第15話『約束』-1
店内に並ぶ服飾品はそのほとんどが中流から上流階級向けの、多少なりとも値の張るであろう品々ばかりだ。それらが全て入り混じって配置されているにも関わらず、クルーの選ぶドレスはどれもこの店では一級品のものばかりだった。値札より、その目で選ぶしぐさにさすがの店主も感心してあごに指を当てた。
「……いやぁ、クルー様がこんなに服飾品に対する鋭い目をお持ちだったとは……」
誉められても振り向きもしないクルーは、隣のシャルロットにドレスを一着差し出した。
「お嬢さんにはこの辺、どう?」
手渡されたそれはとても手触りがよく、しなやかにシャルロットの手に馴染んだ。淡いピンクに光沢のある生地で、ふわりとした丈の短いドレスだ。
「…わぁ、可愛い…」
思わず息が漏れた。鏡の前でドレスを体に当てると、自分で思うのもなんだが、自分の金に近い茶髪と同じ色の目、血色のいい肌の色が、ドレスと合っている。
「似合うじゃない」
メレイの言葉に、シャルロットはなんて答えてよいか分からず「そ、そうかな」と、どもり気味に答えた。
「そうだなぁ、お姉さんにはこれがいいかなぁ」
クルーがメレイにも一着差し出した。赤い生地に長いロングのタイトドレスで、生地が揺れるたびに漆黒を含んだ艶が光る。
「綺麗だろ?これなら城のパーティーにだって出られるよ」
冗談のつもりだろうが、実際に城のパーティーに行くシャルロット達にとっては心強い言葉だ。クルーがニッコリと笑うと、メレイはそれを受け取りながら作った微笑みが崩れかけた。クルーの笑顔は、初対面の人間にも自然と警戒心を無くさせるような純真さがある。同じ目線の高さで、メレイはクルーの目にそれを感じた。隣で、店主が手を叩いた。
「ええ、このドレスは少し身の丈があって……身長のある方でないと着れなかったんですが、お客さんならバッチリですよ」
「……どういたしまして」
褒められているのか、いないのか。店主よりも背の高いメレイはそれを見下ろした。鏡でそれを当てたが、確かにこれなら誰も批判はしないだろう。メレイの赤毛の長い髪と茶色の印象的な瞳に負けない程の色鮮やかな赤いドレスだ。
「じゃあシャルロットのそれと……これを頂くわ。クルーさん、選んで下さってありがとう」
「いえいえ、貴方のような美しい方のお力になれて光栄ですよ」
メレイの微笑みに、手をひらひらとさせてクルーが笑った。本当に、歯の浮くようなセリフがすらすらと出てくる男だ。しかも本人にとって、それはただの挨拶に過ぎないのだろう。――この国の人ってすごい。
妙な感心を抱きながら、何気なく手に持ったドレスの値札を裏返すと、シャルロットはそんな考えはどこかに吹っ飛んだ。―― 一ゴールド。つまり、金貨一枚。シャルロットが宮殿で生活していた時の、兄妹二ヶ月分の食費に近い。
「(メ、メレイちゃん!これすっごく高いって!)」
思わず叫びそうになる声を極力抑え、クルー達に隠れてメレイの腕を引っ張った。
「大丈夫よ」
そんな焦りを気にも留めず、メレイが腰につけたバッグから小さな包みを取り出した。メレイが包みを広げると、シャルロットは息を呑んだ。中から出てきたのは、金貨六枚だ。
「それ……っ!」
思わず叫びかけたところを、店内である事を思い出し、両手で口を塞いだ。メレイは涼しい顔で、店主と会計をすませにいった。
『金ならあんだろ?』
昨晩の食事の席でのワットの言葉が頭をよぎった。メレイの所持金――とは思えない。ワットが知っているのだから。
「ねぇ、クルー、この髪飾りはどお?」
クルーの後ろから、ギティが髪飾りを手に持って顔を覗かせた。綺麗な赤や茶の石がたくさんついた、先が銀の棒になっている髪飾りだ。とても可愛い。クルーが「お、いいね」とそれを手に取った。
「じゃあ今日はこれにするか!店主、これも頼む」
「はいはーい、ちょイトお待ち下さいねー」
一度に高価なドレスが二着も売れたせいか、店主の上機嫌は声にまで表れている。シャルロットはふいに疑問が沸いた。
「クルーさん」
シャルロットの声に、クルーが振り返った。
「クルーさんはこんなにドレス選ぶのがうまいのに、どうしてプレゼントは自分で選ばないんですか?」
もっともな質問に、クルーが「ああ」と、笑った。
「これは妹にあげる物なんだ。……ちょっとワケアリでね。妹には俺の趣味よりギティの方が、良く合うらしい」
「……そうなんですか」
納得できるような、できないような。首をかしげると、会計を済ませたメレイが袋に入った品物を持って戻ってきた。
「シャルロット、帰るわよ」
「あ、うん!クルーさん、ありがとうございました!」
シャルロットが頭を下げると、クルーは同じように手を振って笑顔を返した。店を出ると、メレイの声色はすぐにいつもの調子に戻った。
「運が良かったわね、お昼前に終わった。早く宿に戻りましょ」
さっさと歩き進むメレイに、シャルロットは跳ね足で後に続いた。
「メレイ、ドレスのお金って……メレイのお金?」
シャルロットの言葉に、メレイは「あれ」と振り返った。
「言ってなかったっけ?違うわよ、あのデイカーリの古城で……」
笑って話す言葉が、シャルロットの顔を見て途切れた。デイカーリの名を聞いた途端、シャルロットの顔が固まってしまったからだ。あの砂漠の城での出来事は、皆シャルロットに気を使っているのかあまり話題に出さなかったから――。それに自ら気がつき、シャルロットは表情を戻した。
「……あの砂漠の?」
シャルロットが普通に話すので、メレイは話を続けた。
「そ。あいつらの有り金貰ったの」
シャルロットは思わず口が開いたが、言葉は出てこなかった。――有り金を貰った?それはつまり、彼らの金を盗んだということでは?
