第14話『兆候』-2
「あー、よく寝たぜー!!お、メシ食ってんのか?」
翌朝、パスが大きく伸びをしながら宿の食堂に降りてきた。先に食事を始めていたシャルロット達は一瞬目を丸くしたが、パスは何事もなかったかのように席に着いた。
「もう平気なの!?」
スプーンを置き、シャルロットは立ち上がった。用意されたスプーンを片手に、パスが首をかしげた。
「あ?ああ……、よくわかんねぇけど…気持ち悪くねぇし…たぶん平気だ!それより……ここどこだ?」
どうやらパスの記憶は、砂漠で途切れているらしい。
「風の王国の国境の村だ。砂漠との境の村」
それを見越したのかニースが答えると、パスが「ええ!?」と声を上げた。
「じゃあここってもう風の国なのか!?いつの間に……てゆーか、何でメレイがいんだ!?ウェイは?!」
連続して気がついた事態に、パス自身口よりも頭がついていっていない。「ウェイとは昨日国境の前で別れた」とニースが説明した。
「えーっ?!別れた!?昨日!?オレに黙って!?」
音を立てて立ち上がるパスに、ワットがフォークを向けた。
「お前熱でそれどころじゃなかったじゃねーか」
「マジかよー!?」
ぐったりとうなだれるパスが、テーブルに伏せる。「…で?」と、そんなパスを無視して、ワットが切り出した。話の途中をパスに邪魔されていたのだ。気を取り直すように、ニースが顔を向けた。
「…そうだな、総合的に見ると当初の予定より二十日近く遅れてる」
「そんなにですか?!」
シャルロットは思わず声を上げた。遅いだろうとは思っていたが、そこまでとは。
「まぁ何かと足止めは食ってるよな。日出待ちとか……」
南の大陸の町長選挙に始まり、シャルロット自身も砂の宮殿で足止めをさせている。賊とのトラブルも耐えないし――。
「旅に誤算はつきものよ。しょうがないわ」
メレイがさして興味もないように付け加えた。
「とにかく…今日から少しペースをあげていこうと思う。すまないが協力してくれ」
「そのためには体力回復だな。出発は?」
いち早く食事を終え、ワットが食器を重ねた。
「昼頃だな。村を出たら城下町を目指す。城まで二日はかかるだろうからこの辺りで地理情報を集めてから出発するとしよう」
ニースの言葉に、「そりゃいい」とワットがあくび交じりで立ち上がった。
「見かけより寝心地のいいベッドだったからな。俺は昼まで寝るぜ」
「また寝るの?」
パスを除いては一番最後に起きているワットに、シャルロットは呆れて顔を向けた。
「お前らも体力はつけられるときにつけておくもんだぜ」
それを気にも留めず、ワットは部屋のある二階に戻っていってしまった。それと同時に、シャルロットは昨夜荷の整理をまったくしていなかったことを思い出した。
「あ、私も行かなきゃ。昨日そのまま寝ちゃったから荷の整理があるんです」
シャルロットが階段を昇っていくと、それを見ていたニースはふと自分に向いた視線に気がついた。「何だ?」とニースはメレイを振り返った。
「…何でもない、私も昼まで休むわ」
同時に目を逸らし、メレイが席を立った。自然と、パスがそれを目で追った。すると食堂の出入り口で、メレイが足を止めた。
「…あんた…」
振り返らないその背に、ニースが「ん?」と顔を上げた。
「……ルジューエル賊団って、知ってる?」
それを思い出すのに、ニースは一瞬頭の隅まで記憶を探った。パスにも聞こえてはいたが、長い名前をうまく聞き取れなかった。それに該当する答えを、ニースはわずかになら知っていた。
「…名前程度なら。国の手配書にも古くから名を連ねている連中だ。国兵をやってるものなら誰だって知ってる。それが……?」
その答えに、メレイは顔も向けずに「そう」と言い残して去っていった。――自分で聞いたくせに。ニースはそう感じずにはいられなかった。しかし同時に――。
「ルー…何だって?」
