第20話『王家の血を持つ者として』-2
先に支度を終えたニースとワット、パスは家の外の馬車でルビー達を待っていた。ニースはいつもの濃紺の上着をやめ、白いシャツの上からローブをまき、腰の剣を隠した。この国ではどうしても目立つ黒髪は、ワットのバンダナを借りて隠す事にした。いつもの制服姿を見慣れているワットとパスは、それが可笑しくて仕方がなく、ずっと腹を抱えて笑っていた。
「俺んちの近くにもいたぜ、そういう奴。しつこい商人でさぁ……あいつ元気かなぁ……」
ニースの冷たい目にも気がつかず、ワットが指先でサングラスを直した。「それ、していくのか?」パスの言葉に、ワットは「本番では取るさ」とだけ言った。ワットはバンダナを取ったばかりの髪はあちこちに向かってはね、腰の短刀を隠す為に、エディから布を借りてそれを腰に巻いている。
何しろ荷はすべて城に置いたままだ。できるだけ城にいたときとは格好を変えようとしても、着替えも無い。パスも頭につけたバンダナとゴーグルが目立つので、外しておくことにした。
荷台に乗ると、「あいつらはまだか?」と、ワットがエディの赤い屋根の家をのんびりと見上げた。
「まだ支度をしている。彼女に手間取っているんだろう。……あの格好のままでは目立つ」
ニースの言葉に、ワットは鼻で笑った。
「ありゃ居るだけで十分目立つだろ。俺達とはオーラが違う……ん?」
疑問の声にニースがワットの視線の先を見上げる。二階の一部屋。その窓から、ルビーが外を眺めていた。
ゆっくりと、ルビーは部屋の窓に手をかけた。そこにぼんやりとうつるのは、着慣れたドレスではない、シンプルな白のブラウスと暗い青のロングスカートに身を包んだ自分の姿だ。そして、片手に持ったのは小さなナイフ――。
小さく部屋をノックする音に、ルビーはそれを背後に隠した。「どうぞ」と、いつもの声で返事をする。
ドアが開くと、シャルロットとクルーが入ってきた。一応変装を試みたシャルロットは、いつも結っている髪をおろし、メレイのローブを借りてその姿を隠した。
「支度できました?」
「……ええ、あと少し」
その姿に、シャルロットは「あ」と駆け寄った。
「エディのお姉さんの服、大丈夫そうですね」
さすがにドレスは隠しようが無かった。目立つのを避ける為、エディに昨日から不在だという彼の姉の服を借りたのだ。
「すみませんが、そこの手鏡を持っていて頂けますか?」
「……はい?」
ルビーの視線の先にある手鏡を見つけると、シャルロットをそれを取って首をかしげた。それで、姿を映して欲しいらしい。窓辺に立ち、背後から日の光を浴びるルビーの姿は、地味な服に着替えた今でもまったく輝きを失っていない。改めて、とても、同じ女性とは思えなかった。
(やっぱり服を変えてもルビー様はルビー様よね。変装なんて無理だわ)
一瞬で人目を引く長い金髪。そして、その風貌。小さなため息が漏れる中、ルビーが窓を大きく開けた。そのまま外に背を向け、窓のさんに腰掛ける。ちょうど、部屋を見上げていたワットはため息をついた。
その様子は、家の前の通りに馬車をつけているワット達からも充分に良く見えた。
「……ったく、まだ部屋にいやがる。何で女ってやつはあんなに支度が遅いんだ?」
「てか、何やってんだ?」
パスが、横から視線を合わせる。
「これくらいでいいですか?」
シャルロットはルビーに向けて手鏡を持った。「ええ」と、ルビーは一度それを確認すると、顔を下に向け、片手で長い金髪を持って上げた。その瞬間、シャルロットとクルーは小さな光に同時に口を開けた。――日の光を浴びて反射もの。それは、ルビーの手元に握られた小さなナイフだった。
「お前!」
クルーの言葉と同時に、それは青い空に向かって振り抜かれた。ルビーの目が、ゆっくりと元の視線の高さに戻る。髪を持ち上げていた手を開くと、たった今までルビーと繋がっていた柔らかい髪が、音も立てずに窓から空へと舞っていった。
ルビーの視線に、クルーは我に返った。
「……おい!」
その声で、シャルロットも我に返る。慌てて、両手で持った手鏡を足元に落としてしまった。絨毯の上で、それは静かな音を立てる。無造作に切られたルビーの髪は、その首元で短く揺れていた。クルーが、一瞬でルビーからナイフを取り上げた。
「お前何やって……」
「こんなもの、今は邪魔なだけよ」
窓辺にシャルロットとクルーを残し、ルビーは部屋の中央へと足を向ける。「さあ」と、ルビーが振り返った。
「支度が出来ました」
何も言えない二人に対し、ルビーはクルーに視線を定めた。
