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同じ天の下  作者: コトリ
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第17話『変化』-4




 翌朝、世話になった夫婦に充分に礼をすませ、ニースが手配した船の出向時間に合わせて家を出た。ベッドの下にこっそり忍ばせた金貨に夫婦が気がつくのは、何日後になるだろうか。

わりぃな」

「いいってことよ」

 クルーが、自力では満足に歩ききれないワットに肩を貸した。右脇腹をかばって歩くワットは、それに重心がかかるたびに目を細めている。血にまみれてしまった服は着れなくなり、元々他の持ち合わせのなかったワットは、シャルロットとニースが買出しで買った服を着ることになった。金髪に青い目、色の白い人種の多い風の王国の住民に似合うように作られた服は、茶の髪と目、日に焼けた肌には浮いて見える。

 船着場に向かうまで、シャルロットはワットとクルーと一緒に一番後ろを歩いた。朝が早いだけあって、周囲はまだ静かだった。ニースを先頭にいつになく会話が少ない中で、前を歩くパスですら、いつになく大人しい。

「今日は静かね、調子でも悪いの?」

 メレイが言っても、はっと我に返ったように「べ、別に」と呟く。それも、その瞬間だけのことだ。そんなパスが、気にならないわけもなかった。しかし今のシャルロットにとっては、他に考える事が多すぎた。

 自身の変化――。それが、気にならないわけがない。心に落とされた一点の染みは、気を抜けば一瞬で波紋のごとく広がり、心を埋め尽くすだろう。しかし今は、それよりも目の前のワットが心配だ。

 この旅で一緒にいて、わかった事があった。何の強がりか知らないが、ワットはまったくと言っていいほど他人に弱みを見せないのだ。いつもひょうひょうとして、こちらが心配を見せても、簡単に受け流されてしまう。それだけに、こちらの心配が増している事も知らないで。

(しっかり見張っておかなくちゃ)

 また、無茶をせぬように。出発が決まったときから、シャルロットはそう心に固く決めていた。

 船着場で感じる風は、とても穏やかだった。人も少なく、船も少ない。聞けば、漁船はもっと早くに出るので今は出払っているらしい。

「あの船か?」

 港に停泊している唯一の船を見て、ワットが言った。見栄えもいい中型の船だが、乗れても三十人前後程度だろうか。

「ちょっとワリィ」

 突然、クルーがワットをシャルロットに任せて少し離れて先を行くニースを追った。

「どうしたんだろ……」

首を傾げるシャルロットに、ワットは「さあ」とそれを目で追っている。

 ニースに追いついた途端、クルーはその前に回りこみ、顔の前で勢いよく手を合わせた。

「頼みがある!」

 船の足元で船員と金の受け渡しを行っていたニースと隣のパスが、その視線のままクルーを振り返った。「何だ?」と返すニースに、クルーが軽く唇を噛んだ。

「俺を水の国まで一緒に連れて行ってくれ」

「はぁー!?」

眉一つ動かさなかったニースに代わり、パスが驚きで声を上げた。

「あっちの港まででいいんだ、頼む!」

 さらに、手を合わせたまま頭を下げる。「何言ってんだよ!」と叫ぶパスに対し、ニースは同じ顔のまま重く息を漏らした。

「……そんな事だろうと思った」

 呟く声に、クルーが「え?」と顔をあげた。その目が合うと、ニースの視線はパスへと移る。

「全員、似たようについてきたんだ。そういう雰囲気なら、もう予測できる」

 大いに心当たりのあるパスが、目を泳がせる。

「理由によるな。なぜあっちに行きたい?」

 クルーが神妙なおもむきで顔を上げる頃、シャルロットとワット、メレイはようやくそれに追いつき、何事かと足を止めた。

「……古い友人がいる」

 ゆっくりと、クルーが海の向こうの何も見えない水の王国の方角を見つめた。「友人?」とニースが片眉をあげる。

「妹みたいなもんだ。会えるチャンスは……滅多にない。最後に会ったのも十年以上も前だし……、会いたいんだ。あいつが、今どうしているのか知りたい」

「居場所は?分かっているのか?」

 もちろん、と答えるクルーの顔を、シャルロット達は意味も分からずニースと交互に見つめた。

「……クルー?」

 シャルロットが呼びかけても、クルーはニースから目を離さなかった。「金は?」と、ニースが続ける。 

「それくらいの金はある。……頼む」

 こんなに真剣なクルーの目を、シャルロットは初めて見た。

確かに考えれば不思議な事だ。ほとんど初対面のシャルロット達に対して観光スポットへ連れて行ったり、一本道の町への道案内を買って出たり。クルーは一緒に水の王国に行きたかったのか。

