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同じ天の下  作者: コトリ
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第19話『動き出す罠』-1




「あー!もう!」

 部屋に戻っても、シャルロットは葛藤で頭がおかしくなりそうだった。部屋のベットに背を沈めて大の字になり、発散しきれないそれを手足でベッドに叩きつける。それでも頭の中のもやは消えない。シャルロットは両手で顔を覆った。――何だったのよ、昨日のは。

(キス、しようとしたの?)

 しかし、先程のワットはいつもと変わったところは一つもなかった。むしろ、いっぱいいっぱいなのは自分だけ。

(……やっぱ勘違い?!)

 勢いよく体を起こし、部屋を見回す。メレイはまだ戻ってこない。

「もー!スッキリしない!」

 思いっきり頭を振っても効果はない。もやのように脳内に張り付いたそれは、どうしても晴れてくれなかった。――もう嫌だ。シャルロットは腹を決めた。もう、こんな気分でいるのは――。

(ワットと……話してみよう。昨日のあれは、何だったの、て)

 ――勘違いなら、それでいい。それで頭のもやが晴れてくれるのならば。ベッドから足を下ろし、シャルロットは部屋を出た。もう、食事は終わっているだろう。




「ワット、いる?」

 固唾を飲み、シャルロットはワットとパスの部屋を小さくノックした。

「……シャルロットか? あー、ちょっと待て」

 にわかに慌ただしい返事の後、ワットがわずかに開けたドアの隙間から顔を出した。

「……どうした?」

 ――そっちこそどうした。思わずこぼれそうになる言葉を発する前に、ワットがドアから体を滑らすように出くる。シャルロットは目をまたたいてそれを見返した。不審な動きに、一瞬、ここに来た目的も頭から飛んでしまう。

「どうしたの?」

「別に、それより用なら後でいいか?」

 ドアを隠すように後ろ手で閉めたワットに、シャルロットは首を伸ばした。

「部屋に何かあるの?」

「いいから。後にしてくれ、お前絶対変な誤解しそうだし……」

「誤解?何か言ってんの」

「あ、おい――」

 ワットの言葉を無視してドアに手を伸ばした途端、そのドアが先に開いた。

「あら、ご一緒の方でしたのね」

 顔を出したのは、使用人の女性だった。シャルロットよりも少し年上、ワットと同じくらいだろうか、髪をアップにまとめ、深い赤色の制服。しかしその胸元のボタンは二つ以上は外れ、膝の上で結ばれたスカートから、なまめかしい足が覗いているのが見えた。――思わず、シャルロットは口が開いた。それが予想通りの反応だったのか、ワットが目線を斜めに上げて息をつく。

「御用がありましたら、またお呼び下さいませ」

 意味ありげににっこりと。女性は片目を閉じてワットに笑いかけ、スカートの結びを軽やかにおろして、ボタンを留めながら廊下を去っていった。

 その足音が遠ざかる頃、シャルロットはワットを見上げることすら馬鹿らしいと思った。――今ほど、自分がバカだと思った事はない。

「……あのさぁ、誤解が無いように言っておくけど……おわ!」

 言葉の途中で、シャルロットは思いっきりワットを突き飛ばした。

「サイッテー!中で何してたのよ!」

 いきなり爆弾を投下したような怒りを発揮したシャルロットに、「はぁ!?」と声が裏返える。

「何言ってんだ誤解だって言ってんだろ?!あの子は……」

「何よ!人のことからかって……昨日だって!気にしてた私がバカだったわ!話は終わりよ!」

 怒りで真っ赤になった顔のまま、もう一度ワットを突き飛ばす。――そうだ。知っていた筈だ。この男が行く先々で、すれ違う女に愛想を振り撒いている事なんて。昨日だって、その気まぐれに巻き込まれたにすぎない。

