第19話『動き出す罠』-2
シャルロットの声に、クルーはようやく我に返ったようだ。その手を強く、掴み返してきた。
「いつ……、いつの食事って言った?!」
「今って……!止めなきゃ……クルー!」
言葉が終わる前に、クルーは目の前のドアを開けてゼリア達が出て行ったドアから廊下に飛び出した。しかし、既にゼリア達の姿はない。猛然と、クルーは廊下を駆け出した。
「待って!ルビー様の部屋は!?」
「北塔の最上階だ!先に行く!」
同じく廊下に飛び出したシャルロットに叫び返し、クルーはそのまま廊下を走っていった。慌ててその背を追うも、クルーの方がはるかに足が速い。すれ違う城の使用人達が、何事かという顔で自分達を見るのがわかる。しかし、そんな事にかまっている暇はない。
必死でクルーの背中を追う途中、シャルロットは自分達の部屋の付近の廊下でメレイを見つけた。
「あら、あんた達どこ行ってたのよ、何そんなに慌てて……」
言葉の途中で、クルーはメレイの真横を駆け抜けた。――さすがに、疑問に思わざる得ない。目を瞬きながら、「何?」と振り返った途端、追いついたシャルロットはその手を掴んだ。
「メレイ!一緒に来て!」
立ち止まって説明している暇はない。その勢いに体を引かれるも、メレイはとりあえず一緒に足を走らせる。もっとも、そうしていなければ二人して転ぶ羽目になっていただろうが。
「おい、どうした?」
背後からの声に振り返ると、ワットとパスが、ぽかんとその場に突っ立っている。どうやらメレイと一緒にいたが、彼らは柱の影だったようだ。しかし、もう足は止められない。
「ルビー様が危ないのよ!」
思わず叫ぶシャルロットに、「は?」とワットが返す。しかし止まる様子も無くどんどん離れていくシャルロットを、ワットとパスは自然と追った。
「何だってんだよ?」
軽々と走って、ワットはあっという間にシャルロットと並んだ。しかし、シャルロットは既に息も絶え絶えだった。
「瓶よ!あの小瓶!昨夜のやつは、毒なの!」
必死な言葉は断片的過ぎて理解できない。「はぁ?」と、ワットは声を裏返した。しかし、ワットとしても昨夜のゼリア達に関しては、まだ記憶に新しい。
「あの叔母様がルビー様を殺そうとしてるのよ!」
やっと、通じる言葉を吐き出した。
「何言って……マジで?」
頭を整理し始めるワットに対し、メレイはまだ話が見えないようだ。パスに至っては、話を聞き取れる距離にいない。見失うほどに先を走るクルーの背に、ワットは事態の大きさを理解したようだ。――信じる信じないは別として。
とりあえず、事情を知っていそうでもっと的確な話を聞けそうな相手に、ワットはシャルロット達を置いて追いかけた。その背を追いながら、シャルロットは盗賊上がりの足の速さが羨ましく思えた。
廊下を突き当たった螺旋階段を三階分上り終えた時に、クルーがその勢いを緩めた。最初に自分達のいた階が割合最上階に近かった事は、感謝できる事だ。割りと目の前にあるのは、正面の大きな石細工のドアと、深い赤色の制服を着た警備兵が二人、左右に立っている。この階には、この入り口しか存在していないのだから、確かにそこにいれば充分なのだろう。
息を切らし、あまりの勢いで階段を駆け上がってきたクルーに、警備兵達は目を丸くした。
「な、何だ?おい、君は……」
言葉の途中で、クルーは警備兵を押し退けて部屋のドアに手を伸ばした。――説明している暇などない。
「お、おい!ここをどこだと思っている?!」
強引な行動に、警備兵が乱暴にクルーの肩を手を引いた。しかし同時に、その体が浮いた。追いついたワットに引っ張られ、ひっくり返されたのだ。目を丸くするもう一人の兵士も、遠慮なく脇に突き飛ばす。それを最後まで見届けることなく、クルーは部屋に飛び込んだ。
「ルビー!」
