第21話『他人と自分』-4
外から差し込む朝日で、目が覚めた。
夜更かしした後のような重い体で布団から起き上がると、部屋にあるのは明るい日差しと、片付けられてたたまれた布団だけだった。自分が、一番最後に起きたらしい。記憶にあるうちは、誰も帰って来ていなかったのに。
二つ隣のたたまれた布団の上には、見慣れた短刀があった。ワットがいつも腰に下げているものだ。
『お前とは……そんなんじゃねえだろ』
それを見て、シャルロットの頭に昨夜のワットの言葉が蘇った。しかし、朦朧とする頭で、何も考えられない。体が重く、体調も良くない。
(……お腹痛い)
目を細めながらも、顔を洗いに腹を押さえながらも外に出た。
「……うわ……」
井戸の水面に反射した自分の顔に、思わず苦い声が漏れた。――ひどい顔だ。目が腫れあがっている。
ニース達に、何て言えばいいだろうか。そう思っても、頭がうまく働かずに答えは出てこなかった。
「おはよう」
背後からの挨拶に、シャルロットは思わずどきりと体がこわばった。タオルで顔を拭きながらも、振り返らなくてもそこにメレイが、立っていると分かる。
「お……おはよ」
顔を見せられるわけがない。背を向けたまま、シャルロットは再びタオルで顔を覆った。
「どうしたの昨日は。ずいぶん早く寝て……。一人で戻ったんだって? ワットの奴、結局私達より遅く戻ったみたいだし。何で一緒に帰らなかったの?」
「ごめんね、ちょっと疲れてて」
つとめて明るい声で、顔を拭くふりを続ける。「まあいいけど」と、メレイが続けた。
「本当は今日ここを出る予定だったけど、ワットの奴がまだ調子よくないでしょ? せっかくだから、あいつを誰かに診てもらうことになってね。出発は明日に変更よ。今日も、エディのお母さんのお言葉に甘えて泊めさせてもらう事になったから」
メレイの言葉に、シャルロットは胸が締め付けられる思いだった。――メレイは、怪我の事を知っていたんだ。それに引き換え、自分は――。
「……うん、分かった」
言葉すらも、喉に詰まってしまった。タオルで顔を覆ったまま、メレイと入れ違うように部屋に戻ろうとしたが、その瞬間に腕を掴まれた。反動で、手からタオルが離れる。
「あんた……」
眉をひそめたメレイの視線が、まっすぐに突き刺さる。腕を掴まれたまま、シャルロットは顔をそむけた。
「……泣いてたの?」
「……ち、違……」
何て答えていいのかわからない。反射的にそれを否定しても、次の言葉は出てこなかった。沈黙に耐え切れず、手を払う。しかし、メレイがどんな顔をしているのか、怖くて見れなかった。
「し、出発が明日なら、もうちょっと部屋にいていいかな。もうちょっと寝てたいの」
シャルロットの言葉に、メレイは間を置きながらも「……ええ」と答えた。
「別にいいけど……、エディのお母さんが朝食を用意してくれて、それであんたを呼びに……」
言葉の途中で、「私はいい」と答え、シャルロットは部屋に戻った。メレイを、一度も振り返れなかった。
ニースとワット、パスは、エディと一緒にキッチンで朝食をとっていた。家の外見と同じように、一般家庭のキッチンにしては広いもので、ニース達が座っても充分に席が余る。一人で腑に落ちない顔でキッチンに入ってきたメレイに、パスが「あれ」と顔を上げた。
「なんだよ、シャルロット呼びに行ったんじゃねぇのかよ」
「寝不足だから、もう少し部屋で寝るって」
メレイがテーブルに着くと、エディは思わずニース達の顔色を伺ってしまった。――昨夜。泣いて帰ってきたシャルロットを見たのは、おそらく自分だけだ。そして、それを知っているのも。
「一番最後に起きたのに? 何ワットみてぇなこと言ってんだあいつ」
パスが暖かいスープを口に含みながら呆れた声を出す。メレイの視線が、感心も無さそうに食事を続けるワットを捕らえたが、ワットはそれに気がついていないようだ。
「エディは普段は何をしているんだ?」
ニースの言葉に、食卓の話題は変わった。――シャルロットは大丈夫なのだろうか。そう考えていたエディは、突然引き戻された現実に目を瞬いた。
「僕……ですか? 今は勉強したり……あとは時々、父の助手をしています。ニースさんは、世界視察だそうですね。パス君から聞きました」
その言葉を頭に入れるように、ニースが「……そうか」と呟く。
「実はその事で……君に頼みたい事がある」
ニースの言葉に、パスとメレイ、ワットすらも食事の手が止まり、顔を上げた。――頼みごと?