 恥ずかしい。馬鹿みたいだ。――何を一人で勘違いしていたんだろう。

「お前いい加減に……っておい待て!」

 ワットの声が届く前に、シャルロットは廊下を駆け出していた。




「ハァ……!ハァ……!」

 大きく吸い込みすぎた息で、胸が痛い。誰もいない知らない廊下。シャルロットはその壁に手をつけた。その壁の大きい出窓の枠から、バルコニーと一緒に清々(すがすが)しいほどの青空が見える。その空気に引かれるように、シャルロットはバルコニーに足を向けた。

 白く美しい街が一望できるその場所は、足を踏み出すごとに怒りを自然の空気と調和させるように消していく。ゆっくりと進めた足でその手すりに手をかけると、残ったのは惨めな想いだけとなっていた。

 手すりに手をおいたまま、シャルロットはその場にしゃがみこんだ。冷たい風が、肌を撫でる。

「……本当、バカみたい」

 呟くだけで、気分はさらに落ち込む。そこから抜け出そうと、シャルロットは顔を上げ、すぅっと冷たい風を体に入れた。そこには、変わらぬ美しさを保つ湖と、白い城下街があった。

(昔も、よく宮殿から外を眺めたっけ……)

 ――見える景色は、今と全く変わってしまったけれど。

「シャレルちゃん?」

 ふいにかけられた声に、シャルロットは振り返った。

「何してるのこんなところで」

 いつのまにか、バルコニーの入り口にクルーが立っていた。どうやら、廊下を通りかかったらしい。「景色でも見てるの?」笑いながら歩いてきたクルーの顔に、シャルロットは一度は落ち着いた感情が、再び急速に沸騰した。

「ちょっと聞いてよ!」

 しゃがんだままいきなり足に飛びついてきたシャルロットに、クルーは「な、何!」とあからさまに笑顔を引きつらせた。




「へーえ、成る程ね」

 バルコニーの手すりに背をつけて座り込んだシャルロットの隣で、同じように座るクルーが笑いをこらえて口に手を当てた。――約五分弱。ようやく、シャルロットの怒りが全て吐き出されたところである。

「ホンット!信じらんないわ、あのバカ!」

 それでも一度上がったボルテージは簡単には下がらない。シャルロットは頬を膨らませて膝を抱えた。

「でも、部屋にいただけなんだろ?」

 既に、クルーは歯をかみしめて笑っていた。――そういえば。頭に血が上り、実際に彼女が部屋にいた理由は聞いてはいない。クルーが、「まぁまぁ」とシャルロットの頭をに手を乗せた。

「そんなに怒ってたら、可愛い顔が台無しだよ」

「……もう、からかって!」

 いつもの笑顔に、冗談だとわかっていても顔が赤くなる。クルーといいワットといい、どうしてそんなセリフを簡単に吐けるのだろうか。

「……それにワットってば、綺麗な人がいるといっつもヘラヘラしちゃってさ」

 膝にあごを乗せるシャルロットに、クルーが笑った。

「いやあ、それはワットに限ったことじゃないんじゃない? 俺だって可愛い子は大好きだし……」

 自分を睨む視線に気がつき、笑顔が引きつりながら語尾が消える。「いやいや、つまりね」クルーが慌ててそれを取り繕った。

「シャレルちゃんも充分可愛じゃない。ころころ変わるそういう表情が特に!」

 ごまかすように頬を一瞬引っ張られ、頭をぐしゃぐしゃに撫でつけられる。「ちょっと!」シャルロットは頭を抑えて手を払った。きちんと結っていた髪が乱れる。しかし、怒りと共に笑いもこみ上げた。クルーの肩を叩き、シャルロットは「もう」と声を上げて笑った。