「どうせ長くはいないとこだったし……これくらいいいでしょ?そんな顔しないでよ!お金だって、有効に使われた方がいいじゃない」
メレイは笑って先に行ってしまったが、シャルロットは呆れて返す言葉は見つからなかった。
太陽が水平線に沈み始め、初めてあの城を見たときと同じようにその姿に影が降り始める頃、シャルロット達は支度を整えて荷を抱え、馬で宿から出た。ドレスで街道を進むわけにはいかないので、ニース以外は皆普段の格好のままだ。馬で進むと、城にはわずか数分で到着した。
足元から風の城を見上げると、その姿は本当に天を貫くかのようなに勢いで空に続いている。門前の兵士が既に言伝を聞いていたようで、ニースを先頭にシャルロットらをすんなりと城内へと通した。馬を預け、若い使用人に案内されて街中とは打って変わった静けさを保つ廊下を進んだ。城内は外壁と同じような薄茶色の壁に、赤い絨毯。黄金の装飾品や絵画がいたるところに飾られている。部屋に案内されると、男女で部屋を二つ用意してあると説明された。
風の王国の使用人は白い長袖のブラウスに、茶色の膝下のプリーツスカート。白いエプロンをつけている。どうやらそれが制服らしく、他にも同じ格好の女性を何人も見かけた。
「……ったく、息が詰まりそうだぜ」
部屋で服を着替えると、ワットは苦しげに胸元のボタンを二つ外した。せっかくニースからきちんとしたシャツを借りたというのに、一度きちんと着た途端に喉元が苦しくなったようだ。手持ちの服は古びたものしかなかったワットは、体格の近いニースの火の王国の制服の予備を借りていた。
長袖の白いブラウスに黒いズボンをベルトで締めたが、用意された上着は羽織る気持ちさえ起きなかったようだ。ベッドに腰掛け、ワットはせっかく整えた髪をかきあげた。準備の段階で、もう自分の格好に疲れているらしい。
「上着は着なくても平気だよ」
そんなワットに、ニースが笑った。
「時間もだいぶ過ぎたな。そろそろ行かないと……」
ニースが部屋を出ると、ワットも仕方なくベットから立った。正装したパスも、跳ねるようにそれに続いた。当然パスもきちんとした服など持っていなかったが、ドレスを選んだ帰りにメレイとシャルロットが買ってきた。黒のズボンと白の半袖のブラウスは、着慣れないせいかだいぶ曲がっている。
ニースが隣の部屋をノックした。
「そろそろ行くぞ。支度は……」
「できるわ、あと少しで」
中からメレイの声が返ってきたが、ドアが開く気配はない。「先に行ってて」と言うメレイの声に、ニースとワットは顔を合わせた。
「……わかった。場所は分かるな、北の塔だ。早めに来るんだぞ」
シャルロットの声で「はーい」と返事があった。ワットは呆れたため息をついた。
「……ったく!何にそんな時間がかかるってんだよ……」
「ようこそ、いらっしゃいました。ニース=ダークイン様とお連れの方々ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
北の塔の入り口で、ニースとワットとパスを使用人の女性が奥に案内した。城の最北に位置するこの塔は、離れのような一つの塔だ。大きなホールに、天井は天にも昇るほどの吹き抜けで作られ、螺旋のように壁を伝った階段が、天井まで続いている。飾りつけも豪華だが、何より、ホール内には多くの客人達がいた。この国の人種に多い、金髪と肌の白い男女が綺麗なドレスや国兵の正装服を身にまとい、楽しそうに話したり、踊っている。
「すっげー!何だこりゃ!……あ!なあ、あれ食っていいのか!?」
パスが目の前に並べられた豪華な料理を指差した。それを見て、ニースが思わず笑った。
「ああ、王妃に挨拶をした後でな」
「挨拶?じゃあさっさと行こうぜ!」
「そうだな、シャルロット達が来たら……」
言いかけて、ニースが言葉を止めた。入り口に立つドレスの女性が二人、目に入ったからだ。一瞬、見知らぬ出席者かと思ったが、すぐにそれは見慣れた人物だと分かった。メレイとシャルロットだ。
