第18話『仮面の女王』-3
「お部屋を三つ、ご用意させて頂きました。本日はこちらとお隣の二部屋をお使いください。不自由があれば城の者に何でも申し付け下さいませ」
部屋の入り口で使用人の女性が頭を下げると、ニースが礼を返した。女性が去った後、パスは豪華すぎる大きなベッドに走って飛び乗った。
「すっげー部屋!」
そのまま大の字になり、天井を見上げる。大きな窓には金色の刺繍の入った青く厚いカーテンが引かれ、同じ色の絨毯、そしてベッドが備え付けられており、小さなテーブルと椅子もある。客人用の部屋と称されるものの、シャルロット達にとってはあまりに豪華な部屋だった。
「豪華ねえ……」
メレイが部屋を見回しながら、付近に飾られた金色の花瓶を触った。
「ちょっと香が強くねえか?」
床に荷を落とし、ワットが鼻を押さえた。確かに、何かを焚いたような香りがする。ただ、シャルロットにとっては気分のいい、花のような香りだ。
「とりあえず休みましょうよ。部屋三つなんでしょ?シャルロット、先行くわね」
メレイは欠伸をしながら、先に部屋を出て行った。三部屋となれば、自然とシャルロットは女同士、メレイと同室である。
「オレこの部屋がいいーなー……」
一目で気に行ったのか、パスはベッドに沈んだまま動く様子もない。「俺も」とワットが付近の椅子に腰を下した。
「疲れたからもうこの部屋で休ませてもらうぜ」
ワットの場合、移動が面倒だったらしい。シャルロットには、ワットが座ったときの動きが、どことなく傷をかばっているようにも見えた。
「じゃあ、我々は残った部屋をもらうか」
ニースがクルーと顔を合わせた。「そうだな」と、クルーが同意してドアに足を向ける。
「シャレルちゃんも部屋行ったら?」
「え?……あ、うん」
最近、怪我の具合はどうなのだろう。それを聞きたかったが、ワットはベッドに倒れこんだ。――本当に、疲れているのだけならそれでいいのだが。シャルロットは仕方なく、クルー達と一緒に部屋を出た。
部屋に入ると、シャルロットは荷を置いてベッドに仰向けになった。ふわふわの布団は、その身を沈ませる。夕日の差す時間は、まだ眠たいわけではない。
「珍しいわね、元気ないじゃない」
部屋を歩きながら、メレイが言った。
「そうかな」
自分でも、よく分からない。なぜ先程は、いつものようにワットに話しかけなかったのだろう。――いつものように?
(私、今までワットと何話してたんだっけ)
何を一緒に、笑い合っていたんだろう。改めて考えると、何も分からなかった。
『ケンカでもしてるの?』
クルーの言葉が頭をよぎる。変なのは自分だけだ。ワットは、いつも通りだというのに。
「……ばかみたい」
「何が?」
思わずこぼれた言葉がメレイに届いていた事に、シャルロットは慌てて体を起こした。
「な、何でもない!ごめんね、独り言!」
シャルロットの慌てた様子に首をかしげながらも、メレイは「そう」と再び部屋の中を見てまわった。壁に飾られた絵や、棚にある彫刻に顔を近づけている。ふいにその姿に、シャルロットは以前に少しだけメレイに相談を持ちかけた事を思い出した。
「……メレイちゃん」
シャルロットの声に、メレイが「んー?」と顔を向ける。
「……前に言ってた“白昼夢”の事なんだけど……」
今更、こんな話題を持ち出すのはおかしいだろうか。元より、覚えてもいないかもしれない。そう思ったシャルロットの不安とは裏腹に、メレイが「……また見たの?」とわずかに鋭い声で言った。笑みのないその顔に、シャルロットは一瞬、やはり言うのをやめようかと思ったが、胸のうちでは、それは言わずにはいられないほどに膨らんでいた。
「あのさ……、それって……何なの?メレイは、何か知ってるの……?」
「……どんな夢だった?」
ベッドに手を付き、メレイがシャルロットの隣に腰をおろした。優しい声には、全てを打ち明けて甘えたくなってしまう。シャルロットは視線を落とした。
「この間は全然知らない人だったけど……。……今度はパスだったの」
「……パス?……だった、て……何が?」
「パスの夢……だったの。ララさんが見えた。ヴィンオーリさんが誰かに殴られて……。あの風神の東門で、パスを掴んだ時にそれが見えたの」
メレイの赤茶色の目が、大きく開いてシャルロットを見つめた。
「私怖くて……。最初は何かの病気かと思ったけど……」
