第19話『動き出す罠』-3
ドアが破られると同時に、ニースはバルコニーへと続く窓ガラスを剣の鞘で割った。なだれ込むように入ってくる警備兵達と入れ替わるように、バルコニーへと転がり出る。さすがに、最上階なだけあって風も強かった。普段ならみとれるような景色も、今は目に入らない。
警備兵の数は、先ほど見かけたときの倍以上に増えていた。一番後ろのメレイが、窓を乗り越えると同時に足を止め、剣に手をかける。――しかし。
「手を出すな!」
ニースの怒鳴り声に、踏みとどまる。メレイはポニーテールの赤毛を振り戻し再びニースとワットのあとに続いた。
「誤解が解けるまで兵に手をだすな!」
命令口調に、思わず顔をそむけて舌を打つ。塔を一周囲うように設置されているバルコニーから下の様子を伺いながら、走り抜ける。
「城下街の最初の広場か……。どうやって湖を渡る?」
ワットの言葉に、ニースは返事をする余裕もなく考えた。城からの出口は城から延びる四方の橋だけだ。遅くなればなるほど、警備も厳重になる。
「――すぐに抜けるぞ」
その途端、正面から警備兵の団体と出くわした。思わず、双方の足が止まる。円状になったバルコニーの逆方向から追いかけてきたらしい。戻ろうとするも、同時に背後からも追っ手が現れた。ニースはわずかに視線をそらした。
幸いだったのは、下の階のバルコニーがある場所で追い詰められた事だ。しかも、そこの方がここよりもバルコニーが広い。
「下に!」
ニースが手すりに手をかけて飛び降りると、メレイもワットも迷わずそれに続いた。目前のできごとに、警備兵達は一瞬口をあけた。直後、ほぼ全員が身を乗り出して下の階を覗き見る。しかし、着地の直後に顔を上げているニースと、目が合っただけだ。警備兵達は互いの顔を見合わせた。普通でもためらうこの高さ、しかも、城の最上階のこの場所で、そんな行動に出られるものは誰もいなかった。
「し、下に回れ!」
一人の声を合図に、警備兵達は上のバルコニーから走って姿を消した。それを見届け、ニースは周囲を見回した。この辺には、まだ警備兵達がいる様子はない。
「パスとシャルロットを行かせて正解だったな。このまま下まで降りられそうだ。北門が封鎖される前に行くぞ」
一番近い北向きの橋――。あそこから入ってきただけに、あそこが待ち合わせの場所に一番近い。ニースはさらにバルコニーの下を覗いた。メレイは足を進める前に、まだ背後にいるであろうワットを振り返った。ワットは着地した時の身をかがめた態勢のまま、動いていなかった。声はかけずとも、その視線に気がついたのか、ワットが目を細めて立ち上がった。
「何だよ」
「……別に?」
いつもと同じ顔で、それに答える。
「誰もいなそうだ、降りるぞ」
ニースが振り返ると、メレイとワットは黙って足を進めた。
古びた木の扉を開けると、金具が軋んだ音を立てた。それと同時に、眩しいほどの光が降り注ぐ。
「ここは……」
ルビーを背負ったクルーから先頭にそこを出ると、たった今自分達が出てきたのが、木造りの小さな古い小屋だったことが分かる。周囲は、木々に囲まれた森だった。小屋の遠い背後に、水の城が見える。――外に出たのだ。
「思ったより遠くに出ちまったな。ノラマン・ラナの外だ。でも広場は近いか……」
ルビーを背負いなおし、クルーが眩しさに目を細めながら口走る。ルビーのかすれたような吐息が聞こえた。
「……ルビー様、さっきより息が小さくなってるんじゃない?」
そう思わずにはいられない。シャルロットはルビーの横髪をあげた。額に汗が滲んだままだというのに、顔は変わらず青白い。
「広場に急ごう。ニース達と合流して、医者に診せないと……」
クルーに続いて歩き出し、シャルロットは城を振り返った。その視線に気がつき、後ろのパスがシャルロットを見上げる。
「あいつらなら平気だろ。三人そろってりゃ敵なんかいねーよ」
「……だよね」
彼らの強さなら、一緒にいた自分達が一番良く知っている。足を速め、シャルロットはルビーを背負うクルーを手伝った。
ノマラン・ラナの入り口、その広場には十分もたたないうちに到着した。広場の陰になっているベンチにルビーを寝かせる。人通りもある公園では、長い金髪にドレス姿のルビーは目立ちすぎる。できるだけ、自分達でその姿を一目から隠すようにシャルロット達は心がけた。
「アーカリー?」
