第15話『約束』-4
「ふぅ……!」
あまりの坂道に、シャルロットは息が上がっていた。クルーの案内で山道に入ると、道はすぐに急な登坂になった。前からクルーとシャルロット、ワット、その後ろにパス、メレイ、ニースと続く。
「結構…坂道なんですね…!」
息を吐きながらの言葉に、クルーが振り返った。
「ああ、でも歩きならこのまま山を越えてジラウォーグにだっていけるんだぜ?」
思いもよらぬ言葉に、「え?」と顔が上がる。周囲の山道には、シャルロット達以外の人影もちらほら見られた。その風貌からして、彼らはこの下の町の人々だろう。
「まぁシャルロットちゃん達は馬車があるから戻らなくちゃならないけどね」
――そうだった。この道をまた下ると思うと、シャルロットはこのまま山を越えてしまいたかった。「ああ、それと」とクルーが思いついたように後ろ歩きになった。
「別に敬語じゃなくていいよ。歳近いだろ?十七くらい?」
突然飛んだ話に、シャルロットはにわかにそれを言うのをためらった。
「今年で……十九」
年下にみられるのはよくあることだ。それも、軽く二、三歳は。童顔のせいなのか、それともこの落ち着きの無い子供じみた性格が原因なのか。自覚はしているが、おかげで年齢を人に言うのはあまり好きではなくなった。
「俺は今年で……えーっと…二十一だな」
わずかに頭で数えるように、ワットが呟いた。
「お、じゃあ俺と一緒。俺も二十一」
「お、マジ?」
ワットが身を乗り出した。
「オレは十二!」
話が聞こえたのか、後方でパスが手を上げた。振り返った視界に入ったニースと目が合ったのか、ワットが「ニースは?」とあごを向けた。
「……二十八になる」
「へぇ、あんまり見えねぇな。メレイ、お前は?」
山道の狭い道に差し掛かると、すぐ右側が崖になった。下ってきた中年の夫婦を先頭のクルーから順番に避けるのを眺めながらメレイがため息をついた。
「あんた、女に年齢聞くなんて……」
「わっ!!」
突然のシャルロットの大声に、全員がワットとクルーが振り返った。夫婦の妻を避けたシャルロットが、足を滑らしたのだ。「あ!」と女性の顔が驚くも、即座にワットが、その腕を掴んだ。
「……っぶねぇな!」
「あ…りがと…」
さすがに、体が硬直した。この高台での転倒は、運が悪ければ命に関わりかねない。ぱらぱらと足元から崖下に落ちる小石を見つめ、シャルロットは夫婦が謝って再び歩いていった事にすら気が付かなかった。ワットが、シャルロットの腕を引き寄せると、シャルロットは力無くその胸にぶつかった。
「お、昨日の踊りが忘れられないって?」
「それはもういい!」
冗談に、思わず勢いに任せて手荷物をワットにぶつけると、それは片手で受け止められた。「持ってやるよ」と、ワットはそのままクルーと一緒に何やら楽しげに話しながら先に行ってしまった。
「ホラ、行くわよ」
突っ立っていたシャルロットに、後ろからのメレイが声をかけた。赤く染まった頬で口を尖らせながらも、足を進める。自分でも、自分が年齢より年下に見られる原因が分ってしまう。――もっと落ち着こう。そう思いながら、少し気が落ち込んだ。
「うわぁ……っ!!」
口を開け、シャルロット達は揃って感嘆の声を漏らした。目の前に一面に広がるは、まるで山頂をそのままくり抜いてしまったかのような滝壺と、その淵から壺に吸い込まれるように勢いよく流れる滝だ。山頂をぐるりと一周囲むように、大勢の人々がそれを楽しむように覗き込んでいる。
登ってきた山頂、クルーが案内したかったのは、まさにここのようだ。あたりには流水の大音量と水しぶきが舞い上がり、頭上から降り注ぐ太陽の光で、それらは美しい七色の光を反射させている。覗き込んだ壷の奥には、虹ができていた。
