第16話『真昼の暗殺者達』-2
一時間後、無理矢理支度を整えたワット達と一緒に、シャルロットは宿の外にいた。早朝のうちに、ニースが城の馬車を役場に返してくれたらしく、既に馬車は無かった。
「港は町のはずれなんですよね。どれくらいかかるんですか?」
「そうだな……町と港の間に野道があるようだが、ゆっくり歩いても二時間弱……昼には船に乗れるだろう。もう案内も必要無いな」
ニースが地図を開いた。首を伸ばして覗き込むと、以前見たときよりもだいぶ書き足されていた。実際見て回らなかった村も、城やあちこちで聞いた情報を元に書き足しているようだ。パスも背伸びをして一緒に地図を覗き込んだ。
「ねぇ、ちょっといい?」
メレイの声に、ニースとシャルロットは振り返った。メレイはきちんとベッドで寝ていたおかげか、ワット達よりずっと顔色がよく、いつもの美しさも損なわれていない。「何だ?」とニースが言った。
「私ちょっと用事があって……買いたい物があるの」
「え?なになに?」
興味を示すシャルロットに対し、メレイは「ナイショ」と笑った。
「でもこの町じゃなきゃ買えないものなの。ここから二時間程度なら、船の契約時間も合わせて多めに見ても三時間。それまでに船場にいれば十分でしょ?ちょっと外すわ。あと、案内いらないならちょっとクルーを貸してくんない?」
メレイが一緒に地図を覗き込み、港へ向かう途中の野道にある小さなしるしを指差した。「この『風神の東門』あたりで合流できると思うわ。合流できなくても船場までには追いつくから」と勝手に話を進めた。
「……別にかまわないが……」
ニースのあいまいな答えに、「じゃ、決まりね」と、メレイはそのまま宿の入り口に座っているワットとクルーの元へ歩いていった。
ワットとクルーは二日酔いとまではいかなかったが、立っているのは辛いのか、先ほどからそこを動いていない。だが、話す調子はすっかりいつもどおりだった。
「あいつらも、無理した賞金首に手を出さないようにしてくれるといいけどな」
クルーの言葉に「そうだな」と返しながら、ワットは背後の、ヒールの音に振り返った。
「クルー、ちょっと頼みがあるんだけど、いい?」
「ん?」とクルーが振り返る。一緒に話を聞くワットを無視して、メレイが「ニースと別れて、案内してほしいところがあるの」と話を進めた。
「…え?いいけど、もう出発するんじゃないの?」
突然の申し出に、クルーは目をきょとんとさせた。
「ニースには言ってあるわ」
「お前、水の国には行かねぇのか?」
ワットがメレイを見上げると、メレイは腰に手を当てた。
「一時間くらい遅れて合流するつもり。船場までには追いつくわ」
「何で」
「だから用があるの。あんたはシャルロット達について行くんでしょ」
早く行けば、と言わんばかりにメレイがあごでシャルロット達を指した。どうやら自分には、理由を話す気はないらしい。もっとも、こっちだってメレイの行動に興味など毛頭ない。ため息をつきたい思いにワットは腰を上げた。だが――。
「おい」
一つ、言っておかなくてはいけないこともある。
「……変なとこには行くんじゃねーぞ。お前が怪我すんとシャルロットがうるさいからな」
この女には前科がある。もっとも、砂漠に一人でいるような女に心配は不要だろうが――。
「じゃ、クルー、行きましょ」
当然のごとく、メレイはその大きな目を向けただけで顔をそらし、クルーを呼んだ。
「え?ああ、じゃあ……。おーい、ニース!」
クルーがニースに大きく手を上げた。
「メレイと出てくる!後で俺も合流するから!」
「……ああ」
――別に、どうでもいいのだが。
どうせここで別れるであろうクルーに一応返事をし「じゃあ、行こうか」と、ニースは地図をたたんだ。
