第19話『動き出す罠』-4
どうやらこの広い家には、青年と女性、自分達しかいないらしい。長い待ち時間、シャルロットはそう感じた。
彼らが部屋にこもりっきりになると、シャルロット達は廊下で座りこんで待っているしかなくなった。当然、明るく何かを話す気分などさらさらにないが、沈黙の続く廊下で、クルーの落ち込みようは誰よりも重いのはシャルロットからも見て取れた。ずっと床に視線を落とし、病人のルビーを想っているのだろう。
そんな時間が続き、窓からは夕日が差しこみ始めた頃。ドアの開く音に、シャルロット達はいっせいに顔が向いた。
「……ふぅ」
額の汗を拭いもせずに、メレイが顔を出した。ため息と同時に、自分に集まる視線に気がつく。
「おい、どうなんだ?!」
クルーが弾けるように立ち上がり、メレイに詰め寄る。「まったく」と、メレイが開いたままの部屋を振り返った。
「あの子、たいしたもんだわ。どいて、手を洗いたいの」
目の前に立つクルーに薬品たっぷりで色を変えた両の手のひらを見せる。クルーは自然と道を開け、メレイとすれ違うように部屋に駆け込んだ。
ルビーは先ほどと同じベッドに、静かに眠っていた。青白い顔色は相変わらずだが、それでもここにつれてくる前よりは生気を感じさせる顔色になっている。そして何より、あの荒げていた息と、苦痛の表情がない。続けて部屋に駆け込んだシャルロット達に、中年の女性が汗ばんだ顔を向けた。
「もう大丈夫ですよ。あとは意識が回復するのを待つだけです。あんまり騒がしくしないで下さいね」
笑顔を見せ、周囲の器具を片付け初めている。
「た……助かったんですね?」
「ええ、安心なさい」
クルーの見開かれた目に、女性が息をつくように返す。
「やった!」
シャルロットとパスの声が重なった。
「ほら、騒がしくしないって言ったでしょ」
口に指を当てる女性に、シャルロットとパスが同時に口を押さえる。
「……おい?」
あまりにも呆然としているクルーの後ろから、ワットが肩を叩いた。一瞬、その体が反応したのがワットの手に伝わる。あまりの安心に、気が抜けていたらしい。「あ? ああ……」と、その顔は、笑みを作る余裕もない。
ルビーのベッドの脇に座り込んでいた青年が、髪をかき上げた。顔が汗ばみ、たった今、緊張の糸が切れたかのように。
「君が助けてくれたんだな。……ありがとう」
わずかに身をかがめ、ニースが青年に歩き寄った。「い、いえ」と、とんでもないと言わんばかりに青年はあわてて立ち上がり、隣のルビーに視線を落とした。その雰囲気は、最初に玄関口で出くわしたときの雰囲気と同じた。
「でも、彼女どこでニクハルスなんて?」
「……ニクハルス?」
その言葉に、ニースの顔から表情が消えた。「……はい」確認するように、青年が続ける。
「東の大陸の植物から採取されると読んだ事がありましたが……実物を見たのは初めてです。それで毒物の特定に少し時間がかかってしまいましたが……。一体何が原因で……?」
わずかに聞きづらそうな青年の声に、部屋はさらに水を打ったように静まり返った。
――そう、ルビーは毒殺されかけたのだ。身震いをするような言葉に、改めて、シャルロットの脳裏にそれが蘇った。それも、自分の親族の手によって。
何か悪い事を言ったらしい、と気がついたのか、青年が周囲の沈んだ顔を目をきょろきょろさせて見回す。その静寂を破ったのは、ワットだった。
「お前、この女知らないのか?」
眉をひそめた顔に、青年は「……え?」と戸惑いを見せた。
「い、いえ、知りませんけど……?」
当然じゃないですか、と言わんばかりの顔で、青年が言う。――女王の顔を。その意味で発せられた言葉も、青年には理解できなかったらしい。どうやら、彼女がこの国の王だとは気が付いていなかったようだ。ワットが背を向けると、青年は首をかしげた。
医療器具をそばの蛇口で綺麗に洗い終えた女性が、全員を見回した。
「この子はあと三時間もしないで意識を取り戻します。その間、隣の部屋でお待ちになって下さい」
