第14話『兆候』-4
「えーっ!!」
「ゲホッ!!」
宿屋の食堂、夕食の席でシャルロットとパスが同時に声を上げたのと同時に、ワットが飲んでいた水を吐き出した。水は、そのまま隣のパスの頬へ飛んだ。
「げっ!何すんだよ!!」
怒って頬を拭うパスに対し、ワットはそれに目もくれずに口を拭った。
「ああ、ワリィ」
形式だけの言葉を吐き、ワットは大きくした目をニースに向けたままだ。パスがしつこく頬をこすっているのを見て、シャルロットは仕方なく席を立ってタオルを取り、パスに手渡した。
「全員って……全員?」
メレイがフォークで同じ食卓のシャルロット達をぐるりと指した。
「全員、だそうだ」
「何で」
鼻で笑い、メレイが聞き返した。
「……俺の知った事か」
ニース自身も、あまり言葉に気遣う余裕はないらしい。「とにかく」とニースが顔を上げた。
「王妃が我々を客人として迎えたいから、明日の夕方全員を連れて、パーティーに出席して欲しい。そうおっしゃっていた。出発が明後日になるなら、日程的にも断ることはできなくてな……。その晩は城に泊まればいいそうだ」
「王妃の申し出をその場で断れとは言わないけど。だいたいパーティーって何?私達は書状を貰いたいだけなのよ。そんなことしている暇があったらとっとと書状を作って出国許可を出して欲しいわね」
メレイはワットが頼んだ酒のボトルを引っ張り、勝手にグラスについで飲んだ。ワットの視線に、メレイはワットの分もグラスに酒を入れ、手渡した。「確かにな」と受け取りながら、ワットはニースに顔を向けた。
「それに王家のパーティーなら周辺の貴族も出席すんだろ?そんなの俺達にゃ場違いもいいとこだぜ」
グラスの酒を一気に飲み干す。ニースが食事の手を止めた。
「確かにそうかもしれないが、王妃のご好意だ。断れるわけ無いだろう。……ただの月例会だそうだし、そこまで気構える必要もないだろう。少し顔を出して王妃に挨拶をするだけだよ。我々が来たから催すものでもない、ついでの客だ」
「全員って……本当に皆行くんですか?……もしかして…私も?」
シャルロットは恐る恐る尋ねた。パーティーなら使用人仲間と散々やったことがあるが、それらはただの馬鹿騒ぎに過ぎず、上品なパーティーとは程遠い。貴族達のパーティーなど、砂の宮殿での始まる前の準備と、片付けしか知らない。
「ああ、すまないが付き合ってくれ。うっかり、人数を話してしまったんだ。パス、君もな」
ニースが顔を向けると、パスは料理を口に頬張ったまま顔を上げた。
「オレは別にいいぜ?うまいもんがいっぱいあるんだろ?それにあの城に泊まれんだったらサイコーじゃねーか」
「ま、私もある意味興味はあるわ。城は好きよ。でもさすがにこの服じゃマズイんじゃない?」
メレイが古びてあちこちが擦り切れた自分の服を引っ張った。――確かに。
それを見て、パス以外の全員がそう思った。第一、メレイの服は胸元や足が露出しすぎていて、新品だとしてもその場には到底ふさわしくない。
シャルロットは「…そっか」と自分の服を見下ろした。当然、自分も例外ではない。
「こんな格好で行ったらそれこそ浮きまくりだわ」
メレイが息をついた。その言葉には、面倒ごとを持ち込んだニースに対する棘も含まれている。
「ドレスくらいここで買えばいーんじゃねーか?金はあんだろ?」
ワットが酒を飲みながら、メレイを見た。「そうねえ」とメレイがあごに指をあてる。酒が入っているせいか、ワットも多少機嫌がいいらしい。珍しく、メレイに対しても棘がない。
「…それもいいか。じゃあせっかくだから買っちゃう?シャルロット」
「あ、私はお金ないから……」
誘いに乗れないのは残念だが、持ち金が無いのは仕方がない。元々、ドレスを買えるような身分ではないのだし――。顔を曇らせたシャルロットに、メレイが笑った。
