第21話『他人と自分』-2
夕方から、シャルロット達はエディの家の近所にある食堂で夕食をとることにした。
エディの母親が食事を用意してくれると言ったが、そこまで世話になるわけにはいかない。
食堂は広く、客も多い活気のある店だった。何より目を引くのは、壁一面に貼られた大きな世界地図だ。ニースの地図で、それは見慣れたものだったが、改めてそれを見ると、地図のほぼ中央に位置する現在の北の大陸と、西の大陸のはるか南に位置する砂の王国との距離を実感する。
早々に食事を終えたパスは、エディと話がしたかったらしく、日が落ちきる前に家に戻って行った。のんびりと食事を続けていたシャルロットは、まだ気分が晴れてはいなかった。――エディの様子から、仕方なくそれ以上は言わなかったけど。
「エディってば、どうしてあんな言い方するのかしら。あんなすごい事ができるのに!」
口を尖らせても、苛立ちは収まりきらない。ニースが小さく笑った。
「あの子は自分の身につけている知識がどんなものか、気がついていないんだろうな」
そう語るニースの顔が、わずかに曇る。
「今の時代、医学を身につけている者がどれほど必要とされているか……。まったく、惜しいものだ」
息をついたニースに、メレイがフォークを向けた。
「珍しいわね、あんたが人のことそんな風に褒めるなんて」
しかし、ニースはそれに答える様子はない。「だからさ」と、ワットが口を挟んだ。
「あいつの家族は全員医者なんだろ?」
「らしいわね。だから何?」
「わっかんねぇかな……。親兄弟がそんだけ立派だと、どんだけあいつにプレッシャーがかかるか……」
酒を口に含みながら、ワットがかすかに鼻で笑う。その口調が気にいらなかったのか、メレイは眉根を寄せた。
「あんたには、分かるって?」
「お前よりは」
ふぅん、とメレイはしらじらしい返事をしてからワットの前にあった酒の瓶を手に取り、自分のグラスに注いだ。
既にシャルロット以外の面々は食事を終えていたのだが、エディの事で頭がいっぱいだったシャルロットは、やっと最後の一口を終えたところだった。――兄弟。その言葉に、遠い地の兄を思い出す。
(……お兄ちゃんが分隊長に昇格しても、嬉しいだけだったな……。比較なんて考えた事もなかったけど……)
一緒にそれを祝った時の事を思い出すと、兄が恋しくなってきた。
(お兄ちゃん、今頃どうしてるかな……)
「食い終わったか?」
隣のワットの声で、シャルロットは我に返った。「あ、うん」と、遅れながらも顔を上げる。
「戻ろうぜ」
実は待ちくたびれていたのか、ワットが椅子にかけた防寒用のローブを持って席を立ったので、シャルロットも慌てて立ち上がった。しかし、メレイが動かずに顔を上げる。
「待って、まだ進路の事でニースと話がある」
「宿ですりゃいいだろ? 遅いとまたパスがうるせーぞ」
「ここの地図の方がでかくて細かいから話しやすいのよ」
メレイがワットの後方にある大きな地図を指差した。
「んだよ、じゃあ早くしろよ」
ワットが再び椅子を引いた途端、メレイが「いいから」とそれを遮った。
「夜道で女を一人で歩かせる気? あんた達は先に行ってて」
「え? わ、私も残るのに」
唐突にのけ者にされ、シャルロットは目を瞬いた。数分待つことくらい何ともない。
「いいから先に行きな。あんた、バレてないとでも思ってんの?」
「へ?」
シャルロットの間の抜けた声に対し、メレイの目が見ているのはその隣のワットだ。
「さっさと帰って大人しくしてな」
「え? 何が?」
シャルロットがワットを振り返ったが、頭を掴まれて視線を下げさせられた。
「わ! 何すん……」
「うるせーな、とっとと行くぞ」
「え!? ちょ……待たないの?」
席に座ったままのニース達と、急に態度を変えたワットの背を交互に見ながらも、シャルロットは慌てて上着を掴むと、さっさと出口に向かうワットの背を追うことにした。
既に夜のとばりのおりた町は冷え込んでいた。わずかな月明かりと周囲の家から漏れる明かりが、綺麗に整備された地面を照らす。シャルロットはさっさと進んでしまうワットの隣へと小走りに追いついた。
「いいの? メレイちゃん達置いて来ちゃって。ワットも進路の事気になるんじゃ……」