「ワットさんなら、姉さんが診てくれるそうですけど?」
思わず、視線がスプーンを口に運びかけたまま止まっているワットに向く。「そうではなくて」と、ニースがそれを遮った。
「君に……、私達と一緒に来てほしいんだ」
「……え?!」
食卓を囲う全員が、同時に驚きの声をこぼした。
「な、何言ってんだよ!」
一番最初に、パスが立ち上がった。しかしエディ自身はニースを見たまままばたきしか出来ていなかった。
「……何で、エディに?」
冷静を取り戻した低い声で、メレイが頬杖をつく。
「勝手な都合の話だという事はわかっているが……」
未だに言葉も出ないエディに視線を戻し、ニースが言った。
「昨夜からずっと考えていたんだ。……君は、自分がまだ未熟だと言っていたが、本当はもう医師免許を取れる知識があるのではないか? そうでなければ、お父上が助手など頼むはずも無い」
「そ、それは……」
口ごもり、エディが視線をテーブルに下げた。
「少しばかり町で噂を聞いたが……君の一族は大いに誇れるほど立派な方達ばかりだ。だから、君がお父上達を基準にして、自分を未熟だと言うのは分かる。だが、君の力をこんなところで眠らせておくには惜しいんだ。……勝手な話だが、もし君が一緒に来てくれるのなら、それなりの礼も……」
「ち、ちょっと待って下さい……!」
ニースの言葉が終わる前に、エディが手を上げて遮った。やっと、喉のおくから絞り出した声だった。
「何を言われるのかと思ったら……!無理……無理ですよ!僕は……、僕にはそんな事はできません!」
食卓を囲う顔を見回しながらも、エディの目は動揺で定まっていない。
「皆さんと一緒に旅だなんて……!来週には兄さん達も帰ってくるし、論文の提出もあるし……だいたいそんな事言ったら母さんが何て言うか!」
一瞬、沈黙が漂った食卓に、パスが「でもさ」と頬杖をついた。
「エディがいてくれたらいいよな。誰かが怪我しても、……前のワットの時みたいなのは、もうやだよ」
「パ、パス君……。僕には無理だよ」
エディの言葉に、パスが身を乗り出し、エディの顔を覗いた。
「何が無理なんだよ。だいたい、できないできないって……お前、ちゃんと女王を助けたじゃんか」
「それは……!」
何かを言いかけたまま、エディは口を閉じてうつむいた。――なぜ一歩を踏み出さないのか。
その問いは、エディ自身が一番良く分かってる。長い沈黙に、ニースが口を開いた。
「……これは俺が勝手に言っている事だ。断ってくれてもかまわない。俺達は明日出発する。一晩、考えてくれないか」
その言葉に、エディは誰とも目を合わせずに静かに立ち上がった。
「……ちょっと……失礼します」
エディがキッチンを出ていくと、ワットが目線も上げずに「ずいぶんと急な話だな」と、食事を再開させた。
「昨日、メレイとこの事を話してたのか?」
「いや、これとは別件だ」
まだ何があるんだよ、といいう目を無視して、メレイがため息をつく。
「本当、一晩一緒にいて一言も相談無しなんて」
皮肉めいた言葉の次に、その視線がワットに移る。
「だいたいあんたこそ昨日のは何なのよ? シャルロットを一人で帰したんですって? 何のために一緒に帰したと思ってんのよ」
「……別に」
無愛想な返事に、メレイは「ふぅん」と息をついた。それ以上会話を続ける気もなく食事を一気にかきこむワットを眺める。
「まぁ、あんまりシャルロットを一人で歩かせるんじゃないわよ」
顔を上げることなく、ワットが「ごちそうさん」と、席を立った。そのまま、ワットはキッチンを出て行った。
「……変な奴」
三人だけになった食卓で、パスが小さく呟いた。
メレイが部屋に戻ると、太陽の日差しが存分に差し込んだ部屋の一番奥、その隅で、一組だけの布団が人の形で膨らんでいた。そこから覗いているのは、シャルロットの金に近い茶色の長い髪だ。他の布団は全て片付けられた後だというのに。
息をつき、それを背に自分の荷を引っ張って床に腰を降ろす。本当は、シャルロット様子が気になって見に来たのだが、眠っているのなら仕方がない。――が。
「……起きてるの?」
