第11話『子供の城』-3
「なんだろ、今の音…」
シャルロットは一人、窓の外を眺めた。笛のような、何か。男が出て行き、一人になってだいぶたつ。どれくらい時間がたっているのだろうか。ニースは、ワットは、パスはどうしているだろう。
カチッ
わずかなドアの音に、反射的に振り返った。ゆっくりとひらくドア――。顔を出したのは、シャルロットが初めて見る少女だった。少女もまた、だいぶ幼い。少女の後で、さらにもう一人、少年が覗いている。先程指輪を持っていった少年だ。――ウィルと言っただろうか。しかし、二人とも部屋には入ってこない。
「なぁに?」
思わずこぼれる笑みで、手招きをした。少年が入ると、少女もそれに続く。目の前まで来ると、ウィルが両手を差し出した。その手には、おにぎりが一つ乗っている。
「…ごはん」
驚きの行動に、シャルロットは目を瞬いた。確かに、腹は減っている。だが、当然の疑問が浮かんだ。
「…さっきの男の人に…怒られない?」
少年と少女が顔を見合わせた。それから、少年が顔を向けた。
「ヘーキ。ホントはウェイ兄から頼まれたんだ。ウェイ兄、どっかいっちゃったから」
「たべて?」
少年にしがみつき、恥ずかしそうにシャルロットを見つめる少女はやはり可愛い。
「ありがと」
思わず笑みがこぼれ、少年からおにぎりを受け取った。
「…あの人、どっかに行ったの?」
「うん。ミウねえちゃんがよんだの」
「呼んだ?」
その名は、確か彼の妹――ワット達が捕まえたと言う子の事だろうか。
「うん。ね、たべてー」
言われるままにおにぎりを口に含む。「おいしい?」と子供達が期待の目を向ける。笑顔を返しながらも、シャルロットは別の事を考えていた。
――それはつまり、ワット達が近くにいるということだ。
いつの間にか膝に登った少女に視線を落とすと、ある考えが頭に浮かんだ。
「お願いがあるんだけど…」
――人の気配がする。小屋にたどり着き、ワットは思った。明かりがついているのだから当然だが、ひとまず小屋の入り口を探し、周囲を歩く。一週回る前に、ワットは足を止めた。突然、男が現れたからだ。しかし、驚いたのは相手も同じだったようだ。
「…お前は?」
落ち着いた目でこちらを見据え、男が言った。対照的に、熱の入った目でワットは男を睨んだ。
「てめぇこそ、あのガキの仲間か?…シャルロットはどこだ」
「シャルロット?…あの娘の事か」
聞いたところで、許す気など毛頭無い。ワットはこぶしを固め、構えた。しかし男は、眉一つ動かしていない。
「明朝交換と言ったはずだ。こっちの少女は無事だろうな」
「まずはてめえの身の心配をしろ。人の連れかっさらっといて、ただで済むと思うなよ!」
言葉の終わりと同時に、ワットは男に足を振った。しかし、それは後ろにかわされる。追撃――、ワットは回転を加えて蹴りを打ったが、体勢を低く構えた男が、それを両手で受け止めた。
ドッ!!
「なっ…!」
言葉が出る前に、ワットは自分の回転の勢いで、男に投げ飛ばされていた。
ズササッ!!
