第20話『王家の血を持つ者として』-4
一時間後、シャルロット達は自分達が泊まらせてもらっていた部屋の一室に集められていた。置きっぱなしだった荷を手分けして集め終えると、中身を確認した。幸い、ルビーの事で手がいっぱいだった城側は、シャルロット達の荷自体には関心はなかったようだ。一度荒らした形跡はあったものの、ニースの地図を含め、そのほとんどが無事だった。
沈黙の続く中、ニースとクルーが部屋に戻ってきた。二人は、先程からルビー達に呼ばれて外していた。
「……ニース様! ク、クラディス……様」
立ち上がりかけ、シャルロットは言葉に詰まった。「クルーでいいよ」と、笑って手を振るクルーに対し、シャルロットは首を傾げつつもとりあえず頷いてみせる。
先に入ってきたニースの顔色が、悪い気がした。少し、疲れているのだろう。それでも心配をかけまいとしているのか、ニースはシャルロットとすれ違う時に小さな微笑を見せた。――無理をしているとわかる笑みは、逆に胸を締め付ける。
シャルロットの視線に気がつかないまま、ニースがベッドに腰掛けて下を向いた。「ゼリア殿のことだが」ニースが話し始めると、クルーも付近の椅子に腰掛けた。
「やはり二人が見たとおり、毒を渡していたのはトパーズ王子の家庭教師の女性だったそうだ」
「女はなんて?」
ワットが腕を組むと、ニースはそのまま顔を上げず、返事をしなかった。一瞬の間に、ワットが片眉を上げる。
「捕らえたんだろ?」
早く言えよ、という口調のワットに、ニースがわずかに口ごもった。
「……彼女を捕らえるの為に俺も一緒に行ったんだが……」
「何だよ」
語尾を濁すニースに、ワットが口調を強める。
「彼女の部屋で、警備兵と使用人の若者が五人が殺されていた」
思わず、シャルロット達は目を見開いた。既に事実を知っているのか、クルーだけは冷静さを保ったままだ。
「どういうことだ……?!」
ワットがベッドに腰掛けたままのニースの前に立った。
「俺達が部屋に入ったときには、既に手の施しようがなかった」
「まさか、女に逃げられたの?」
メレイが信じられないという口調で言った。
「……ああ」
――認めるしかない。わずかに苛立ちが込められた声に、シャルロットはニースが膝の上で握っている手に力が入っている事に気が付いた。捕まればゼリアと同じ運命、いや、彼女は極刑を免れないかもしれない。それを悟った彼女は、追っ手が来る前に逃げ出したのだ。――城の者を五人も殺して。
「今、城の警備隊がノマラン・ラナ全体まで範囲を広げて捜索を始めたらしい。すぐに国中にも手配が回る」
「ニース様……」
シャルロットが手を伸ばすと、ニースは顔を上げた。いつものように、落ち着いた視線。それを見ても、シャルロットの心配は何も変わらなかった。――ニースは優しすぎる。本当に、かの有名な剣士なのかと疑えるほどに。罪もない若者達が殺されて、心を痛めていないわけがない。
「ルビーはどうしてるんだ?」
パスが部屋を見回し、呟いた。「シチーニ殿達と一緒だ。それと、今夜はこの部屋に泊めてくれるそうだ」ニースは立ち上がり、一人荷の整理を始めた。
再び会話の途切れた部屋で、メレイの視線が同じテーブルのクルーと重なった。さすがに微笑むほどの余裕はないのか、クルーがその目を瞬いて見返す。その間の抜けた顔に、メレイが呆れたようにため息をついた。
「それにしても、まさかあんたが風の王国の皇子だったとはね……」
「そうだぜ!何で今まで言わなかったんだよ!」
思い出したように立ち上がり、パスがクルーを指差した。部屋中から視線が集まっても、クルーは椅子で足を組んだままだった。
「何でって……誰も聞かなかっただろ?」
――まるで「聞いてくれれば答えていたのに」とでも言うように。クルーの言葉に、パスは顔を引きつらせた。
道の真ん中で拾ったも同然だったクルーに、誰がそんな質問思いつくものか。
「考えてみりゃ、女王と知り合いってのも一般人にはありえねえよな。……変だと思ったぜ」
頭の後ろで腕を組み、ワットが引きつらせた顔で笑う。――笑うしかない。
そういえば、とニースが振り返った。
「父上……レビレット殿には本当に出国許可を取っていなかったのか? 国王の許可が無いとなると、王族のクルーが俺達について水の王国に来たのは、国法違反になると思うんだが……」
ニースの言葉に、シャルロット達の視線がクルーに集まった。それをごまかすように、クルーが視線を斜め上に泳がせる。
「あー……、まぁ、そんな話もあるかもな」
曖昧な返事は、明白な答えだ。「実はルビーにも言われててさ! 父上にバレたら、結構最悪なんだけど……」片手を頭の後ろに置き、明るく声を出して笑う。
途端に、シャルロットの頭の中で何かがつながった。同時にそれを、「ああ!」と声に出す。
「だから私達と一緒についてきたの?! こっそり国を抜ける為に!」
「……騙すみたいになっちゃったな。ごめんね、シャレルちゃん」
クルーが、まるでいたずらがばれてしまった子供のように笑って見せる。――笑えない。
シャルロットはそのまま倒れてしまいたかった。同じく、言葉もなく顔に手を当てるニース。「やってくれたな」と、ワットが口元を引きつらせた。
――下手を打てば、どんな事態になっていたか。皇子を国から連れ出した上に、その身に怪我でもさせていたら。自分達はどうなっていた?
