第16話『真昼の暗殺者達』-4
「来るなパス!!」
ワットの怒声に、パスは思わず足が止まった。同時に、シンナがパスを見据えて笑った。玉を掴んだその手をパスの方角に向ける。それを見て、ワットはシンナの標的かが誰か判断した。考えるよりも先の行動だ。ワットの足は、パスに向かって走っていた。
シンナと目が合うと、パスは動けなかった。ワットの方がシャルロットよりパスから離れていたが、それよりも先にその手はパスを掴んだ。シンナが外側に腕を振った瞬間、ワットはパスに覆いかぶさるようにして倒れこんだ。
パスはヌンチャクが手から離れ、倒れこむときに、それが空中で不自然に止まったのを見た。
倒れこんだ二人に、シャルロットは両手をついて駆け寄った。
「パス!ワット!!」
「バカ野郎…!ガキは引っ込んでろ……っ!」
空中に舞ったパスのヌンチャクはロープが切れ、既に地面に落ちている。パスの上で顔を伏せたまま、ワットは咳き込んだ。倒された衝撃で背中を打っていたパスは、「……イテテ」と背を押さえつつ顔をあげた。
しかしその瞬間、パスは異変を感じた。何か濡れたものが、自分の手についている。それに気がついた時、シャルロットは全身に悪寒が走った。目を見張り、悲鳴に近い声が漏れた。
「ワット!!」
ワットの右脇腹から足にかけて、服の色が真っ赤に染まるまでに血がにじみ出ていた。パスの手に触れていた生暖かいものは、ワットの血だ。あまりの衝撃に、パスは自分の体とその手についた赤黒い血が以外、何も見えなくなった。
「…っぅああーっ!」
声にならない悲鳴が響いた。目を見開いて手のひらを広げたまま、パスは動けていない。ワットが手を地面につけながらゆっくりと起きあがり、パスの上からどいた。腹から、水をこぼしたように血が滴り落ちている。足元はふらつき、しっかり立つことすらできていない。しかし、その鋭い目はシンナ以外を見ていなかった。
「ワット!!」
シャルロットはワットを支えようと手を伸ばしたが、その腕につき返された。いつものように、穏やかな力ではない。
「お前らは行け!ここから離れてろ!」
「そんなの嫌!!」
できるわけがない。その力によろけながらも、シャルロットはワットの腕を掴んだ。大事な人が血だらけで戦っているのを、黙って見ていられるわけがないではないか。
「あっちは佳境だな」
ニースと剣を交えながら、男が楽しげに笑った。
「あいつじゃシンナにゃかなわねぇ。お前がいつまでも本気で撃ち込んでこなけりゃこっちだって勝負はつかねぇぜ」
言われなくても、向こうの状況はニースには分かっている。そう、防戦だけではきりがない――。剣の柄を硬く握り、力を込めた。
――神経を研ぎ澄ませ。
「……お?」
交えた剣が、わずかに重くなった。男はニースの変化に気がついた。その切れ長の目が、皿に鋭く変化し、自分しか捕らえなくなった事を。
「望み通りにしてやる。今すぐお前を叩き伏せ、あの少女を捕らえよう」
突然、合わせていた剣が、ニースによって勢いよく弾かれた。
「……クッ!」
男はとっさに体勢を戻したものの、ニ撃、三撃、打って変わった激しい攻めに、後ろに押されて防戦に入った。
満身創痍のワットを眺め、シンナは既に勝負がついたことを分かっているのか、ゆっくりと歩いてきた。引き換え、ワットはシャルロットに支えられてたっているのがやっとだ。シンナを激しく睨んでも、意識を支えているのはその気力だけだろう。背後で尻餅をついたままのパスは、手のひらの血を見つめたまま未だに放心している。
シャルロットはどうしていいのか分からなかった。だが、ワットが戦える状態ではないことだけは分かる。シンナの顔には、ワットと戦い始める前と同じ笑顔が浮かんでいる。その笑顔に、戦慄さえ覚えた。――なんて少女だ。この状況で、顔色一つ変えないなんて。
「もう終わりだね」
「……クソガキが!」
舌打ちするワットをよそに、チェックメイト、と言わんばかりにシンナが頭上に腕をあげた。
「だめっ!」
――反射的なものだった。シャルロットはワットを抱きしめてシンナに背を向け、その間に立ちふさがった。
シンナが腕を振り下ろした瞬間、ワットは意識が覚醒した。無理矢理シャルロットの腕を押しのけ、シャルロットを抱いたまま、その場に倒れこんだ。しかし、それを確認する前に、シンナは振り下ろしかけた腕を、鋭く自分の真横に振った。
シンナの横顔に向かって、何かが細いものが飛んできたのだ。それを防ぐために、シンナの攻撃はシャルロット達には飛んでこなかった。シンナが振り向くと同時に、その目前まで迫っていた矢は二本、音を立てて砕かれた。
地面に倒れたまま、ワットの肩越しにそれが見えた。思わず、シンナと同じ方向に視線がいった。町の入り口の方面――。しかし、そこにあるのは木々だけで、誰もいない。シンナが表情も変えずにそれをじっと見つめると、またすぐに矢が飛んできた。シンナは一瞬身をかがめ、そこから人間とは思えない身軽さで、付近の木の枝に飛びついた。そのままそこに足を乗せようとするも――。
そこを狙った矢によって、シンナは手を離して地面に着地した。顔を上げて立ち上がり、頬を膨らませている。
「誰よぉ、邪魔すんの!」
その視線は、町の入り口方面にある一本の木にしぼられていた。「そこだなー」と、シンナが腕を振った瞬間、激しい轟音と共にその視線の先の木が倒れた。
「うわっ!!あっぶねーな!」
ほぼ同時に、転がるように木陰から飛び出してきたのはクルーだった。手には、いつも背にかけていた小さな弓と矢が握られている。
「クルー!?」
ニースが思わず声を上げた。額に手をかざし、クルーは入ってはいけない空間に、入ってしまったような苦笑いを振りまいた。
「よ、よう!何か大変な事になってるな!」
あまり戦力には見えないクルーを眼中にもいれず、男はニースと戦いを続けた。しかし、クルーに視線を向けていたシンナは、一瞬、その異変を感じ取った。
ガッ!!
