第12話『月明かりの下で』-3
「…何?」
立ち上がることの出来ないパスを追い越し、ニースが即座にそれに近寄った。
「砂漠のオアシスだ。…死体があっても不思議じゃない」
シャルロットの横で、ウェイが呟いた。
倒れていたのは、男だった。三十歳前後だろうか、汚れきった服に色を失った顔、わずかに開いたままの口――しかし、何より目を引くのは、ほぼ全身にわたり、赤黒い血にまみれている事だ。男の横に、ニースがかがんだ。
「…いや、気絶しているだけだ…」
ニースの顔を見て、「へ?」とパスが声を出した。
「出血が多いが傷は深くない…。命に別状はなさそうだ。おそらく賊…だろうな…」
服装からして。ニースが呟くと、ウェイがかすかに草音をとらえた。背後の草むら――。黙って立ち上がり、わずかに構えてそこをかき分ける。しかし、そこにいたのも血だらけの男だった。ウェイにも気がつかず、仰向けに倒れている。
「ニース、こっちもだ」
ウェイが近づくと、男には意識があった。胸と足を斬られたのか、男を中心に地面に赤い染みが広まっている。ウェイが男に顔を近づけると、男の息は荒く、意識は正常には働いていなかった。
「おい…平気か…?」
「あの野郎…っ!!許さねぇ…!ブッ殺してやる…っ!!」
「…おい…」
「あの野郎…あいつが…」
ウェイの声は、男には聞こえていなかった。ブツブツと繰り返すように、呟くだけだ。
「…だめだ、聞こえてない。賊同士の抗争かもな。この位置にいるってことは…きっとこいつらが見張りだ」
「関係ねーよ」
ワットが、シャルロットの肩を抱いて立たせた。
「さっさと水だけ汲んでここを出ようぜ」
「……そうだな」
ワットの言葉に、ウェイも賛成だった。見張りがやられているということは、その奥に「侵入者達」がいる。抗争があったことだろう。巻き込まれるのはごめんだ。
ワットに肩を支えられても、シャルロットは震えが収まらなかった。
「泉へ急ごう」
ウェイが道に戻って先を進むと、シャルロット達もそれに続いた。
道中には、先程の男達と同じくらい血だらけで倒れている男達がいた。生きているのか死んでいるのかも判らないが、先頭のウェイは今更それには構わなかった。それに気がつくだけで、シャルロットは余計に吐き気をもよおした。倒れている男達を見ぬように、ワットに身を任せたまま下を向いて進む。しかし、吐き気はそれのせいだけではなかった。辺りに立ち込める張り詰めた空気――。そこに入る事を、シャルロットの全身が拒絶していた。
「煙の匂いが強くなったよな?」
パスがニースを見上げた。
「…ああ、やはり泉の付近だろうな。だが――…」
ニースは言葉を濁した。――立ち込めるこの空気。強烈な血のにおいと殺気は、まるで戦の中にいるような錯覚さえ覚える。暗闇に気をとられているパスと違い、同じ空気を感じるウェイとワットは、あたりを警戒していた。
「…泉だ」
ウェイが草むらをかき分けた途端、一面に大きく美しい泉が広がった。先程までの草木が生い茂った道とは違い、そこだけ芝生を切り取ったようにある泉は、とても不自然なものだ。その中心には、浮かぶようなわずかに陸地があり、泉のほとりから細い橋でつながっている。月光に反射して夜の闇に輝く泉は、本来なら目を奪われるものだ。――しかし。
「こ、これは…っ!」
「うわ…っ!!」
シャルロット達は目を見張った。
