第15話『約束』-2
王妃への挨拶は実に簡単なものだった。王妃はホールの一番奥、王の席の隣に座っていたが、レビレット王は不在だった。代わりに、王妃の隣には二十代半ば程の金髪の青年が行儀よく立っており、ニースに軽く頭を下げた。王妃は棘が無く、湖の静寂のような雰囲気を漂わせた初老の女性だ。こちらに気が付いた王妃が「あら」と、ニースに微笑みを向けた。
「いらして下さったのね、嬉しいわ。ダークインさんもお連れのお嬢様方も、楽しんでいらして」
シャルロット達は揃って頭を下げた。王妃が隣の青年を見上げた。
「息子のセイディスです。私の二番目の息子ですのよ」
セイディスと呼ばれた皇子が頭を下げた。透き通るような金髪と、暗い色を落とした青の瞳が、王妃にとてもよく似ている。
「この場にはおりませんけどあと息子が三人と、娘が一人おりますの。娘は今年でやっと十五になる……」
「…母上」
楽しげに話す王妃の横で、セイディスが小さく遮った。はっとしたように、「あら」と王妃の指先がその口を押さえた。
「ごめんなさいね。私ったらお話が過ぎて……。…王は先程席を立ってしまいました。中央の棟へ戻られたわ。貴方方はここでゆっくりお楽しみになって」
王妃が笑うと、セイディスが軽く頭を下げた。話は終わりという意味だろう。ニースを先頭に、シャルロット達はその場から下がった。
「……私はレビレット殿を探して挨拶をしてくる。一晩世話になるし……皆は適当に過ごしていてくれ」
「過ごすって……」
シャルロットが意味を理解する前に、ニースはホールの出入り口に向かって人ごみに姿を消した。周囲はパーティーを楽しむ貴族達で溢れている。見るからに、そのたち振る舞いは自分達とはかけ離れたものがある。パスがシャルロットの腕を引いて料理のテーブルを指した。
「おい、あれ食いに行こうぜ!」
こんな場所でも恐れを知らないパスがうらやましくなった。それでもシャルロットが返事をする前に、パスは行ってしまった。
「あ、待ってよ!」
確かに、見たことも無いような料理が並んでいるのが見える。――異国の料理なんて、ミーガンが見たら悔しがりそう。
心の中で親友を思い出し、笑みが漏れた。細いヒールで何とか歩き進みながらワット達に向こうに行く事を伝え、シャルロットはパスに続いた。それを見送り、ワットが髪をかき上げながらため息をついた。
「俺は、外にいるぜ。こんな格好、やっぱ性に合わねぇ」
「シャルロットから目を離しちゃダメよ。あんた達と一緒になるまで何回男に声かけられたと思ってんの?」
――ああ、そう。ワットにしては、興味も無い話題だった。どうせそのほとんどがメレイが目的であろう事など、容易に想像できる。確かにシャルロットにも可愛い印象はあるが、メレイと並べばどちらに声をかけるかなど決まっているだろう。
「そうそう、あの子こーいうとこで踊ったことないんだって。踊ってみたいって言ってたわよ」
「……は?」
「さて、私は勝手に楽しませてもらおうかしら」
勝手に話を進めたメレイは、勝手に軽快なヒール音を立てて人ごみに消えて行った。一人残されたワットは、やはりこの場所で自分達が浮いている気がしてならなかった。
パスと食事に没頭していたシャルロットは、いつの間にかワット達の姿が見えない事に気がついた。
「……あれ、ワットは?」
先程までメレイと一緒に近くに立っていたのに。人ごみに隠れ、死角に立っているのだろうか。
