第2話『再会』-2
エリオットは1人、宮殿内のベランダの影で寝そべっていた。仲間内では秘密の休息――サボり場所で、絶対にシャルロットにも見つからない。もっとも、怪我で仕事を休暇になったエリオットにとって、今更サボりも何もないことなのだが――。
大声でわめいただけあり、エリオット達兄妹の喧嘩話とその原因は、あっと言う間に仲間内に広まった。頭に乗せた本を持ち上げ、寝返りを打つ。自然と、重いため息が漏れた。
(まいったな…。あいつは、言い出したら絶対に行く。こんな事になるなら、立候補なんかしなきゃ良かったぜ…)
落ち着くと、考え切れない悩み事が波のように押し寄せてくる。まったく、いつからあんなに聞き分けがなくなったのか。
「エリオット、あれ、ダークイン様だぜ」
いつの間にかそばに立っていた仲間が、ベランダから楽しげに中庭を見下ろした。明らかに楽しんでいる仲間をわずかに睨み、その隣に立つ。ダークインが、中庭の木陰に立っていた。
ちょうどいい、先ほどの失態を謝れるチャンスだ。
「おい?どこ行くんだよ」
仲間の声を無視し、エリオットはベランダをあとにした。
「剣士様、これこれ!」
「待ってよ!僕が先だってば!」
庭に降りると、宮殿の使用人達の子供が数人、ダークインの周りを囲っていた。駆け込んできた足が思わず止まる。エリオットにとって、それは意外だった。『東一の剣の使い手』。そういわれるダークインの印象は、子供相手にあんな柔らかい表情をするとは連想させるものではなかった。ふいに、子供の1人と目が合った。
「エリオットのにいちゃんだ!」
その声に、エリオットは我に返った。同時に、ダークインと目が合い、慌てて頭を下げる。
「さ、先ほどは…失礼致しました」
「いや…、気にしていない」
視線を下げ、子供を相手にしながら、ダークインが答えた。変わらず、子供達が周囲で跳ね回っている。子供達の騒ぎ声に、エリオットの気持ちが緩やかに変わった。妹があれで納まったとは思えない。
その時、エリオットの視界の向こう、ダークインをはさんだ自分とは対角上の中庭の入り口から、息を切らしたシャルロットが現れたのが視界に入った。その顔は、やはり、先程と変わっていない。
そうだ。最初から、そんな事は分かっていた。
「お兄ちゃん!ダークイン様!」
ダークインがそれに気づくと、エリオットはダークインに頭を下げた。
「1ヶ月間、妹のことを宜しくお願いします」
その言葉に、シャルロットは駆け寄る足が止まった。
「国外も初めてだし、とんだはねっ返りで…一緒にいるのも大変かもしれませんが…、どうか…。…お願いします」
「お兄ちゃん…!?」
唖然として、口が閉まらない。続かない言葉が出る前に、シャルロットはその言葉の意味が分かった。その足で、全力でエリオットに飛びついた。その勢いに、エリオットが慌てて片手でシャルロットを受け止めた。
「ありがと!!大好き!」
その笑顔に、エリオットは続ける言葉が何もなくなった。何を言っても、結局妹の笑顔にはかなわないのだ。エリオットから離れ、シャルロットはダークインを振り返り、頭を下げた。
「これから、よろしくお願いします!」
「…こちらこそ」
一瞬、唖然としたような顔つきが垣間見えたが、ダークインは周囲の子供達に向ける同じ笑みで、静かに言った。
日が沈む前までに、シャルロットは正式にディルートから任務を受けた。その証拠となる書類を手に家に戻ったときには、こぼれる笑みを抑え切れていなかった。
あの後、忙しいらしいダークインとは詳しい話もできなかったが、出発は明朝だ。宮殿の東門で、待ち合わせしている。部屋で荷造りをしていると、ふいに、テーブルの上に置きっぱなしだった、バンダナが目に入った。あの晩、エリオットに怪我をさせた男が残していったものだ。それを手に取り、古びたそれに視線を落とす。
(ま、何かに使えるかな)
無造作に、それもバックに詰め込んだ。
一通り支度を終えると、塔の屋上まで螺旋階段で登り、じっくりとその景色を見納めた。屋上からは、宮殿の外壁を越えた先にある荒れ地の、そのさらに先にあるベル街の明かりまでもがよく見える。さらによく晴れた今夜は、北東のドミニキィ港の明かりもうっすらと見えていた。見上げれば満天の星空に、夜は空一番に明るい月。シャルロットはここから見える景色が大好きだった。
(旅に出るんだ。一週間だけど、ウィルバックまで行くんだわ!)
