第15話『約束』-3
城内廊下、薄茶色の天井から、不似合いの鮮烈な赤色の布が舞い降りた。
極力腕の力で体を下し、そっと床に着地したつもりだ。ヒールを脱いでいたとはいえ、高さのある場所から飛び降りれば多少の音はしてしまう。周囲に誰もいなかったことを確認し、メレイは再び両足にヒールを履きなおした。
膝元で縛ったドレスの裾をほどき、片手に握ったそれをみると思わず口元が緩む。廊下の明かりに照らされたそれは、散りばめられた石で輝かんばかりの光を放っている。
「……さっすが貴族の首飾り。たった一個で幾らになることやら……」
足を進めた途端、遠い背後の物音にメレイは反射的に振り返った。角から曲がってきたのは、見回りの兵士だった。
今夜はほとんどの兵士が北の塔の警備についていると聞いていたのに。――ついてない。息をつき、ドレスのポケットに首飾りを隠し、メレイは兵士に向かって足を進めた。同時に兵士もそれに気がついたが、こんな寂しい廊下に女が一人で歩いていた事に驚きを隠せなかった様子だ。
「あの、すみません、道に迷ってしまったのですが……」
明らかなパーティーの出席者と思われる格好に加え、猫を撫でるような声に、兵士は一欠けらの疑いも持たなかったようだ。
「…えっと…北の塔のお客人…ですよね?」
兵士が道案内をかって出ようとした時、メレイは兵士を通り越した廊下の向こうに見慣れた人影を見つけた。
「あ、連れがいましたわ!失礼いたしますわね」
相手が「え?」と言っている間に、メレイは兵士を通り越して小走りにそこへ向かった。
「ニース……」
呼びかけて、ニースが誰かと一緒にいたことに気がつき、語尾が消えた。思わず足を止めたが、立ち位置から、ニースだけがメレイに気が付いたようだ。
白髪交じりの金髪に、同じ色の眺めの髭、着ている服の質の良さから、メレイはそれが一目でレビレット王だと分かった。そこにはさらにもう一人、若いドレスの少女が一緒だった。透き通るようなウェーブの金髪をトップでポニーテールにまとめあげ、髪飾りで留めている。その赤い髪飾りに合わせた、薄い茶系のドレスはかなりの上質なものと見える。歳は十五、六といったところだろうか、少女のニースを見上げる目は、猫のような鋭さを持っている。ニースがメレイに気を取られた事に気が付かず、レビレットがニースに少女を紹介した。
「私の娘、この国の第一皇女のローズだ」
「ローズです、お見知りおきを」
ドレスを軽く持って目線を下げたローズは、どこかその挨拶を心からのものだとは思わせない。――社交辞令丸出しの挨拶だ。
「クラディスを見たか?」
レビレットの言葉に、ローズがますます嫌な顔を見せたのを、一瞬だったがニースは見逃さなかった。しかし、父親を見つめるローズの顔は、すぐに嫌味たっぷりの作ったような笑顔に変わった。
「知りませんわ。それにクラディスお兄様でなくても、お兄様でしたらお部屋にいらっしゃいますわ。ええ、ナイラお兄様が。セイディスお兄様だってお母様と一緒にいらっしゃるというのに……!お父様、私も失礼させていただきます!お兄様達の変わりに挨拶するのはもううんざりよ!!」
「こら、ローズ。失礼じゃないか」
レビレットの穏やかな声などまったく耳にもいれず、ローズは振り返りもせずに廊下の向こうへと勢いよく進んでいった。わずかに呆気に取られるニースに対し、レビレットが小さく息をついた。その様子に、ニースはこれが珍しい事ではないのだろうと分かった。
「……勝気な娘でな。本来なら今日の月例会の挨拶は息子の一人のクラディスが務める予定だったのだが今朝から姿が見えなくてな。代わりにローズを呼んだらあのありさまだ……」
『勝気な皇女』の言葉に、ニースはふいに砂の王国の皇女、オリディアを思い出した。彼女も、確か他人の意見を撥ね退ける勢いを持った少女だったと記憶している。――どこの国もそんなに変わらないな。
自分の国が皇子だけな事に、ニースは奇妙な安心を覚えていた。
楽しく、賑やかだった夜はあっという間に過ぎた。結局シャルロット達が部屋に戻り、眠りについたのは深夜をとうにまわった頃だった。おかげで寝過ごしてしまったシャルロットは、翌早朝にニースがレビレットから出国許可証を貰う時にも付き添いそびれてしまった。
