第17話『変化』-1
「部屋をお借りしたい!それとすぐに医者を呼んでくれませんか!」
ワットを背負ったまま、その血を体に染み込ませながら、ニースが民家に飛び込んだ。
風神の東門からは、既に町に戻るより港の方が近かった。出血で気を失ったワットをニースが背負い、シャルロット達は大急ぎで港へ下った。港の入り口に一番近い民家に飛び込むと、中でくつろいでいた中年の主婦は驚きと、血だらけのワットを見て卒倒しかけたが、迷わず全員を家に上げてくれた。
「早くベッドへ!あんた、お医者様を!」
彼女の言葉に命じられ、一緒にくつろいでいたらしい主人が転がるように家を飛び出していった。
シャルロットはまったく周りが見えなかった。少しでもワットの出血を抑えたくて、布でその傷口をずっと直接押さえた。
狭い民家の二階の一室、寝室らしき部屋のベッドに、ワットが寝かされた。息を荒げてはいるが、今はかすかに意識がある。しかし、何より痛みが酷いようでワット自身も周りが見えていなかった。シャルロットは涙が止まらなかった。
「ワット……ワット……!」
繰り返し名を呼んでも、ワットには聞こえていない。部屋に入って十分もしないうちに、家の主人が町の老医師を連れて転がるように戻ってきた。老医師はワットに傷を見るなり、その細い目を大きく見開いた。
「こりゃあ酷い!こんな間隔で傷を負うなんて、一体何に襲われたんだ……!腹をえぐられなかったのがせめてもの救いじゃな……」
老医師が傷に触ると、ワットが痛みで体に力を入れた。その腕を取り、老医師はかばんから取り出した注射に薬品を注入し、それを打った。
「これで痛みは治まる。……もう少しの辛抱じゃ」
老医師の言葉も、まだ痛みが残っているワットには意味がない。
「ワット!しっかりして!」
老医師の反対側のベッドの脇から、シャルロットはワットの顔を覗き込んだ。しかし、その目に捕らえられた瞬間、苦痛にうめくワットの顔が、怒りに代わった。
「……おい!」
途端に体を起き上がらせ、ワットが怒鳴った。
「分かってんのか!一歩間違えたら死んでたんだぞ!なんで逃げなかった!」
突然の事に、シャルロットは言葉が詰まった。「だ、だって……!」うろたえるも、ワットの鋭い目に体が萎縮する。
「兄ちゃん!落ち着くんだ、出血が酷くなる!」
老医師がワットの体を押さえつけ、ベッドに戻す。しかし、それはワットの視界には入っていなかった。
「だってじゃねぇ!あんなことは二度とすんな!わかったな!」
部屋に響く怒声に、シャルロットはやっとの想いで喉の奥から言葉を搾り出した。
「な、何よ!そんなこと言うなら……!」
「嬢ちゃん!」
老医師に怒鳴られ、シャルロットは言葉が止まった。
「治療の邪魔するなら出てっとくれ!」
口をつぐんだシャルロットを、ワットはまだ睨んでいた。しかし、一瞬静まり返ったその部屋で、痛み止めが効き始めたと同時に眠気が襲ってきたのか、ワットは老医師に促され、そのまま眠りについた。
――涙が出そうだった。老医師により静かな治療が続く中、シャルロットはベッドから下がり、黙って待っていることしかできなかった。
寝室に、パスが戻ってきた。大部分に血が付着した服から着替えたものの、うつむいたまま、いつもの元気は影すらも見られない。沈黙を守る室内で、ワットは変わらず老医師の治療を受けていた。――あれから二時間。
シャルロットとクルーはベッド脇に椅子を置き、隣のテーブルにはニース、部屋の隅にはメレイが腕を組んで立っている。
パスはニースと一緒にテーブルについた。
「……どう?」
「応急処置はあらかた終わったようだ。……命に別状はないらしい。早期の対応が幸いした」
「幸い……?!」
ニースの言葉に、クルーが立ち上がった。いつもの笑顔は欠片もなく、眉間にしわを寄せてニースを睨んだ。
「だいたい何でお前らあんなやつらとやり合ってたんだよ!一歩間違えればこいつ死んでたんだぞ!」
「そこのお兄さん、騒がないで下さいな。患者さんに悪い影響だよ」
老医師が治療を進めながら呟いた。さすがに集中にも疲れが出始めたのか、視線も上げない。
「……すいません」
まだ言い足りない様子のクルーも、静かに眠るワットに視線を落とすと、再び黙って椅子に座った。この家についた時に比べれば、汗も引き、呼吸も落ち着いている。まるでただ静かに眠っているかのようだ。ニースがテーブルに肘をついたまま、片方の手のひらを顔につけた。
「……やつらはの狙いは俺だった。あの男がそう言った」
ニースの詰まるような声に、シャルロットは顔を向けた。ニースのこんな声を、今まで聞いたことがない。
「だが……あの少女はワットを殺そうとした。俺だけならまだしも、皆を危険にさらすなんて……!」
自分を責めるように、ニースがこぶしを強く握った。その想いが痛々しく思え、シャルロットは目をそらした。
「……あのガキ、只者じゃなかった」
部屋の隅で腕を組んで立っていたメレイが口を挟んだ。
「あの攻撃、それに速さ。ガキとはいえやり合っている間、ほとんど隙がなかった。あんな奴相手によくワットも二人を気遣いながら戦ってたわ」