「ここにいちゃ駄目なのか?」
ルビーを心配そうに覗き込んでいたクルーが顔を上げる。しかし女性は、「安静が一番よ」という微笑みでそれを遮断した。
「私がついていますから、あなた方は別室でお待ちくださいな」
女性の微笑がクルーから順番にニースやシャルロットを回り、青年で止まった。
「シシル様とユシン様がいつお戻りになるか聞いてますか?」
「確か今日は戻らないって……あ、そっか。皆さん、もう外は日も落ちてますが……どうしますか?この町の人では……ないですよ……ね?」
明らかに異国の風貌を持つシャルロット達を見回し、青年が確認するようにそれぞれに目を向ける。
「……王都からきたんだが」
どこまで答えていいものか。とりあえずのニースの答えには、曖昧さが残されている。
「ノラマン・ラナから?そこならエレスさんがいらっしゃったのでは?」
再び片付けに入っていた女性が振り返る。「エレスさん……?」女性の近くにいたシャルロットは聞き返した。「城下街のお医者様ですよ」と女性が返す。
「……あっちからここに来る間にこの子が倒れまして」
この町の方が近かった、と続けるニースの答えは、聞いていたシャルロットからしても不自然さはぬぐえない。それでも、青年はそれを信じたのか、それ以上話を追求しなかった。
「じゃあ、まだ宿もとっていないんですよね?彼女もすぐに動かすわけにもいかないし……、今日はうちに泊まりますか?」
「エディ様」
女性が青年の服の袖をかすかに引いた。「何?」と青年が振り返る。女性の表情には先程までの微笑はなく、代わりにわずかな険しさが浮かんでいる
「(よろしいのですか? 病人を連れているとはいえ、旦那様の留守に見知らぬ方々をお泊めするなんて……)」
「(でも放ってはおけないよ)」
小声でも、狭い部屋では全員に聞こえる声だ。しかし、青年の言葉に、女性が逆らう様子はない。先程から気が付いてはいたが、この二人、親子というよりは家人と使用人、といったところだろうか。「(……分かりました)」と、女性が息をついた。
「エディ様がそうおっしゃるのなら。……今晩は皆様のお食事とお布団をご用意致します」
わずかに不服さが残る声で言い残し、女性は部屋から出て行った。
「すまない、助けてもらった上にこんな……」
「いえ、気にしないで下さい」
ニースの言葉を、青年が笑顔で遮る。
「部屋はひとつしか空いていませんけど、彼女の容態が安定するまでゆっくりしていって下さい。たぶん明日の朝には一人で動けるようになりますから……。とりあえずここは出ましょう」
青年――エディの言葉に、シャルロット達はベッド脇にいたクルーも引き連れて部屋から出た。窓の外はすっかり暗くなり、先程まで夕日が差し込んでいた廊下は明かりが灯り、ずっと明るくなっている。
「治療費と合わせて、世話になった分も礼はさせてくれ」
ニースが振り返ると、エディは「い、いえ」と慌てて手を振った。
「今日は家族が外出していますから僕とモニさん……あ、さっきの人しかいませんので、気にしないで下さい。治療費の方も僕はよく分らないので……モニさん聞いてください」
たどたどしく話すエディに、シャルロットもお礼を言っておきたかった。「ありがとうございました!えっと、エディ……さん?」先程聞き逃さなかった名で呼んでみる。エディはシャルロットよりもわずかに目線が高い。しかし、見上げるほどの身長差はない。
「それにこんなに若いお医者様なんて初めてだわ」
尊敬のまなざしに、エディは「いえ、その……」と口を動かしながら視線をそらした。賞賛に喜ぶどころか、にわかに困っているようにも見える。
シャルロットが首をかしげたその時、モニが廊下の角から顔を出した。
「こちらにお部屋を用意しましたのでどうぞ」
暗闇のベッドの上で、ゆっくりと目が開いた。――知らない天井。知らない場所。左右に顔を向ければ、壁一面に並んだ医療器具と窓の外の暗闇。目を凝らせば、星が輝いているのが見える。人の気配がない部屋で、ルビーは重い体を起こした。