風の王国の最西に位置するこの城下町から、最東にあたるジラウォーグの港町に移動する為、レビレットが馬車を手配してくれた。この風の王国を出国すれば、次に目指すのは北の大陸と呼ばれる大地だ。いよいよ、この西の大陸を出る事になる。
身支度を整えて馬車に乗り込むと、ワットが馬車を動す席に座った。
「よぉ、遅かったな」
遅れて城の門に集まったシャルロットとメレイに、ワットが声をかけた。
「昨夜の疲れか?」
陽気な声に、シャルロットは一瞬声がでなかった。詰まる喉で「ち、ちょっとね」と、小さく答え、シャルロットは目をそらした。――おかしい。昨日はあんなに一緒に笑っていたのに、何を緊張しているんだ。
顔も向けずにニースに荷を渡すシャルロットに、ワットがふざけて目を細めた。
「何だよ、昨夜はあんなに寄り添った仲だってのに」
「何、あんた達ってそういう仲だったの?」
メレイのふざけた声に、ワットが「まあね」と調子よく答える。それが冗談だと分かっていても、シャルロットは足を止めて振り返った。
「違うわよ、踊っただけでしょ!」
シャルロットの一喝に驚いて大きく瞬きをする二人を尻目に、シャルロットは頬の熱を感じながらさっさと馬車に乗り込んだ。
馬車に乗るのは初めてだった。窓に手を貼り付けたまま、目まぐるしく通り過ぎる景色を眺めるだけであっという間に城から遠ざかり、街道を抜けた。朝の早い時間は、比較的人通りも少なく、街道も馬車で移動できた。
「…信じられん…」
後ろのニースのため息に、シャルロットは窓から振り返った。いつの間にか、正面同士に座ったニースとメレイがなにやらもめていたらしい。ニースは肘を膝に乗せ、その手を顔にあてた。
「…世話になった城で盗みを働くなんて…」
「いいじゃない、きっと無くなった事にも気付いてないわよ」
まったく反省の色も無く、メレイが答えた。城から出発した直後、馬車の中で開けたメレイの荷に、とても本人が持っているとは思えない首飾りを目にしたニースがそれを指摘したらしい。一目で盗んだものだということぐらい、誰にでも判断がつくだろう。
「それは返すんだ」
「今更誰に返すかなんて、わからない……ちょっと!」
メレイの棘のある言葉を無視して、ニースがその手から首飾りを奪った。「何すんのよ!」とメレイがそれを狙ったが、ニースは素早くそれをメレイの届かない自分の背の後ろへと遠ざけた。
「馬車はジラウォーグの港町で役所に預ける事になっている。メモと一緒にここに残していけばいい」
当然だと言わんばかりに目を伏せたニースに、メレイが鼻で笑った。
「……盗みをしたってバレてもいいわけ?」
「簡単な理由くらい、君ならいくらでも思いつくだろう?」
――折れる気はない。その態度に、メレイは舌を打ちたい気分で窓の外に目をそらした。確かに、そんな事も思いつかない頭じゃない。
それ以後、口を利かない二人を含めた車内は静まり返ってしまった。
「(……なんかこいつらって、正反対って感じだよな)」
――確かに。声を低めたパスの言葉に、シャルロットも無言で頷いた。
城下街を抜けると、街道は商店が無くなり、まばらに立つ古びた家々が目立つようになった。ずっと同じ街道を下ってきていたが、このあたりでもまた、栄えているようだ。とはいえ、多くの家は造りも古く、城下街の華やかさとは程遠い。まだあまり発達しきっていないこの土地は、町の後ろに大きな緑に包まれた山も見えた。
街道を通過しながら窓の外を眺めていると、シャルロットの目に見覚えのある人影が飛び込んだ。「あっ!」と声を上げるのも束の間、馬車があっという間に通り過ぎた。
「ワット!止めて!」
シャルロットの大声に、馬車の外のワットが「あ?」と振り返る。馬車のスピードが緩み、それが止まりきる前にシャルロットは馬車のドアを開けて飛び降りた。
「おい!危ねぇな、止まってから降りろって!」
驚いたワットが思わず振り返って怒鳴るも、シャルロットは既に背を向けてもと来た道を走り始めていた。
「クルーさん!」