メレイの言葉に、シャルロットはワットの手を握る手に力が入った。――あそこに自分達がいなければ。自分達をかばって戦ったワットが、ここまでの怪我を負う事はなかったかもしれない。
(……ワット)
「五千万ゴールドの賞金首か……。少女でも、さすがルジューエル賊団の幹部というわけだな」
「何ですって!?」
ニースの言葉に、メレイが組んだ腕をほどいて声を荒げた。思わず、シャルロット達は顔を上げた。「……ルジューエル賊団?」メレイが信じがたい事実を聞くかのように、目を見開いた。騒ぎで、言われて見ればクルーとメレイにはそれを伝えていなかった。
「ああ、奴らは名乗らなかったが、少女の方はシンナ=イーヴ。……昨日聞いたばかりの賞金首の少女だ。おそらく男も団員の一人だろう。そしてあの二人がデイカーリの古城でシャルロットを誘拐した主犯だ」
「……あいつらがルジューエルの団員……!」
「お嬢さんも、騒ぐなら部屋の外へ行ってくんな」
背後で口走るメレイに、いい加減にしなさいとばかりに老医師が言った。それを耳に入れず、メレイがヒールの音を立ててニースの目の前のテーブルを手のひらで叩いた。
「男の方はどんな奴だった!?」
「メレイ!?」
シャルロットは思わず立ち上がった。今はそんな話をしている場合ではない。メレイの後方から老医師がこちらを睨んだ事に気がつき、ニースはメレイの腕を掴んだ。
「ニース!男は……ちょっと!」
言葉の途中で、ニースは黙ってメレイの腕を引き、パスの横を通り過ぎてそのまま寝室を出た。
シャルロットとパスは言葉を挟む隙もなかったが、クルーと老医師は当然の判断だ、という顔で口を挟むそぶりも見せなかった。
「どうしたっていうんだ、急に」
狭い廊下でニースが振り返ると、メレイは顔をそむけて手を振り払った。そして――。
その手を思いっきり廊下の壁に叩きつけた。廊下の外からの音に、シャルロット達は思わず顔を上げるほどだった。
明らかな異変に、ニースはその背に声をかけられなかった。――数秒の静寂。
「……ごめん、気にしないで」
小さく呟くと、メレイはそのまま顔も向けずに廊下の先の階段を降りていった。
民家の夫婦の好意で、治療中はずっとワットの為に部屋を貸してもらえる事になった。老医師の治療は深夜にまでおよび、その長い夜、シャルロット達は誰も眠りにつくことはなかった。
翌朝には、ワットの治療も終わり、シャルロット達は次第に冷静さを取り戻し始めた。それでも、誰にもいつものような気力はない。同じように、ワットも薬によって静かに眠っていた。
民家の夫婦は部屋を貸す事に嫌な顔一つ見せなかった。その上、頼みもせずに全員分の食事まで用意してくれた。頭の上がらない親切に、ニースがお礼の金貨を渡したが、夫婦はそれも受け取らなかった。仕方なく、ニースはそれをこっそりベッドの脇に忍ばせておいた。
全てを終えた老医師は帰宅の間際、一晩中眠らなかったシャルロット達にも休養をとるように言い渡し、民家を出て行った。
当然、誰も休もうなどという気にもなれなかったが、「付き添いも一人まで」と宣告されており、仕方なくニースの提案で、付添い人以外は休むことに決めた。一番最初にメレイがそれに同意した。その間、シャルロット達は一階の居間で仮眠をとることになった。
本当はワットのいる寝室で休みたかったが、老医師の忠告にわざと背くわけにもいかない。
「……メレイの奴、どうしたんだろうな。あいつがあんな怒ったの、初めて見た」
ソファに転がり、天井を仰いだパスが呟いた。最初の付添い人になったメレイは、今この一階にはいない。防寒対策に暖炉の火が焚かれ、シャルロット達は荷から毛布を引っ張り出してそれを羽織った。気がつけば、港町は少し冷える。
「ワットがあんな怪我させられたんだ、当然だろ。いくら悪名高い奴らだっていっても……こんなのってないぜ」
クルーがテーブルに伏せながら、その腕にあごをのせた。ソファに寝転がっていたシャルロットはそんな話も耳から耳に流れるほど、二階が気になって仕方がなかった。――ワットはもう目が覚めただろうか。
メレイが看病していると分かっていても、どうにも落ち着かない。寝る前にもう一度くらい様子を見てもいいのではないか?
シャルロットはソファから起き上がった。それに気がつき、椅子に座っていたニースが「どうした?」と顔をあげた。
「二階……行ってます……!」
誰とも目を合わせず、シャルロットは小走りに二階へと向かった。
「……ずりーぞ、あいつ。ワットはメレイが見てんだろ?」
いいなら自分も行きたい、と言わんばかりにパスがニースに言った。しかし、返事をしないニースから、パスはそれは無理そうだと思った。ニースは既に姿の見えなくなったシャルロットの登った階段へと目を向けた。――あの状況で、自分のせいだと思わなければいいが。
あの時、周りが見えなくなるほどに一番取り乱していたのはシャルロットだった。両手を握り、ニースは顔を伏せた。
彼らが狙っていたのは、間違いなく自分だ。国での立場を考えれば、ニースにはいくらでも思い当たる事があった。しかし――。
(……彼らと関わった事など、一度もないというのに)
――悪名高いルジューエル賊団。彼らが自分を付け狙う理由が、ニースにはどうしても分からなかった。