メレイが、あきれ返った視線をクルーに向けた。
「……結局、ハタから見れば私達は王族の誘拐犯だったって事か」
「お、うまい事言うね」
メレイの言葉に笑ったのは、クルー一人だけだった。
月が高く上った真夜中、城の廊下のバルコニーで、ルビーは手すりに手をかけて外の景色を眺めていた。――月明かりに反射する湖。夜中でも白さだけが輝く城下街。その全てが、とても美しい。
ルビーは短く切った髪を綺麗な石の髪飾りで束ね、薄手のシンプルな薄い青のドレスを身にまとっている。
「ルビー」
自分を呼ぶ声に、ルビーは振り返った。「お兄様」そこに立っていたのは、クルーだ。いつもの笑顔で、腰に手を当てている。
「こんなところにいたのか。探したぞ」
クルーがルビーの隣に立ち、同じように手すりに手をかけ、外を眺めた。ルビーがかすかに視線を落とした。
「……お兄様には、感謝しています。お兄様がいらっしゃらなかったら、どうなっていた事か……。私一人だったら……何もできなかった」
その言葉に、クルーがかすかに笑った。しかしその笑みは、いつもの優しい笑みではなく、わずかに、鼻で笑ったようなものだ。「俺は何もしてない」とクルーが息をついた。
「……結局、最後に頼ったのは家の力。いつも父上に反発して……皆を困らせるって分かっていても、王家の規則に縛られるのが嫌で……、いつも外の世界に触れていたくて、フラフラして……。それで父上達を困らせてばかりいたのに、こんな時ばっかり頼るなんて……な」
――自分を嘲るように。クルーが笑うと、ルビーはクルーをまっすぐに見上げた。
「……それでも、お兄様には感謝しています」
全てを見透かすような透き通った目は、湖の反射した月明かりで輝いて見える。
「私は……これから誰にも恥じないような、立派な王になってみせる。水の王は私だと、誰もが認めるような」
その目に、クルーは優しく微笑んだ。――だから、お前らにはかなわないんだ。
誰にも負けない強い意志――。クルーの笑みに、ルビーがその唇を柔らかく左右に引いた。その顔が、幼き頃のルビーの笑みと重なる。
「お前は充分立派だよ」
憧れてやまないのは、自分の方だ。ルビーの視線に、クルーは「まぁ、そうだな」と、首をかしげた。
「お前に欠けているものと言えば……」
まばたきでクルーを見上げるルビーの胸元を、指差した。「この辺かな」一言ばかり、付け加えて。
「お兄様!」
ルビーは顔を赤くして怒鳴り、手を払った。
「おっと、冗談だって」
その手を避けるように、クルーは笑いながらニ、三歩下がり、バルコニーから廊下に戻った。ルビーが「もう」と息をつく。離れたクルーは、ルビーを景色の一部としてとらえる様に見つめた。
「お前はまだ子供なんだ。頼りたい時は、誰かに頼ればいいんだよ」
その言葉に、ルビーが「え?」と言葉に詰まる。
「それにお前は、やっぱり笑っている方が似合う。……昔みたいに」
ルビーが次の言葉を口にする前に、クルーは背を向けてそこから歩き去った。廊下には、ずっと城の外壁が反射した明かりが差し込んでいる。――俺も、いつまでも逃げているわけにもいかない。
向き合うべきなんだ。自分の道と。ルビーの笑顔が、その意思が、自分の中の何かを変えた気がした。その勇気が、自分の中の勇気になる気が――。
(俺も、俺にできる事を……俺にしかできない事を、していかなくてはいけないんだ)
一人残されたルビーはクルーの背が見えなくなるまでそこに立っていた。
翌朝、シャルロット達はルビーから城の馬車を貰い、荷を揃えて北門の前に集まった。
ルビーとクルーが、並んで見送りにきてくれていた。北門にはやはり、五、六人の警備兵達もいるが、会話は届かない場所で警備を続けている。目の前に並ぶシャルロット達に、ルビーが微笑み、頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
「ルビー殿が礼を言う事ではありません」
ニースの優しい言葉に、ルビーが顔を上げる。いつもの笑顔でルビーの隣に立っているクルーと目が合い、ワットが「本当に残るのか?」と顔を向けた。
