第20話『王家の血を持つ者として』-1
「お前、女王と知り合いだったのか?」
エディに用意されていた、先程まで皆で過ごしていた部屋。殺伐と引かれた布団に座ると、ワットは最後に入ってきたクルーを振り返った。「ああ」臆面もなく答えたクルーの声には、いつもの明るさは含まれていなかった。
「お兄様って……」
シャルロットの問いに、クルーは目を閉じて息をついた。自分の布団の上に、座り込む。
「前に言った友人ってのは、ルビーの事なんだ」
今となっては、それは予測できた答えだった。全員がクルーの続きの言葉に耳を傾ける。
「昔……十年くらい前かな。家族とこの国に来た時に妹と一緒に遊んだ子……。……それがあいつだった。妹とルビーは同い年だから……」
いい遊び相手だったんだろう、と呟き、そのまま語尾は消えていく。こんな事態ではなかったら、いくらでも驚き続けられる話なのに、今は誰もそれ以上の話を聞こうとは思わなかった。
それに、シャルロットは今、ルビーが何を考えているかの方が心配だった。
「どうすんだ?これから」
ワットが布団に倒れこみ、ため息交じりに天井を仰ぐ。
「あの子はこの国の王よ。こんなとこでフラフラしてるわけにはいかないでしょ」
メレイも唯一あるベッドに座り込んだ。その声にも、疲れが見える。
「でも戻ったら……あの叔母様がいる」
シャルロットはあの部屋で、家庭教師の女性と話しているゼリアの姿を思い出した。――あの人は、笑っていた。
「ルビー様がいなくなれば……王家は自分のものだって……。……そんな事、そんな事の為にルビー様を……!」
――あんなに小さな体の少女を苦しめるなんて。自分達の前では一切の表情も崩さなかったルビーが、ゼリアの前ではかすかな笑顔を見せていたというのに。それがどういう事を意味するかなど、シャルロットにも分かる。
――信頼。彼女はゼリアに、他人には起こりえないほどの大きな信頼を寄せていたに違いない。血のつながりがなくても、親族であったゼリアに。
「……許せねぇな、あのババア」
ワットが小さく悪態をついた。
「アグダス王が亡くなった時、目立った王位継承についての争いは無かったと聞いていたが……」
「表面だけだろ。内部の揉め事を、わざわざ外になんか漏らさない」
ニースの言葉に、クルーが呟く。
「……あいつは変わったよ。昔みたいに……笑うことがなくなった」
静まり返った部屋に、軽いノックが響いた。「失礼します」と、ほぼ同時にエディが顔を出した。
「エディ」
一番ドア付近の、メレイが振り返る。「いいですか?」エディの問いに、メレイは「どうぞ」と愛想の良い仮面で答えた。
しかしエディが部屋に入っても、クルーはうつむいたまま、ワットも顔すら向ける様子はない。
「申し遅れましたけど、僕はエディ=リーリストといいます」
その挨拶にも誰も返事をする気力がない。
「今、家には僕とモニさんだけなので、何も都合はつけられませんが、何かありましたら……」
あまりの空気の重さに気が付いたのか、エディの言葉はだんだんその静けさに吸い取られていった。
「……あの、皆さん……どうかされました?」
顔色を伺うようなエディに、ニースがかすかに微笑んでみせた。
「何でもないよ。ただ、皆彼女のことが心配でね」
「彼女は先程眠られたみたいです。皆さんにも朝になったらまた声をかけますので。……では」
わずかに話を理解しきれないまま、エディは部屋を出て行った。メレイが重いため息を吐き出すと共に顔に張り付いた笑顔の仮面を落とす。
「あの子もああ言ってることだし、今日はもう寝ない?疲れたわ」
「……そうだな」
ニースが答えると、意義を唱える者はいなかった。全員が黙々と寝る支度を始め、それぞれが布団に入った。唯一あったベッドには、メレイとシャルロットが一緒に使う事になった。
しかしシャルロットは、ルビーの事を考えるとまったく眠れなかった。何度も寝返りを打ち、メレイを起こしてしまわないか心配感じるほどに。息をつき、シャルロットは体を起こした。
「……眠れねぇのか?」
ワットの声に、シャルロットは床に寝ている面々に顔を向けた。パスとニースはベッドから離れた位置にいるのでよく見えないが、ワットだけでなく、ベッドの真横のクルーもまた、目が開いているようだ。
「……起きてたの?」
――皆も。シャルロットは再び体を横にし、顔だけそちらに向けた。