「何だ、元気になったじゃん」

 ふいに言われた言葉に、シャルロットは笑みが途切れた。――そういえば。

いつの間にか、心の中はすっきりと晴れている。まるで、笑いに心のもやを全て払ってもらったかのように。

 我に返ったシャルロットに、クルーが歯を見せて笑った。

「そうそう、笑顔が一番だよ」

 その笑みに、シャルロットはわずかに胸が痛んだ。

 ――こんなに仲良くなれたのに。もうすぐ、クルーはもうすぐ風の王国へ帰らなければならない。分かっていた事だが、途端に寂さを感じた。

「……ねぇ、友達に会ったんだったら、もう風の国に帰っちゃうの?」

 先程までとは打って変わった沈んだ声に、クルーは「そうだなぁ」と首をかしげた。

「あまり考えてなかったけど……。シャレルちゃん達が城を出る時に一緒に、かな」

「……そっか」

 シャルロットは肩を落とした。せっかくクルーに盛り上げてもらった気分が、また落ち込む。

 ――ニースとの旅は、いろいろな人々と巡り会う。しかし、それと同じだけ別れがあるのだ。落ち込んだ肩を、クルーが軽快に叩いた。

「な、どうせ今日暇だろ?城の中まわらないか?さっきも面白い抜け道見つけたんだ」

「……ぬ、抜け道?」

 思わぬ言葉に、シャルロットは顔を上げた。落ち込んだ気分が再び上昇し始め、クルーの笑顔に胸が躍る。

「ああ、こういう城には腐るほどあるんだぜ?」

「面白そう!」

 クルーに手を引かれると、シャルロットは転がるような浮き立つ足で、それに続いた。




 城内は顔を上げて歩けば、あっという間に目が回ってしまうほどに広い。砂の宮殿は比較的黄金色の装飾が多いが、この城は白色の石壁を基調に廊下に敷かれた青い絨毯と、雰囲気は全く違う。

 仕事中らしい多くの使用人達が行き交う中、シャルロット達は廊下に飾られた石の彫刻や、バルコニーから見える景色、吹き抜けの廊下から下を覗いたりと、浮き立つ足でそこら中を歩き回った。それでも、一日で回れる広さでは無いだろう。

 クルーに案内されるままに入り込んだ廊下は、人通りも無く、明かりもほとんどなかった。人がやっと通れるほどに細い廊下。

「どうやってこんなとこ見つけたの?」

 壁に手を付くと、シャルロットは初めてここが廊下ではなく壁の内側だということに気がついた。歩き回るのが楽しくて、そこに入り込んだことすら気が付かなかったのだが。同じく壁に手を付いて前を進むクルーが振り返る。

「昔教えてもらったんだ。あの時はもっと広いと思ったけど……お、出口」

 クルーが突き当たりのドアを開けると、シャルロットは差し込んだ強い光に目を細めた。しかしそれは、今までの廊下が暗かっただけだ。ドアの先は、調理器具や食材が並んだ薄暗い部屋だった。至るところにそれらがびっしり詰まった棚が配置され、唯一の隙間には、たった今出てきたタペストリーの裏側に隠れていた扉と、もう一つの正規の入り口と思われるドアがある。「ここ、どこ?」シャルロットは部屋を見回した。

「調理場の横部屋」

 にやりと、クルーが口の端を上げる。

「調理場?」

「そ。ついでに何か食えるんじゃないかと思って」

「……さっき食べたばっかりじゃない」

 勝手に棚の中をあさるクルーをよそに、シャルロットは笑いながら周囲を見回した。「お、何だこれ」クルーはそんな事を言いながら、手近の物をどんどん漁っている。

「あ、それはね、お鍋の底に敷くの。ミーガンがよく使ってたわ」

「ミーガン?」

「私の親友」

振り向くクルーに歩み寄りながら、遠い故郷にいる親友を思い浮かべる。「ミーガンはね……」と離し始めた途端、何か別のものを聞きつけたクルーが、口に指を当てた。

「シ!誰か来た……!」

 素早く、壁の向こうに目を配らせる。どうやら、隣の部屋のドアの音が聞こえたらしい。反射的に、そこへ繋がるドアを振り返る。クルーがいたずらを思いついた子供のような笑みで、足音を殺してそのドアに耳をつけた。

「(平気?)」

 思わず、小声になる。大丈夫だよ、とクルーは口の動きで言うと、シャルロットを手招きした。

「(バレはしないって)」

 その言葉に、いたずら心をくすぐられた。一緒になってドアに耳を当てると、ドアを隔てた向こう側から声が聞こえてきた。女性の話し声のようだ。しかし、小声すぎて聞き取れない。

