第12話『月明かりの下で』-2
日が暮れると同時に、シャルロット達は腰を上げた。
事前に荷物を三つに分け、ニースとワット、ウェイがそれぞれ荷を背負った。おかげでシャルロットとパスは、身軽に歩くことができた。
「行くぞ」
河のほとりにわずかに生える草は、最後の緑だろう。崖の足元を右手でなぞるように進みながら、振り返ってそう思った。
日が落ち始めると、あっという間に気温が下がった。日中の地獄のような暑さが嘘のように、一転、体の芯から凍えるような寒さに変わる。
基本的に、崖側をずっと歩けば風の国境、砂漠の出口まで五日で抜けられると、日中にウェイが言っていた。パスは驚いていたが、ワットとニースにしてみればそれすらも甘い考えだとは思っていたらしい。
――地図上であれば、五日。
実際、人の足で歩けばどう変わるかは判らない。元々足の遅いシャルロットやパスをつれている上、日中は移動できない。おまけに、途中で水の補給の為にオアシスへも寄らなくてはならないというのだ。
「オアシスかぁ……」
シャルロットは歩きながら呟いた。地図には、確かにいくつかのオアシスが存在していた。シャルロット達が次の夜明けまでに目指すのは、「シィ・レー」と呼ばれるオアシスだ。付近まできたら、道筋の頼りである崖を離れなくてはならない。
「…ちょっと楽しそう」
オアシスと言う名に、かすかに惹かれた。しかし、前を歩くウェイが「そう簡単なものじゃない」と振り返って釘を刺した。
「…何で?」
シャルロットと同じ考えだったのか、パスが言った。
「知らねぇのか?オアシスは賊の溜まり場なんだよ」
思わず「えっ」と声が上がる。
「じゃあ、どうやって行くんですか?」
シャルロットはニースを見上げた。
「…砂漠では無駄な争いは避けるべきだ。体力ももたたないだろうし…。何にしても賊団を相手にするのは危険すぎる。どんな連中が出てくるか分からないからな。見つからないように水だけ補給して通過するのが一番だ」
――先が思いやられる。シャルロットはため息と共にうなだれた。
しかし、会話が続いたのもそれまでだった。気温と歩きづらさから、全員の口数はそのまま自然と減っていった。
歩き始めてから数時間も立つと、崖沿いでも足場はさらさらとした砂になり、歩くたびに足が砂に取らた。まるで足に錘がついているかのように重く感じる。ワット達が荷を全て持ってくれていることが唯一の救いか、それでもシャルロットとパスの歩幅は、確実に遅れをとっていた。
「大丈夫か?」
ワットが振り返っても、シャルロットは小さく返事をすることしかできなかった。いつ砂に足をとられるかも分からないので、足元から目が離せない。パスの方が後方で自分よりはるかに苦戦していることすら気がつかなかった。いつの間にか、ニースがパスを気遣って一緒に一番後ろを歩いていた。
歩くことを一心に考えながらも、シャルロットは朝が待ち遠しかった。夜の間は移動し続けなければならないが、朝になればこの足を止め、眠ることができる――。
「……おい」
低い声と同時に体が引かれ、シャルロットは我に返った。顔を上げると、ワットに腕を掴まれていた。返事をする余裕はなく、目で疑問を投げかける。
「お前も掴まって歩け。少しはラクだろ」
シャルロットが体重をかけて歩けるように、ワットが歩幅を合わせて隣を歩いてくれた。ワットの目線を一緒に追うと、後方でパスがニースに手を引かれ、何とか歩いている事を今頃知った。
「パス……」
「自分の心配しろ」
確かに、今はパスの事を気遣える状況では無かった。ワットに手を引かれ、寄りかかりつつもシャルロットは足を進めた。感謝するのは心の中だけ、シャルロットには返事をする気力も残っていなかった。
一晩中歩き続け、空が白んできた頃に、崖沿いの陰を見つけて休む事にした。ウェイ達が落とすように荷を置くと、シャルロットとパスは、倒れこむように横になった。
「あ―…」
言葉にならない声を上げ、パスは腕すら動かさずにそのまま眠りについた。同じく横になるシャルロットの隣に、ニースが座った。
「……大丈夫か?」
「……すいません……」
合わせる顔もない。シャルロットは謝るしかできなかった。自分のせいで速度が遅れている事は明白だ。
役立つ為の付き人として来ているのに、足を引っ張ってばかりでは話にならない。ニース達には、まだ人を気遣う余裕があるのに、自分は倒れこむばかりだ。――情けない。
視界の向こうで座り込んだワットが、水筒を開けて勢いよく飲んでいるのが見えた。
「シャルロットとパスは寝とけよ。このまま日中は休むんだろ?」
「そうだな。また暑くなる……」
ウェイの言葉を聞き、シャルロットは息をつくのと同時に体から力が抜けた。――限界だ。