 その真剣な眼差しに、ニースが「……理由は?」と息をついた。

「出国に許可が降りない理由。そんなに行きたいのなら、一人でも出国する努力はしてるんだろう?わざわざ俺達と一緒に行く必要も無い」

 ニースの言葉に、クルーが一瞬目をそらした。それはおそらく、全員が見逃さなかっただろう。わずかな沈黙の後、ニースの顔を見てから、クルーは視線を落とした。

「俺の家って……かなりいい家なんだよな」

 唐突に飛んだ話に、パスが「え、自慢?」と小声で突っ込む。

「俺がフラフラしてんのが気に入らないんだろ。父親がそういうのに顔が利いてさ、……出国停止を食らってる」

「出国停止……!?」

 思わず、シャルロットは目を見開いた。その目はそのままニースに向く。そんな人間を、一緒に連れて行くわけにはいかないだろう。

「その友人は、今どこに?」

 シャルロットの想いとは裏腹に、まるで考慮を見せるようにニースが言った。

「……王都。ノマラン・ラナ」

 その目を見つめ、クルーが返す。――ノマラン・ラナ。シャルロットの記憶が正しければ、水の王国の王都の名だ。昨日、ニースが話していた。

「頼む」

「……別に、断りはしないが」

「え……!?」

 ニースの言葉に、シャルロットとパスが同時に声を上げた。クルーはその大きな目を、さらに大きくさせてニースを見た。

「い、いいのか……?」

「君には世話になった。……ジラウォーグに顔が利くというのも、本当だったようだし」

 わずか笑んだ口元で、ニースがクルーを見返した。それについては、シャルロットも思い当たる事がある。ニースと二人でワットの薬を買うために薬局を訪れた際、店主はそれを理由にだいぶ値引きをしてくれたのだ。

「目的を果たして早々に帰ると約束できるというなら、かまわないよ。だが、俺達と一緒にいて、危険な目に合わないという保証がない事は、分かっているな?」

 ニースの言葉に、クルーの顔はみるみる明るくなり、「サンキュー!恩にきるぜ!」と、その手でニースの背を叩いた。

「いままで俺一人じゃどうしても出国できなくてな!」

「確かに、この人数ならいい隠れみのだな」

 ワットが加えて言った。

「いいのか?またあいつらがちょっかい出してくるかもしれねーぜ?」

「そうしたら、また隠れさせてもらうさ」

 クルーは笑って、再びワットの腕を自分の肩に回した。「さぁ、出発出発」と、歩き出し、クルーは口を開けて立っているパスの頭に巻かれたバンダナを取った。おい、とパスがそのあとを追う。

「船乗るまでだって、顔隠すから」

 その背を目で追いながら、シャルロットはニースを見上げた。

「いいんですか……?その……出国停止って結構マズいんじゃ……」

「正直にそれを語るほど、会いたい人がいるんだろう。……分からないわけでもない」

 静かに付け加えたニースの顔を、シャルロットはぽかんと見つめた。「それに」と、荷を背負いなおしてニースは歩き出した。

「そういう連れを抱えるのは初めてじゃないからな」

 シャルロットが「え?」と言う前に、ニースは行ってしまった。残ったメレイの視線が、ニースの背を追っている。 

「……言うようになったじゃない、あいつも」

 その口元は、ニースと同じように笑っていた。

 ――いよいよ、砂の王国につながる『西の大陸』を離れ、水の王国が存在する『北の大陸』へと移るのだ。いつの間にかこんなにも故郷から離れてしまった事を、シャルロットは何とも切なく感じ、胸を押さえた。

「行ってくるね、……お兄ちゃん」

 小さく振り返り、シャルロットはメレイの背を追って船に向かった。




 船内には大きな部屋が一つあり、シャルロット達も含め、他の乗客達もそこで時間をつぶしていた。そのほとんどは商人達や、わけありげな旅人だ。合わせても、せいぜい二十人前後だろう。