「なーに言ってんの、それくらい私が買ってあげるわ。ドレスの一着や二着、安い物よ」
「へ……?」
間の抜けた声を出し、一瞬何を言われているのか分からなかったが、その意味が分かるとシャルロットの心は途端に明るくなった。
「ウソ!ほ、本当に!?」
身を乗り出したシャルロットに、メレイがにっと笑った。
「やだ、嬉しい!ありがとメレイ!!」
「もう、大げさね……わ!」
嬉しさのあまりメレイに抱きつくと、メレイは笑ってその手でシャルロットの頭を撫でた。
「ま、そういうわけだから。明日午前中に買いにいくわ。パーティーは夜でしょ?」
「ああ、日が落ちるより前に戻ってきてくれればいい。そのまま城に泊まるだろうから荷の支度もしなくては」
「おいおい、俺は行くなんて言ってねぇぞ」
順調に進む話に、ワットが水を差した。思わず「何で!」とシャルロットは非難の声を上げた。
「……興味ねぇよ、そんな貴族だらけのパーティーなんざ」
「あの素敵なお城に入れるのに!?」
「うまいもん食えるぞ!」
「貴族の若い娘だって来るわよ?」
シャルロットとパスとメレイから連なるような返答がくると、ワットがわずかに身を引いた。
「城に興味もねぇし……貴族の女も好きじゃねぇよ」
食事に目を落とし、ワットはフォークで芋を刺し、口に運んだ。
「城に泊まるってんなら部屋で待たせてもらう」
本当に興味の無さそうなワットに、シャルロットは浮き立っていた気分が一気に沈んだ。
「そんなぁ……。ワットが来ないんじゃつまんないよ。皆で行こうよ」
――皆で行くから楽しいのに。こういうのは、一人でも欠けると楽しめないものだ。シャルロットの視線に気が付かず、ワットは箸を進めている。食事を終えたのか、メレイが「ご馳走様」と雰囲気に関わらず席を立った。
「明日は早くなりそうだから先に休ませて貰うわ」
頬を膨らませているシャルロットの後ろを通り、メレイはワットの後ろで足を止めた。
「……何だよ?」
それに気がつき、ワットがグラスを持ったまま振り返る。メレイは身をかがめ、ワットの首に腕を回して引き寄せ、顔を近づけた。ワットが眉をひそめた。
「何……」
言いかけたが、メレイの耳元でのささやきに、ワットは口をつぐんだ。シャルロット達までその言葉は届かなかったが、メレイはそれを言い終えるとワットを離し、全員を見回した。
「……じゃ、オヤスミ。シャルロット、明日は早いわよ」
「あ、うん」
とりあえず返事をするも、明らかにワットが何を言われたのかが気になった。ワットがそのまま続けてグラスの酒を口に含んでいる間に、メレイはそのまま食堂を出て行った。「オレも」と、パスがとろりとした表情で席を立った。満腹になり、眠気が差したらしい。
パスが食堂を出て行くと、シャルロットは再びワットに視線を戻した。
「メレイちゃん、何だって?」
シャルロットの言葉に、ワットは眉をひそめたままささやかれた方の耳を片手で拭った。
「……別に。たいしたことじゃねぇ」
耳打ちに気を悪くしたのだろうか、ワットは顔をしかめたまま何度も耳元を拭いている。シャルロットには意味がわからなかった。「ああ」と、ワットが顔を上げた。
「……やっぱり俺も行くから」
「ホント!?」
シャルロットはメレイの言葉の事など頭から飛んだ。
「ちょっと顔出すだけだぜ、ニース」
それでも不服そうな顔を残すワットに、ニースが笑った。
「……助かるよ。これで王妃に顔向けできる」
「じゃあ、これで皆で一緒に出れるね!」
そんな気も知らず、シャルロットは一人で喜んだ。部屋のベッドに入ってからも、明日の晩が楽しみでなかなか寝付けなかった。