目を閉じると、そのまま眠れる自信があった。ワットが水筒から口を離し、ウェイを振り返った。
「そーいやさ、あのミウってガキが持ってた武器。あれって変わってるよな」
「……村の刀匠が作った特別なものだ。世界に二つと無い。ミウが武術を習い始めて少しした頃に、村長だった俺の父が与えた物だ」
「お前、村長の……?」
ウェイの答えに、ワットは思わず目を開いた。自身の記憶が確かならば、カーネオの村長一族と言えば、村の中心――。武術に秀でた村の中でもさらに際立つという一家だ。
(――なるほどね)
心の中で、ウェイと手を合わせた事を思い出した。それなら、あれも納得できる。
「カーネオの子供は幼い頃から一通りの武器が扱えるよう訓練されている。ある程度の年齢に達すると、その個人に見合うものを、刀匠が作る。ミウの場合、あれだった」
「ウェイも……何かあるのか」
ニースが口を挟んだ。今まで見た限り、ウェイが武器らしきものは所持しているようには見えない。
「俺は武器は性に合わなかったようだな……。……日が昇ってきた。俺達も休もう」
「明日の夜には……シィ・レーのオアシスに着くな」
「んなことよりとりあえず休もうぜ。……あっつくなってきた……」
ワットが服をパタパタとあおいだ。
「…――ん?」
「そろそろ出発だ」
ニースに肩を揺らされ、シャルロットは一瞬で目が覚めた。
「あ!はい…っ!」
慌てて起きると、いつの間にか日が落ちかけていた。いつの間に眠ってしまったのだろう。ワット達が何か話していたところまでは覚えているのだが――。気付けば、体にはじっとりと汗がまとわりついていた。朝から夕方まで、一度も起きなかった。自覚の通り、体は相当疲れているようだ。
「この暑さでよくそんなに眠れたな…」
ワットが荷を担いで立ち上がった。
「…いつの間にか寝ちゃってた」
重い体を起こし、ワットに差し伸べられた手を取り、立ち上がる。
「ここからシィ・レーのオアシスに向かう。行こう、崖を離れる」
ウェイを先頭に崖を離れ、さらに砂漠の奥へ奥へと進んだ。すぐに砂の起伏が激しくなり、より細かくなった砂にますます足が沈んだ。晴れた空には、澄んだ星々が輝いている。それでも、シャルロットには頭上を見上げる余裕は無かった。再び、シャルロット達は会話も無くひたすら歩き進んだ。ウェイが時々空を見上げ、方角を確認していた。
三時間程歩くと、時折、前方に岩場と木々がある場所が視界に入るようになった。そこから皿に歩き続けると、それがオアシスだと判別できるようになった。
オアシスなど初めて見るが、思っていたよりずっと大きい。全景は、森のように広がっていた。周囲の一面の砂に浮き立つように存在する緑は、なんとも不自然なものだ。
「あれがオアシス…」
ワットの腕によりかかったまま、シャルロットは顔を上げた。
「……崖沿いの唯一のオアシスだ。間違いない。……行くぞ」
ウェイの言葉に引かれ、シャルロット達は低地にあるオアシスに向けて砂の山を下った。
「少し慎重に進むぞ、賊団がいるかもしれない。泉は森の中心だ。そこで水を汲んで、何かいるようだったら、すぐにここを離れる」
ウェイの言葉に、シャルロットとパスは顔を見合わせた。
「何かいたら、俺らが蹴散らしてやんよ」
付け加えられたワットの言葉に、顔を上げるも、不安は拭えない。確かに、ワット達の強さは知っているが、大勢の賊がいるかもしれない場所に行くのは、足がすくむ。何より、タイミング悪くミウの話を思い出してしまっていた。賊団に殺されたという村人達――。
ふいに、パスがニースの袖を掴んだ。
「なぁ、煙の匂いがしないか?」
パスの声に、「え」とニースが振り返った。――言われてみれば。シャルロットは鼻を押さえた。たしかに、焦げたようなにおいがする。ワットが目を細めた。オアシスの中心部あたりから、わずかに細く煙が上っている。
「本当だ。……よく気付いたな」
「人がいるのは間違いないようだ。とにかく行って見よう」
ニースが足を進めた。
オアシスは砂浜に比べて足場はまともな土になっていた。中心部にあるという泉のおかげだろうか、草木もあり、中心に向けて木が生い茂っている。夜の闇のせいで、前方もまるで見えない。
「不思議……こんな所にこんな森があるなんて……」
森の入り口に立つと、シャルロットはそびえ立つ木々を見上げた。先の見えない暗闇の森は、見れば見るほど恐怖を誘う。ここが砂漠の真ん中などということは、忘れてしまいそうだ。周囲に、人の気配もない。
「見張りはいないようだな」
ニースが周囲を見回しながら奥へ進んだ。「やけに静かだ」とワットがそれに続く。
「……どうやって泉まで行くか……」
「人がいることは確かだ。見張りもいないならシャルロット達にはここで待っててもらった方が……」
ガササッ!!