パスが改めてニースに聞き返した。しかし、ニースの視線はメレイの出て行った食堂の入り口から離れなかった。有名な賊団ではあるが、なぜメレイがそれを尋ねるのかがわからなかった。
「……賊団の名だよ。古い……」
はっきりとした答えをくれないニースに、パスは首をかしげるしかなかった。
正午を過ぎる頃、シャルロット達は出発することになった。
宿の主人から城下町までの道のりの説明を受け、ニースが地図と照らし合わせて道を選び、再び馬に乗って道を進んだ。ワットはパスを一緒の馬に乗せることに一瞬不満気な顔を見せいてたが、それはお互い様だったかもしれない。
裏門から一歩村を出れば、あたり一面に山岳地帯が広がった。薄茶色の岩山があちらこちらに突き出し、ばらばらに天高くまでそびえ立つそれらで、先まで見えるはずの視界はすぐに遮られる。かくばった岩肌に切り取られた空は、薄い雲がところどころにちらばり青々としていた。わずかに暖かみを帯びた風は、砂漠の日差しと熱風を忘れさせるほどに心地いいものだ。国境を境に地形が変わり、それと同時に気候は過ごしやすい暖かさへと変化していった。
ニースを先頭に馬を進めると、徐々に自分達の視界が高まり始め、いつのまにか天高くまでそびえ立っていたはずの岩山の頂上が覗けるほどの高さへと上がっていった。
「うわー!たっかーいっ!!」
額に手をかざし、シャルロットは崖のはるか下を覗き込んだ。かすかに見えるのは乾いてひび割れた薄茶色の大地と、そこから覗く枯れた木々だ。道は道とは呼びがたい五、六メートル幅の高台で、柵もない。そこから足を踏み外せば、あっという間に自分も足元の石ころサイズになってしまうだろう。シャルロットは頭を振った。
(……考えないようにしよう)
「明日の夕刻には城下町に到着できるだろう」
先頭を進むニースが、わずかに顔を向けた。高台になると風が強く、メレイがポニーテールのそよぐ髪を抑えた。
「それより結構な近道ね。本当にここ、通ってる奴なんているの?」
「……ていうかこれが道?」
メレイの冷ややかな声に、ワットが同じ温度で付け加えた。
「……別に急いでいるからではなく、当初からこの道は通る予定だった」
振り返らずに言ったニースの言葉には、珍しく棘がある。ニースのすぐ後ろにいたシャルロットはそれを感じ取ったが、何も気がつかないワット達は、まだ後ろで道を批判を続けていた。
「と、ところでメレイちゃんはさ、どこの出身なの?火の王国?」
話題を変えようと勤めて明るい声でワット達を振り返った。「違うけど」とメレイは首を横に振った。
「同じ東の大陸だけど、もっと北よ。土の国に近い場所」
土の国は、火の王国の北に位置する東の大陸にある国だ。初めて聞くメレイの話に、自然とワットとパスも「へえ」と顔を向けた。
「北?じゃあ寒い所だったの?」
「まぁ寒いっていっても雪の王国には負けるわよ。しょっちゅう雪が積もってるわけじゃないしね」
「雪!いいなー、私見たことない!」
熱砂の国で育ったシャルロットにとって、雪は想像上のものだった。話で聞く限り、幻想的なイメージがあるが、いつか見たいとずっと思っていた。同じく南国育ちのパスが「オレも!」と手を上げる。
「あれ、ワットはずっと砂の国なのか?」
パスの何気ない一言に、シャルロットは思わず表情が固まった。
ワットが砂漠付近の村の出身だということは勝手に地図を見て知っている。そしてその村、エトゥーラがどうなったかも――。
「いや、出身は砂だけど育ったのは土の国だ」
ワットが温度差もなく答えた。
「ふーん、あ、道がなんだか…」
ワットの答えにさほど興味を示さず、パスは周囲を見回した。いつの間にか進んでいた道の一番高い箇所に差し掛かり、あとはずっと下るだけになっている。その先は、道が開けて平野に入るようだ。自然と話題が変わり、シャルロットは息をついた。ワットとパスの馬が自分よりも先に進むと、シャルロットはその背を見つめた。
