第21話『他人と自分』-1
「やっと到着かぁ!」
アーカリーに馬車が入ったのは、正午近くだった。
狭い車内で揺られ続け、退屈を極めたパスが窓に手をついて外の景色を覗く。茶色のレンガの家々が並ぶアーカリーの町は、首都であるノマラン・ラナに比べてずっと人通りが少ない。
もっとも、首都から外れればそれも当然なのだが、すんなりと町を馬車が通れることが何とも快適だった。
パスの隣で、シャルロットも別の問題によっていつもの跳ねるような元気はなかった。
「……おなかすいた……」
とはいえ、車内にいるメレイはずっと眠ったままだし、ニースは比較的空腹に関しては我慢が利く方らしい。外のワットにはそんな事は聞こえない。シャルロットの仲間は、とりあえずパスだけだった。
「着いたぞ、あいつんち」
ワットが、赤い屋根のエディの家の前で馬車を止めた。最後にここを見上げたのは、あの二階の窓からルビーが長い髪を切り落とした時だ。
馬車を降りると、外はノマラン・ラナよりもずっと冷え込んでいた。以前ここを訪れた時には、ルビーの事で必死すぎて、周囲はまったく見えていなかったのだろう。
順番に馬車を降りると、最後に降りたワットが馬車をエディの家の庭先につないだ。
「女王から、何を貰ったって?」
「色々だ。文や礼の品」
ニースの言葉に、「ふうん」とワットが興味を示す。金目のものにはやはり感心があるらしい。
パスがいち早く家の敷地に入って庭を越え、玄関の呼び鈴を鳴らした。この間は飛び入ったので気が付かなかったが、玄関にはちゃんとそれがついている。パスがその玄関下がった紐を引くと、下がった鐘の音が、家先に響いた。
「はいはい、どなた?」
すぐにドアが開き、中年の女性が顔を出した。見覚えのある女性は、モニだった。彼女はパスを始め、シャルロット達を見回した途端、驚きの色を浮かべた。
「あなた達!まさかあのお嬢様に何か……」
嫌な想像が浮かんだらしいモニを、「いえ」とニースが遮った。
「おかげさまで彼女は元気になりました。今日はエディ君に用がありまして……。彼はご在宅でしょうか?」
「エディ様ですか? ……少々お待ちくださいな」
一瞬「え?」という顔を見せ、モニが首をかしげながら家の中に顔を向ける。
「エディ様、エディ様! お客様がいらしてますが!」
しばらくその応答に耳をすませたが、返答はない。「お留守かしら。さっきまでいらっしゃったのに……」モニが頬に手を当てた途端、家の中から女性の声がした。
「どうしたの?」
若い女性――シャルロットより、少し年上だろうか、栗色の柔らかい髪を肩までおろした、大きな目の女性だ。女性の顔に、一瞬エディが重なった気がした。
「シシル様」
モニが頭を下げる。「そちらの方達は?」と、女性がシャルロット達を見回した。上品なもの言いは、育ちのよさを伺わせる。
「エディ様を訪ねていらっしゃった方達です。でもいらっしゃらないようで……」
「あら、エディなら居るわよ。また部屋で勉強してるんじゃない? まったく、夢中になると聞こえてないんだから……」
女性は長い薄い青色のスカートの裾を持ち、ひらりと玄関の隣に見える階段を登って行った。途中で、わずかに顔を向ける。
「呼んでくるからお客様を居間にお通しして。客室は患者さんのご家族がいらしてるから」
女性の姿が見えなくなる前に、モニが「かしこまりました」と頭を下げた。
「じゃあ、お入りになってくださいな」
モニの案内に、シャルロット達は家にあがった。
最初に訪れた時も感じたが、エディの家は一般の家庭にしてはかなり大きい。上流階級とまではいかないが、中流階級でも十分上の部類だろう。綺麗に整理された部屋の大きなソファに座っていると、ついつい周囲を見回してしまう。
シャルロット達がしばらくそうして待っていると、エディがやってきた。相変わらずひょろりと気弱そうな印象は、この間とまったく変わりない。部屋に入った途端、エディはその栗色の目を見開いた。