ルビーを気遣いながらも、聞きなれない言葉にシャルロットは聞き返した。クルーがルビーの額の汗をタオルで拭き取る。
「北の隣町だ。ここから馬でも一時間もかからない。馬車を借りてニース達がきたらすぐにそこの医者に見てもらおう」
ニース達はまだか、とクルーが首を伸ばして周囲を見回す。しかし、その目に映るのは広場でゆっくりとした時間をすごす街の人々だけだ。
「隣町って……!ここのお医者様じゃ駄目なの?早く診てもらわないと……」
「ノラマン・ラナの中はすぐに手配が回るから無理だ。そうだ、今のうちに馬車を借りてくるからルビーを見ててくれ」
「クルー!」
ちょっとまって、と立ち上がった途端――。
「シャルロット!」
男の声に、シャルロットが振り返ると同時に、クルーが足を止めた。広場の向こうから、ニースを先頭にメレイ、ワットが走ってくる姿が見えた。
「ニース様!ワット!メレイ!」
思わず叫び、駆け寄る。「良かった!無事で……!」信頼していても、不安は拭いきれていなかったから――。シャルロットは息を漏らした。
「ルビー殿は?」
シャルロットを通り越し、ニースが寝かされているルビーのそばにかがむ。クルーが、走って戻ってきた。
「馬車を借りて隣町の医者に診せに行く。先に行って馬車を借りるからルビーを連れてきてくれ。――ここじゃ目立つから、隠して頼む」
周囲に目を配らせると、クルーはニースが頷くのを確認してから街中に走っていった。
確かに、周囲の人々がベンチでぐったりとしている少女を気にし始めていた。輝くような長い金髪と、青白い顔になってもその美しい風貌が目立たないわけがない。唯一の救いは、ドレスの型が広場を行き交う女性とほとんど変わらない事くらいだ。ニースは自分の上着を脱ぎ、ルビーの頭からかぶせた。そのまま、両手で抱き上げる。ルビーの長い金髪が垂れ落ちたが、さすがにそこまでは隠しきれない。その体は、とても冷たかった。――体温が下がってきている。
「ニース様……」
不安で歩き寄ったシャルロットに、ニースは目を細めた。
「クルーの言うとおりだ。早く医者へ連れて行かなくては」
――命取りになりかねない。そんな事、あってはならないのだ。
ニースがクルーの走っていった方角に足を進めると、シャルロットはワットの隣でそれに続いた。
「どうやって城を抜けられたの……?」
シャルロットの声に、ワットは気がついたように顔を向けた。隣を走っていた事に、気がつかなかったのだろうか。「ああ……」とワットは取り繕うように返事の答えを考えている。
「バルコニーから下に降りて……橋は無理矢理、だな。まだ警備がしかれる前だったから、警備兵を五、六人突き飛ばした程度ですんだ」
「……良かった」
一瞬、ワットが何を考えていたのか気にかかったが、それよりも、ワット達が揃って合流できた事の方が、シャルロットにとっては重要だった。
クルーはすぐに馬車を借りてきた。ルビーを乗せ、ワットが限界まで馬車を飛ばすと、あっというまにノラマン・ラナを離れ、郊外の草道を抜けて三十分もかからずにアーカリーに到着した。茶色のレンガ造りの家々の並ぶその町は、隣町とはいえ白色のノマラン・ラナとは印象がまるで違う。町人であろうロングスカートの中年の女性に食ってかかるほどの勢いで医師の家を尋ねる。「い、医者…?病人がいるの?」と、女性は目を白黒とさせた。
「お医者様ならリーリストさんの家に行くといいわ。ここからまっすぐ行ったところにあるから。ホラ、あの赤い屋根の……」
女性の言葉を聞き終える前にお礼を言い、シャルロット達はその家を目指した。
女性に言われたとおり、赤い屋根の大きな二階建ての家の前に馬車をつけると、ニースがルビーを抱えて馬車を降りる間に、パスが走って家の敷地に入り、狂ったように玄関を全力で叩いた。ずっと馬車でルビーの様子を見ていれば、叩いたのがシャルロットでもそうしただろう。
「おい!誰かいるか!?おい!」
返事はない。焦りからドアノブをひねると、なんと開く。パスは勢いよく飛び込んだ。――が。
「わ!」
「うお!」
二つの声が、重なった。同時に、たくさんの本が落ちる音――。パスがドアのすぐ向こうにいた青年と正面からぶつかり、青年が両手いっぱいに持っていた本を全て落としたのだ。さらに、落ちた本の一つがパスの頭にぶつかり、体格の差よりも勢いに負けた青年は、パスと一緒に後ろに尻餅をついて転んだ。