すると、突然暗い部屋に光が差し込んだ。開いたドアから、外側の明るさを背負って彼自身はシルエットとなっている。知らない青年が、「良かった……!」と声を上げた。
「気がつきましたか?!」
部屋の明かりをつけ、エディはルビーに駆け寄った。
「ここは……どこですか」
突然の明るさが眩しい。目を細め、まだ回らない頭でエディを見据える。
「ノラマン・ラナからいらしたんですよね。ここはアーカリーです。皆さんに抱えられて、うちにいらしたんですよ」
「アーカリー……。……皆様?」
「覚えていらっしゃいませんか?」
ずっしりと体に残る倦怠感。しかし、まったく思い出せない。「少し、待っていてください」エディは穴が開くほど自分を見つめるルビーを残して部屋を出て行った。
改めて、ゆっくりと部屋を見回す。多くの医療器具は、間違いなく医者の家だろう。だんだんと、記憶が戻り始める。朝起きて、公務に追われながらゼリアと挨拶し、そうだ、ニース宛ての書状も書かなくてはならない。
「気がついたんですね!」
大きなドアを開く音と共に、少女が飛び込んできた。「あ、ホントだ」続けて、背の低い少年。ぞろぞろと現れる彼らには、見覚えがある。
「ニース殿……?」
最後に入ってきたニースに、ルビーは目を見開いた。その後ろのクルーが、同時に目に入る。
「……お兄様」
「よ」
変わらず表情の変化のないルビーに、クルーは優しく微笑んで軽く手をかざした。――そうだ。シャルロットは思い出した。その言葉は、あの時も聞いた。自分達よりはるかにルビーを心配していたクルー。彼は、女王と知り合いだったのか。
歩きながら笑顔の消えるクルーを、ルビーが眉をひそめて見上げた。
「私は一体……」
「食事に毒が混ざっていたんだ」
言葉を打ち消し、クルーが何の遠慮もなく言った。「毒……?」ルビーが目を細める。
「体内に入れれば一日で死に至る猛毒。あのゼリアって奴の仕業だ」
一瞬、ルビーの体が凍りついたのが傍目から見ていたシャルロット達にも見て取れた。その大きな目を見開き、クルーを見つめたまま、両の手で布団を握り締めている。
「……叔母様……が?」
「ちょっと……!」
思わず、シャルロットはクルーの腕を掴んだ。――もう少し、言い方というものがある。ルビーの震えた声に、シャルロットはクルーが無神経だと思った。クルーには、もっと優しい言い方ができるはずだ。
「(そんな言い方……!)」
しかしクルーは振り返りもせずにルビーから目をそらさなかった。
「俺はあいつらが……、あいつがトパーズの家庭教師の女と組んで話しているのを聞いた。このシャルロットもだ。間違いない」
ルビーにクルーの言葉が届いているのか、分からなかった。見開いた目でクルーを見つめたまま、動かなかったから。
やがてその顔をうつむけると、流れる金髪で顔が隠れ、両の手で布団を握り締める力だけが、どんどん増しているように見えた。
「ここはアーカリーだ。人の協力があれば、お前はあそこには戻らずに、このまま逃げることだってできる。お前は……どうしたい」
クルーのこんなに冷めた声を、シャルロット達は聞いたことがなかった。静まり返る部屋で、誰もがその小さな体を見つめた。
「……少し、一人にして下さい」
うつむいたまま呟くと、ルビーはそれ以上何も言わなかった。「わかった」と、クルーはルビーに背を向けた。
「部屋に戻ろう」
そばのシャルロット、ニースの背を押し、足を進める。部屋を出る前、シャルロットは一度だけルビーを振り返った。――元気づけてあげたい。でも――。
かける言葉など何一つ思い浮かばなかった。両親を亡くし、この歳で一国の王と言う立場は、シャルロットになど想像がつかないことだった。それを身内だと思っていた縁者に殺されかかったなんて。
ルビーの小さな肩が、わずかに震えているようにも見えた。それは怒りか、それとも悲しみか――。
後ろ髪を引かれる思いで、シャルロット達は部屋を出た。