「あなた達は……!」
「エディ!」
その顔に、シャルロットが思わず手を振る。
「ごめんなさいね、この子ったら勉強に夢中で、声が聞こえていなかったみたい」
後ろから一緒に部屋に入ってドアを閉めたのは、先程の女性だ。お盆にお茶をのせて、それを静かにテーブルに並べ始めた。
「あ、ありがとうございます」
お茶を手渡され、シャルロットがお礼を言いつつ頭を下げた。
「どうかしたんですか? まさかあの人に何か……」
「いや、彼女は無事だよ。おかげですっかり良くなった」
モニとまったく同じ質問をするエディに、ニースがわずかに笑った。エディが小さく安堵の息をつく。お茶を配り終えた女性はニースを見上げた。
「あの、失礼ですけど弟とはどういうご関係で……」
やっぱり、とシャルロットは思った。二人の髪と目、そして顔立ちを見れば、姉弟であることは一目で分かる。
「先日、弟さんに知人を診ていただきまして……。おかげで命が助かりました」
「い、命ですって!?」
途端に、女性が立ち上がった。目を丸くするニースにも気がつかない勢いでエディを振り返ると、その栗色の髪が一緒にたなびく。既に顔をそらしている弟に、女性が詰め寄った。
「どういう事?! お父様には言ったんでしょうね?!」
「……い、言わなかったけど、知ってた。モニさんが言ったみたいで……」
姉の勢いに押され、エディが口ごもる。並んでも、女性との身長はさほど変わらないかもしれない。
「命に関わるって……、何をしたの?」
その勢いづいた目が、エディの顔を覗き込む。しかしエディの目も、女性の顔色を伺っているのがシャルロット達から見てもよくわかった。「……解毒を」エディが小さく呟いた。まるで、無理矢理口を割らされてでもいるかのように。
「この方達が、ニクハルスを飲んだ人を抱えてきたんだ。一昨日、姉さん達は居なかっただろ? だから……」
一瞬、女性が息を呑んだのがその背中からもわかった。
「あ、あなた解毒治療なんてした事無いじゃない! それもニクハルスなんて! どうして叔母様を呼ばなかったの?!」
「……と、父さんにもそう言われた。でも、一刻を争う事で……。なにしろ体内に入れてからだいぶ時間がたっていたし……」
エディの言葉が終わる前に、女性は「もう!」と、スカートをわずかに持ち上げて部屋を飛び出して行った。
「モニさん!? どこ!? モニさん!」
部屋の外から、女性の声だけが響いてくる。その声も遠ざかると、部屋はまるで嵐が去った後のように静かになった。無言でエディがシャルロット達を見回す。
「すまない、余計な事を言ったようだ」
ニースの言葉に、エディが頬をかいた。
「……いいんです。それより、姉が失礼しました」
「いいのよ、結構面白かったから」
お茶を口に含み、メレイが足を組んで笑った。
「それより、解毒が初めてだったってホントなの?」
その言葉に、エディの顔から笑みが消え、顔をそらす。
「……すみません。あの時は、どうかしてました。近隣に、医者の叔母が居るんです。呼ぶべきでした」
――自分を小さく戒めるように。そんな口調の言葉に、シャルロットは首をかしげた。何をそんなに、自分を責める必要があるのだろうか。
「あー、参った! さっきの患者さんの家族の……っと……」
突然、部屋に中年の男性が入ってきたが、ソファに並んでいるシャルロット達に驚いたように足を止めた。髪が、エディの色と同じ栗色だ。白衣を羽織り、顔はエディよりもずっと男らしく、ごつごつしている。
「エディ、お客さんか?」
「うん、ノマラン・ラナからいらした方達」
「そうか、息子がお世話になってます」
エディの父親が会釈と一緒に笑顔を見せる。その後ろから、彼と同い年くらいの、長い黒髪を1つにまとめ上げた女性が入ってきた。上品な薄い赤の長いスカートのその女性は、エディの姉とそっくりだった。
「あら、お客様なの? こんにちは」