「最初の約束どおりだ。それに、これ以上連れて行く気もないんだろ?」
「ま、そうだな」
当然だろ、という口調でワットが返す。さすがに、クルーもそこは悪いと思っていたのか、苦い笑いを見せた。
「風の王国に戻るのか?」
ニースの言葉に、クルーが振り返る。
「そうだな、日程は組んでないけど、バレないうちに早めに戻るよ」
「元気でね、いつか絶対会いに行くから!」
シャルロットが前に出ると、クルーの手が頭に乗った。
「シャレルちゃんも。あんまりつっぱしりすぎないようにね」
見上げる頭を撫でられると、子供のように嬉しくなった。いつも明るく、優しいクルー。大好きな友人であり、その大きな手は、遠い地の兄を思い出させるものもある。――いつか絶対、会いに行くから。シャルロットはもう一度、心に誓った。
「あんたはいいの?」
シャルロット達の後ろの馬車のそばで、メレイが荷を積みながら隣のパスに言った。「べ、別に」とパスが口を尖らす。素直に別れを告げる事を、照れているのだろう。メレイはそれを知っていた。
シャルロットから離れ、クルーがニースに顔を向けた。
「次は、雪の王国だろ?」
「その前に、アーカリーに行く。エディの家に、行こうと思うんだ」
「あの医者の子か?」
クルーの言葉に、ニースの視線が隣のルビーに移る。「ああ、ちょっと用が」と、ニースが言った。それにつられてクルーがルビーに顔を向けると、ルビーもそれに気がついたようだ。
「私が頼んだんです。……エディさんにお礼をしたくて。でも私はもう、ここを離れるわけにはいきませんので、それでニース殿に」
「ニース、もう行くんでしょ?」
長い別れにしびれを切らしたのか、早くしてよ、という口調でメレイが馬車から顔を出した。一人早々と、馬車に乗り込んでいたらしい。「ああ」とニースが返事をすると、メレイがクルーに軽く手を振った。
「じゃ、クルー、元気でね」
クルーが手を振り返すのを確認すると、メレイは馬車の中に見えなくなった。馬車のそばから、パスがワットを押しのけてクルーの前に立った。
「じ、じゃあな!」
クルーを見上げ、ぶっきらぼうに言い放つ。クルーは笑ってパスの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「ああ、早くでっかくなれよ」
「言われなくっても!」
ふん、と鼻で息を吐き、パスはクルーの手を払った。そのまま背を向け、馬車に駆け戻る。
「素直じゃないんだから」
シャルロットは思わず笑ってしまった。パスがクルーが大好きだった事など、全員が知っている。クルーの隣で、ルビーもクスクスと笑っていた。その姿を見つめると、ルビーと目が合った。
「……ルビー様。……お元気で」
「あなた達も。安全な旅になるよう、祈っています」
自然とこぼれるような柔らかい笑み。ルビーのそんな顔を、シャルロットは初めて見た。
これが、ルビーの本来の素顔なのだろう。貼り付いた仮面ではない、十五歳の、少女の笑顔――。
彼女の心は、きっと今日の青空と同じくらいに澄んでいるのだろう。あんな事があっても、再び立ち上がる事のできる精神力。それは、やはり自分と彼女が違うと言う事を実感させられる。
シャルロットは嬉しかった。それでも、ルビーが微笑んでくれた事が。
全員が馬車に乗りこむと、ワットが馬の手綱をとった。走り出した馬車の唯一の小窓から、シャルロットとパスは顔を出し、徐々に遠ざかっていく二人に別れを惜しむように手を振った。
クルーとルビーは、馬車が建物に隠れて見えなくなるまでそこに立っていた。やがて二人だけになると、クルーは隣のルビーに笑顔を向けた。
「さあて、俺も旅支度でも……と言いたいところだけど、あと数日はゆっくりしようかな。騒ぎで全然街も見て回ってないし」
クルーが両手を大きく伸ばして伸びをする。「あら」と、ルビーがクルーを見上げた。
「悠長な事を言ってないで、早くお戻りになったほうがよろしくてよ」
