第16話『真昼の暗殺者達』-3
男はニースを観察するだけでワットに目もくれていなかった。口も開かない男を、少女が変わらぬ笑顔で見上げた。
「一気にやっちゃおうよ。兄様にもそう言われてるんでしょ?」
なにやら面倒くさげな声を出す少女を無視して、男がシャルロットに目を向けた。
「それがお前の男か?」
「あんたに関係ないわ!」
男に感じる恐怖に変わりない。しかし、掴んだワットの腕が、強気を保たせた。
「相変わらず良い度胸だな。いいさ、そいつに興味はねぇ」
自信たっぷりの言いぐさで、ワットへ向けた視線をニースに戻す。その手が、背にまっすぐにかかげられた大きな剣の柄を掴んだ。
「オレはあいつと手合わせしてみたかったんだ。東一の剣の使い手と言われる、ダークインとな」
「ユッちゃーん?」
不服を訴える声で少女が顔をしかめた。しかし、男はまったくそれを眼中に入れていない。
「ゾクゾクするぜ……!そうだな、あっちはお前にやる。適当に遊んでやれ」
ニースから目線を話さない男を諦め、少女が仕方なく、といったように頬を膨らませて「あっち」を指すワットに顔を向けた。その視線がゆっくりと、ワットの足から頭までを、まるで遊び相手を見定めるかのように眺める。
「……やってもいいの?」
「問題ないね」
顔を合わせないまま、男が言った。同時に、その背の剣を抜く。――長い剣だ。一瞬で、何もかも切り裂いてしまいそうな、暗い銀色の光を放っている。太陽の光を浴び、そこらの安物ではない事は遠目からも認識できた。男が足を引き、両手で剣を構えた。
シャルロットはそこから目が離せなくなった。男のその姿は、自信たっぷりな笑みを納得させるほどの、強さを予感させる気迫がある。腰の剣に手をかけたニースの後ろで、パスがその腕を掴んだ。
「お、おい大丈夫かよ!あっちの女も普通じゃねぇぜ!さっきの見たろ!?どうすん……」
言葉の途中でニースが剣を抜くと、パスの言葉は途切れた。
「……やむおえん。パスとシャルロットと下がれ」
ニースの目は、まっすぐ男を見据えたままだった。その顔は、普段自分達に向けられるような優しい顔ではない。「ワット」と、ニースが目線を変えずに言った。
「子供の方を頼む。……ただ者ではなさそうだ」
――見りゃ分かる。そう突っ込みたい気分を抑え、ワットは腕についたシャルロットを下がらせた。
「指名じゃ仕方ねぇ。ガキを捕まえとくから、お前はそっちを仕留めろよ」
短刀は抜かず、腰に下げた袋から長いロープを取り出し、両端を持って少女を見据えた。やはり、パスと歳は変わらないだろう。――自分の半分ほどの年齢であろう少女に、短刀は抜けない。だったら、答えは一つだ。力ずくで捕らえるしかない。
「行くぜ!!」
男が声を上げた途端、地面を蹴って一瞬でニースの正面に入り込んだ。
シャルロットは目を見開いた。――速い! ニースと剣を交えると同時に男は体を翻し、二撃、三撃と追撃を放った。その度、ニースがそれを剣で防ぐ。
「ユッちゃんってば。姉様に言いつけちゃおーっと」
正面に立つワットに目もくれず、少女は男とニースの戦い呑気に眺めていた。ワットが一歩一歩距離を詰めても、まるで気に留めていない。少女は両の手首にはめた手のひらほどの銀の玉を片方取り、玉を持った手をワットに向かって振り上げた。不可解な行動に、ワットは一瞬眉をひそめた。しかし同時に、突然目の前に光る粒が数個、飛んでくるのが見えた。
それを避けたのは、反射的な行動だった。
「およ?」
ワットが突然横に飛ぶと、少女が初めてワットに顔を向けた。転がるように体勢を立て直したワットは少女を見上げたが、表情に変化のない少女は、きょとんとしたままその腕を振り戻した。――その瞬間。
突然の背後からの轟音に、ワットを含め、シャルロットとパス、ニースすらも振り返った。
ワットの後方、シャルロット達との間にあった大木が、真っ二つに裂けたのだ。それが唐突に倒れ、その周囲に大きく土ぼこりが上がった。
「きゃあ!」
パスを抱きしめ、シャルロットは思わず悲鳴を上げた。
「な、何だ今の!」