泉の周辺にあるのは、ぼろぼろの布――いや、崩れたテントだ。崩れ落ち、踏みにじられ、あちこちから煙が立ちのぼっている。そして何より目を引いたのは、無数に倒れる――人間。
その美しい泉のほとりには、今まで通ってきたどの道よりも、多くの人間が血を流して倒れていた。血をまとい、傷つけられ、中には手足の繋がっていない者もいる。口を押さえ、パスが後ろにひっくり返った。
「…この人達…は…!」
足元にまで広がった死体――。シャルロットはワットの腕を強く握った。
「抗争の跡…だろうな」
ワットが呟いた。見れる場所がなく、シャルロットは目を閉じた。うめき声ひとつしない彼らには、おそらく息はない。シャルロット達が足を踏み入れても、反応するものは誰一人いなかった。
立ち尽くすシャルロット達を残し、ウェイが死体を避けながら泉に向かった。そう、目的を果たして、さっさとここを去らなければならない。足元に転がる男達は、おそらくここに溜まっていた賊団だろう。一体何があればこんな事になるというのだ。泉のほとりでかがみ、水筒に水を汲み入れながら、ウェイは首を二、三度横に振った。
「くそ…っ」
この光景は、いやな過去を思い出させる――。無数に広がる死体を見るのは、これが二度目だ。
シャルロットはその場にしゃがみこんだ。こんな場所、こんな事態に気力が回復するはずが無い。それでも、ここを出るまでにはこの気持ちの悪さが回復して欲しい。そう思うが、気分は悪化する一方だ。ウェイを見ようと顔を上げる。同時に、シャルロットは目の端で何かをとらえた。ウェイのさらに奥の、泉の中心。その小さな陸地に張られたテントで、何かが動いた気がしたのだ。
「…う…」
「…大丈夫か」
シャルロットの声に、ワットが隣にしゃがんだ。
――気持ちが悪い。呼吸が浅くなる。震え抑えようと、両腕で身を抱きしめた。なぜだか判らないが、泉の中心から目が離せない。そして、強く感じた。
「…血の匂いがする…。あの泉の真ん中で…」
「…血?」
ワットがやっと聞こえるくらいの小声で、声が漏れた。それに気がつかず、ニースが周囲を見回す。
「…とんでもない時にきてしまったな…。早いところここを去ろう。内戦かもしれないが、別の賊団に襲われた可能性もある。下手人がまだいるかも知れない」
ボチャンッ…
水を汲み終えると、ウェイはすべての水筒のふたを閉めた。
「泉の真ん中…」
シャルロットの視線の先を見つめ、ワットは目を凝らした。その瞬間、何かを目でとらえた。――何かいる。
「うぁあーっ!!」
突然、男の悲鳴が周囲の静寂を切り裂いた。シャルロットを除いた全員が、いっせいに顔をあげた。同時に、泉の中心のテントが崩れ、転がるように男が飛び出してきた。月明かりに照らされ、陰になってよく見えないが、悲鳴を上げた男だろう。テントが崩れきると、もう一人の人影の存在が見えた。頭から布をかぶっているが、どちらにしろ陰で姿はおぼろげだ。月と水の光に反射し、人影がかかげた剣が光った。
こちらがそれに気がついたのと同時に、向うもそれに気がついた雰囲気があった。しかし、倒れ込んだ男はそんなことには気がついてはいない。
「ぅおあああ―っ!!!」
猛然と叫び声を上げた男が、剣を振り上げている影に向かって剣で飛び掛った。
ガキンッ!!
静寂に響く音と共に、男の剣は宙を舞った。そして――。
ザシュッ!!