日が差し込む青を基調とした広い部屋――。ドアから正面、窓辺の机から、ルビーが顔を上げた。一人用にしては大きい机にはいくつかの皿で食事が並べられ、ルビーの手にはスプーンが握られている。その左右に立っていたのは、一人は先ほど部屋にいた細身で背の高い女性、そしてもう一人はニースだった。全員が、目を見開いて突然の訪問者に驚いている。
「クルー……、シャルロット?」
「ニース様……!」
追いついた先の思わぬ先客に、シャルロットも肩で息をしたまま目を丸くした。
「……お兄様」
一瞬静まり返った部屋に、ルビーの口から小声がこぼれた。ドア付近のシャルロット達にも届いた声――。
「え?お兄……」
「それを食うな毒入りだ!」
シャルロットの声を打ち消し、クルーが怒鳴った。思わず、ルビーが「え!」とスプーンを落とす。ニースが、即座にルビーのそばにかがみんだ。
「ルビー殿!」
言葉にならないルビーは、ニースの顔にその目を大きくして見返すだけだ。クルーが、テーブルの皿を片手で全てなぎ払った。皿が絨毯に飛び散るのと同時に、後ろからメレイとパスも部屋に入る。その間に、ルビーの横にいた女性は背を壁伝いに部屋のドア付近まで下がっていた。ニースを押しのけ、クルーが普段の笑顔からは想像もできないような剣幕でルビーの両肩を掴んだ。
「これを口にしたか?!どうなんだ!」
「……え。ええ……、少し……」
ようやく我に返り、言葉を漏らす。クルーに肩を掴まれたまま、ルビーは頭が回り始めたようだ。「何故ここに……」と、立ち上がったのは、一瞬の事だった。
足を踏み出した途端、その体はバランスを失った。同時に、その体重がクルーの腕にかかる。
「おい!」
シャルロットは思わず悲鳴を上げた。一瞬、それを踏みとどまったかのように見えたルビーの体が、糸の切られたマリオネットのようにクルーの腕に崩れ落ちたのだ。「しっかりしろ!」クルーが肩を揺らしても、目を閉じたその顔、体にはまったく反応がない。
部屋の騒ぎ声に、先ほどワットが転がした警備兵達が血相を抱えて飛び込んできた。
「どうしました!?」
焦りで真っ赤だったその顔は、クルーの腕の中でぐったりとしているルビーを見て、一瞬で真っ青に変化した。その瞬間、ドア付近に立っていた女性が両手で頬を覆って悲鳴を上げていた。
「この方たちを捕まえて下さい!ルビー様に無理矢理毒を飲ませて……っ!」
突然の言葉に、シャルロット達は即座に女性を振り返った。
「な!何言って……!」
あまりの言葉に、うまく舌が回らない。――しかし、女王が倒れている事実がここにはある。見合わせた顔に、警備兵達が信じた相手は明白だった。よそ者のシャルロット達を、信じる筈がない。
しかし、彼らはそこから中々動かなかった。あまりの事態に動揺しているのか、体が動いていないのだ。その時、数人の走る足音が部屋に近づいてきた。
「ルビー様!?」
小走りに現れたゼリアだった。新しい警備兵を二人引き連れ、一瞬大きく目を開く。部屋に予想外の人間達がいた事驚いたのか。しかしその視線は、すぐにクルーの腕の中のルビーに移った。
「何てこと!一体何があったというのです!」
「この方達がルビー様に無理矢理毒を……」
「ちょっと!嘘言ってんじゃないわよ!」
女性の言葉をかき消すように、メレイが怒鳴った。それに対し、女性が鋭く目を向ける。
「どちらが嘘ですの!?私しっかりと見てましたのよ!あなた達、この者達を捕らえなさい!」
女性のかなきり声に、ゼリアの背後の警備兵達は一瞬目を丸くしたが、慌てて返事をしてから一番近くのメレイに手を伸ばした。――しかし。
「ふざけんじゃないわよ!」
一番近くにいたワットですら、――いや、彼にその気があったかは不明だが、止める暇はなかった。腕を掴まれた勢いを受け流し、メレイは相手を地面に転がした。しかも、相当強く。
運悪く部屋の隅にあった書籍棚につっこんだ彼は、そのまま倒れてきた書籍と棚の下敷きになった。その音は、部屋の周囲の警備兵達を集めるには十分すぎるものだっただろう。
「ど、どうなされました!?」