土ぼこりが収まり始める木を見つめたまま、ワットが声を上げた。
「木が勝手に……?」
「あの子がやったの!?」
この場で唯一それを動じていない少女を見て、そう思わずにはいられなかった。少女は変わらぬ笑みで、ワットを見つめた。
一瞬、ワット達に視線を取られたニースに、男が遠慮なく斬り込んだ。
「余裕だな、ダークイン!それともあれに驚いたか?」
男の攻撃は速く重い。――あながち自信過剰な余裕ではない、とニースは感じた。剣を合わせ、ニースは男を睨んだ。
「……貴様ら何者だ!何故俺達を襲う!」
「答える必要はないね。それより本気で打ち込めよ」
男が剣を弾き、数歩下がって体勢を整えなおした。息も上がっていない。
ワットは足を遊ばせながらこちらを見る少女を睨んだ。いつの間にか、わずかに手には汗を握っていた。――この俺が、こんなガキにビビったって? いや、そんな事より――。
「冗談じゃねぇぜ…っ!こいつは…!」
――今のがこの少女の仕業なら。そんな悠長な事は言ってる場合ではない。この少女の手の内を知らずに飛び込むのは、あまりに危険な事ではないか? 目を細めるワットとは対照的に、少女が驚いたように「わあ!」と喜んだ。
「お兄ちゃんすごい!初見で避けられたのって初めて!」
――避けられたのは。その言葉に、ワットは確信した。少女の仕業である事は、間違いないらしい。こんな小さな少女があの大木を――。
喜ぶ少女を無視して、ワットはシャルロットとパスを振り返り、後方の町を指差した。
「お前ら街に戻れ!メレイ達と合流しろ!」
「……わ、わかった!」
シャルロットは何とか声を出して頷くと、呆然としているパスの腕を引き、もと来た道を駆け出した。ここにいては、確実にワット達の足手まといになる。少女の信じがたい攻撃を目にしたシャルロットは、ワットと同じ判断をした。――できるだけ離れたほうがいい。
ワットは少女を見据え、腰の短刀を抜いた。
(……こいつは遠慮してる場合じゃねぇ)
そう思うも、少女に向かって短刀を振ったことなどない。ワットは迷った。直撃は避けたい。
しかし、威嚇でもどこを狙えば――。ワットが迷っている間に、少女がワットに向かって走ってきた。
ワットは舌を打った。――クソ、恨むなよ!
少女が目の前まで迫った瞬間、ワットはその足を狙って本気で短刀を一閃した。――が。
手ごたえのない風を斬る音と共に、少女は足を踏み込んで身を反転させ、ワットの頭上を舞っていた。
「だーめ、逃がさないよ」
しまった――。しかし、それはあまりにも遅い判断だった。少女の狙いは、自分ではなかったのだ。もっと後ろの――。
「シャルロット!!」
ワットの声で、シャルロットとパスは振り返った。空中で少女は手のひらに握った玉を振り下ろし、同時にワットの背後に軽々と着地した。――同時に、再び轟音が響いた。
「きゃあ!!」
「うわぁ!!」
思いもしなかった場所、目前の木が根元から跳ね上がり、シャルロットとパスはその反動で後ろにひっくり返った。
「シャルロット!パス!」
ワットの声に、シャルロットは顔を上げた。気が付けば、倒れた木が進行方向を遮っている。
「……クソっ!何なんだ一体!」
二人が木にぶつからなかったのがせめてもの救いだ。ワットは少女に口走ったが、少女は何事もなかったかのように手に持った玉を上下に遊ばせている。
「お姉ちゃんに逃げられちゃうと困るんだよね。またユッちゃんに怒られちゃう」
パスの手を掴んだまま何とか体を起こし、シャルロットはワット達と町を交互に何度も見た。ニースは変わらず男と攻防を続けている。もう一度逃げても、同じことかもしれない。
少女は再び体をひねり、片腕を外側に振った。同時に、ワットの目の前に細かく光る何かが見えた。
「チッ!またか!」
ワットは体勢を低くして転がり、それを避けた。その拍子に、頭に巻いたバンダナが取れた。しかし、顔をあげると同時にワットは目を見張った。バンダナが、空中で止まっていたのだ。一瞬だったが、少女が腕を引き戻すと同時にそれは音もなく切り裂かれ、はらはらと地に舞い落ちた。――あの手。
(……あいつの手に何かある!)