「(あんまり聞こえないね……)」

 頭上のクルーを見上げ、小声で呟く。

「(……あのゼリアって奴の声じゃないか?)」

「(ルビー様の叔母様?……そうかな)」

 言われても分からなかった。聞こえるような、聞こえないような。肩を叩かれてクルーを見上げると、クルーが口に指を当てた。逆の手で、下がれと言っている。黙ってそれにうながされると、なんとクルーは音を殺してドアをわずかに開けた。

 思わずその腕を掴む。大丈夫? と、口を動かすも、クルーは笑って続きを聞こうとしているようだ。先程よりも低い体勢になり、さすがにまずいと思いながらも、いたずら心に負けて一緒に部屋を覗き見る。

 そこにいたのは、確かにゼリアだった。そして、一緒いるのはまたトパーズの家庭教師の女性のようだ。今度は、女性もローブをかぶっていない。シャルロットは昨夜の二人が頭をよぎった。

 腕を組み、ゼリアが女性を睨んだ。

「ちゃんと食事に入れたんでしょうね?」

 問い詰めるような口調に、女性が小さく「はい」と答えた。

「お渡ししたものと同じものを先程のお食事に……」

「……そう、ならいいわ」

 女性の返事に、ゼリアはにんまりと満足げに口元を緩めた。女性はシャルロット達に背を向けており、顔は見えない。二人はまったくこちらに気が付いていなかった。

「これで、あの子ともお別れね」

「……もって一日。本当によろしかったのですか? あなたの姪御様ではありませんか」

「誰に向かって口を聞いているのです?」

 突然強くなった口調に、女性が息を呑んだのが分かった。ゼリアの声が、わずかに高くなった。

「最初から間違っていたのよ。あの子が女王になったこと事態がね。ああ、何て忌々(いまいま)しい……!陛下があんな遺言ゆいごんさえなければ王位は夫のものになっていたはずなのに。そうすれば、いずれはトパーズが王家を継いで、アグダス家は私のものも同然だった……」

 シャルロットは、自分が覗きをしていることなど忘れてしまった。その部屋で、ゼリアが続ける。

「そうよ、私が何かをするんじゃないの。私はただ、この国を正当な王のもとに返すだけ……」

「……わたくし、ルビー様の様子を見てまいります……」

 詰まるように低い声で言った後、ゼリアに一礼し、女性が部屋から出て行った。それでも、シャルロットはゼリアの背から目がそらせなかった。

「……ふふ。もうすぐだわ……。もうすぐ……」

 一人で笑い浮かべ、ゼリアはそのまま女性と同じドアから部屋を出て行った。そのドアが閉まる音で、シャルロットは我に返った。――何だ、今のは。

 ゼリアはルビーの叔母であり、二人は仲がいい筈では? 昨日の応接間での彼女達の様子が、頭をよぎる。動けないまま、シャルロットは頭上のクルーを見上げた。

「……今のって……どういうこと……?」

 声をかけても、クルーはそれに気が付いていない。まだ呆然ぼうぜんと、ゼリア達のいたあたりを見つめていた。シャルロットはその腕を掴んだ。

「ねぇ、クルー……」 

 その手に、初めてクルーがはっとした。その目がシャルロットに向き、「お、俺が知るか……」と呟く。

「だけどあいつ……、ルビーの食事になんか入れたって……」

 その途端、シャルロットの頭で何かがつながった。昨夜の、ワットと見たゼリアと女性の姿が頭に浮かぶ。そしてあの時手渡されていた小瓶――。

『お渡ししたものと同じものを先程のお食事に……』

「……殺す気だわ」

 思わず口走った言葉に、クルーが目をまたたいた。しかし、その顔は既にそれを理解していたのかもしれない。その両腕につかみかかり、立ち上がる。

「あの人達、ルビー様を殺すつもりだわ!食事に盛ったのは毒よ!昨日ワットと見たの!」

 明らかに、今の会話はそのたくらみだ。クルーの大きな目が動揺に揺れながらもシャルロットを見下ろした。

「ねえ!女王が危ないわ!」



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