第13話『涙』-1
暑さと、喉の渇きで目が覚めた。
ゆっくりと目を開けると、石造りの壁が目に入った。手を動かそうとしたが、動かない。どうやら、両手を後で縛られている。
「……何…これ……」
シャルロットはゆっくりと起き上がった。しかし――。
「たっ!!」
腹の激痛に、思わず身を丸めた。目を細め、次第に記憶が蘇る。――そうだ。自分は、誰かに殴られた。そして気を失った――。
「……イタタ……ッ」
腹をかばいながら立ち上がり、周囲を見回した。
殺風景な部屋だ。部屋というよりは何も無い物置部屋に近い。石造りで天井が高く、そのはるか上には天窓が一つ。壁に窓は無く、ドアだけが鉄製だ。どれだけの間こうしていたのかは分からないが、天窓から光が差し込むところを見ると、まだ数時間しかたっていないだろう。
「どこなの……ここ……、皆は……?」
縛られた後ろ手でドアノブをひねってみるも、何かにひっかかる音がするだけで、ノブは回らない。鍵がかかっている。シャルロットはドアに体をぶつけた。
「ちょっと!!誰かいないの!?開けてよ!!何なのよ!!」
何度か体当たりを試みても、外からはまるで反応が無い。最後にもう一度大きく体をぶつけ、シャルロットはそのままずり落ちた。
「……なんなのよ……」
打ち付けた肩が、腹が痛い。――誰かに誘拐されたのか。なぜこんなところに閉じ込められている――?
何も判らない中でうつむいた途端、シャルロットの耳が、何かをとらえた。――足音だ。
ドアに頭をつけていたせいで、外の音が聞こえたらしい。わずかに、人の話し声らしきものも聞こえる。だんだん近づいてくる。
(……誰か来る!)
即座にドアから離れ、シャルロットはドアから一番遠い壁に背を貼り付けた。足音がドアの前で止まる――。
乱暴に鍵の開く音と共に、ゆっくりとドアが開いた。目をそらさずに睨みつけると、入ってきたのは人相の悪い男二人だった。――お世辞にも、善人には見えない。着古した服に、がっしりした体格。前の男の方が少し細めで歳もかなり若い。ワットよりも少し上くらいだろうか。はっきりとした彫りの深い顔立ちに、延びた前髪の隙間からギラギラした黒く鋭い目が覗いている。若い男は背に、後ろの男は腰に、それぞれ剣を下げている。
「×××××」
「……え?」
若い男が、何かを言った。しかし、聞き取れなかった。声は聞こえたのだが――。同じように、後ろの男が前の男に何かを言う。しかし、これも聞き取れない。会話が途切れ、若い男がシャルロットを足から頭までゆっくりと眺めた。物でも見るような、とても不快な視線だ。シャルロットは目元に力を入れて、それを睨み返した。その目が合うと、男がかすかに口元に笑みを浮かべた。
「アー、××××××……」
男の言葉に、シャルロットはようやく気がついた。――違う土地の言葉。シャルロットの国とは違う、別の言葉で話しているのだ。
「×××」と、若い男が短く後ろの男に言った。先ほどから思っていたが、若い男の方が後ろの男よりもはるかに態度がでかい。男にあごで促されえたのか、後ろの男は頭を下げてから部屋を出て行った。残ったのは、自分と偉そうな男だけだ。できるかぎり、シャルロットは背後の壁に張り付いた。
「……××」
一言息をつき、男が一歩近づいた。男は体も大きく、自分よりもずっと背も高い。――どうしよう。
「××××××」
「…何?何言ってんのよ…」
「××××××××××」
意味のわからない言葉――、理由もわからない誘拐、そして監禁。シャルロットの頭に、ふつふつと怒りが沸き始めた。
「何なのよ!分かんないわよ、それよりも手をほどいて!!」
割れんばかりの大声で、今度はシャルロットが男に歩み寄った。目の前で、男を睨み上げる。男がわずかに目を大きくしてシャルロットを見下ろした。
「××、××××××……?」
何かを、聞かれた気がする。でももう知った事か。そんな事で収まる勢いではない。
「……通じてねぇんなら、早く言えよ」
突然、男の言葉が頭に入った。
「言葉……っ!」
思わず、口が開く。
「……何よ!こっちの言葉、話せるんじゃない!!」
シャルロットは変わらぬ勢いで男に詰め寄った。男が余裕の表情を崩さないのが、さらに腹を煮やす。
「あんた誰!ここどこなの!?皆は!?これほどいて!!」
「……質問は」
「え?」
突然、視界が天井に向いた。何かが倒れる物音と、体に痛みが走る。
「たっ!!」
気づかない間に、足を引っ掛けられて仰向けに転んだのだ。思いっきり尻と背中を打った。
「い…ったー…。何すんのよ!!」
自分を見下ろすその顔を、睨みつけた。
「……こっちがするんだ」
冷めた声に、シャルロットは眉をひそめた。
「お前から聞きたいことが、山程あるんだよ」
男が身をかがめた途端――。
バシッ!!