ワットが次の行動に移る前に、少女が再び腕を振った。しかし、次は光の粒は見えなかった。しかし、その目線から、攻撃がくるのは確実だ。
横に飛び込み、予測できる範囲でそれを避けた。地面に手を付けた事を利用し、地面の小石をできるだけ掴む。足を地に付ける前に、ワットはそれを少女に鋭く投げつけた。しかし、少女が顔の横でクルクルと指を上に向けて回すと、それは少女に触れる前に音を立てて砕けた。
「な……っ!」
勝手に砕けた小石にワットは目を見張った。しかし、途中で声は止まった。少女の腕に赤い線が浮かんだのだ。どうやら砕かれなかった小石が一つ、少女の腕をかすったらしい。異変に気がついた少女が腕に視線を落とすと、そこから一筋、赤いしずくが垂れた。少女はもう片方の手でその血を触り、目を丸くしてそれを見つめた。
「わぁっ、お兄ちゃんやるね!」
怪我をしたというのに、少女はむしろ喜んでいた。本当に、まるでゲームでも楽しむかのように。
しかし、今のワットにとって、そんな事はどうでもいいことだった。ワットの左腕は、少女のそれとは比べ物にならないほどの切り傷が鋭く数本入っていた。見えない攻撃を、避け切れなかったのだ。小さくうめき声を漏らし、ワットは強く腕を抑えた。
「……お前、何なんだ一体!」
―― 一対一でここまでされたのは初めてだ。しかも、こんな少女を相手に。少なからず、ワットは自分の腕には自信を持っていた。だが――。ワットは腕から流れ出る血を手で押さえ、目頭に力を入れて少女を睨んだ。
「何だって言われてもぉー。みんなはコレのこと、かまいたちって呼ぶよ」
――かまいたち? あごに指を当て、口をとんがらせる少女に、ワットは思い当たることがあった。
「シンナ!その野郎に用はねぇ!余計なこと言ってねぇでとっとと片づけちまえ!」
ニースと剣を交えている男が怒鳴った。男の言葉に、少女は「なによぅ」と頬を膨らませた。
「さっきは遊べって言ってた癖に」
「かまいたち……?」
ニースにも、それは引っかかる言葉だった。
『通称・神風のシンナ』
昨晩のボックス達の言葉だ。
『見かけはそこらの娘と変わらない少女らしいが、妖術使いってもっぱらの噂だ』
「シンナ……神風の……!まさかシンナ=イーヴか!?」
ニースが目を見開いて、思わず口走った。その言葉に、男は初めて顔をゆがめた。
ニースと合わせた剣を弾いて数歩下がり、男がニースと間合いを取った。肩の上に剣を置き、口の端を上げる。
「シンナ=イーヴだと……!?」
ニースの言葉を引き合いに思い出したワットは、腕を押さえながらも驚きを隠せなかった。
「お前……お前らルジューエル賊団なのか……?!」
「ルジューエル賊団!?」
パスが思わず声を上げた。シャルロットも昨夜の話はまだ鮮明に覚えている。
「それって、あ、あの……!?」
高額賞金首ぞろいの一団――。シンナがニースの方に向かって嬉しそうに手を振った。
「そうだよーん!よく判ったね、お兄ちゃん!」
シンナがワットにチラリと視線を向けた。手に持った玉を遊ぶように顔の前に小さく投げては受け取る。
「……こっちのお兄ちゃんも、久しぶりに面白そうだし……」
「さぁ!よそ見をしている暇は無いはずだぜ!」
男が再びニースに斬りかかった。激しい剣の音が野原に響く中、ワットが腕を押さえたまま膝をついた。シャルロットと一緒に離れていたパスはそれを見て唇を噛んだ。――とても戦える状態ではない。ズボンのポケットからヌンチャクを取り出した。
「オレが加勢する!!」
「何言って……ダメよ!」
ワットに向かって足を踏み出したパスの腕を慌てて掴んだ。だがその途端、シャルロットは強烈なめまいに襲われた。
「…いッ!?」
『だから娘との結婚は反対したんだ!』
突然、見知らぬ男の怒声が響き、思わず両手で頭を押さえた。
(この感じ……っ!)
この感覚は、知っている。以前にもあった、急速に夢の中に引きずり込まれるような恐怖――。
自分が見上げる中で、男が別の男に殴られて倒れた。
はっきり顔は見えないが、殴ったのは初老の男だろうか。激しく怒っている。とても怖いのに、倒れた男にも心配を感じる。
『イリアが死んだのは貴様のせいだ!貴様の!』
『こっちにいらっしゃい……』
初老の男が怒りを散らす中、顔の見えない女性の優しい手が、自分にかがんで肩を掴んだ。とても安心できる手だ――。
その安心感に、一瞬視界が無くなり、シャルロットは我に返った。同時に、一瞬で視界に色が戻った。
吸った息が胸に入るのと、背筋に汗が伝うのが分かった。瞬間的に、自分の周りだけ時が止まってしまっていたかのようだ。視界は先程と変わらぬ青い野原――。同時に、シャルロットは自分の手がパスを離してしまっていることに気がついた。
(……私何を!)
「パス!!止まって!!」
シャルロットが叫んでパスを追うのと、ワットとシンナがそれに気が付いたのは同時だった。