まるで時がゆっくりと流れているかのように見えた。男は体をつらぬかれた。陰になって、それがシャルロット達からもしっかりと確認できた。人影がゆっくりと剣を抜くと、男がその場に倒れた。再び訪れる静寂――。しかし、人影は間違いなくこちらに気がついている。
泉のほとりのウェイが、足元に水筒を残して立ち上がった。ウェイからは、人影が良く見えた。暗い色の布を頭からかぶったそれには、あちらこちらに染みがついている。目を凝らさなければわからないだろう。――その赤黒い返り血が。
人影が剣を振って血を払う。他に動く者はいなかった。
「まさか…あいつ一人で?」
信じがたい光景に、ワットがシャルロットを支えたまま口走った。
「…そのようだ。他に気配は無い」
ワットと同じ声の低さで、ニースが周囲に目を配った。パスは尻もちをついたまま、動けそうにない。
「じ、冗談だろ…!?賊狩りか何かか?」
「下がってろ」
ニースがパスの前に立つと、パスは「お、おう」と苦笑いでニースを見上げた。腰が抜けているのか、立ち上がることは出来ない。人影がこちらに体を向けた。
「こいつらの仲間か?」
「違う」
一番近いウェイが、声を張った。シャルロットの手から、ワットが静かに離れた。
「…ここにいろ。ニース、頼む」
ニースが答える前に、ワットが前に進んだ。
「…他の賊団か?」
「賊ではない。砂漠を渡る為に水を汲みに寄っただけだ」
まっすぐに、鋭い目でウェイは人影を見据えた。
「貴様…、賊狩り…賞金稼ぎか…?」
人影が、一歩一歩泉から橋を渡り、近づいてくる。ウェイは拳にに力を入れ、その橋の出口に歩いた。死体を避けつつ歩き始めたワットは、ウェイの異変に気がついた。
「…ウェイ?」
呼んでも、振り返らない。人影が橋の上で足を止め、剣を片手でグルリと回した。
「やる気か?」
「よせウェイ!」
ニースが声を上げた。これだけの人数を本当に一人で倒した相手なら、闘うのは危険すぎる。人影が剣先でウェイを指す。
「…加減はしない。逃げるなら今だ」
「賊とはいえ、許せん」
ウェイが腕を前に出し、構えた。
遠めで見るシャルロットからも、ウェイが不利なのは明らかだ。相手は剣、ウェイは素手だ。止めたいのに、声が出ない。
「いい度胸だな」
「ウェイ!」
ニースが腰の剣をはずし、ウェイに向かって投げた。
それを受け取り、ウェイが剣を抜くのと、相手が切りかかってきたのは同時だった。
ギインッ!!
「くっ!!」
剣を交えたその瞬間、ウェイは相手のローブの下から伸びた長い髪が目に入った。剣は速いが威力が低い。――女!?
剣を弾くと同時に、ウェイは間合いをとった。相手は低く手を付き、体勢を崩さない。しかし、その瞬間――、
ギンッ!!
間合いをあけて油断した相手に、ワットが飛び掛った。短刀を振り下ろすも、相手がそれを剣で防ぐ。しかしその勢いで、二人は地面に倒れこんだ。
相手に馬乗りになったまま、顔面まで刃を押したが、相手が剣でそれを防ぐ。刃が軋む音と同様に、ワットは腕に力を入れた。
シャルロットはやっと口が開いた。
「ウェイ!ワット!!」
闇の中に響きわたった声に、ワットは相手の力が一瞬弱まった気がした。
夜空の雲が流れ、月明かりのあたる位置が次第にずれ始めた。
それがワットの頭上に降りた時、相手のローブの下からのぞく顔に、ワットは目を見開いた。しかし、それは相手も同じだったようだ。
「あんた…!」
その声に、思わずワットの手から力が抜けた。
ウェイには、何があったかわからなかった。足を奮い立たせ、シャルロットはニースと一緒にウェイのそばまで駆け寄った。
「ワット!」
シャルロットの声と同時に、ワットが短刀を引いて相手の上から退いた。
意表をついた行動に、シャルロット達は足を止めた。その場に立ち尽くし、ワットは相手が起き上がるのをただ眺めている。ウェイがワットに駆け寄り、肩を引いた。
「何を…」
「…お前」
それに構わず、ワットが呟いた。視線の先は、身を払うローブの相手だ。
「何だ、あんた達だったの」
剣を背に収め、相手は顔のローブを下ろしてポニーテールに結われた髪を振った。自分達を見返すその月光を浴びた美しい顔は――。
「メレイ!?」
シャルロットとニース、パスは同時に声を上げた。
「あら、ニースに…パスもいるのね」
「し、知り合いか…?」
ウェイが目を開いた。ローブを払い終えたメレイが、ウェイに視線を戻す。
「こっちのお兄さんは新顔ね。いい男じゃない」
からかうようなメレイの口調に、ウェイが鋭い目を返した。
「…知り合いでも、相手が賊とはいえこんな事をするなんて…」
「ちょっと待ってよ」
目の前に突き出された剣に対し、メレイが手を上げて遮った。
「勘違いしているようだから言っておくけど、これ、全部私がやった訳じゃないわよ」
その言葉に、ウェイの片眉が上がる。
「…何?」
「とにかく、ここじゃ落ち着かないから場所を変えましょ」
ウェイに背を向け、メレイが歩き進んだ。突然の再会に、シャルロット達は無言で顔を見合わせた。