「私も。……昔の自分を取り戻したいの」
――まっすぐな目。その視線は、ひとかけらの迷いも感じられなかった。その相手に、シャルロットも顔を向けた。ナイフを片手に持ったままルビーを見つめるクルーは、やがて小さく、いつものような優しい笑顔で笑った。
「お気を付けて」
走り出した馬車の背で、エディが手を振った。
「いろいろありがとう!」
シャルロットは走り出す馬車の荷台から大きく手を振った。結局、エディには何も話していない。治療代として、ルビーが唯一身につけていた指輪を渡したが、彼はその価値に気がついていないのか「すみません」と受け取っただけだった。
「このご恩は一生忘れません!」
ルビーが、続けて声を上げる。エディは、ただ笑顔で手を振り返していた。
ニースが馬車を進め、エディの家がすっかり見えなくなる頃、メレイがルビーにため息をついた。
「……しっかし、思い切ったわねえ」
無造作に首筋まで切られた柔らかい金髪。この涼しい空気の中、それは寒そうにすら見える。メレイは、ポニーテールをやめて髪をおろし、肩からローブを羽織って姿を隠している。背負った剣は目立ちすぎるので、腰に下げなおしていた。
今となっては、ルビーは帽子を深くかぶれば、髪も含めその顔がすっぽりと隠せる。
「つーか、お前もその赤毛、目立つんじゃねぇか?」
切っちまえば? と笑うワットに対し、「あんただってそのサングラス逆に目立つわよ」とメレイが冷めた言葉を返す。
「メレイ、背ぇ高いから」
どちらにしても、メレイは目立つ。シャルロットが褒めた意味で言うと、メレイは馬車を動かす為に背を向けているニースを振り返った。
「ニースと歩けば問題ないわよ。こいつだってでかいじゃない。要は私達ってわかんなきゃいいんだから」
見慣れない格好は、全員がお互い様である。それ以上の追求を誰もしなくなった頃、クルーが話を切り出した。
「じゃあ、城に着いてからの手筈をもう一度考えよう。ルビー、今城で一番信頼できるのは誰だ?」
その視線に、ルビーが一度視線を下げる。「……シチーニ様か、ギリストル大臣」ルビーが眉をひそめて目線を上げた。
「二人とも、昔、父の側近だった。……あの人達なら信用できるわ。必ず、力になってくれる」
ルビーはクルーを見つめた。
「じゃあ、ゼリアと話す時には必ずそいつを引き合いにだそう。俺達だけじゃまた何言われるかわからないし……。できるだけ城の上役がいた方が話ができる」
「そう簡単にあの女が口を割るか?」
ワットが口を挟んだ。
「割らなくても、ルビーが話を続けようとする限り、他に城の上役がいれば中断はさせられない」
「じゃあ城で先に探すのはあの女じゃなくてそいつらってわけね」
メレイの言葉に、全員が同時にうなずいた。
日が高く昇る頃、シャルロット達の馬車はノマラン・ラナに入った。
予想に反し、城下街は落ち着いたものだった。ルビーの一件でもっと大騒ぎになっているかと思っていたが、まるで普段と変わりはない。外から入ってきた自分達の馬車に気に留める者もいないようだ。揺れる荷台の上で、ルビーは布の帽子を目元まで深く下げて顔を上げた。その視線の先には、白く輝く湖上の城がある。馬車を進めると、数分で城へと繋がる四方の橋の一つ、南門付近に到着した。「なあ」と、パスが馬車を降りながらルビーを見上げた。
「橋以外にあそこに入れる道はないのか? オレ達が通った抜け道みたいな……」
「確かに、抜け道は他にもたくさんあります。でも……そのほとんどが内側からしか開きません。過去の戦のなごりですから……」
わずかに、ルビーが顔を曇らせた。
「内陸に立つこの城で、地下から湖を抜けられるように……。それ故、外敵からの侵入を許す道はありません」
へえ、とパスが顔を引きつらせながら答える。考えてみれば、城に忍び込むなど罪人になっても仕方の無い行為だ。それだけの覚悟が必要――。簡単についてく事を決めた自分に、わずかに後悔の色が混ざった。その顔を上げた先には、北門を見張る五、六人の警備兵が目に入る。建物の影にいるこちらをただの通行人の風景としてとらえ、何かを気軽に話しているようだ。
「大丈夫かよ……」
小さく、パスは呟いた。ニースが、馬車の馬達を付近の木に縛った。ルビーは帽子を目元まで深くかぶり直した。こうししまうと、ほとんどルビーとは分からない。
「行くぞ」
ニースの声に、シャルロットは思わず胸に手をあてた。――さすがに、緊張は抑えられない。もし、ゼリアに会う前にルビーの事がばれてしまったら、自分達はどうなるのだろうか。