「はぁ、ほのへんにいんだひょ」
口に食べ物を含みながらのパスの言葉は、よく聞き取れない。
「何よ、つまんないの」
頬を膨らませつつも、やはり来るのが嫌だったのだろうか、と考えてしまう。その時、視界の端にメレイを見つけた。メレイは壁際で数人の男性に囲まれて、しおらしく笑顔を振りまいている。
「メレイちゃんは忙しそうだし、ニース様も行っちゃったし……。二人になっちゃったね、パス」
「別にいいんじゃねぇ?食い物はあるし!」
さらに皿へ料理を盛ろうと、パスがテーブルに向かって歩いていくと、そこに立ったままのシャルロットの肩を、誰かが叩いた。
「ワット?!どこ行っ…」
振り返った相手に、言葉が止まった。そこにいたのはワットではなく、見知らぬ国兵だった。人の良さそうな笑顔に、制服といえど剣は持っていない。城に仕える者にとってはおそらく正装に当たるその服装は、この会の出席者だろう。シャルロットの瞬いた目に、男が微笑んだ。
「お一人ですか?どうですか、私と一曲」
「……は?」
笑顔で差し伸べられた手に、シャルロットはその笑顔と手を交互に見てしまった。シャルロットよりもわずかに背が高い、その細身で金の短髪の青年は、シャルロットと歳もさほど変わらないだろう。
「え……と、あの……」
手を泳がせながら、シャルロットは何て答えて良いのか分からなかった。断らなくてはならないのに、言葉が思いつかない。パスに助けを求めようにも、その姿は見当たらなかった。シャルロットのあからさまな動揺に、青年が笑った。
「あなたのような可愛らしいお嬢さん、今までここで見たことがありませんね。ここには初めていらしたのですか?」
「え?は、はい、そうです……」
――どうしよう。冷や汗が浮かぶ中、シャルロットはパスが速く戻ってくる事を祈るしかなくなった。服飾店で会った男といい、この兵士といい、この国の男は誰に対してもかなり積極的な気がする。混乱する頭の隅で、シャルロットは余計な事を考えていた。気が付くと、いつの間にか青年がシャルロットの手を掴んでいた。
「よろしければ飲み物をお持ちしますよ。それからお近づきのしるしに」
男が身をかがめ、手の甲にキスをしようとした。驚きで反射的に手を引っ込めたが、同時に青年の手を彼よりも背の高い男が掴んだ。
「飲み物は結構、こいつは俺の連れだ」
ワットが、シャルロットの腕を引いた。人ごみにまぎれてまったく視界に入っていなかったので、青年もシャルロットも口を開けただけだった。
「ワ、ワット!どこにいたの?!てっきりどっかの女の人と一緒にいると思……わっ!」
言葉が終わる前に、ワットが腕を引いたまま歩き出した。早足だったので、細いヒールのシャルロットは歩くのに必死になり、青年を振り返る余裕もなかった。
「そこの窓辺にいた。言ったろ?俺は貴族の女は好きじゃねぇし。それより……」
ワットが人々が踊るホールの真ん中で足を止め、そのまま掴んだ腕を上げたので、シャルロットはよろけたところをワットに支えられた。
「少し話そう」
格好だけなら、周囲で身を寄せて華麗に踊っている男女に混ざっているように見えただろう。しかし、その先のシャルロットとワットは多少足を動かす程度しかできていない。シャルロット自身、どうしたものかと思った。――何でこんなところで話すのだろうか。これは一応、踊っている部類に入るのか?