シンナが横に転がるように避けるのと同時に、その背のあった場所に剣が振り下ろされた。その頭上――木の上に潜んだメレイが、その真後ろに降り立ったのだ。
「メレイ!」
「あんたの相手は私がするわ!」
着地と同時に「おっとっと!」とシンナが体勢を立て直すも、即座にメレイが剣を打ち込んだ。
「ワットをあそこまでするなんて、ただのガキじゃなさそうね!」
「ひゃっ!」
慌てて身をひねり、シンナは転がるように跳ねながら剣を避けた。メレイの攻撃が速く鋭いものにも関わらず、体勢を立て直し始めたシンナは確実に身を翻し、それをかわした。
「そうだわ…、あの子が腕を振れなければ……」
きっと攻撃は飛んでこない。メレイは、そういう戦い方をしている。
「わぁっとっと!」
隙をつかせない猛攻に、シンナは確実に押されていた。一方、男も攻撃に転じたニースの勢いについていけなくなり始め、表情の笑みが消えている。ニースの剣で、既に腕と肩に一閃ずつ、傷が入っていた。
「くそっ!!」
唇を噛み、男は剣を勢いよく弾いてニースと間合いをとった。安全な距離を確保してから、メレイの猛攻を舞うように避けているシンナをに怒鳴った。
短い言葉だ。しかし、それはシャルロット達には理解できなかった。――異国の言葉。シンナが男を振り返った瞬間、メレイがシンナの隙をついた。
「よそ見なんて余裕じゃない!!」
シンナの肩を狙って剣を突いたが、それはシンナの視界に入っていた。顔を戻す前に体を倒してそれを避け、シンナは玉を持った手を伸ばしきったメレイの腕と平行に伸ばした。
その途端、そこから血が飛び出した。一瞬、メレイにはどちらの血か分からなかった。しかし直後、自分の腕に痛みが走った。思わず歪んだ顔でその腕を引き、押さえる。いつの間にか、シンナの手の玉から、長くて太い針が1本飛び出ていた。――仕込針!
それを睨みながらも、メレイは血の伝う腕を押さえた。
「このガキ……!!」
べえ、と舌を出し、シンナはそのまま飛び上がるように宙を舞い、メレイと間合いをとった。メレイは腕の傷を確認した。――傷は浅い。攻撃にとって、問題ですらない。しかし、メレイが目を離したその一瞬、シンナが袖口から小さな丸い飴のような玉を出したのを、シャルロットは見逃さなかった。
「メレイ!!」
シャルロットの声で、メレイは顔を上げた。しかし、シンナの手からは既にそれがメレイに向かって投げつけられていた。その瞬間にメレイができたことといえば、顔面を防ぐ事ぐらいだった。
それはメレイに触れる前に、ものすごい勢いで煙を噴きだし、分散した。
「何!?」
ニースも思わず気を取られた。メレイ達のいた方角が煙に包まれ、何も見えていない。
「メレイ!」
ニースが顔を向けて叫んだ隙を男は逃さなかった。
カツン!!
足元の小さな音に気を取られるのと同時に、ニースの周囲も煙に包まれた。
(煙幕!)
「何だこれ!」
突然視界が煙にまかれ、クルーはその場に立ちつくした。その声が耳に届きつつも、シャルロットにはどうすることもできなかった。ただ、ワットに抱かれたまま、その腕を強く握った。
しかし、その煙の勢いはわずかなものだった。すぐに薄れ始めたそれに、メレイは鋭く周囲に目を走らせ、小さく舌を打った。
「……逃げたわね。皆、もう大丈夫よ!」
背に音を立てて剣を収め、メレイは全員に聞こえる声を張った。その声に、シャルロットは顔を上げた。いつのまにか、野原にいるのは自分達だけになっている。男も、シンナの姿もなかった。ニースは腰に剣を収めた。息が上がり、戦いに集中しすぎていたのか、いつのまにか足から血にじんでいる。
シャルロットは息をついた。――なぜだかわからないが、彼らは去ったようだ。
ふいに、シャルロットは腕の中に違和感を感じた。徐々に、ワットが重く感じるようになる。
「ワット……?……ワット!!」
シャルロットに覆いかぶさったまま、ワットの体は完全に力を失った。それを支えきれなくなったシャルロットと一緒に、地面に崩れる。叫んでも、ワットから返事は返ってこなかった。既に、足元はワットの血がいっぱいに広がっていたのだ。