「女王の事が気になるんだろ」
「……それはそうよ」
当然だ。あんな姿を見て、気にならないわけがない。
「……お前が気にしてもどうなるものでもねぇよ」
あっさりと遮断される言葉に、シャルロットは口をつぐんだ。もちろん、シャルロットが気にしたところで状況が変わるわけではない。だからといって、考えられないわけはないだろう。
「やっぱり……ルビー様は戻らなくちゃいけないんだよね……」
「……そうだな」
ワットが、小さく粒やいた。シャルロットとの間にはクルーがいるのに、彼は一言も口を挟む様子もなく、腕を頭の後ろにおいてずっと天井を見上げていた。――クルーも、自分なりに何かを考えているのだろう。ワットが続けた。
「このまま女王が戻らなかったら、あのババアにとっちゃ都合のいい話だよな。俺達が女王を誘拐して殺した、とでも発表ちまえば、それで終わり。逃げるのは簡単だ。でも……あの女王はきっとそうしない」
シャルロットは何も言えなかった。――戻れば殺されるかもしれない。それなのに、戻る人間などいるだろうか。
「もう寝ろよ」
シャルロットの答えが戻ってくる前に、ワットが背を向けた。しかし、「そういや……」とすぐに顔だけこちらに向けた。
「一応言っておくけど、昼間部屋にいた女は何でもないからな。部屋の香をさげて空気を流してもらってただけだ」
「……え?」
一瞬、言われている事すら理解できなかった。――そういえば、と記憶がかすかに蘇る。日中ワットと喧嘩していた事など、とっくに忘れいてた。
「早く寝ろよ」
ワットが顔をそむけると、シャルロットは少しだけ気がまぎれた気がした。緊張の糸がゆるみ、今度は眠れそうだった。
診療室のベッドに横になったまま、ルビーは暗く静かな部屋で目を開けていた。――思い出すのは、ゼリアの事をだけだ。
『私でよければ何でもご相談下さいね』
『夜遅くまで仕事をしているのでしょう? たまには息抜きをなさいませ』
微笑みかけ、優しい言葉をかけるゼリアがいる。
ルビーは手を握り締め、硬く目を閉じた。――いつも優しかったゼリア。前国王だった父。――その弟の妻。
父親の遺言から王位を継ぐことになった時も、ゼリアは優しく励ましてくれた。まるで、本当の母親のように。その笑顔が嘘だったなど、考えたくもなかった。
「……叔母様……どうして……」
喉の奥から、嗚咽が漏れた。硬く閉じた目から流れ落ちた涙は、一晩中枕を濡らし続けた。
翌日、シャルロットは起床と共にメレイと一緒にベッドを片付け、髪を結って支度を整えた。きちんと起きているのはメレイとニースだけで、ワットとパスはまだ寝ぼけた様子で布団の上に座っている。クルーなど、まだ起きる様子もなかった。
一晩置いて冷静になると、シャルロット達は荷を全て城に置いたままだという事に気が付いた。ニースに言うと、当然のごとくそれも考えていたようだ。
意見を集めた結果、荷物自体に全員それほどの未練はないようだった。ニースもメレイも剣を身につけていたし、ワットも短刀は腰につけたままだった。――ただ一つ。ニースの地図を覗いては。
記憶を辿っても、さすがに同じものは作れないだろう。あれがなければ、ニースにとっての旅の意味はない。どちらにしろ自分達は城に戻らなければならなくなるかもしれない、とニースは漏らしていた。
早朝なだけに、部屋の中にもひんやりとした空気が流れている。ドアをノックする音に、シャルロットは「はーい」と声を上げた。エディかと思って向けただらけた顔は、その相手に途端に背筋が伸びた。
「ルビー様!」
顔色は、昨日の比較にならないほど良くなっていた。もっとも、元来色白の肌は顔を合わせたシャルロットよりはずっと白かったが。
シャルロットが声に、クルーが飛び起きた。
「も、もういいのか?」
同じく顔を向けるニース達にも目を配らせ、ルビーが「ええ」と頷く。ゆっくりとした動作で、ルビーはドアを閉めた。服が、町娘と変わらない腰を細く締めた緑色のロングスカートに変わっていた。家のものを借りたのだろうか、それでもルビーの纏う気品と雰囲気が、明らかに自分達とは違っていた。
ドアの前に立ったまま、ルビーが深々と頭を下げた。
「助けて頂いた事、心から感謝しております」
それを見つめる中、隣で座っていたワットが大あくびをしたので、シャルロットは頭をはたいた。ルビーがゆっくりと、顔を上げる。