何が起こったのか、わからなかった。
その勢いに押され、シャルロットは床に倒れた。――頬が熱い。
男の手が頬に入ったと気がついたのは、めまいが消えてその熱が裂くような痛みに変わってきた後だった。
「まずダークインについて、お前が知っていることを全て吐いてもらおうか」
――ダークイン?意味が分からず、シャルロットは視線を向ける事すらできなかった。殴られた衝撃が、鼓動になって自分の体を支配する。ニース=ダークイン。男がなぜニースの事を言っているのか――。
何も考えられない頭に、今度は胸ぐらを掴まれて男に引き寄せられた。
「喋らないとどうなるか……。分かるだろ?痛い目見るぜ」
その目に、シャルロットは背筋が凍った。黒く鋭い男の目は、まるで楽しんでいるかのように見えた。詰まる喉から、声を絞り出した。
「……あ…なた、ニース様の…何なの……?」
「……それはお前には関係の無いことだ」
顔を近づけた男の息が、話すたびに喉にかかる。体に響く鼓動に、気が付かないわけにはいかなかった。この男――怖い。
「まずは、ダークインの居場所。そこからだな」
「居…場所?」
胸ぐらを掴まれ続けているせいか、呼吸が苦しい。――ニースなら、まだあのオアシスにいるはずだ。だが、頭の中で何かが警報を鳴らしている。――教えてはいけない。
「知らないわ…!!連れてこられた時に離れちゃったもの!!」
「……ふーん、それもそうだな」
男がシャルロットの胸ぐらをつかんだまま立ち上がった。それに引かれ、シャルロットも立ち上がらされる。
「……じゃあ次だ」
ダンッ!!
「ウッ!!」
男の手に首を掴まれ、石の壁に押し付けられた。その拍子に頭を打ち、シャルロットは目がくらんだ。
苦しくて何も考えられない。地面につく足は指先がほんの少しだけだ。首を締め付ける手を何とか外そうと両手で掴むも、男の腕はびくともしなかった。
「……ダークインの弱み。一ヶ月以上も一緒に旅してんだ。それくらい分かるだろ?」
(……な、何でそんな事まで知って……!!)
男が笑みを浮かべた。シャルロットは苦しさから回らない頭で必死に考えた。
(こいつ何なの?何でニース様を狙ってるの……!?弱みなんて知らない……。でも、こいつに何か話しちゃダメだ……!)
「…わない…っ!」
「……何?」
――絶対に。その意思が、男を睨みつけた。
「知らない!!知ってたって言うもんか!!」
かすれながらも、精一杯の力で叫んだ。シャルロットの見えない場所で、男の顔から笑みが消えた。その途端、首が解放され、シャルロットはその場に座り込んで首を押さえた。
「ゲホッ!ゲホッ!…ゲホ…ッ!!」
突然呼吸が通るようになった喉が苦しい。激しく咳き込むシャルロットをよそに、男が腕を掴んでシャルロットを部屋の中央に転がした。
「……う…っゲホッ」
苦しさでうまく呼吸ができない。突然、男が、仰向けのシャルロットに馬乗りになった。また殴られるのか――。
息も絶え絶えだったが、それを身構えて唇を噛み、シャルロットは男を睨み上げた。――屈するものか。こんな奴に。
男の目が一瞬大きくなり、またそれを楽しむように笑った。
「ふーん…気が強いな。これで、よくそんな顔ができるもんだ」
「あんたなんか…!あんたなんかニース様に勝てるもんか…!……ニース様はすっごく強いんだから!!」
「さあ、それはどうかな?」
鼻で笑ったように、男が呟いた。
「強いっつっても所詮は火の王国での話だ。……世界は広いんだぜ?ま、ダークインの野郎が来れば分かるさ。俺が返り討ちにしてやる」
「……え?」
思わず、聞き返した。――ニースが来るだって?
見開いたシャルロットの目に、男が続ける。
「ダークインの野郎が女子供に甘いってことくらい百も承知だ。連れのお前がかっさらわれて、動かない奴じゃないだろ?居場所は……分からなけりゃこっちから呼び出せばいい」
シャルロットは体が凍った。――囮。自分は、ニースを呼び寄せる為の囮なのだ。罠にはまったのか。目の前の、許しがたいこの男の。
シャルロットは自分がなんて非力で情けないのかと許せなかった。湧き上がる怒りに、体が震えた。
(こんな奴に捕まったなんて……!!)
「お前は格好の餌ってわけだ」
「こっの……!!」
自分を見下ろすふざけた笑いに、シャルロットは怒りで何も分からなくなった。この男を殴りつけたい。力の限り、思いっきり――。
ダンッ!