「ひゃっ!!」「うあ!」
突然の草音に、シャルロットは思わず隣のワットにしがみついた。シャルロットの声に驚き、パスまで腰が抜けそうな声を上げた。
「……ゴ、ゴメン……」
ワットから離れつつ、パスを振り返る。パスは「ざけんな」と漏らしつつ、胸に手を当てた。
――情けない。そう思った途端、シャルロットの体が元の位置に引き戻された。
「無理すんな」
肩を抱かれ、ワットの体に顔がぶつかった。みっともないと判りつつも、誰かに寄り添うと体が安心する。暗闇を怖いなど、子供の考えではないか。それでも、それが事実なのは認めざる得ない。黙って頷き、ワットと一緒に足を進めた。その途端、シャルロットの背筋を氷が突き抜けたような寒気が襲った。
「ど、どうした?!」
びくりとした体に、ワットが思わず手を離す。
「う……っ!」
シャルロットは口を塞いだ。ものすごい吐き気だ。全身の血液が逆流するような――。
ワットの声に、前のウェイ達が振り返った。
「おい、どうした!?大丈夫か?」
思わず座り込むと、ワットに肩を支えられた。しかし、それにも気がつかないほど、シャルロットの体は何かに襲われていた。
「……気持ち……悪い……!」
身を抱きしめても、震えが止まらない。ワットが覗き込んだシャルロットの顔色は、まったく無かった。
「……おい!?」
――何だこれは。そう思うと同時に、シャルロットはそれが何だか判った。――恐怖。理由はわからないが、ものすごく怖い。足が立たない。何が怖いのかもわからないのに、空気が、肌が、ここにいてはいけないと伝えてくるようだった。
ニースとウェイが、二人に駆け寄った。
「どうした……?」
「わかんねぇ……。いきなり気分が悪いって……」
言いながら、ワットがシャルロットを支えた。
「先行っててくれ。シャルロットがこんな状態じゃ無理だ。かかえて行く」
「だ、大丈夫!歩く……」
これ以上迷惑はかけたくない。ワットの手を遮り、シャルロットは何とか立ち上がろうとした。しかし、足にうまく力が入らない。自分でも、何でこんなに気分が悪いのか分からないというのに。
ウェイがニースと顔を合わせた。
「……それなら、俺達だけで泉にいこう。ワットはシャルロットとパスと一緒にここで待っててくれ」
ウェイがシャルロットの前にかがんで額を触った。熱があるわけではないのに、額が汗ばんでいる。
(……この寒さでなんて汗だ)
シャルロットを囲うウェイ達の後ろで、パスは周囲に目を向けた。葉擦れの音、かすれたような鳥の声――、知らない森は、地元の森と違って気味が悪い。
「わっ!」
頭上に意識をとられすぎたか、足元に何かがつまずき、尻餅をついた。「静かに」とウェイが振り返った。
「パス、声を立てるな」
「ってー……。判ってるけど何かにつまずいて……」
苦笑いを返しつつ、尻をさする。立ち上がり、原因を振り返ったパスはそれを見て再び後ろにひっくり返った。
「……ぅわ!!」
「パス……!」
ウェイがもう一度振り返っても、パスは振り返らなかった。
「……お、おい!ひ、人が死んでんぞ!!」
そこには、血にまみれた男が一人、横たわっていた。