視界がぐらぐらと揺れ始めた途端、背中に衝撃が走った。思わず、「ひゃ!」と声を上げてしまった。
「胸張って行けよ。こういう時は堂々としてる方が逆に怪しまれねぇからな」
ローブを翻し、ワットの背が追い越していった。どうやら、すれ違いざまに叩いていったらしい。
「心配すんな、俺は忍び込むことに関しちゃプロだぜ」
わずかに向けられた顔に、シャルロットは思わず笑ってしまった。――思い出したのだ。彼と出会った時の事を。
(ワットと初めて会った時も……。宮殿に忍び込んでたんだっけ……)
これから実行する方法も、ワットが提案したものだ。笑ったおかげで、シャルロットはわずかに緊張がほぐれた。わざわざ城の背面に回り、表の北門と違って見張りの少ない裏門の南門を選んだのも。
「南側でも、普段よりは、皆気を張っている筈ですが……」
足を進めながら、一番後ろを歩くルビーがニースを見上げた。ルビーはもとより、ニースも城内には充分に顔が知れている為、前列には出られないのだ。警備兵達が、まっすぐと橋に向かうこちらに気がついたようだ。目が合うと、メレイが警備兵に上品さが漂う顔でにっこりと笑いかけた。
「(……落ち着けよ)」
ワットが先頭で挙動不審になっているパスの足を後ろから軽く蹴った。同じく先頭のシャルロットは、警備兵達の前で足を止めた。「城に用か?」と、警備兵の一人が言った。
「ここの使用人のカンちゃんの友人なんですけど、入れてもらえますか?」
すんなりと出た言葉に、シャルロットは自分で驚いた。考えたよりも数倍落ち着いた声で言えた。水の国に渡る際に、船で一緒だった姉妹の名だ。
「友人? ……全員か?」
警備兵が後ろのニース達まで、数えるようにあごを上げて見回した。
「い、いえ!友達は私とこっちの子なんだけど……」
その視線を遮るように、シャルロットは声を上げて視線を集めた。「後ろの人はこの子の旦那さんとその家族なの」メレイを見上げ、用意した設定を説明のように話す。
「私達ナナツモから来たんです。カンちゃん達、うちの宿に滞在していた事があって……」
後ろの警備兵が、その言葉に隣の兵士に「ああ」と、話しかけた。
「カンってあの子? ホラ、この間まで妹と一緒に風の国に旅行してた……」
「あー、レンジさんのとこの姉妹か」
勝手に納得してく警備兵達に話を合わせるように、シャルロットは心臓の高鳴りを顔の内側に押し隠しながら何度も頷いた。
「……通していただけます?」
正面の警備兵が隣の警備兵に首をかしげた。
「確か、今日は人を通す時には報告してからにしろって言われたよな」
「あー、そういやそうだ。……ったく、めんどくせぇなぁ」
けれども仕方がないといった様子で、警備兵達が顔を合わせた。誰が城に戻るか話しているらしい。――まずい。シャルロットは動揺でどうしていいかわからなかった。報告されたら、確実に自分達のことがばれてしまう。ルビーとニースが後方で小さく顔を合わせる。
「……すみません」
ふいに前に出たメレイに、シャルロット達は思わず顔を上げた。だがそれは、警備兵も同じ事だ。一見して目を引く美人である女性の言葉に、耳を傾けないわけが無い。
「カンちゃんにお土産があるんです。そこで買った氷菓子だから、ここで待たされるのはちょっと……」
申し訳ないけど困ります、という口調でメレイがあごに手先を当てる。わずかに眉根にしわを寄せ、困った表情で警備兵達を見つめる。その返される表情に、メレイには既に確信があった。――自分に見惚れている、と。
「お願いできますか?」
「……そうだな、仕方がない……か」
一人の言葉に、別の一人が「おい、いいのかよ」と返す。「まぁ平気だろ」と、別の警備兵も軽く答えた。
「俺が今一緒に入って報告に行くよ。よし、ついて来てくれ」
まだ全員が納得している様子も無かったが、警備兵の一人が手を招いて橋を進んだので、先頭のメレイがそれに続いた。慌てて、シャルロット達もそれに続く。
「おい、人数が減るのはまずい。途中で誰かに会ったら替わりによこしてくれ」
残った警備兵達の横を通り過ぎる時、ニースは身をかがめて下を向き、ルビーも出来るだけ正面を向いたままに帽子で顔を隠した。もっとも警備兵達はメレイの方を見ていたので、幸運にも視線を集める事はなかった。
案内人になった若い警備兵を先頭に橋を進むと、その湖上を進む長い道のりで、ワットは後方のニースを振り返ってあごで警備兵を指した。それに対し、ニースが小さく頷く。橋から城の敷地内に入ると、その周囲を囲う城壁にある小さなドアの一つを、警備兵が開けた。見張りがいたが、彼とは知り合いのようで、快くドアを開けてくれた。