「ちょっと待って」
口走るように続ける言葉を、メレイが遮った。
「誰かになる夢って、誰かの記憶を見るって事なの……?」
「そんな事……、ありえないよね……?」
膝に落としたままの視線で、シャルロットは小さく言った。こぶしを握り締める。――否定して欲しい。
シャルロットの思いとは裏腹に、メレイは「あんた……」と信じがたいという声を出した。
「まさか、占い師の血を引いてるの?」
その言葉に、シャルロットは弾けるように顔を上げた。
「ち、ちが……!」
――違う。肯定が欲しいのではない。その思いは、シャルロットにメレイを睨ませた。
「……私達は……違うわ!」
「私……達?」
思わず、シャルロットは「あ!」と口を押さえた。メレイに、エリオットの昔の事を話したことは無い。
「……まさかあの兄貴も?」
これでは何の相談かも分からない。シャルロットは慌てて身を引いた。
「ごめん!何でもないの!やっぱただの勘違いだよ!だって……」
言葉の途中で、それはドアのノックに遮られた。「お食事の用意が出来ました。お連れの方々もご一緒に四階の食堂でお召し上がり下さいませ」と、女性の声が聞こえた。それに助けられるように、シャルロットはベッドから降りた。
「ニース様達呼んでくるね!」
「シャルロ……」
背から自分を呼ぶ声が聞こえたが、シャルロットはそのまま逃げるように部屋を出た。
――夕日の差す城の外廊下。クルーは一人、手すりに腕をかけて外の景色を眺めていた。山の頂上にも相当するその高さは、オレンジ色の夕日が白い城下街を染めていく姿を一望できる。
わずかな足音に、クルーは顔を向けた。廊下のはるか向こうから、一人で歩いてくる人影が見える。金色の髪を揺らしたその風貌は、間違えるはずが無い。向こうもクルーに気が付いただろうが、表情が確認できる距離でクルーが頭を下げても、その表情も変えなかった。仕方なく、クルーは再び外の景色に目を向けた。しかし、その足音はクルーの背後で止まった。
「……お久しぶりね」
流れる水のように穏やかな声。それでいて、水のように冷めた声。――水の女王の呼び名が、まさにふさわしい。わずかに、口元から笑いが漏れる。クルーはルビーに背を向けたまま、「何だ」と息をついた。驚いたような、ほっとしたような。
「てっきり、忘れられたかと思った」
いつもの無邪気ともいえる笑顔で、手すりに背をつけて振り返った。
「……十年ぶり、かな」
「それくらいになるかしら」
笑みのかけらもない目で、ルビーがクルーを見返した。夕日の差す二人だけの廊下に、湖に集まる鳥の声だけが響く。クルーはルビーから目を離さなかった。
「変わったな、お前」
その言葉に、ルビーは一歩前に出た。クルーの隣に立ち、廊下の手すりに手をかける。その目が、すっかりオレンジ色に染まった街を見下ろした。
「変わらないわ。少しも」
「美人になったよ。昔も綺麗な顔してると思ってたけど、妹と同い年とは思えないな」
「……馬鹿な事を。妹君はお元気?」
クルーの言葉にも、ルビーはかけらも笑わなかった。視線も、街から動かないまま。クルーはその景色に背を向けた。
「元気すぎてこっちが参るね。いくつになっても、あいつには敵わない」
クルーが笑っても、ルビーはガラスのような無機質な目で、ぼんやりと街を眺めていた。
「お前は……元気なさそうだな」
「……貴方はお元気そうですね。お兄様」
皮肉に聞こえなくもない言葉が、返ってきた。それと同時に、ルビーがクルーを見上げた。まだ成長過程と思われるルビーの背は、クルーと並ぶと頭ひとつ分近くは差がある。クルーが小さく笑った。
「久々に聞く呼び名だな。最近妹は、中々そう呼んでくれないよ。ところで、さっきのあのガキは?」
「そんな呼び方……。従兄弟のトパーズです」
わずかに細められた目は、「ふぅん」と受け流す。
「あのおばさんは?そのトパーズを怒ってた」
「トパーズのお母様のゼリア様よ。……お父様の弟の奥様……私の叔母様です」
ルビーはわずかに眉をひそめていた。それが自分の口の悪さが原因だと言う事も、クルーには分かっていた。
「それにしてもどうして急にいらしたりしたの?おじ様達はご存知……」
「そうだ」
ルビーの言葉を、クルーが明るい声で遮った。
「妹が会いたがってた。もう昔みたいには会えないのか?」