「……ワット?」
周囲の男女と同じように、シャルロットはワットに抱き寄せられていた。体が近寄ると、ワットの顔が見えない。
「メレイから聞いた。やってみたかったんだろ?……相手が俺でワリィけど」
笑った声が聞こえると、「そういえば」と思い出した。日中、メレイにそんな事を話したかもしれない。周囲の男女とは程遠い形だが、ホールに流れる賑やかな曲に合わせて脚を少しずつ動かす。シャルロットは何だか楽しくなってきた。「おっと」と細いヒールがよろける度に、シャルロットは体勢を保つので精一杯になった。ワットが支えてくれても、気が付かないほどに。そのせいで会話が途切れている事にすら、気が付かなかった。
ふいにその背を支える手に、ぎゅっと引き寄せられた。不思議に思って顔を上げるも、体が重なっているせいでその表情が見えない。シャルロットは思わず笑った。まるで、周囲と同じく恋人同士でも演じているようだ。
「何?」
「お前に……ずっと言おうと思ってた事がある」
返ってきた声は、予想とはまったく違う、暗い影の降りた声だった。いつもの自信のある大きな声ではなく、細い、呟くような声――。その雰囲気にシャルロットは周囲の賑やかな音楽が耳から入らなくなった。
「どうし……たの…?」
「……砂漠でお前がさらわれた時……」
一瞬、シャルロットは身がこわばった。あの話は、ニースを始め、ワットともあまりしていなかった。嫌な事を思い出さないで済むようにか、皆もその話題はさけていたから――。耳元のワットの声は、小声でもしっかりと聞こえた。
「俺は守ってやれなかった。……お前を守るって言ったのに、二度もお前を手離した……。そのせいでお前に怖い思いをさせて……」
思いもよらない言葉に、シャルロットは何も考えられなくなった。
「……悪かった。…本当に…」
――どうして?
そう言いたいのに、喉が詰まって言葉が出なかった。なぜワットが謝る必要がある?あの時助けてくれたのは、まぎれもなくワット達自身だったというのに。自分を抱く腕に、シャルロットははっとした。
(ずっと……気にしてたの?)
あの古城から出た後は、誰もその話題を自分の前で話さなかった。何かを言いたくても、そのタイミングを逃していたのかもしれない。――私に気を使って。
しかし、あの事に関してワット達には感謝の意しか持っていない。恨み言など、あるわけがないではないか。
シャルロットは胸が締め付けられた。痛みではない。――嬉しかった。ずっと気にしていてくれたなんて。いつも通り振る舞いながら、その想いをずっと胸に閉まっていたなんて。
「……に言ってんよ、ばか!」
喉の奥から、声をしぼりだした。泣けない、泣いてはいけない。少しくらい声が震えたかもしれないが、つとめて明るい声で言ったつもりだ。今泣いたら、ワットの思いを無駄にしてしまう気がした。体を離し、顔を上げた。
「こっちは…いつも頼りにしてるんだから。そんな事言ってる暇があったら、少しでも強くなって……今度は離さないでよ」
無理矢理作った笑顔に、ワットが小さな笑みで答えた。それが重なると、気持ちを切り替えるように、シャルロットはワットの手を引っ張り、「さ、続き続き!」と足を進めた。
「私、ダンスなんて初めてなんだから!素敵な思い出にしたいのよ」
「……そんなの今夜俺のベッドに来ればいくらでも作れる…――痛ぇッ!!」
「あ!!」
過ぎた冗談に、思わず足を踏んでしまったが、同時にシャルロットは自分がヒールを履いていた事を思い出した。ごめん、と顔を上げたが、ワットは痛みで顔を歪めつつも、いつものように歯を見せて笑っていた。
「……そういう流れじゃなかった?」
「…意味わかんない」
ワットを睨みつつも、頬が熱くなるのを感じる。
「冗談に決まってんだろ、皆同じ部屋だぜ?」
――確かに。ワットに手を取られつつも、シャルロットは安心した。いつものワットに、戻ってくれている。
軽快な曲に合わせて二人で踊っていると、シャルロットは楽しくて仕方が無かった。周囲の男女の華麗な踊りとは違った不恰好な踊りでも、まったく気にもならなった。ずっとこのまま踊っていたかった。
初めてワットの心の一部が見えた気がした。それを伝えてくれた事が、いつか感じたような心の壁を溶かしてくれたようで、本当に嬉しかったのだ。
いつもお読みいただいてありがとうございます。
ご意見ご感想、何でもお待ちしております。
物語はまだまだ中盤の前半ってところです。
これからもお付き合いくださいませ(*^_^*)