城内には、あまり人通りがなかった。
「使用人の集まるホールがここからまっすぐ行った場所にあるから、そこに行って案内してもらってくれ」
一番近くにいたメレイに言うと、「じゃあ」と、警備兵はそのままシャルロット達を案内した方向とは逆の方向へと進んだ。シャルロット達の事を、誰かに報告に行くのだろう。「あ」と、シャルロットが呼び止めようとしたが、耳に入らなかったようだ。その後ろで、ニースとワットが視線を合わせた。ワットは軽く頷くと、音もなくシャルロットとパスを通り越して警備兵を追った。
「おい」
「え?」
――完全な不意打ち。相手のこぶしが頬に入った事すら、彼には見えなかったかもしれない。警備兵が振り返ったと同時に、ワットが相手の顔を殴ったのだ。「あ!」と、ルビーが思わず声を上げる。
「シッ!」
パスが慌ててルビーの腕を掴むと、ルビーは遅れながらもその手で口を覆った。殴られた警備兵は青い絨毯の上に大の字に倒れたまま、気を失っている。
「……加減しろよ」
ワットが警備兵を引きずって廊下の影に隠していると、パスが呟いた。「これが一番手っ取り早い」とワットが流す。
「よし、その側近とやらの居る部屋はどっちだ?」
警備兵を隠し終え、手を払うワットにルビーが我に返った。「あちらの……、東塔です」そう答えるも、ルビーはまだ陰に隠された警備兵が心配で気になるらしい。
ふいに気がついた事に、シャルロットはニースを見上げた。
「ニース様、城内は分かれて歩いた方が……」
「な、何で」
慌てて、パスが口を挟んだ。できるだけ人数がいた方が、何かあった時に応戦しやすいのでは。ニース達と違い、パスは自分の腕に自信があるわけではない。
「こういう空間で暮らしてると、知らない人には敏感よ。こんな大人数で居たらすぐ目に付いちゃう……」
シャルロットと同じ、閉ざされた空間で暮らしていたニースには分かる提案だ。「そうだな」と、ニースが同意した。
「だが離れすぎないように。じゃあ……」
ニースがさらりとシャルロット達を見回す。
「メレイ、ルビー殿についてくれ」
ニースの言葉に、メレイは異を唱える事なく「ええ」と頷いた。
「ワットはシャルロットとクルーに。パスは俺と」
パスがほっと息を撫で下ろすのと同時に、ワットが「リョーカイ」と歩き出した。
「先行くぜ。人がいたら教える」
ワットについて、シャルロットとクルーも足を進めた。
城は既に日常の動きを始めている。多くの使用人が行き交い、常に視界のどこかには警備兵の姿がある。まるで、昨日の騒ぎなど存在していなかったかのように。顔を隠しているとはいえ、シャルロット達はなるべく人気の少ない道を選んで進んだ。
「(皆……、ルビー様の事を知らないのかしら)」
すれ違う使用人達を見ると、そうとしか考えれない。シャルロットはワットを見上げた。
「(もしかしたら、まだ何も発表していないんじゃないか?)」
王が行方を眩ませたというのに。信じられないな、とワットがこぼした。――どうしてこんなに落ち着いている?
その答えは、考えても理解できる事ではなかった。意図的に、騒ぎを隠しているとしか思えない。
ワットははるか後ろの廊下を歩くルビーとメレイを振り返った。わずかにしか、姿が見えないほど後ろだ。そのもっと後ろには、ニースとパスが歩いているだろう。
シャルロットは正面から歩いてきた少女の使用人二人組みと目が合った。自分よりもわずかに年下だろうか、見かけないシャルロット――というより、ワットとクルーにちらちらと目を向けている。
どうやら、少女達の目をひきつけるにはこの二人は充分だったようだ。――まずい。
「君達、ここの使用人だろ? かわいいね」
クルーの言葉に、シャルロットは危うく転びかけた。――何言ってるんだ、この男は!
殴り倒したい衝動を抑え、クルーの腕をつねる。「痛ぇ!」とクルーが顔を歪める頃には、少女達は高い声を出しながらすれ違っていた。
「(何わざと目立ってんのよ!)」
「ま、まぁ見てなって……」
腕をさすり、クルーが振り返ると、シャルロットとワットもそれにつられて振り返った。少女達はまだこちらを気にしていたのか、次にすれ違ったメレイとルビーにははまったく目も向けていなかった。メレイが、「何?」という顔で少女達の背を視線で追う。
シャルロットとワットは無言でクルーを見返したが、クルーは気にも留めずに先へと進んだ。