「すっげぇー…!」
一番に駆け寄り、パスが崖縁に手をついて滝壺を覗き込んだ。見通しのいい山頂に、シャルロットは額に手をかざした。
「高ーい!すごい眺めね!見て!あっちにお城が見える!」
「あっちはジラウォーグかしら」
シャルロットが指差すのと反対方向を眺め、メレイがポニーテールの髪を風の吹く方へ流した。さすがに、山頂だけあって風も強い。
「……これが『風神の滝壺』か…」
まるで自然にできたとは思えないほどの滝壺に、ニースが思わず呟いた。成る程、世界的に有名なのも納得できる。
「風の城に次ぐ絶景だろ?この国でこれを見ないで出国するなんてあり得ないぜ」
「すごーい!見て見て虹!」
興奮を抑えきれないシャルロットの横で、クルーが服の中に入れていた金のネックレスを取り出した。
「ま、驚くのはまだ早いんだけどね」
ロケットになっているそれを開き、「お、時間ピッタリだな」と中身を確認した。どうやら、懐中時計のようだ。「え?」とシャルロットが振り返った瞬間、背後の滝壺が一段と大きな水音を立てた。一瞬、その水量がわずかに引いた。同時に、周囲から歓声が上がった。
滝壺から溢れんばかりの勢いで、巨大な水柱が巻き上がった。
「うわっ!!」
瞬間的に身を引き、その天を見上げた。唯一見慣れた表情のクルーが、それを笑顔で眺める。水柱は広範囲に向かって渦巻くように水しぶきを飛ばし、天にも届く勢いで巻き上がった。太陽の日差しを浴びたそれは、七色の光を放っている。
「すごい……っ!!」
息を呑み、同時に声が漏れる。「月に一度、こういう現象が起きるんだ」と、クルーがシャルロットの隣で水柱を見上げた。
「おいおい、あんまり乗り出すなよ」
あまりに崖淵で空を見上げ続けるシャルロットに、ワットが忠告した。
「その月に一度が、城で開催される貴族の月例会の日と同じ日付となっているんだ」
クルーの説明も、滝壺の美しい現象の前ではあまり誰の耳にも残らない。「へぇ」と耳に入ってもいない説明9に返事をし、シャルロットは滝壺から目が離せなかった。
ものの六十秒もたたないうちに、水柱は元の滝壺と同じように戻った。それと一緒に、周囲の人々も下山していく。どうやらここに住んでいる町人達にすら、見る価値があるものと思われているらしい。
余韻にも十分に浸った後、シャルロット達も再び山を下った。正味二時間もかかっていない道のりには、確かにクルーの言うとおり見に行って良かったと思う。
「なぁ、ジラウォーグに何しに行くんだ?あの町は、特別でかい訳でもねぇし……港くらいしかないぜ?」
坂を下りながら、後ろからクルーが言った。
「だから行くの。私達、水の国に行くのよ」
足元から目が離せないシャルロットは振り向かずに答えた。「水に?」とクルーから返事が返ってくる。会話が途切れ、不思議に思ったシャルロットは振り返った。
「どうしたの?」
「…なぁ、ちょっと頼みがあるんだけど」
足を止めたシャルロットの腕を引き、自分に引き寄せた。一番後ろにいたシャルロット達が足を止めている事に気がつかず、ニース達は先に行ってしまう。
「何?」
シャルロットは用なら早く、とせかした。
「(俺も一緒に行ってもいい?ついでに道案内もするからさ)」
「えぇ!?」
シャルロットの大声に、ワット達が振り返った。わざわざ小声で言ったにも関わらず大声で返されてしまい、クルーは振り返ったニース達に「何でもないよー」という笑みを向けた。
「何言ってんの!?ダメに決まってるじゃない!」
それにまったく気がつかず、シャルロットは大声を上げた。