体を起こしたが、すぐに片手で押し倒された。
「イタッ!!」
「お前はダークインが来るまでの余興なんだよ。たっぷりと楽しませて貰わなきゃな」
力の差は歴然だ。――認めざる得ない。渾身の力を込めても、この男の片腕にもかなわないだろう。シャルロットは唇を噛んだ。
「じゃあ次は……例の女について話してもらおうか。俺が殺った連中の残りを全部一人でのしたって女の話を……」
「あんたが…殺った……!?」
シャルロットは目を見開いた。あのオアシスの惨状――あれを忘れる筈がない。
「ああ、あのオアシスでな。お前らがこっちに来ることは情報で分かってた。ところが早く到着しすぎちまってよぉ…。あそこの連中があんまりうるさかったもんでつい…な。でもお前らは一向に来やしねぇ。だから俺らは先にこっちで待ってたってワケだ。後で部下から面白い報告を受けたぜ。あと半日いれば、俺もその女にも会えたのに……」
――信じられない。あの惨状――あの人数の賊達を、この男一人で殺したというのか。男の鋭い目が、笑った口元でシャルロットに近づいた。背中から頭まで石の床に張り付いていたシャルロットには、もう逃げる場がない。
「話してもらおうか。無名の女剣士にしてその力……放っておくには惜しい逸材だ。お前の仲間ならダークインと一緒に来るだろうが……。報告では、いい女だそうだな」
シャルロットはまた体に力が入った。首元にその大きな手をおかれたからではない。この男は、本心からメレイやニースを馬鹿にしている。
「あんた……!皆を馬鹿にしてるなら許さない!!」
体を起こそうとするも、首もとの手のひらに抑えられて起きれない。代わりに、足を思いっきり蹴り上げた。
ダンッ!!
「いっ!!」
逆に足を捕まれ、石の床に叩きつけられた。
「…ったぁ……!」
「いい蹴りだな。でも、相手が悪い」
男の口が、にやりと笑った。それを抑えた手が、そのまま足を撫で付ける。シャルロットは背に寒気が走った。
「ちょっと!!」
怒鳴ると、男が鼻で笑った。
「へぇ、怯まねぇか…」
まるで試したような物言いだ。シャルロットが眉をひそめると、男が楽しみを見つけたように笑った。
「こりゃいい……ダークインが来るまで、ホントにいい余興になりそうだ」
もともと近い顔をさらに寄せ、男がシャルロットの頬を舐めた。
「やだ!何すんの!!」
その強い力で、体が抑えられる。
「痛ッ!!」
それでも、シャルロットは全力で抵抗した。暴れすぎて、自分でも何が何だか分からない。
――突然、頭に景色が浮かんだ。
一面の景色が燃えるようなオレンジと影のような暗闇になった。
いつの間にか自分はその中に立っていた。片足の下には血まみれの民族衣装の男が倒れている。自分が踏んでいるのだ。自分ではない手に腕を掴まれた。若い女が必死に何かを訴えている。よく見れば、自分も女も足元の男と似たような服装だ。女のものすごい恐怖が伝わってきた。自分の手にある剣を足元の男におろすな、と。
『やめて やめて どうか』
その女が叫ぶと同時にシャルロットは叫んでいた。
「やめてぇっサン!!!」
その瞬間、男の動きが止まった。それに気付かず、シャルロットは抵抗し続けていた。男が身を離し、自分を見下ろしている――。
「お前…今…?」
「……え?」
男の呟きに、シャルロットは男が半身を上げていた事に気がついた。見上げた顔には今までの笑みはなく、何か別の意味が込められた驚愕の色があった。視線が重なったまま、時間が過ぎる。
コツンッ
かすかに、石の音がした。その音で、シャルロットは我に返った。自分の口が、何かを叫んだ事を思い出した。――何だ今のは。
(…私…今…何言った…?)
錯覚――?
突然、シャルロットと男の顔の間に、天井からこぶしほどの大きさの赤い玉がぶらさがった。
「うお!?」
「え!?」
その玉には、子供の落書きのようなニコニコ顔が落書きされており、紐でつながっているのか目の前でブラブラと揺れた。男が驚いたと同時に、飛び上がるようにシャルロットの上からどいた。シャルロットも驚いたが、床に背をつけたまま動けなかった。
「へっへー!びっくりした!?」
どこからともなく、少女の声が部屋に響いた。同時に、男が天井を見上げる。
「げっ!!何でテメーが!」
「やっほー、ユッちゃん!」
男の視線に釣られ、シャルロットは仰向けに倒れたまま天井を見て言葉を失った。
そこには、天窓に足を引っ掛け、少女が笑顔を向けて逆さまになってぶら下がっていた。
年内に終わるかと思ってたんですが、終わりそうもありません…(T_T)ちょっとペースを上げたいと思います。
物語はまだ中盤の前半ってところで、まだまだ続きます。ちょっと長いんですね〜。
でも必ず完結するのでこれからもよろしくお願いします(*^_^*)