしている。

 エディが少女の額に手を当てた。少女はやはり、まだパスと同じくらいの年齢だろう。黒いウェーブのかかった肩までの髪に、雪道を歩くにはあまりに薄手のセーターと短いスカート。安っぽいロングブーツだ。良く見れば、顔や手先、膝にも傷がある。雪山で転倒したのだろうか。エディは顔をしかめた。

「……酷い熱だ。服も濡れてるしまず着替えさせないと……。シャルロット、メレイさんも手伝って」

「う、うん」

「分かったわ」

 メレイが少女の濡れて重くなった服を脱がせ、シャルロットは替えの服を自分の荷から取り出した。少女の体に自分の服は大きすぎるだろうが、仕方がない。少女にワンピースを着せようとしたが、その体にシャルロットの手は止まってしまった。その背後で、エディがニース達に状態を説明している。

「熱と凍傷が酷いです……。どれくらいあそこににいたのか分からないくらい……。手足の傷はもうかなり時間が立っているので、消毒するだけで大丈夫です。あとは着替えさせたら暖かくして……」

「……エディ」

 思わず、それを遮るようにシャルロットは呟いた。

 エディが振り返ると、メレイも、シャルロットと同じように少女を見つめて動きが止まっている。エディが、眉根を寄せてその視線の先を覗いた。見慣れたシャルロットのワンピースを着た少女が、変わらぬ苦しげな様子でベッドにいる。しかし、そこから覗く細くて白い手足に、エディは息を呑んだ。

「……この子……」

 そこには、無数ともいえるあざがあった。たった今ついたばかりではない、数日はたっていると思われる赤紫に変色したあざが。シャルロットはエディ達を振り返ったが、誰も何も言わなかった。エディは口をつぐみ、少女に毛布をかぶせた。

「……暖かくしてあげて。傷の手当てをします」

 シャルロットとメレイは顔を見合わせて一歩下がった。「どうした?」背後からのニースの言葉にも、何て答えていいのか分からない。

「シャルロット、はさみ取ってくれる?」

 エディが顔を向けずに手を伸ばしたので、シャルロットは棚の上のはさみを手渡した。エディは手際よく少女の手首に包帯を巻き、はさみで切ってきれいに整えていく。隣に座っても、シャルロットには何もすることはできなかった。

 エディは一つ一つていねいに、怪我を消毒して手当てを進めた。その手先の器用さと、的確さに思わず感心する。シャルロットは気がつかなかったが、それを感心していたのは、シャルロットだけではなかった。

 ふいに、シャルロットは足元に何か違和感を感じた。柔らかい何かが、するりと足首を撫でたような――。

「ひゃあ!」

 気色の悪さに、思わず飛び上がった。「うわ!」と、真後ろにいたワットとメレイがとっさに体をのけぞらせる。

「な、何!?」

 体に力を入れて立ち上がったまま動けないでいるシャルロットに、視線が集まる。すぐ隣のエディなど、驚きで声もでなかったようだ。

 ワットが、固まったままのシャルロットの顔を覗き込んだ。

「ど、どうした……?」

「あ、あ、何か足が触っ……!」

 目をつぶり、それを確認するのも怖かった。口がうまく回らない。

「……足?」

 隣の足元にいるエディがシャルロットのそれに視線を落としたが、何の変哲もない。

「おわ! 何だ!?」

 突然、今度はワットが背中をかがめた。皆の視線が集まる前に、それはあっという間にワットの背中を駆け上がり、肩から隣のシャルロットの肩へと飛び移る。

「きゃ!」

 突然肩に乗った小さな重みに、シャルロットは思わず目をつぶった。

 ニース達は、それを見て目を見開いた。

「キー」

「へ……?」

 耳元の高い鳴き声に、シャルロットは恐る恐る目を開けた。肩に乗っていたのは、栗色の、まるで小さな毛玉のような、握りこぶし二つ分ほどの動物の子供だった。ガラス玉のような黒い丸目、少しだけ突き出た小さな鼻、フワフワとした毛の隙間から覗く小さな手足がなければ、本当にただの小さな毛玉と間違えそうだ。

 人間の小指ほどの小さな足で、それはシャルロットの肩を右から左へと抜け、シャルロットの耳を舐めた。

「キー」

 あの時山道で聞いた声に間違いなかった。栗色の毛玉は、再び軽やかにシャルロットの肩からベッドへと飛び降り、少女の枕元について、少女の頬をペロペロと舐めた。

「キー…」

 よく鳴く動物だ。シャルロットには、この毛玉のようなこの動物が、少女を心配しているようにも見えた。

「……ワルスヴォーグの子供?」

 ニースが少女の顔に寄り添う毛玉を覗き込んだ。

「ワルス……?メレイちゃんの言ってた……?」

「間違いないわね、ワルスヴォーグよ。……大きさから見てまだ生後間もないだろうけど……どっから入ってきたのかしら」

「この子の服の中に入って一緒についてきたんだわ。この子が倒れてた辺りで、この鳴き声がしたもの」

 フワフワしたワルスヴォーグがあまりに可愛らく、シャルロットは手を伸ばしたが、メレイにその手を止められた。

「だめ、子供でも凶暴よ」

 メレイの言葉に、シャルロットは少女に寄り添って体を丸めるワルスヴォーグに視線を落とした。

「大人しいわ、平気じゃない?」

 かまわず手を伸ばすと、ワルスヴォーグは一瞬体を震わせたが、黒い目を何度かパチパチとまたたかせ、差し出された指にゴロゴロと甘えた。

「あは、可愛い」

 指でワルスヴォーグを撫でながら、シャルロットは思わず笑みを漏らした。

「……信じられないな。ワルスヴォーグは子供でも人にはなつかないと言われているのに……」

 ニースが息をついた。騒ぎの原因が分かったエディは、再び包帯を巻く作業に入った。しかし、少女の手に触れた途端、ワルスヴォーグが体を震わせて毛を逆立てた。

「フー!」

 明らかに、自分に対してうなったワルスヴォーグに、エディは思わず手を引いた。

「な、何だ? 急に……」

 ワットがシャルロットの上からワルスヴォーグを覗き込む。

「この子に……触ろうとしたから?」

「……シャルロットは平気だったじゃないか」

 ワルスヴォーグの毛は元通りになったが、まだエディを見ている。それでも、シャルロットがワルスヴォーグを触っても、唸る様子はない。「持てるか?」ワットの問いに、シャルロットは頷いた。

 そっとワルスヴォーグを両手で大事に持ち上げると、それはフワフワしていて、とても軽かった。力を入れたら潰れてしまいそうだ。シャルロットはワルスヴォーグを持ったまま、ベッドから数歩下がった。

「ごめん、そのまま持っていられる?」

 エディは振り返ると、治療を続けた。

「平気よ。大人しいわ」

 シャルロットは自分の手に甘えるワルスヴォーグが可愛くて、指で撫で返した。



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