「だって出国許可状も無いでしょ?」
「出国はしないって、ジラウォーグまで!」
「……あ、ジラウォーグまで?」
すっかり水の王国までと勘違いしたシャルロットは、隣町であるジラウォーグまでとわかり、声のトーンが落ちた。シャルロットは振り返っているニースに顔を向けた。
「ニース様、クルーがジラウォーグまで案内してくれますって!」
「……ジラウォーグに?」
理由もわからないニースが首をかしげた。その顔に、クルーがニッコリと笑みを返す。たった今、美しい滝壺を親切で皆に見せてくれたクルーの申し出には、断りづらいものがある。
「…君さえ良ければ。ジラウォーグまでなら」
念の為、行き先を確定させておく。もっとも、既に自分を含めて五人にもなっている人数が、今更一人が増えたところでかまわない。隣のメレイがニースに顔を向けた。
「案内って……街道一本道じゃない」
メレイの呆れた声に、ニースは顔は向けなかった。
太陽の光を失った空に闇が降りる頃、クルーの案内で街道を馬車でまっすぐに下ったシャルロット達は、ジラウォーグの港町に到着した。
中央街道の街と同じでこの町も夜でも男女問わず出歩いおり、昼の賑やかさは失われていなようだ。木と石の家々は全体的に白を基調とした家が多い。宿を探そうとすると、道案内に含むと称し、クルーが宿も紹介してくれた。
「いい宿だな」
宿屋の入り口、玄関先に荷を落とし、ワットが宿を見回した。
宿など今まで入ったどこの場所もさほど変わりはない。それはここも例外ではないが、ワットは店に飾られた酒棚が気に入ったようだ。
「いい酒があるわね」
「お、お前らいけるクチ?」
気がついたのか、クルーが振り返った。「ちょっとね」とメレイが控えめに答えると、ワットが「こいつはザルだぜ」と付け加えた。
「あんたもね」
メレイはすっかり、クルーの前でも地で話している。その変わりようも、クルーはさほど気には留めなかったようだ。
「こりゃ今夜は楽しめそうだな」
「ちょっと、ワットもメレイちゃんも!クルーまで!!」
酒の話で盛り上がるの彼らに割って入り、シャルロットは腰に手を当てた。既にニースとパスは宿の女将から部屋の鍵を受け取っていたが、その声に振り返った。クルーが笑って手をヒラヒラとさせた。
「まぁまぁ、シャレルちゃん。堅苦しい旅じゃ息も抜けねぇぜ。シャレルちゃんは飲まねぇの?」
(シャレルちゃん…)
話より、パスはその呼び名の方が気になった。
「ああ、ダメダメ、こいつはまだガキだから!」
ワットの手に頭を撫でられ、シャルロットは血が上った頭でワットの腕を叩いた。
「おうおう、騒がしいなぁ」
シャルロットを見て笑うクルー達の後ろの階段から、突然、男が四、五人降りてきた。客だろうか、楽しげな雰囲気に、古びた服の、三十代前後と思われる男達だ。
「兄ちゃんたち、ここに泊まるのかい?」
先頭の男性が一番近くのニースに言った。さすがに、並んでもニースの方が背が高い。「ええ」とニースが頷いた。
「ボックス、初めてのお客様に、あんまり悪影響与えないで頂戴」
カウンター越しの女将が、先頭の男に忠告をした。しかし、その顔は呆れたように笑っている。
「そう言うなって、今夜は大繁盛じゃねぇか」
ボックスと呼ばれた男が、カウンター前のテーブルに腰掛けた。
「今日は俺らもここに泊まるんだ、仲良くしようぜ」
「……はぁ」
シャルロットはポカンとしていた。
「今日はって…、いつものことでしょ」
女将が皮肉っぽく付け加えた。
「よし!酒をくれ!」
女将の言葉を受け流し、ボックスが仲間と共に手を上げた。
年末年始の休みに入ったので、今日はニ話分更新しました。