明朝、シャルロットとメレイはドレスを買いに朝から宿を出た。シャルロットにはドレスというものがどこで買えるのか、またどんなものなのか想像もできなかったが、とりあえずメレイについていく事にした。出かける前にニース達の部屋に寄ったが、きちんと身を整えているのはニースだけで、パスはだらりとベッドに転がり、ワットはまだ布団をかぶっていた。ニースによれば、ワットは昨夜部屋で遅くまで飲んでいたらしい。夕方までは、皆ゆっくりと休むのだろう。
街道は、人通りも多かった。乾いた空気に青い空、上着がなくても風がとても心地いい。ニースの言っていた通り、レビレット王家の治めるこの国は、世界でも名の通った治安の良い国らしい。城下町ともなると、特にそれが強調されているのだろう。女性二人の買い物でも、危険をまったくと言っていいほど感じない。元よりメレイが一緒なら、シャルロットには一欠けらの心配も無いのだが。
「服飾店って結構いっぱいあるわね」
並んで歩きながら、メレイが息をついて周囲を見回した。宿の近くの店から見て回り、既に二軒の店を見終えたところだ。まず問題にあたったのは、自分達がこの国の貴族のパーティーを見たことが無いということだった。ドレス自体はピンからキリまで値は様々だったが、場に似合うものをと考えると中々決められない。
太陽が真上に登る頃、街道はいよいよ人に溢れ、シャルロット達は声を張らなくては互いの声が聞き取れないほどに周囲は賑わっていた。
「やっぱり初めのとこじゃ、いいお店なんてわからないよね。次は……」
周囲を見回し、再び服飾店を見つけた。
「メレイ!あそこ、入ってみよ」
勢いよくドアを開けると、ドアに付いた鐘がからんと鳴った。同時に、店の店主が振り返った。
狭い店内にはこれ以上の服は収まらないだろうと思わせるほどの品々が並んでいる。ハンガーにかけられて並ぶ服は、一度取り出したら二度とそこには収まらないだろう。
「どのような品をお探しで?」
四十歳半ばほどの気の良い男が笑顔で寄ってきた。丸く小さな眼鏡の奥で、商売笑顔を決して絶やしていない。
「…ドレスを捜しているんですけど…」
店主の笑顔に圧倒され、シャルロットは口ごもった。
「普段のお召し物しょうか?」
「いえ、パーティー……用で」
自分で言いながら、シャルロットはその言葉を可笑しく感じた。――私がドレスを探してるなんて。
先ほどの店からもそうだったが、そう思わずにはいられない。その横で、メレイがため息を漏らした。思わずドキッとするような、艶のある声だった。
「……身分のよろしい方々の会なんですけど、私達、そう言う事に慣れておりませんの。何かいいドレスを選んで下さらない?」
上品で艶のある口調に、店主は一瞬ポカンとしたが、それはすぐに商売笑顔に戻った。
「は、はい!もちろん!どうぞこちらへ!」
店主が手招きをしてメレイを店の奥へ案内した。その顔を振り向かせ、メレイはシャルロットに小さくウィンクをした。――値引きでもしてもらうつもりなのだろうか。
メレイの猫なで声に、そう思わずにはいられなかった。それについて足を踏み出した途端、からんと背後の鐘が鳴った。開いたドアに反射的に振り返ると、シャルロットより背の高い青年が、人がいることに驚いたのか、大きな明るい青色の目でシャルロットを見下ろした。
「……おっと。失礼、お嬢さん」
ワットと同い年くらいだろうか。白いTシャツに腰元を紐で結んだ格好は、先ほどから多く見かける若者達の格好と変わらない。シャルロットの金に近い茶髪とは違い、透き通るような輝きのある金髪を背まで延ばし、首筋の後ろで縛っている。色白の肌とその繊細な顔立ちはこの国の国民の特徴を色濃くあらわしていた。