わずかな違和感に、メレイは振り返った。しかし、返事はない。気のせいか、とメレイが再び荷に視線を戻す。
「クシャンッ!」
背後のくしゃみに、メレイは再び振り返った。
「……起きてるんじゃない」
思わず、笑いが漏れる。
「……うん」
壁を向いたまま、シャルロットが小さく言った。
「起きないの?」
布団の中の頭が、小さく頷く。「調子悪いの? お腹でも痛い?」メレイが布団のそばに手をついても、シャルロットは小さく返事をするだけだった。
「ワットと、何かあったの?」
昨夜わざわざ別々に帰った二人の事を考えれば、その答えには簡単に行き着く。シャルロットが何も答えないので、メレイは息をついてシャルロットの布団の傍に腰を寄せた。
「あったのね」
メレイの声は、とても優しかった。シャルロットは布団から顔を上げ、ゆっくりと体を起こした。朝から、目の腫れはまったく引いていなかった。その事は、その倦怠感からシャルロットも充分に良く分かっていた。だからこそ、メレイに顔は向けられなかった。
「……私、変なの」
布団に視線を落としたまま、シャルロットは布団を握り締めた。何て言えばいいのかわからないのに、感情ばかりが先走る。
「何が?」
メレイの低くて落ち着いた優しい声に、目の奥が熱くなった。昨夜の感情が、蘇る。
「……ワットの事、好きになっちゃったみたい……」
メレイの顔は見れなかったが、その言葉にメレイは別段驚いた様子も見せなかった。ただ黙って、それを聞いてくれた。
「メレイも、ニース様の事も好きだけど……、ワットは違うの。ずっと一緒にいて、違うって分かった。……いつも一緒にいたいって……そう思ったら、……思ってたら……ワットにそう言ってた」
でもワットは――。昨夜の言葉に、視界が揺れた。
「ワットは何て?」
「……私のことは、そんなんじゃないって……!」
言葉と同時に、涙が溢れた。
「私……どうしたらいいのかわかんない……! ワットの事、見れないよ……!」
シャルロットは布団に顔をうずめた。――そう、顔を合わせるなんてできるわけがない。メレイの優しい手が、背を撫でるのがわかった。
「……今日はここにいるといいわ。皆には、具合が悪いって言っておくから」
その言葉に、シャルロットは頷くことしかできなかった。その優しさが、余計に言葉を詰まらせた。
立ち上がり、メレイが部屋のドアを開けた途端、そこにはエディが立っていた。
「あら、どうしたの?」
ドアを閉めて廊下に出ると、メレイはまったくいつもと変わりのない口調で笑顔を向けた。
「あ……その、シャルロットさんは……」
その笑顔に逆に言いづらくなったのか、エディが目線を下げて口ごもった。向かい合うと、エディよりもメレイの方が頭半分は背が高い。メレイはわずかに閉めたドアを振り返った。
「あの子の事、心配してるの?」
「……昨夜……ちょっと様子が変だったから……」
出会ってわずか数日。その短期間で、そんな事を心配できるエディに、メレイは顔がほころんだ。すれ違いざま、エディの肩に手を乗せた。
「いろいろあるのよ。今日は一人にして上げましょう」
メレイが廊下を進むと、エディは部屋に後ろ髪を引かれつつも、その後を追った。
庭先の井戸で手を洗っていると、背後の気配にワットは振り返った。メレイが、腕を組んで家の壁に寄りかかり、そこ立っていた。
「何だ?」
「シャルロットと話したわ」
一言で、その意味が理解できた。わずかに見開いた目も、すぐに元の表情に戻る。
「……聞いたのか」
同時に、ため息が漏れる。
「あの子、泣いてたわ」
「……傷つける気はなかった」
手に残った水滴を払いながら、ワットは歩き進んでメレイが背をつける隣にあるドアノブを持った。
「でも、撤回する気もねぇ」
無愛想な返事に、メレイが背を起こし、ワットを見据えた。
「……あんたはあの子の事が好きだと思ってたわ。大事にしてたでしょ?」
ワットが、黙ってドアを開ける。「ちょっと」メレイは片方の眉を上げた。
「話は終わってないわよ」
「……そろそろ、往診の時間だ」
メレイを見もせずに、ワットは家の中へ戻っていった。