「はい!ワット、早く!」
ワットに大きく手を招き、シャルロットはニースに続いた。ワットはシャルロットに手を上げ、クルーに「じゃあな」と言い残して荷を抱えてそれを追った。
シャルロット達の背に手を振り、残ったクルーは手を腰に当ててメレイを振り返った。
「さて、どこへ行って、何を買いたいんだい?」
「人が集まるところ。情報を買いたいのよ」
町を眺め、メレイはにやりと口の端をあげた。
宿から出発して一時間程で、町を抜けて野原に出た。地図のとおり、町の住宅地と船場の間はこの野原を挟んで少し間があるらしい。その先にある筈の港は、低地になっているのか一切見えず、目の前に広がる景色は一面の野原と青い空、そして遠方の海だった。広がった草木に心地のよい風が吹いている。
何てすがすがしく、居心地のいい場所だろうか。町中であるにも関わらず、人気はまったくないが、それが益々すがすがしくも感じられる。
「うわあ……」
目の前に広がる青々とした景色に、シャルロットは思わず駆け出した。
「気持ちいい風!思ったより早く東門にもつきそうですね!」
両手を広げ、風を味わう。町から一本に伸びる細い道が、地図どおりなら『風神の東門』に続いているはずだ。野原を進みながら、先頭のシャルロットは額に手をかざして後ろを振り返った。
「メレイちゃん達、まだ来ないみたい」
「……団体行動のとれねぇ奴だぜ」
――何で俺らと一緒にいるんだか。ワットがため息混じりにこぼしたが、それは以前のような棘が混ざった言葉ではなくなったていると、シャルロットは感じた。ワットの中でも、メレイは仲間になり始めているのだろう。シャルロットはわずかに口元がほころんだ。
「お!あれじゃねぇか?!風神の東門ってやつ!」
パスが進行方向の先を指差すと、シャルロットもつられて振り返った。見晴らしのよい野原に唯一遠くに見える、鳥居のような影が見える。「ホントだ!」シャルロットも額に手をかざした。大きな柱が二本、それを一番上でつないだ鳥居だ。
「間違い無さそうだ。……メレイ達は追いつけなかったな」
ニースが後ろを振り返った。誰かが来る気配は無い。パスが目を凝らして門を見つめた。
「なぁ、鳥居の上に何かいないか?でっかい……鳥?」
「飾りじゃねぇか?『風神の』っつーくらいだから風の何かの」
一応返事をするも、ワットもニースと同様もと来た道を振り返っている。さらに歩き進むと、門の全貌が見えてきた。遠くからも見えるだけあって、大きな太い円柱に、人の背丈が四つ分はある茶色く錆びた色をした鉄の門――。飾りも無い鳥居で、『門』と言っても今や何かの役割を果たしているようにはとても見えない遺物だ。
門の色がはっきり見えてくる頃、シャルロットは門の下に人影がある事に気がついた。誰かが座っている。
「あそこ、誰かいるみたい」
シャルロットの言葉に、ワットが門に目を向けた。「本当だ」とそれを見て目を凝らした。
「んなとこで何してんだ?……男だな」
その背格好からは、間違いない。門はそこが一番の高台になっており、近くまで来ると、その先にある低地の港の船場が見えた。それと同時に、シャルロットは全身に悪寒が走った。――そんな筈はない。そう思わずにはいられなかった。
だが確かに、シャルロットはその男の顔を知っている。時が止まったかのように、足が止まった。
「……どうした?」
ワットが振り返ったが、シャルロットは男から目をそらせなかった。顔がこわばり、返事もできない。
先を歩くニースとパスが門の付近までくると、男が立ち上がった。二十代半ばぐらいだろうか、背が高く、目鼻立ちのはっきりとした顔に、暗いこげ茶色の髪。目にかかるほどの前髪の間から、黒い目がこちらを覗いている。何より目立つのは、背にかかげた大きな剣だ。パスはそれを眺めながら、ニースのそれよりも長い剣に目が釘付けになった。