「私は今日……城に戻ります」
迷いの無い、はっきりとした口調。パスが小さく口を動かした。
「で、でもさ……。城に戻ったら殺されちまうんじゃねーの……?だって首謀者が……うぉ!」
隣のメレイがその頭を掴み、下に向ける。
「決めた事です」
部屋を見渡し、ルビーがもう一度はっきりと言った。
「叔母様と、しっかりとお話ししたいんです」
「でも城がどういう状況下にあるかわからないんじゃ、動けないでしょ?」
メレイが口を挟む。
「隣町にも騒ぎが届いてないってことは、まだあんたの事は何も発表されてないとは思うけど……」
「決意を揺るがす気はありません。本当に、お世話になりました」
ルビーはもう一度、ゆっくりと頭を下げた。静かな沈黙が流れると、ニースが口を開いた。
「お戻りになるおつもりなら、城までご一緒致します」
その言葉に、ルビーが驚いて顔を上げる。途端に、ワットは目を覚ましたようだ。
「お、おい……!お前は城じゃ誘拐犯だぜ?城に着く前に捕まっちまうだろうよ……」
「仕方ないわね」
メレイが諦めたようにため息をつく。「おめーは黙ってろよ」と、ワットの悪態をついた。それを振り返りもせず、メレイが続ける。
「どっちにしろ女王が戻らなきゃ私達、全員誘拐犯のままよ。ひょっとしたら、誘拐殺人犯。そしたら二十日後には第一階級国際指名手配犯の仲間入りよ。ニースはもちろん、私達の名前なんて、すぐ割れるでしょうね」
まるで他人事のようにすらすらと言い放つメレイに、ワットが睨みつけた。――そんな事は、こっちだって分かっている。
「じゃあ、女王があのババアに会う前に、ババアの手下に捕まったらどうすんだよ。同じことだぜ?」
「あんたバカね」
――売り言葉に買い言葉。もっとも、挑発はメレイの方が上手らしい。「あぁ?」と、あからさまに目を細めるワットに、シャルロットとパスは身を引いた。それにかまわず、メレイが続ける。
「あんたも女王の護衛で城に行けばいいじゃない」
「はぁ?!」
ワットが顔をしかめると同時に、ルビーが目を丸くした。彼女にとっても、予想していない言葉だったらしい。
「そうすれば、心配ないでしょ」
さらりと言ってのけるメレイに、ワットは二の句が上げられない。
「あの……私はそんな……」
――迷惑をかけるつもりは。その言葉の途中で、クルーが立ち上がった。
「じゃ、俺も行こうかな」
「お兄様!」
「役には、立つと思うけど?」
クルーがにやりと笑む。ルビーは口をつぐんだまま、次の言葉が出てこない様子だ。周囲を見回しても、既に自分の意見を聞き入れる様子はない。ワットですら、頭をかいてそれを諦めたように見える。ルビーは硬く目を閉じた。
「……分かりました。あなた方には、感謝の言葉もありません……。ここの家の方に挨拶をしてから、すぐに城へ戻ります。宜しくお願いします」
ルビーは頭を下げてから、部屋を出ていった。それと同時に、部屋は静寂に包まれる。
「……戻るんだね」
ルビーの出て行ったドアを見つめ、シャルロットは呟いた。「しょーがねえなぁ」ワットが立ち上がり、大きく腕を伸ばした。
「シャルロットとパスはここにいろよ、何かあったら足手まといになる」
「し!失礼ね!」
思わず、シャルロットとパスは同時に立ち上がった。「私だって、役には立つわよ!」「オレだって!」と、同時にあがる抗議に、ワットが片眉をあげて二人を見下ろした。
「……連れてく気はねぇぞ」
「ワットが決めることじゃないでしょ!」
シャルロットはニースを振り返った。そのすがるような目に――ニースが思わず目をそらす。「まぁ、二人は俺達ほど兵に見られていないからな」と、付け加えた。
「お前押しに弱いにも程があるぞ」
「一番の目的は、女王とあの女に会わせることよ」
ワットの抗議を遮り、メレイが腕を組んだ。
「兵を全部殴り倒してあの女のところまで行くのは簡単かも知れないけど」
その言葉に、どこが、とワットが悪態をつく。
「そういうわけにはいかないわ。それこそ犯罪者になる。城には自然に入り込まなきゃ。それには、シャルロット達がいると助かるわ」
言葉の最後に、シャルロットとパスに笑みを向ける。二人がそろってこぶしを握るのと同時に、ワットが舌打ちをした。
床に置いた剣を拾い、ニースは周囲の面々を見渡した。
「女王の支度が整い次第だ。できるだけ、目立たぬように格好を変えよう」