月の輝く空の下、シャルロットの心は、期待と希望に満ちあふれていた。
翌朝、日の出に伴い宮殿内が賑わい始める頃、東門の内側で、ダークイン、エリオット、ミーガン、スイードの4人が集まった。スイードが顔をしかめて使用人塔を振り返った。
「何してんだ、あいつは」
「ちゃんと起こしたんでしょ?」
ミーガンが隣のエリオットを見上げる。
「俺より早く起きてたよ。でも仕度がどうとか…、ああ、来た来た」
言葉の途中で、遠くから荷を抱えて走ってくるシャルロットが視界に入り、手をあげた。
「ごめんなさーいっ!塔の階段で転んじゃって!」
両手には余るほどの大きな荷を落とすように地面に置き、シャルロットは息を整えた。
「荷物に引っ張られて落ちちゃったの!」
真新しい腕のすり傷を見せると、エリオットに呆れたようなため息をつかれた。
「ダークイン様、遅れてすみません」
「構わないよ。それより落ち着きなさい」
「は、はい…」
遅刻を気にも留めない言葉に、シャルロットは頬が染まった。初めからみっともないところばかり見られている気がする。
「シャルロット」
「ん?」
「気を付けろよ、外は賊が多いし悪い輩もたくさんいる」
エリオットの言葉に、シャルロットは一瞬馬に荷をくくっているダークインを見てから声を上げて笑った。
「大丈夫よ!誰と一緒に行くと思ってんの?」
それでもまだ納得できない雰囲気のエリオットは、シャルロット達をおいてダークインの方へ歩いていった。
「おみやげよろしくね」
「わかってるって」
「あっちの大陸は…あ、シャルロット!」
ミーガンが指差す方に振り向くと、遠くでエリオットとダークインが握手をしているのが見えた。
「ちょっとお兄ちゃん!」
思わず2人に駆け寄ると、丁度エリオットが手を離すところだった。
「…失礼じゃない」
小声で言うと、ダークインがわずかに目を丸くしたように見えた。
「挨拶、しただけだよ」
ダークインに笑みを向け、エリオットが頭を下げた。
「妹をよろしくお願いします」
「ええ」
ダークインは気を悪くはしていないようだ。2人が馬の方に歩いていくと、残されたシャルロットの腕を後ろからミーガンが抱いた。
「あれなら、問題なさそうね。あの人と一緒にいれば安心だわ!」
「(ミーガン!)」
声がでかいと言わんばかりに、シャルロットが小声で言った。ミーガンが離れると、入れ替わるようにスイードの手がシャルロットの頭に乗った。
「気を付けて行って来いよ」
「次に会うときにはスイードの処罰は終わってるわね」
「お前はまだだけどな」
その言葉に、思わず笑顔に苦味が走る。シャルロット自身の処罰期間は、出国中は期間に入らず、帰国後に継続されるのだ。ミーガンがエリオット達の方を見ているのを確認し、スイードがわずかに身をかがめた。
「(…どっちにしろ、この間みたいなのはカンベンしてほしいぜ)」
「(だからそれはゴメンってば!)」
呆れたようなスイードの笑みに、シャルロットは言い訳の仕様が無かった。周囲の人達に喧嘩の理由を言わなかった最大の理由は、ミーガンとスイードの為だ。といっても、その原因すらも、結局はシャルロットとミーガンの誤解だったのだが――。
「だってミーガンが心配してたんだもん」
シャルロットは頬を膨らませた。だが、一時でも、親友でもある彼ではなく、噂を信じてしまったシャルロットにとっては、申し開きできる言葉は無い。
「ま、浮気なんてありえねぇから安心しとけ。…じゃ!シャルロット、気をつけて行けよ」
最後のセリフだけ、皆にも届いたようだ。シャルロットの頭が傾くほどに、スイードは勢いよく手を離した。ダークインが、馬にまたがった。
「シャルロット」
「はい!」
ミーガン達から離れ、シャルロットはエリオットが手綱を持つ馬に駆け寄り、またがった。荷は、既にエリオットが馬にくくり付けてくれていた。
「じゃあ、行って来るね!」
馬上からエリオット達を見回す。
「ダークイン様、行きましょ!」
ダークインがエリオット達にわずかに頭を下げると、エリオットは深く頭を下げた。
シャルロットは大きく手を振りながら、ダークインの後に続いて馬を歩かせた。シャルロット達が宮殿を出て、外壁の向こうに見えなくなるまで、エリオットは手を振っていた。