片手を地面につき、なんとか転ばずに体勢を立て直す。顔を上げ、ワットは舌を打った。――まさか止められるとは。しかも、それを逆手に取られた。
何より勘に触ったのは、男が息一つ乱していなかったことだ。
「やめておけ、少しは腕が立つようだが、その程度じゃ俺にはかなわない」
「…んだと?」
落ち着いた声が、さらに胸をむかつかせた。足を引いて腕を構え、再び攻撃――と思ったが。
「…ウェイ兄ちゃん」
小さな声に、ワットと男は反射的に振り返った。いつのまにか指をくわえた少女が、小屋の影に立っていた。
「ロンズ!中にいろ!」
男の怒鳴り声に、少女が体を震わせる。
「怒んないで私が頼んだの!」
同時に上がった知った声に、ワットは我に返った。シャルロットが、少女の後ろから飛び出してきた。
「シャルロット!?」
「ワット!?」
「止まれ!」
ワットに駆け寄ろうとした途端、男の声にシャルロットは足が止まった。
「ウェイ兄!」
男の後ろから、ミウとニース、パスが姿を現した。
「ミウ!」
「ニース様、パスも!」
顔を合わせた、一瞬の――静寂。
「ふぇー…」
それを破ったのは、怒鳴られた少女の鳴き声だった。慌てて、シャルロットは、少女を抱いて頭を撫でた。
「あー…、泣かないでー…。ごめんね、私のせいで…」
少女を落ち着かせながら、ワットに顔を向ける。
「…ワット、ここの人達、この人以外は、みんなちっちゃい子ばっかりなのよ」
理解に苦しむ言葉だが、男を顔を合わせても、既に戦意は消えていた。ひとまず、シャルロットの無事な姿が目に入ったからだろうと、自分でも思う。ニースが、ミウを振り返った。
「君は…、君達は…何者なんだ?」
何も言わず、ミウは男に歩き寄った。ミウと目を合わせ、男が重いため息をついた。シャルロットから泣いている少女を預かり、抱き上げる。
「…ごめんなロンズ。もう怒ってないよ」
自分の胸の中で泣きじゃくる少女を抱え、男が優しい声で言った。その目で、全員を見回す。
「…話をしよう…。中に入ってくれないか」
少女を抱いたまま、男は小屋に入った。シャルロット達は顔を見合わせた。その中で、ミウが男を追い、小屋に入る。
「…信用できるのか?」
ワットと目が合うと、シャルロットは小屋を見上げた。十数人の子供達、そして時折優しさを含む男の声――。
「…できると思うわ」
あたりは、いつのまにか朝日を迎える時間になっていた。
小屋に入った途端、中にいた十数人の子供達がいっせいに声を上げて隣の部屋に逃げ込んだ。その背を見る限り、やはり十にも満たない子供ばかりだろう。さすがにニース達も、顔を見合わせた。
「…まったく」
男が部屋を覗いて「静かにしていろ」と言っても、中からははしゃぐ声しか返ってこない。ミウも、男に続いてロンズと呼ばれた少女を連れて部屋に入った。玄関は、どうやら直結の台所だ。さきほどシャルロットがいた部屋よりもずっと広い。大きなテーブルといくつもの椅子があるのを見ると、どうやら全員の食事場所なのだろう。そこから、子供発ちのいる部屋、もう一つのドアは、シャルロットが先程までいた部屋に繋がるものだ。
「かけてくれ」
子供達のいる部屋のドアを閉め、男が一つの席についた。
「手荒な真似をしたことを詫びる。君達は賊ではなかったのだな」
シャルロット達も、それぞれ椅子に腰掛けた。ミウが一人、部屋に戻ってきた。
「ロンズ、ウィルと一緒に寝るって」
ミウが男の隣に座る。明け方とはいえ、この騒ぎで夜中起きていた子供達はやはり眠たいだろう。
「…ごめんなさい。こっちの勝手な思い込みで襲ったりして」
謝罪の言葉――しかし、目をそらしたその顔は、どこか不服さを感じさせる。しぶしぶ、といったところか。ニースが男を見た。
「…いや、こちらもそれなりの事をしてしまった。子供達を怖がらせてしまったようだし…。それより、君達はなぜこんな山奥に…?近くに村は無いはずだが…」
様子を伺うように、ミウが男を見上げた。男が、静かに目を伏せる。
「…村は…もう無い。…一年ほど前に失った。俺達は、カーネオという村の生き残りなんだ」
「…カー…ネオ?」
シャルロットの頭に、ラサで聞いた言葉が蘇った。
『そしてついに一年前、最後の村だったカーネオもやられたんだ』
「…賊団に…」
言いかけて、シャルロットは口を押さえた。――その生き残り。男のまっすぐな目が、シャルロットをとらえた。