口元に笑みを浮かべ、男はニースをじっと見ていた。しかし、ニースとパスはそこで別のものに足を止めた。顔を上げ、そこから、目が離せなくなった。
「お、おいおい嘘だろ……!」
パスは口を開けるも、それ以上の言葉は出てこなかった。――門の上。パスと歳も変わらないであろう少女が、門の上の柱に座ってこちらを見下ろしている。大人の身の丈四つ分はあるであろう高さの門の上に。足をぶらつかせ、楽しむような笑みで自分達を見下ろしている。
「な、何だありゃあ!」
気がついたワットも口を開けたが、それでもシャルロットは男から目がそらせなかった。
「あ、あんた……」
顔を歪めるシャルロットに、男が「よお」とニースから視線を移した。
「遅かったな、待ちくたびれたぜ」
男の低い声は、忘れるわけがなかった。その前髪から覗くギラギラした目も、挑発じみた偉そうな態度も。
デイカーリの古城跡でシャルロットを誘拐し、尋問をかけた男だ。あの時と変わらない嫌味な笑いが、口元にある。――忘れられるわけがない。
「……知り合いか?」
ワットが振り返ると、シャルロットは目線を動かさないままその腕を掴んだ。
「あいつよ……!砂漠で…デイカーリの……!」
その一言とシャルロットの様子で、ワットを含め全員が、男が何なのか気がついた。――あの時の姿を現さなかった、盗賊頭の男――。男を見つめるシャルロットの視界を、ワットの背が遮った。一瞬で、ワットの表情は変わった。
それを見ても表情を変えず、「すっかり元気そうだ」と男が言った。
パスは門の上の少女を見上げたまま、開いた口が塞がっていない。落ちたら怪我ではすまない高さだというのに。第一どうやって上ったのか。少女は男の視線の先、シャルロット達を同じ顔で見つめるだけだった。
「下がっていろ」
ニースの手がパスを後ろに下げると、パスはやっと我に返り、二、三歩よろけた。男の視線が、明らかに警戒を見せているニースに戻った。
「ダークイン、やっと会えたな」
「……何者だ」
シャルロットを誘拐した相手と認識したニースの声に、いつもの優しさは欠片も含まれていない。あからさまな敵意に、男が満足するかのように口の両端を一層上げ、ニースに背を向けた。
「知らなくていいさ。知る必要もない」
数歩進み、門の足元で少女を見上げた。
「降りてこい」
男の声に、「うん」と少女がそのまま両足を下に落とした。
「おい……っ!!」
パスが、思わず声を上げた。しかし、まっすぐに飛び降りた少女の両足は、綺麗にその体重を地面につけた。ニースとワットが目を見張る前で、少女は軽く手先を地面につけ、ゆっくりと立ち上がった。たが、ニース達の驚きはシャルロットにはなかった。シャルロットがそれを見たのは二度目だ。視界の隅で、パスが後ずさりをしているのがわかった。
顔を上げた少女の笑みには、可愛らしい印象さえある。しかし、今の行動を見てそう思う者は確実に誰もいなかった。
白い肌に、細い手足、明るめの茶色い髪を片耳の上にリボンで結いつけ、額を別のリボンで飾っている。腿までの短いスカートに、足から膝上まで伸ばした黒い靴下と、同じ色のブーツ。赤と白を基調とした服に、唯一黒いタンクトップも、以前シャルロットがデイカーリの古城で見たときと同じ格好だ。両の腰と手首に、丸い玉をリボンで結びつけて下げている。飾りかは分からないが、何にしても、人目を引く変わった格好だという事に変わりはない。
「てめぇが、あの時シャルロットをさらった奴等の親玉か」
ワットの腕に力が入ったのが、掴んだ腕を伝ってシャルロットにも分かった。