続々と警備兵達が部屋に駆けつけ始めた。シャルロットはクルー達のそばまで壁を背にして下がった。――どうしよう。このまま、捕まるしかないのか? その顔が、不安にワットに向く。ワットは周囲を見回しながら、シャルロットに気がついていない。ゼリアがメレイを指差した。
「この者達を捕らえなさい!」
腰の剣に手をあてる警備兵達に睨まれると、メレイは一瞬引いた。いや、自分も背に剣を背負ったままだ。――まとめて倒す事はたやすい。しかし――。
その目を、クルーに向ける。一度冷静になれば、この大勢の前で警備兵に剣を向ける事がどんなに愚かなことか、さすがにわかる。ワットが、じりじりと近寄る警備兵達から目を離さないままクルーのそばまで下がった。
「(おい、どうすんだよこれ……。女王は……)」
「……捕まるわけにはいかない!ルビーを渡すわけには……!」
ルビーを両腕に抱いたまま、クルーは顔をあげずに口走った。
「けど、そりゃもっとマズイ……っておい!?」
突然、クルーがルビーに腕を回し、その細い体を背負った。
「クルー!?」
驚いたニースが声を上げた。その顔を見れば、クルーがこれから何をしようとしているかはわかる。しかし自分達の潔白を知っているニースは、まったく抵抗する気はなかったのだ。
「そんな事をしてどうすると……」
「こいつらにルビーを渡せない!」
ニースの手が触れる前に、クルーは手近の花瓶を警備兵に投げつけた。悲鳴を上げ、警備兵がそれを避ける。花瓶は音を立てて、その破片を周囲に撒き散らした。
「こっちに来い!!急げ!!」
ルビーを抱えたまま、クルーは隣の部屋へと飛び込んだ。わずかに開いていたドアは、寝室に繋がっている。警備兵達があっけに取られている間、自分の身を守る為に、シャルロット達はそれを追った。ニースも慌てて追いかける。「おい、待てお前ら――」警備兵の叫び声は、一番最後に部屋に入ったメレイがドアで遮った。即座に、ドアにカギをかける。
「おい!開けろ!!」
「何をしているか分かっているのか!!おい!!」
ドアを叩く音が響いても、女王の部屋だ。さすがといったところか、簡単に揺らぐ扉ではないようだ。隣室からの怒鳴り声が響く中、クルーは部屋の中央の大きなベッドに、静かにルビーを寝かせた。透き通るような色い肌は生気を失い、死者のそれと似始めている。吐く息は荒く、額の汗が目に見えた。
ルビーの顔を覗き込むクルーの肩を、ニースが引いた。
「どうしたっていうんだ!毒を盛られたんだったら早く手当てしもらわなければ……!」
「あのババアがこいつを殺そうとしたんだよ!」
クルーがその手を弾き、立ち上がった。「誰だって?」初めて聞く話に、眉をひそめる。クルーが大きく手を払った。
「さっき部屋にいたろ!ゼリアとかいう奴だ!あいつらがやったんだ!ルビーを渡すわけにはいかない!何とかしないと……!」
クルーは顔をしかめて部屋を見回し、何かを探し始めた。しかしその場に残されたニースは驚きを隠せないまま、息を荒げるルビーに視線を落とす。「まさか……ゼリア殿が」――信じられない。そんなことがあっていいのか。
「ニース様、私達聞いたんです!あの叔母様とあの人がルビー様に毒を盛ったって話してて……!」
「おい、ドアを破れ!」
ドアの向こうの声に、シャルロットの言葉は途切れた。ドアを叩く音が、一瞬止む。その直後――。
「きゃっ!」
シャルロットは思わず悲鳴を上げた。ドアが揺らぐほどの大きな音で、叩かれた。おそらく、警備兵達が数人で体当たりをしているのだろう。いくら丈夫なドアでも、これでは数回ももたない。部屋の入り口はこのドア一つ。あとは、バルコニーに繋がる窓だけだ。
ワットが短刀に手をかけた。
「逃げるんだったら……やるのか?女王を背負って突破するなら兵の少ない今のうちだぜ」
ニースの隣に、ワットが立つ。パスが唾を飲んでそれを見上げた。少ないといっても、先ほど見た限りでは自分達と同じくらいの人数はいた筈だ。つづけて、メレイが背の剣に手をかける。