女性が柔らかい笑顔で部屋を見回す。
「いえ、エディ君には、こちらがお世話になっていて……」
ニースが立ち上がり、エディの両親に挨拶をした。「父さん、昨日話した一昨日の……」エディの言葉に、父親はすぐにそれを理解したようだ。
「……ああ、そうか。どうぞ、ゆっくりしていって下さい」
全員を見回し、笑みを向けた。「エディ」それよりも、と言う口調で、エディを父親が振り返った。
「さっきの治療に助手に来いって言っただろ。どこにいた?」
「あ……、ごめん。先生から言われた論文の続きを書いていて……。それに、助手なら姉さんがいるだろ? 僕には無理だよ」
エディの顔が、わずかに曇る。父親は、小さく息をついた。
「そんな事を言っていたらいつまでも医師にはなれんぞ。兄さんも、お前の歳にはもう父さんの助手をしていたんだ」
エディは顔をそらしたまま、返事をしなかった。父親も、それ以上の追求をする気はないようだ。「まぁいい」と、再びシャルロット達に顔を向けた。
「皆さん、ゆっくりしていって下さい」
そう残し、父親はそのまま部屋を出て行った。エディの母親と思われる女性が、エディの隣に一緒に座る。
「皆さん、息子のお知り合いですか?」
身を乗り出す母親に、エディが困ったように「知り合いって言うわけじゃ……」と言葉を遮る。
「あの……、本当に彼女は大丈夫でしたか? 何かあったんじゃ……」
いつまでも不安気なエディに、「実は」とニースが本題を切り出した。
「君が診てくれた方からお礼を頼まれてね。……それを届けに来たんだ」
エディが「え」と顔を上げる。
「そんなのよかったのに……。僕は、医師ではないんですから……」
「え? エディはお医者様じゃないの?」
シャルロットは目を丸くした。その目に、申し訳無さそうにエディが目をそらす。
「すみません。あの時は出すぎた真似を……。僕はまだ……本当は医師の免許も持っていません」
「お父様も、お姉様達もお医者様なの?」
「ええ。兄弟は僕が末っ子で……僕意外はみんな」
「へえ、じゃあ……」
そうこぼしたワットの視線が、エディの隣の母親に向く。母親はにっこりと上品に笑った。
「ええ、私もですよ」
「おい、ちょっときてくれないか」
廊下から、エディの父親の声が届いた。「あの人だわ」と母親が立ち上がる。
「もう、何かしら。はあい! 今行きますわ!」
エディの母親は、そのまま部屋を出て行った。再び自分に視線が集まる中、エディがうつむく。
「あの……、ですからお礼とか、そういうのはいりません。……治療が上手くいったのだって、奇跡に近いんですから」
自嘲を含んだように笑うエディの言葉に、シャルロットはわずかに腹の中に苛立ちを覚えた。
「それに、僕には本当は患者さんを診る事だって、ほとんど無いんです。姉さんや兄さん達は医師として働いてるけど、僕は全然だめで……」
「そういう言い方は……良くないわ」
――何で、そう思ってしまうのか。思わず、シャルロットはエディを差し置いて口走った。
あんなに立派に自分達を助けてくれた人から、そんな言葉を聞きたくない。あの時のエディは、とても立派に見えたのに。
「あなたがどう思ってるか知らないけど、私達にとってあなたは立派なお医者様で……、あなたから、そんな言葉聞きたくないの!」
突然爆発して立ち上がったシャルロットに、エディは目を丸くしてそれを見上げた。
「それにあなたがいなかったら、ルビー様は死んでたんだから!」
隣のワットが、あ、と口を開けた。――言ったな。
自然と、ワットとニースがシャルロットから顔をそむける。
一瞬、エディの時間は止まっていた。言いたい事を吐き出して、鼻で息を吐くシャルロットを見つめ、初めて口が開く。
「……ルビー様? ルビー様って……あの?」
「そうよ! 女王様! 女王のルビー様!」
言い聞かせるように、シャルロットは強く怒鳴った。――何であんなすごい事のできが人が、こんな弱気でいるのよ!