しかし、ルビーの表情は怪訝そうに眉をひそめたままだ。
「……分かっているでしょう?王族が勝手に国境を越えるなんて許される事ではないわ。それに私は……」
「そんな制約された人生、俺なら絶対ごめんだな。本当、尊敬するよ」
ルビーを見ないまま、クルーは息をついた。しかしその言葉は、明らかにルビーの心に入り込んだようだ。初めて、目をわずかに大きくしてクルーを見上げた。しかし口を開く前に、クルーは片手をひらつかせ、廊下を歩き去った。
追いかけるまでもない。ルビーはそれを諦め、クルーとは逆方向に向かってゆっくりと足を進めた。
「うわ!」
廊下の角を曲がったところで、人とぶつかった。走っていたシャルロットも、歩いていたであろうクルーも、反射的に足を止めていたので大した衝突にはならなかったのだが。
「シャルロット?」
クルーは両手を出し、衝突を避けた体勢のままだ。目を大きくしたまま、シャルロットを見下ろした。
「クルー、やっと見つけた!夕飯できたって。ニース様の部屋行ったらいないんだもん!探したのよ?こんな所で何してるの?」
立て続けに投げかけるシャルロットに、クルーは先ほどまでいた廊下を振り返った。つられて、シャルロットも同じ方角を覗く。その視線の先は、夕日の差し込む静かな廊下だけだ。誰もいない。
「……懐かしい友人に、会ってたんだ」
「友人?そっか、ノマラン・ラナにいるって……、じゃあクルーの会いたい人って城に勤めている人だったの?」
廊下からシャルロットに視線を戻すと、クルーはいつもの笑顔を向けた。
「まぁ、国に勤めてるって言うほうが正しいかな」
「国に?」
クルーの言った意味が、シャルロットには分からなかった。首をかしげるも、空腹からか腹が鳴った。それに気付かれないように、「早く行こ」とシャルロットは焦ってその手を引いた。足を進めながら、クルーは誰もいなくなった廊下をもう一度振り返った。
(……あいつ、一度も笑わなかったな)
心に残ったその顔が、クルーの脳裏に焼きついた。
夕食の後、シャルロット達はそれぞれ部屋で時間を過ごし、早めに就寝した。しかし深夜になっても、シャルロットは眠れなかった。――豪華すぎる部屋と、ベッドのせいで。
「……眠れないの?」
数十回の寝返りののち体を起こしたシャルロットに、隣のベッドのメレイが声をかけた。さすがに、起こしてしまったらしい。
「こんなベッドじゃ落ち着いて寝れないよ……」
率直な意見である。ふわふわのマットに身が沈みすぎて、落ち着かない。それに引き換え、メレイは「そう……?気持ちいいじゃない……」と呟き、その小さな声は再び寝息へと変わった。
「……私だけ?」
――貧乏性なのは。ため息をつき、シャルロットは髪をかき上げてベッドから降りた。
(……水でも飲んでこよ)
昼間はわずかだと思った冷え込みも、夜になると一層深まる。部屋にあったショールを肩から羽織り、シャルロットは身を抱きしめながら水場を目指して絨毯の上を進んだ。
人気のない暗い廊下は、気分のいいものではない。自然と早足になる中、廊下の先の角から人影が現れ、心臓が止まる勢いで足を止めた。しかしほぼ同時に、その主が判別でき、力が抜けた。
「ワ、ワット……?」
「……シャルロットか?」
見知った人物だと分かると、シャルロットは胸をなでおろした。
「びっくりした!もう……!」
「こっちのセリフだぜ。お前こそ、明かりも持たねぇで何してんだ」
呆れたような声に、シャルロットは初めて気が付いた。言われてみればこんな暗がりの中、住み慣れた砂の宮殿ではあるまいし、知らない城の廊下で明かりも持たずに水場に行こうなんて、ずいぶんと間の抜けた行動ではないか。しかしそれは、目の前の相手にも言えることだ。
「ワットだって持ってないじゃない」
「俺は夜目が利くんだよ」
ぬけぬけと言うその顔を、「ふぅん」と疑わしく見つめる。こんなにそばにいるのに、表情すら良く見えない。
「水でも飲もうかと思ってさ。全然眠れねぇから……」
「私も!豪華すぎるのが性に合わないみたい」
意外なところで見つかった仲間に、シャルロットは思わず嬉しくなった。「俺もだな」と、ワットが笑う。
――そういえば。こんな風に二人で笑うのは久しぶりだったかもしれない。シャルロットはわずかに胸につかえてたものがするりと落ちた気がした。
(……何だ、私いつもどおり喋れるじゃない)