「行くしかないでしょ。一緒にいたあの女がああ言ったのよ、このままじゃ私達は殺人犯よ。――それも一国の王の」
ドアに集中していたシャルロット達の背後で、大きな物音が鳴った。反射的にそれを振り返ると、クルーが大きな書棚の横に背をつけ、それを押していた。「何やって……」と言いかけたのも束の間、その棚の後ろから、暗がりの通路が現れたのだ。
「抜け道……!?」
思わず、それに駆け寄る。その間も、ドアを突く部屋に響く。
「王族用の逃げ道か……!」
ニースが気がついたように口走った。ここは女王の部屋だ。確かに、そういう道があっても、不思議ではない。クルーが再びルビーを背負った。
「ここから外に出られるはずだ。……ノマラン・ラナの外まで行けるといいんだけど……」
シャルロットが覗き込むと、その道はとても暗くて狭かった。すぐに通路は螺旋階段になり、下るその先は見えない。一人ずつが、やっとの細さだ。代わる代わるそれを覗き込むと、ニースは唇を噛んだ。――とても無理だ。
この細い道で、この人数。おまけにルビーを背負ったままでは、あっという間に警備兵に追いつかれる。クルーの背負う、苦しげなルビーが目に入った。
「仕方がない……!」
その目が、今にも破れんばかりのドアに移る。こんな事をして、ただで済まない事は分かっている。警備兵達の前で一国の王を誘拐しようなど、愚の骨頂だ。しかし引き渡せば、ゼリアという女性の監視の下、ルビーがどういう目にあうか――。クルーとシャルロットの証言が頭に響く。
部屋のドアを突く音が、一層大きくなってきた。そろそろ、ドアが破られる。ニースはクルーの肩を引いた。
「ルビー殿を連れて逃げろ。俺は残って兵をひきつける」
一瞬、その判断にクルーは目を大きくした。しかし、開けた口からは言葉は出ず、それを閉じてニースを見据え、頷いた。
「……すまない」
その顔を、シャルロット達に向ける。
「……城を抜けたら……最初に入ったノマラン・ラナの入り口で待ってる。……あそこの広場で落ち合おう」
再び響いたドアを突く音に、クルーは背を向けて通路の暗闇に姿を消した。
「シャルロット!」
その声に振り返ると同時に、シャルロットは気がついたらニースに手を引かれ、通路に押し込まれていた。
「早く行くんだ!」
「え!?だってニース様は……」
――残るって。そう言いかけた言葉は、ニースが背を向けたことで途切れた。
「そうだ。だから早く行け!」
「そんな……!」
抵抗むなしく、シャルロットの力などニースにはかなわない。ニースの向こうでは、既に心を決めているのかワットとメレイがこちらに背を向けたまま、振り返りもしていなかった。
「ワット、メレイ、すまないが残ってくれ」
とっくに知っている、と言わんばかりの声で「ああ」「仕方ないわね」と返ってくる。
「オ、オレは?」
自分を指差すパスを、ニースが即座にその腕を掴んでシャルロットの前に追いやった。それから、すぐに本棚を腕の力で元に戻し始める。――背後は暗闇。シャルロット達の視界が、次第に狭くなり始めた。
「ワ、ワット!」
シャルロットは思わず、その背に声を上げた。ワットがわずかに振り返り、軽く手を上げる。いつもの自信に満ちた顔と一緒に。
「気をつけて……!」
言葉と同時に、世界は分断された。同時に、視界が何も無くなる。「真っ暗じゃねーか!」と、隣でパスが声を立てる。しかし、シャルロットはそれよりもはるかに残った三人が心配だった。――その時。
ふつふつと、床の隅から点々と光が漏れ始めた。思わず、互いの顔のあたりに顔を向ける。わずかな光で、互いの顔のりんかくがだんだんと見え始めた。何は分からないが、等間隔に置かれた小石のようなものから、光が発せられているのだ。これなら進める。
ニース達なら、大丈夫だ。――あの三人が一緒なら。ワットの笑顔が、勇気をくれた。パスの腕を掴み、足を踏み出す。
「今のうちに……!早く、クルーを追おう!」