シャルロットには、それが許せなかった。――しかし。
「ち、ちょっと待って下さい」
エディが思わず手を上げ、思考回路が繋がりきっていない状態で頭を抱えた。
「おい、お前ちょっと黙ってろ」
隣のワットに腕を引かれ、シャルロットは「え?」と顔をしかめて聞き返した。
「だってエディが……」
言葉の途中で、ワットがエディをあごで指す。その視線につられて、シャルロットは初めてエディがかなりの混乱に陥っている事に気がついた。青ざめた顔で、手のひらで口を覆っている。
「おい、大丈夫か?」
一番近くに座っていたパスが、思わず手を伸ばすほどに。
「卒倒しなかっただけでも、マシなんじゃない?」
メレイが、再び呑気にお茶を飲んだ。
シャルロットは手先で口を押さえ、思わず言ってしまった事実を少しだけ後悔した。
――知っていたら絶対に手は出さなかっただろうに。確かにそれは、部屋にいた全員が同情を寄せるに値する事だった。万が一、自分が失敗して国王の命を左右する結果にでもなったら。――そう考えただけでも吐き気がする。
まったく自分達が周囲にいることなど忘れているであろうエディに、ニースが申し訳無さそうに息をついた。
「女王から……礼の書状と品を預かってるから、後で読んでくれ」
テーブルの上に、ルビーから預かっていた封筒を置いた。その封の朱肉には、水の王国の王家の紋章である水蓮の花を模した印が押されている。エディは、それを一瞬だけ視界に入れるも、またすぐに頭を抱えてうつむいた。
「用が済んだなら、行きましょうか」
そんなエディをまったく気にする事もなく、メレイがニースに言った。エディがニースを見るも、確かにこれ以上何かを話せそうな状態でもない。
「……そうだな、宿を探さなくてはならないし」
このまま放って帰るのも気の毒な気がするが、結果彼はこの国にとって重要な事を成し遂げたのだから、問題もないだろう。
「あら、もうお帰りになるの?」
シャルロット達が腰を上げる頃、エディの母親が部屋に戻ってきた。その声に、エディが平静を装うとしたのか蒼白の顔を突然上げた。テーブルにある手紙を掴み、ズボンのポケットへと素早く追いやったのを、シャルロット達は見逃さなかった。
「母さん……! ああ、お帰りになるみたいだ」
「ゆっくりしていらっしゃればいいのに」
思わず立ち上がったエディに対し、残念そうな声で、母親がシャルロット達を見回す。
「……いえ、私達は、旅の者でして……。今夜の宿を探さなくてはなりませんのでこれで」
ニースが頭を下げると、母親は「あら!」と大きく笑った。
「それでしたらうちにお泊りになれば?」
「え?」
エディとニースの声が重なった。もっとも、エディの声には明らかにニースの倍の驚きが込められていたが。それを感じ取ったのか、母親が「教室になら、お泊めできるじゃない」とエディに促す。
「で、でも……」
ご迷惑だよ、とエディが小さく言った。
「家はかまいませんのよ。それに旅の方達ならなおさら! この町には宿泊施設が少ないですから」
エディと違い、母親は積極的にニースの腕を取った。
「でもそこまでご迷惑をおかけするわけには……」
「あら、いいじゃない。お言葉に甘えましょうよ」
断ろうとしたニースを遮り、メレイがにっこりと笑った。「メレイ」ニースが母親には見えない角度でメレイを睨みつけたが、メレイはそ知らぬ顔で母親に笑いかけていた。ここに泊まれるなら、宿を探すのは面倒だと考えているのだろう。
「そうしてくださいな」
母親の善意の笑顔に、部屋には断れない空気が漂っていた。
「……では、申し訳ありませんが……」
一瞬、エディの顔色を伺ってしまった。エディにとって、自分達は嫌な過去を思い出す要因でしかないような気がしてならない。それを証拠に、エディの顔色はまったく回復していなかった。再び思考にとらわれ始めたのか、こちあの様子などまるで目に入っていないように見える。――重症だな。
その部屋で、エディと母親以外の心の声が重なった。