「見つけた、遅くなったわね」
前を歩くメレイが、ドレスの裾を揺らしながら軽く手を上げた。流れるような体のラインは、メレイのスタイルの良さえを際立たせ、いつものポニーテールにはシンプルな髪飾りをつけている。腕や肩を惜しげもなく出し、右腕の付け根はアクセントのような金色のリボンが長めに巻かれていた。ドレスと同じ赤いヒールの音を響かせ、メレイが動くたびにドレスは漆黒の艶を放っている。
「……まじかよ」
ワットが思わず笑った。元々メレイが綺麗な顔立ちをしていることは知っていたが、その髪や目の色に似合った赤いドレスを纏った美しさは、このホールの中の誰よりも存在感を示しているいっても過言ではない。その本性を知るワットやニースは今更何の感情も沸かなかったが、周囲の目にはそんな事は映らないだろう。言葉がないワット達に、メレイがにやにやと笑った。
「見違えたって?でも驚くのは私だけじゃないのよ。ホラ、シャルロット、隠れてないの!」
メレイの背に隠れていたシャルロットはその言葉に慌てた。――ずっと隠れていられるわけでもないのに、そうせずにはいられなかった。こんなドレスを身に着けたのは初めてだし、こんな歩きづらい細いヒールの靴を履いたのも初めてだ。メレイのようにスタイルがいいわけでもない。シャルロットはメレイの背からおそるおそる顔を出した。
購入した淡いピンクのふわりとした膝丈のドレスに、同じ色の靴、腰までの長い髪はトップでまとめきれず、メレイに流すように垂らしてもらった。しかし肩と胸が出るドレスはどうしても恥ずかしく、肩から薄い地のショールを羽織ることにした。これは、メレイが持っていたものだ。
「……お、遅れてごめんなさい」
皆の視線を感じ、シャルロットは頬が熱くなるのを感じた。メレイの背から離れられない。「へぇ」と、ワットが笑ってシャルロットに歩み寄り、あごに手を当てた。
「かわいいな、似合ってんじゃん」
「ホント?!」
思わず、パッと顔を上げた。自信の無い時に褒められると、こうも嬉しくなるものか。気付いたら、メレイの背から手が離れていた。ワットがショールを指で遊んだ。
「これはなくていーんじゃねーの?」
「い、いいの!」
慌ててショールをたぐりよせた。抜群にスタイルの良いメレイの隣で、そんな事ができるわけない。普段は自分の痩せた体の事など何とも思っていないが、こういう場で、このような格好になると、嫌でもそれを思い出させられる。
「二人ともよく似合ってるよ」
ニースの言葉に、メレイが「どうも」と皮肉っぽく笑った。ニース自身が気が付いていなくても、それがこの男の身分ゆえの社交辞令から出た言葉である事は、充分に分かっている。シャルロットはふいに、自分の格好よりも、ワットの格好に気がついた。
「ワットこそ……その服どうしたの?」
今まで見たことのないような正装――いや、ワットではない人でなら、見たことのある服だ。ワットが顔を背けた。「ニースのだよ」とパスが口を挟んだ。
「ニース様の?」
――ああ、そうか。どうりで見覚えがある筈だ。しかし、ニースが着るのとワットが着るのでは印象がだいぶ違う。胸元のボタンは二つも外れているし、何だか締りが無い。
「(ニースの方が少しでかいからな。さっき文句たれてたぜ)」
「(あ…ホントだ。確かにズボンの裾が余る感じね)」
わずかな身長差は、足からくるものだろうか。
「聞こえてんぞテメーら」
ワットの声に、パスが慌てて口をふさいだ。小声でも充分聞こえる範囲だったようだ。「でもワットも見違えたよ!」とフォローにまわるシャルロットの言葉を無視して、ワットがため息をついた。話を聞いていたのか、いないのか、ニースは話しに加わるそぶりも無くホールの奥を覗いた。
「さあ、王妃に挨拶に行くぞ」
最近毎日更新を目指していたのですが、年末の忙しさに流され、ついに駄目でした……(T_T)
年末年始は書き溜めたいと思いつつ、忘年会シーズンにやられております。でも基本土曜から休みなんで。