その言葉に、クルーが首をかしげる。ルビーはドレスの隙間から指先で小さな封筒を取り出した。その封筒についた朱肉の印に、クルーの表情が一瞬で固まる。大きく伸ばした両腕が、その気分と同じように急速に降りた。――その、ライオンを模した紋章の、朱肉の印に。
「お兄様がここに到着した日にローズに手紙を出しましたの。私とお兄様に一通ずつ、返事が届いていましたわ。……お怒りのご様子で」
ルビーの顔が、楽しげににやりと笑う。クルーは思わず、遠い地の妹の心情を想像してしまった。殴りつけられるような怒声が、頭をよぎる。
「……お、お前な!」
手紙を奪い取ろうとした手先すら動揺し、ルビーにはひらりとかわされてしまった。ルビーは声を高くして笑いながら、橋を小走りに逃げていく。
「早く行きましょ!私にはこれから、やる事がたくさんあるんですから!」
ルビーが振り返ると、その顔にクルーは思わず笑みがこぼれた。「……ったく」と、思わず大きく息を吐く。だが、それも悪くない。
「……またギティにプレゼントを選んでもらわなきゃな」
ルビーを追い、クルーも城に向かって走り出した。
シャルロット達の馬車は、そのままノマラン・ラナを出て、アーカリーに向かう野道に入った。人気もない町と町の間は、自然だけがそこを支配する。空高くそびえる崖の足元の馬車が通過すると、そのはるか上、崖の先端から、一人の女性がそれを見下ろしていた。
すらりと伸びた背筋でも、いかにも女性とわかる体の線。こげ茶色の髪はきつくまとめ上げられ、一つの乱れもない。濃紺の長袖のブラウスに、腰の締まったロングスカート。――城から逃亡したトパーズ王子の家庭教師の女性は、過ぎていく馬車をただその眼鏡の奥の灰色の目で見つめていた。
「どうだった? あいつらは」
背後からの男の声にも、女性は振り向きもしなかった。まるで、彼がそこにいることなど最初から知っていたかのように。
「……そう、たいしたことも無いわね」
眼鏡に手をかけ、ゆっくりとそれを外す。切れ長の灰色の瞳は、その障害が無くなった事で鋭さと静けさを強調させる。女性が目を静かに閉じた。
「なんで殺らなかった?」
「……それはユチア。あなたの役目じゃなくて?」
倦怠感を含んだ言葉。その声に、背後の男――ユチア=サンガーナはかすかに口の端を上げた。
「まあな」
女性の視界からも、もうすぐ馬車は消える。わずかに手を崖先に向けると、女性は眼鏡を手放した。それは音も無く、崖下へと落ちていった。
「私には、どうして彼が気にかけるのか理解できないわ」
馬車が視界から消えると同時に、女性は興味を失ったように崖の先端からユチアへと足を向けた。すれ違いざまに、ユチアがにやりと笑ってその肩を抱く。
「エフィに分からないものが、オレにわかるわけ無いだろう?……ドンの片腕のエフィウレ様」
耳元でささやかれた言葉に、エフィウレは表情を変える事もなく髪留めを外した。長く、まっすぐなこげ茶色の髪が風に揺れ、ユチアの鼻につく。――目元に影を落とす長いまつげ。今は地味に整えている薄い唇。それが赤く染まる時、この女がどんな魅力を放つか、自分は知っている。
「でも、オレが考えている事はエフィにはお見通しなんだろ?」
ユチアがその横顔に口を近づけると、エフィウレは歩き進んだ。自然と、ユチアの腕も肩から離れる。
「そうね。遊びはほどほどにしなきゃ、彼になんて言われるか。……あなたも」
先ほどと少しも変わらぬ淡々とした口調。その言葉に、ユチアは苦笑いをこぼした。それが何を指すのか、知っているから。
「……喋りやがったな、あのガキ……」
考えずとも、誰の告げ口かはわかる。あの生意気な少女が自分の言いつけを聞かないことなど、ユチアは知っていた。ふいに、崖下の景色に目を向けた。シャルロット達の馬車はとうに姿を消し、見えていない。ユチアの視線は再び歩き進むエフィウレの背に戻った。
「帰るのか? 火の国へ」
その言葉に、エフィウレが足を止めた。
「……彼が待ってるもの」
囁くような、それでいてはっきりとした言葉。振り返った灰色の瞳は、暖かさとはかけ離れた無機質な視線。そして、その意思で浮かぶ、冷徹な微笑み。
「これから、面白くなるわよ」