 ジラウォーグの港町、そしてその大陸が水平線の向こうに消えた頃、外はすっかり暗くなり、穏やかな水面にはその輝くような半月が映し出された。

 そんな美しい風景に気が付かないほど、シャルロットは他の事で頭がいっぱいだった。――だいたい、出国停止のクルーを一緒に連れて大丈夫なのだろうか。もちろん、クルーの事は好きだし、ムードメーカーになるほどによく喋る彼が一緒にいるのは楽しい。しかしそれがばれれたらと思うと、シャルロットは乗船の時から気が気でなかった。そして、ニースを狙ったあの男達の事。自分の体の事、そして、ワットへの気持ち――。

「君達二人だけで船旅?こっちに来て一緒に話さない?」

 ――ちょっと待て。それが視界に入ると同時に、シャルロットの心の声が口から漏れかけた。

 いつの間にかシャルロット達の輪から外れていたワットは、付近にいた若い姉妹と思われる二人組に話しかけていた。茶色いふわふわした髪に、色が白く、青い目。二人ともシャルロットと同い年くらいだろうか、一目で姉妹とわかる顔立ちだ。

「い、いえ。……結構です」

 姉の方が、驚きに目をまたたかかせながら答えた。

「そ。じゃあ俺もこっちにいようかな。こっちの連中は暗くて暗くて君達みたいな明るい……いてッ!」

「何やってんのよこのバカ!」

 慌てて、シャルロットはワットのわき腹を触った。怪我のそれは触れるだけで痛がる事は知っている。

「暗くて悪かったわね……怪我人のナンパ男よりマシでしょ!」

 姉妹に謝ると、二人は口を挟むまもなく、ぽかんとしていた。結局、その後も隣の彼女達とチラホラと話していると、2人もシャルロット達の輪に加わっていた。聞けば、二人は水の王国の城、ノマラン・ラナで働いているらしい。つまり、シャルロットと同じく王家の使用人なのだ。

「ジラウォーグで働いている兄に会ってきたところなんです。兄は結婚して、風の国に移ってしまって……。こうして時々二人で会いに行くんです」

「あんた達みたいな子が二人で船旅なんて、無用心ね」

 メレイの言葉に、パスが自分はどうなんだ、と言わんばかりの顔でそれを見返した。その後を考え、それは口にはしないことにする。

「でも風と水は、治安が良いことで有名ですから。しょっちゅう行ってますけど、まったく問題ありませんわ」

「それより私、王宮に戻るのが楽しみ!」

 姉妹が続けてはしゃぎたてた。その様子に、「働くのがか?」とワットが笑う。ワットにしてみれば、それは信じられないことらしい。そんな事は露知らず、妹の方が「はい」と笑顔で答えた。

「……偉い」

 その無邪気な笑顔に、シャルロットはしみじみと息が漏れた。働くのは嫌いじゃないが、苦労とそれは話が別だ。手を合わせ、妹が続ける。

「女王様がとっても良い方で、私達みたいな使用人にもとても親切にお声をかけてくださるの!」

「へぇ、水の女王ね。どんな人?」

 メレイの言葉に、姉が「まぁ!」と身を乗り出した。

「あなたルビー様をご存知ないの?とーってもお美しい方なのよ!」

 本当に透き通るような、と続ける姉から顔をそらし、メレイが後ろで本を読むニースを振り返った。

「水の王国で会うのはそのルビー様ってことかしら」

 ニースは本から顔も上げずに「ああ」と返事をした。

「水はルビー女王が納める国だ。確か…今年で十六になると聞いている」

「十六!?」

 ワットとシャルロット、メレイが揃って声を上げた。

「女王様よね!?国を治めてるのよね?!」

 思わず隣のワットの袖を引く。

「私よりも年下……!信じらんない!」

ひたすら驚くシャルロットと違い、メレイのそれはすぐ引っ込んだようだ。「水の王国の前王は?」と、姉に顔を向けた。

「前の国王様はルビー様のお父様で……半年ほど前にお亡くなりになられました。ルビー様のお母様はご出産の際に既にお亡くなりになられてますので、そのまま唯一血を引いていらっしゃるルビー様が十五歳で王位を継承したんです」