「…そう、賊団に滅ぼされた。あの子達の家族も、俺達の家族も」
男の言葉に、部屋が静まり返った。
「生き残った俺達でここに移り住んで、やっと落ち着いてきた頃だ。だが、いまだにあの子達はここを通る人間には敏感でね。君達のことも賊だと勘違いして襲ったんだ。俺は丁度留守にしていたから…」
男の視線が、ミウに移る。ミウは、二度目に謝るそぶりはみせず、顔を上げなかった。「それにしても」と男が話を続けた。
「君達はどういう用でこの道を?風の国に向かう途中だったのか?それとも砂に?」
「風に」とニースが答えた。
「私は、火の王国の人間だ」
「火の?」
「事情があって、風の王国に行かなくてはならない」
男の視線が、ニースからワット、シャルロット、パスに移る。「全員で火の国から?」と、男の目が開いた。シャルロットはワットと顔を見合わせた。
「…私はバントベルから」
「俺も」
「オレは南の大陸」
パスが加える。事情が飲み込み辛かったらしく、男は目をまたたいた。
「あーん!イオのばかーっ!」
「あそこには行くなって兄ちゃんに言われたろ!」
「イオがぶったー!いたいよーっ」
突然、隣の部屋から、騒がしい声と暴れる音が同時に聞こえた。男が、重いため息をついて立ち上がった。
「…先を急ぐ旅なのか?」
「ああ」とニースが答えた。
「寄り道させてすまなかった。昼までに君達の馬をここに連れてきておく。慣れない森は動きづらいだろう。今日はここで休んでいってくれ」
「…自分達で戻るけど」
ワットが付け加えると、男の視線が向いた。
「あそこに戻るより、この高台からの方が早く森を抜けられる。長旅なのだろう、ゆっくりするといい。…もっとも…」
部屋から、再び暴れる音が響く。どうやら、一人二人ではないだろう。「ここはそんなに静かな場所ではないが」と加え、男が隣の部屋に入っていった。すぐに、ドアの向こうが静かになる。シャルロットはワットと顔を見合わせた。
「かえって悪いみたい」
「泊めてくれるっつってんだからいーんだろ」
「そうかな」と返すシャルロットの隣で、ミウが顔を背けた。
「(…そこまですることないのに!ウェイ兄ってば…!)」
呟いた心の小声は、しっかりと全員の耳に届いた。思わず顔を向ける。このミウという少女は、おそらくシャルロットと二、三歳程度しか変わらないだろう。
「優しいお兄さんなんだね」
シャルロットの言葉に、ミウは上目遣いを返した。そうすると、猫のようなアーモンド形の目がますます大きく見える。
「…義理だけどね」
「…義理?」
「ウェイ兄は…私の姉さんの婚約者だったの。姉さんは、あの時に死んじゃったけど…」
席を立ち、ミウが窓辺に手をついた。朝日が上り初めているのか、外からはまぶしい光が差し込んでいた。
「…何があったんだ…?お前らの村に…」
ワットの言葉に、ミウが顔を向けた。再び窓を見つめ、窓辺に腰掛ける。
「…私達の村は…。小さかったし豊かじゃなかったけど、皆が家族みたいだった。でも昔から危険な土地で…。だからこそ、村を柵で囲って…、あんな事が起こるなんて考えもしてなかった」
ミウの声が、わずかに震えた。
「…あの日…。私達が生き残ったのは、ただの偶然。あの子達と一緒に、河に遊びに行ってたから…。ウェイ兄と私は…ただの子守役。遊ぶのに夢中で、気がついたら夜だった。…村に戻ったら…」
「もういい」
強めの口調で、ワットが遮った。「悪かった」と、目を伏せる。ミウが振り返った。その顔は、微塵も弱さなど感じさせない。
「…生き残ったのは私達だけ。家族を殺した奴らの顔も、いまだに分からないままよ。村から離れて、ここに移り住んだ」
シャルロットは言葉が出なかった。震えだしそうな手を、握り締めるのが精一杯だった。なぜミウがそんな事を淡々と語れるのかも、理解できない。
「賊団を殺したいほど憎んでるわ。だから私は、ここに近づく連中を許さない」
――自分達の城を侵す者達を。
その目に、ワットは理解した。なぜ、こんな少女にあれほどの殺気が放てたのかを。それは全て、その小さな体に渦巻く恨みの念。ここの子供達を守るろうとする心の表れだ。
「ミウ姉」
子供達の部屋から、少年が顔を出した。子供達の中では比較的年齢が高い方だろう。それでも、パスよりは幼い。かすれた声に、ミウが顔を向けた。
「その人達、おれ達と一緒に寝るの?」
「…そうね」
席を立ち、ミウは「そうして」と言い残し、子供達とは違う部屋へ入った。