「どーせあいつら、別にそれ話そうってわけじゃねぇだろ」
大きく息を吐くように、ワットが小さく舌を打った。
「え? じゃあ何話?」
「俺が知るか」
どっちにしろ、自分達には聞かれたくない話なのだろう。ワットは感心を断ち切るように言い捨てた。そう言われても、シャルロットには理解できず、首をかしげるしかない。
夜の町は人気もほとんど無く、シャルロットはその静けさと肌を伝う冷たい風に身を抱きしめた。厚め上着を羽織ってはいるものの、中は南国を過ごす袖のないワンピースと短いズボン、そして足首までのブーツだけだ。
「アーカリーから、雪の王国って近いんでしょ? だからこんなに寒いのかな、『雪』の王国っていうくらいだし……」
身を抱きしめて震えながら話すシャルロットに、ワットはため息を漏らした。風の国で服を一新したワットの方が、シャルロットよりは暖かいかもしれない。
「お前、さっき地図見たろ? この町のもう一つ北の町のはずれが、そのまま雪の国境に繋がってんだよ。この町が寒いのも当然だろ。……ホラ」
ワットが、腕にかけていた防寒用のローブをシャルロットの頭から乱暴にかぶせた。まるで、親が子供に着せるように降ってきたそれに、「おお」と間抜けな声が出る。
「あ、ありがと……!」
突然もらった温もりに目を丸くしつつも、シャルロットはローブを肩から巻きなおした。――暖かい。
微かにワットの匂いがする。胸からこみ上げる嬉しさに、シャルロットは思わず笑った。
「……変な奴だな。今度からもっと厚着してこいよ」
「うん!」
ローブに顔をうずめ、シャルロットはまた小走りにワットの隣を進んだ。
「世界視察?」
思わぬ言葉に、エディが振り返った。壁際のベッドに寝転がっていたパスは、それに答えるように勉強机に座っているエディに顔を上げた。
家の二階、きちんと片付けられたエディの部屋は、とても広い。しかし、壁一面といってもいいほどの本棚に敷き詰められた分厚い本には、パスはまったく興味が沸かなかった。ニースの旅の理由を勉強中のエディの背にずっと聞かせていたところだ。
「ああ、ニースがそうなんだ」
手に持ったヌンチャクを遊ばせ、体を起こす。
「オレはそれにくっついて、一緒にあちこち回ってんだ」
「どうして一緒に?」
「オレの父ちゃん、冒険家だったんだ!」
エディの言葉に、パスは顔を輝かせた。
「いつか父ちゃんみたいに一人で世界中を回るんだ。ま、今はその練習みたいなもんだ」
自分が連れてきてもらっている事はうまく隠し、腕を組んで自慢げに話す。――もっとも、ニース達の前では言えないセリフだが。
「お前は?」
パスの言葉に、エディが「え?」と、間の抜けた顔をした。
「大人になったら何したいんだ?」
「ぼ、僕?」
言葉に詰まるエディに、パスが思い出す。
「ああ、医者だよな?」
「……うん。まぁ……ね」
わずかに曇るエディの顔に気がつかず、パスは明るく笑った。
「でも、女王の事も助けたんだし、シャルロットじゃねぇけど、お前まだ医者じゃなって方が変だぜ。試験ってそんなに大変なのか?」
質問に、エディは答えずにうつむいた。それを見て、パスが首をかしげる。
「……僕にも、夢はある。いつかこの手で、多くの人を助ける事ができたならって……」
言いかけで、エディは何かに気がついたように口をつぐんだ。そして、「いや」と自嘲的な笑みをこぼす。
「そんな簡単な事じゃないよ……。簡単なことじゃない。父さん達を見てると分かるんだ。僕には、あんな事はできない」
口をわずかに開けたまま自分を見つめるパスに気がつき、エディは子供を見る目で笑った。
「すっかり遅くなっちゃったね。部屋に戻る?」
「あー、まだ皆帰ってないみたいだし……。もうちょっとここにいていいか?」
ベッドにごろりと寝転ぶパスに、エディは「ごゆっくり」と笑って再び机に体を戻した。――その背中に、パスはちらりと視線を向けた。
どうして、こいつはこんなにも消極的なのだろう。――もし、自分がエディの立場だったら。女王を助けた事を大声で自慢して回るってやるのに。熱心に机に向かっているエディから顔をそむけ、パスはベッドに体を沈ませながら目を閉じた。