へぇ、とワットが漏らした。

 話の最中、ニースの隣で、パスはずっと黙ったまま一人でパンをかじっていた。




 シャルロット達が船内で眠りについた頃、ワットは一人甲板にいた。多少冷える夜風に当たれば、ますます目が覚める事はわかっている。それでも、傷が痛むワットが眠れるはずも無かった。甲板のベンチに寝そべり、脇腹に触った。まだ、痛みが走る。――強がるもんじゃねぇな。

 自分の行動、心配されるとつい強がってみせてしまう性格が、くだらなすぎて笑いが漏れる。

「お、オッス」

 ふいに声をかけられ、ワットは何気なく顔を上げた。パスが、一人でそこに立っていた。

「……どうした?」

「ね、寝れなくてさ……」

 機嫌を伺うようなパスの顔に、ワットは「ふぅん」と再び空を見上げた。澄んだ夜空には星々が輝き、美しかった半月は頂上からその役目を終えようと下り始めている。

「早めに寝とけよ」

 そう言って、目を閉じる。しかし、足音のしない後ろに、ワットは再び振り返った。

「何だ?」

まだ用か、と尋ねたワットに、パスは「い、いや、その」と口ごもった。

「何だよ」

 用があるならさっさと言えと言わんばかりに眉をひそめる。突然、パスが弾けたように顔を上げた。

「オレに稽古をつけてくれ!」

 思わぬ一言に、ワットは一瞬目をまたたいただけで言葉が出なかった。

「……あ?」

「頼む!一生のお願いだ!」

 パスが顔の前で両手を合わせる。あまりにも予想外の言葉に、ワットは思わず笑いをこぼした。

「な、何言ってんだよお前。だいたい稽古って……」

 言葉の途中で、それは止まった。自分を見つめるパスの目が、あまりに真剣だったからだ。それこそ、そんな目を見るのは初めてなほどに。

「戦い方を教えて欲しい!今のオレじゃあ、……お前らの足を引っ張るだけだ。オレも、戦力の一人に数えられるように……なりたい」

 だんだんと、うつむくと共に消え入る声に変わっていく。

「……ニースが言ったこと、気にしてんのか?」

 子供・・と言われた事が。「……そうじゃない」とパスが続けた。

「今までも、それにあいつらに襲われた時も……、オレは守られてるだけだった」

 静かな海が波打つ音が甲板に響く。その沈黙に、ワットは息をついた。

「いいんじゃねーか、ガキは守られてれば。それに俺は誰かに稽古なんてつけたことねーし、教えるならニースの方がよっぽど……」

「これ以上ニースに迷惑かけたくねーんだ!だから怪我が治ってからでいい!頼む!」

 手を合わせて頭を下げるパスを、ワットは見返すしかなかった。同時に、頭で分かった事もある。このところ妙に静かだったのは、これを考えていたからだったのか。普段うるさいほどに騒いでいるパスがあそこまで静かだった事には、当然ワットも気がついていた。ただ、そこに感心が無かっただけで。

 ワットの口元にかすかに笑みが浮かんだ。

「……そこまで言うなら、いいぜ、やってやっても」

「ホ、ホントか!?」

 弾けるように、明るい顔でパスが顔を上げた。その頭に手を伸ばし、ワットはぐしゃぐしゃと撫でた。勢いが手伝い、パスの頭がぐらぐらと揺れる。

「お前のいうとおり、こっちが治ってからだけどな」

「ああ、いいさ!頼むぜ!」

「言っておくが俺は甘くねぇぜ。……後悔すんなよ」

 ワットの言葉に、パスはこぶしを握って「よっしゃ!」と飛び跳ねた。

「やった!じゃあオレは寝るから!」

 スッキリと晴れた顔つきで手を振り、パスはいつもの明るさで船内に戻っていった。そのドアが閉まると、ワットは再びベンチに背をつけ、空を仰いだ。――あんなガキでも、いろいろ考えてんだな。

 いつもなら軽く跳ね除けるような申し出を、すんなり受け入れている自分が可笑おかしく感じた。わずかに、口元が緩む。――分からなくもない。そう、強くなりたいと願うパスの気持ちが。

 その必死な姿が、昔の自分と重なったから。



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