(…ワットの事はもっと知りたい…。でも…)
『お前には、いつか教えてやるよ』
(…私には…聞けないよ)
こんなにも近くにいる人が、とても遠く感じる。シャルロットはかすかに、心に隙間ができたのを感じた。
夜が降りるとシャルロット達は平野の大きな木の下で休むことにしたが、夕食を作って皆に配るときも、シャルロットはワットが気になって仕方がなかった。笑ってパスとふざけている姿を見ても、小さな不安がずっと胸をついていた。
翌朝、日が昇ると共に平野を馬で進むと、次第に周囲は乾いた大地から緑の草木が覗く、土の大地へと変わっていった。涼しさを含むような心地のいい風が吹きぬける頃には、シャルロットは砂漠での暑さなどすっかり忘れてしまっていた。
適度に休憩を入れながら進むと、夕刻が近づくにつれて、ちらほらと周囲に人を見かけるようになった。太陽が水平線に近づき始め、空の青みが薄れ始めると、目の前には平野から三つに分かれる大きな道が広がった。
「うわぁ…っ。大きい分かれ道!あっちに大っきな建物が見えるわ!」
水平線の遠い先の高台に、かすかに赤い屋根の円柱状に伸びたいくつもの建物が見える。赤い屋根の根元が一つの建物から伸びているところを見ると、あれらは一つの建物であると見て間違いない。そしてその大きさから見ても――。
「あれが風の国の王族、レビレット王家の一族が住まう城だ」
ニースがシャルロットと同じ方角を眺めた。分かれ道は左前方、中央、右前方と三つに分かれている。方角的には城は左前方の道だが、ニースは中央の道を選んだ。城下町へ続くのは、こちらの道らしい。ニースが馬の上で地図を広げた。
「城下町…クニティーか…。日が落ちる前に到着しそうだな」
城下町、クニティーはにぎやかな街だった。
広く大きな街道を中心に多くの人々が行き交い、二階建てのレンガ造りの店がたくさん並んでいる。街道に入ると一瞬で人ごみに飲まれた。馬上から人より視線が高いと、街道沿いの店より奥にはそれを中心に平屋の家が延々と並んでいるのが見えた。
行き交う人々の服装も様々だが、布をまとったような砂の王国とは違い、ここの人達は皆きちんとした半袖や長袖の服装が多く見られる。涼しく、過ごしやすい気温のおかげか、ファッションを楽しむ余裕すらあるらしい。
しかし、この街道で何よりも目を引くのはそんな人々よりも、その景色だ。ゆったりとした坂道を登るようにまっすぐに伸びた街道――。その先の終着点は、この国のもっとも高台であり、その背後は外敵からの侵入を防ぐ崖縁で、その先の下は海となっている。薄茶色のレンガと石、そして赤い屋根で作られた、巨大な風の王国の城――。その大きさは横の広さこそ砂の王国の宮殿にはかなわないが、天に届きそうなほどのその高さは、今まで見た何よりも大きい。細長い円柱状に分かれた建物の先の赤い屋根は、夕日を浴びて赤よりも深みのある影を落としていた。
「素敵!あれがこの国のお城なの!?」
街道のはるか下から見上げる城の美しさに、シャルロットは手を合わせた。
「にぎやかな街ね」
「ね、ね!お城を近くで見てみたい!」
シャルロットがいくら興奮しても、ワットは「宿を探そうぜ」と、興味もなさそうに街道に並ぶ店を見回している。不満気な顔を向けると、その視線に気がついたのか、ワットがあごで自分と一緒の馬に乗っているパスを指した。既に、ワットの前のパスは馬の首にもたれかかって眠っている。
「寝ちゃったの?」
「…んな簡単に体力は回復しねぇだろ。自分で気付いてなかったんじゃねぇか?」
「よく落ちないわね」
メレイが笑うと、ニースは空を見上げた。既に太陽は水平線の向こう側に沈み、空には夜の闇が降り始めている。
「時間的にもちょうどいいか……。宿を探すとしよう」
ニースの言葉に、シャルロット達は宿を求めて馬を進めた。