名を呼ばれたクルーが、足を止めて振り返った。昨日と同じ服装に、背には正規の大きさよりだいぶ小さいおもちゃのような弓を背負っている。のんびり歩いていたのだろうか、今日は一人のようだ。
「…あれ!昨日の……今日は一人?」
思った事は、お互い一緒だったようだ。駆け寄ってきたシャルロットに、クルーは一瞬驚きの顔を見せたが、それはすぐに昨日と同じ爽やかな笑顔に変わった。
「いえ、私の仕えてる人と一緒です。昨日はありがとうございました」
シャルロットが頭を下げると、クルーが首を伸ばして「ああ、あの馬車?」とその背後に止まっている馬車を眺めた。
離れた位置に止めた馬車では、ワットがその様子を眺めながら「知り合いか?」と車内に顔を向けた。
「呉服屋で会った男よ。昨日、あの子がドレスを選んでくれたの」
シャルロット達を眺め、メレイが馬車から降りた。
「……城の馬車?君達、城の客だったの?」
馬車に付いたエンブレムに目を留めたクルーが首を傾げた。それは、風の王国の王家、レビレット家の紋章であるライオンを模した絵柄入った金のエンブレムだ。
「……えっと、客ってわけじゃないんですけど、ニース様が……、私の仕えてる人が昨日お城に招待されて、昨日はそこのパーティーに来ていくドレスが欲しかったんです」
「クルーさん」
シャルロットの背後から、メレイが声をかけた。
「昨日はお世話になって、感謝いたしますわ」
「いやいや、力になれたなら嬉しいよ」
メレイの笑顔にも、クルーはさらりと答えた。
「城の次はどこへ行くの?」
「ジラウォーグの港町です」
シャルロット達が話しこんでいたので、ニースやワットも馬車から降りてきた。シャルロットの話に、クルーが「この先の?」と街道の先を指差した。
「はい、街道の最後まで」
「ふーん、ジラウォーグねえ……」
クルーが呟いている間に、シャルロットは後ろからのワット達に、あまり長く話してはいられない事を思い出した。
「すみません、すぐ戻りますから……」
「なぁ、いいとこ案内してあげようか。この国じゃ有名な観光スポット」
名案でも思いついたかのように指を立てたクルーに、シャルロットは思わず「へ?」と間の抜けた声を返してしまった。
「せっかくこの国に来たってのに先を急ぐってのはもったいないんじゃない?君達、この国の人間じゃないんだろ?」
確かに、シャルロット達が他の土地の出身である事は一目見ればわかる。それほどまでに、この国の人々は透き通るような金髪の持ち主が多い。だが――。
(……変な奴)
パスですら、真っ先にそう思った。シャルロットとメレイだけでも深い知り合いでもないというのに、その見知らぬ仲間達も含めてどこかへ誘おうなどと、誰が考えるだろうか。彼の表裏の無さそうな爽やかな笑顔がなければ、即座に怪しいと思わざる得ない。何も言えないシャルロットの代わりに、ニースが小さく息をついた。
「……せっかくだが、少々急いでいるものでね。少しでも早くジラウォーグに行こうと……」
「まぁまぁ、そう言うなって」
クルーが調子よくニースを遮った。
「ここからジラウォーグなら、寄り道しても充分日暮れ前にはつける。それに風神の滝壺は世界的にも有名な絶景スポットだぜ」
ペラペラと話しを進めるクルーに、「風神の滝壺?聞いたことあるわね」とメレイが思い出したように言った。
「ホント?メレイちゃん」
「ええ、確かに有名なところよ。風の王国ではあの城の次に名所じゃないかしら」
「ああ、俺も知ってるぜ。確かに楽しそうだ」
意外な事に、ワットも乗り気を見せていた。確かに、今日の最終目的はジラウォーグだという事は全員が把握している。寄り道しても充分な時間なら、シャルロットも気持ちは傾き始めていた。ニースを振り返ると、皆の空気が通じたのか、ニースが小さく息をついた。呆れるような、了承の意だ。ワットがにやりと笑った。
「……決まりだな。せっかくだ、行ってみようぜ」
「そうこなきゃな!俺はクルーだ。よろしく」
クルーが笑むと、ワットが「ああ」と答えた。
「俺はワット。こいつらは……」
「パスだ」
「私はシャルロット」
「メレイよ」
「……私はニース」
「よろしくな。じゃ、行こうか」
全員をぐるりと見回し、クルーが明るく言った。