青年がシャルロットの横を通り越すと、後ろから歳の近いであろう女性が入ってきた。大きな胸が一目で目に付くような胸元の大きく開いたノースリーブのタンクトップに、肩から袖を通さずに上着を羽織っている。ショートパンツにヒールのサンダルは高い物には見えないが、その輝ける風貌はとても魅力的に思えた。女性も、青年と同じく金髪だが、色はシャルロットの茶色に近い。短めに肩上で切られた髪は大きめにカールし、四方に揺れている。
「クルー、今日は何にするの?」
女性の声に、青年が「うーん」と振り返った。
「そうだな、この前はネックレスだったから……髪飾りあたりだな」
「ふーん。それでこの前は大丈夫だった?」
女性の言葉に、青年が苦笑いを見せた。
「シャルロット?何してるの?」
店の奥からのメレイの声に、シャルロットは慌ててメレイを探した。
それからしばらくたっても、店内の客はシャルロットとメレイ、そして先程の二人の男女だけだった。男女の方はどうやら店の常連らしく、店主とも時折なにやら打ち解けた話をしている。その背を見つめていると、メレイがそれに気がついた。
「どうしたの?シャルロット、あちらのお二方が気になる?」
店内は狭く、当然聞こえた声に男女が振り返った。二人と目が合ってしまったシャルロットは「え!」と慌てて手を振った。
「な、何でもないです!あはは、やだなメレイちゃんってば……!」
妙な愛想笑いを浮かべ、シャルロットは男女を見るのをやめてメレイのそばに戻った。店主がシャルロットを見て笑った。
「あちらはここの常連さんですよ。クルー様と、ギティ様です」
店主が「クルー様」と男女に向かって首を伸ばした。
「今日の妹君へのプレゼントはお決まりですか?」
店主の声に、青年が振り返った。
「ああ、今日は髪飾りにしようと思ってさ。今、選んで貰ってる。こいつはセンスがいいから助かるよ」
クルーと呼ばれた青年が、熱心に髪飾りを選ぶギティの隣で笑った。その視線が、シャルロットとドレスを選んでいるメレイに移った。
「そちらの可愛らしいお嬢さんと、奥の美しい女性はドレスを捜しているのかい?」
「え?ええ…。そうです」
青年の言い回しに、シャルロットは戸惑いを隠し切れなった。――可愛らしいお嬢さん?
それを気に留める様子もなく、メレイがクルーに笑顔を向けた。
「…パーティーに出席するんですけど、私達旅行中の身ですからドレスを持ち合わせておりませんの」
店主が「へえ」と声を上げた。
「旅のお方達だったんですか!今どき珍しいですねぇ……。それじゃあ、この国の上流さん達の趣味なんて分からないでしょう」
「ええ、ですから貴方に選んで頂きたくて」
「えぁっ!?私に!?」
平然としたメレイの言葉に、店主が慌てた。だがそれは、シャルロット達にとっては予想のできていた反応だった。前の二軒でも、店主の反応はまったく同じだったからだ。――ここも駄目か。
店主の困惑の顔色に、シャルロットとメレイは顔を合わせた。しかし、土地のパーティーには、土地の人の意見がないとさすがに購入には踏み切れない。
(次の店かな……)
そう思い始めたシャルロット達に、ギティが顔を上げた。
「クルー、選んであげたら?」
思わず、シャルロットとメレイ、店主が「え?」とクルーを振り返った。クルーはそれが何事でもないかのように「ああ」と笑った。
「そちらのお二方さえよろしければ」
シャルロットとメレイは顔を見合わせた。その顔に不安を察知したのか、ギティが声を高くして笑った。
「大丈夫よ、クルーはこう見えてもあたしと違って上流階級の人間なんだから!そう言うことはお手の物よ。ねえ?」
「ご親切にありがとうございます。……じゃあ、お願いしようかしら」
言いながらも、メレイはクルーの調子のよさそうな笑顔に半信半疑の気持ちが残った。しかし、物はためしだ。三軒目だし、いいかげんに決めていしまいたい気持ちもある。顔を合わせ、シャルロットもそれに同意した。