「いってー……!」
「イタタ……、だ、大丈夫?君……」
栗色の短い髪をきちんと整えた、気弱そうな青年が腰をさすりながらパスを見た。しかし、そんな心配はむしろ自分に向けた方がいい、と普段なら誰かが口にしていたところだろう。パスが頭を抑えて勢いよく青年を睨みつけた。
「痛ぇんだよ!ボーっとしてんな!」
「ご、ごめん。でも急に飛び込んできたから……」
立ち上がった青年は、シャルロットとさほど変わらない位の年齢に見える。細身で、背も年頃の青年程高くは無い。育ちのよさそうな、優しい顔の青年だった。見かけどおり、青年はパスの勢いに完全に押されていた。
パスが跳ねるように立ち上がると、、開いたままのドアからクルーと、ルビーを抱えたニースが飛び込んできた。唯一の家人である青年と、すぐに視線が重なる。
「おいお前、ここに医者がいるんだろ!?すぐにこいつを診てくれ!毒を飲んだんだ!」
「ど、毒?!」
青年は裏返ったような声で目を見開くと、ルビーを抱えているニースに駆け寄った。眉をひそめ、その青白い顔を覗き込む。息もか細いルビーの口元に手をかざし、それから首筋を軽く触った。「……困ったな」目を細めた青年の呟きが、ニースの耳まで届いた。その視線を感じたのか、青年が顔を上げる。
「あ……、いえ……」
一瞬、何かを言いかけ、青年が口をつぐむ。家の中を振り返り、それからルビーの顔色を伺い、もう一度ニースを見上げる。十代後半と思われる青年だが、ニースよりはずっと背が低い。
「……彼女をそこに寝かして少しここで待っていて下さい」
玄関横にあるソファを指差し、青年は転がるように走って家の中に姿を消した。外観どおり、とても広い家だ。この玄関ホールに始まり、右の壁側には二階に続くであろう大きな階段。このホールからでも四つは部屋のドアが見える。中流階級の家、といったところだろうか。青年が駆け込んだのはホールから正面のドアだった。
「おい、とにかく急いでくれ!」
クルーが声をあげても返答がない。静まり返る屋敷の中で、少し待つと、青年の代わりにエプロン姿の中年の女性が青年が入っていったドアを勢いよく開けた。
「その子をこちらに!急いで!」
それだけ言うと、女性はドアの向こうに姿を消した。一瞬、互いの顔を見合わせたシャルロット達だったが、余計な事を考えている暇はない。ホールを進んで女性の案内するドアに入ると、そこにも廊下があり、部屋に続くドアが分かれている。しかし、自分達以外は誰もいないのではと思わせるほど、静かな家だ。
ドアを開けると、そこは一目で治療室だとわかる部屋だった。壁際に置かれたいくつもの大きな棚には、透明のガラス容器に入ったいくつもの医療器具や、薬品。簡易的なベッドが三つ。決して広いとはいえない部屋に、先ほどの青年だけが立っていた。――袖をまくり、飾り気のないエプロンを身につけて。
女性に案内され、ニースがルビーをベッドに寝かせた。
「お医者様は……」
シャルロットの言葉に、女性が「彼です」と、青年に視線を戻しながら答えた。
「……え。ええ!?」
明らかに自分と歳も変わらないであろう青年に、シャルロットはみっともない声を上げてしまった。しかしそれを耳に入れることなく、青年の髪と同じ栗色の目は、まっすぐに女性に定まっている。
「モニさん、始めます」
これから始まる事に誓いを立てるように。強い意志を感じさせる言葉に、中年の女性が袖を大きくまくり、「ええ」と頷く。
「さぁ、他の方は退室なさって!狭い部屋ですからこんなにいらっしゃっては邪魔になります!」
女性が、一番近くにいたシャルロットから順番に部屋の入り口へ押し戻し始めた。「うわ、何だよ」とパスが口を尖らす。離れたベッドに寝かされているルビーを振り返っても、変わらず彼女は青白い顔に苦々しい表情を浮かべていた。
全員を廊下に押し出した直後、「ああ、あなた」と女性が一番近くのメレイの腕を掴んだ。
「な、何?」
「人手が足りないから、助手として残ってくださる?」
シャルロット達が振り返った瞬間には、メレイの赤毛が踊りながら部屋に吸い込まれていくところだった。
「お、おい……、大丈夫なのか?」
本当に任せても――。ドアが閉まり、不安の混ざったクルーの言葉は、途中で遮断された。「マジかよ」と、ワットが呟く。
「あんなガキが……医者?」
見合わせる顔には、それぞれに不安という張り付いた。