第11話『子供の城』-2
「…シャルロット?」
草むらから顔を出しても、そこには薪の火が灯っているだけで誰もいなかった。「あれ?」とパスは自分達がもといたはずの場所に駆け寄る。
「…んだよ、先に行っちまったのか?おーい!シャルロ……げっ!!何だこれ!!」
初めて付近の異変に気がついた。一箇所にまとめておいた筈の荷が荒らされ、全てが一度ひっくりかえされたように散乱している。
「と、盗賊か…!?」
しゃがみこみ、無意識に散らばった荷を拾う――。
「何だこりゃ!?」
声と同時に、パスは顔をあげた。ワットとニースが戻ってきたのだ。ニースがパスに駆け寄った。
「何があった!」
「わ…わかんねぇ!ちょっと小便に行った隙に…って誰だそれ!」
ワットの背の少女に、パスが声を上げた。それにかまわず、ワットは周囲を見回している。
「おい…、シャルロットは?」
「え?お前らんとこに行ったんじゃ…」
「まさか。来るワケな…」
言葉にした途端、ワットは一つの考えが頭をよぎった。それは、隣のニースも同じだったらしい。
「おいおい…っ!」
顔を合わせ、思わず声が漏れた。少女を地面に下ろし、ワットはパスの両肩を掴んだ。
「荒らした奴らを見てねぇのか!?あいつまさか…!」
「…そのまさかのようだ」
ワットとは違う落ち着いた声で、ニースが言った。荒らされた荷にしゃがんだニースが、地面を手のひらでたどっている。
「…何だ?」
ワットとパスはニースの背後に駆け寄った。土の地面を石で削ったように角々しい文字――。こんなもの、ここを離れる前はなかった。
「女を返して欲しくば、娘には指一本触れるな。明朝、女と交換だ」
文字をなぞり、ニースがそのまま読み上げた。
「何!?」
パスが思わず地面にはいつくばり、メッセージに顔面を近づけた。言葉も出ない。
「…ん…」
小さな声が、三人の耳に届いた。寝かされていた少女が、気がついたのだ。顔をしかめ、無意識に腹を押さえている。少女がゆっくりと体を起こし、うつろな目で周囲を見回した。
「…れ?…キャッ!!」
片膝をつき、ワットが少女の胸ぐらを引っ張って掴んだ。驚きのあまり、少女が目を見開く。
「ワット!」
それを見て、ニースが怒鳴った。しかし、少女にそんな庇護は不要だった。一瞬の驚きもつかの間、少女の形相はすぐに変わった。眉間に強く力を入れ、ワットを睨みつける。先程までと同じむき出しの敵意――。しかし、ワットにとっても相手が何者だろうが既に関係なくなった。
「シャルロットをどうした!?答えろ!お前らの目的は何だ!!」
「しっ知らないわよ!そんなの!」
ワットの怒鳴り声に、少女がわずかに言葉が詰まった。それでも、目はそらさない。ワットは腹の奥から苛立ちがこみ上げた。
「このガキ…、答えようによっては容赦しな…」
「やめないか!」
ワットの肩を引き、ニースが間に入った。ワットの目が、ニースをとらえた。
「…乱暴はよせ、怖がらせるだけだ」
「先に手を出してきたのはこいつらの方だ」
ワットの睨みに、ニースは眉一つ動かさなかった。
「話を聞いてなかったのか」
「聞いてたさ。だからこいつから聞き出すしかねぇんじゃねぇか」
「…そうだ。手がかりはこの子だけだ。手荒なマネをしたら、シャルロットの行方もわからなくなる」
ワットの視線に、ニースも目をそらさなかった。その目に、静かに少女から手を離す。すると、汚いものを払うように、少女が顔をしかめて胸元を手で払ったのが見えた。ニースと少女に背を向け、ワットは立ち上がった。
「明日の朝まであいつが無事って言う保障はねぇ。こっちから取り返しに行くぜ」
わずかに、少女に目を向ける。
「こいつに案内させる」
荒らされた荷をかき集めているパスは、顔を上げた。一番目に付くもの――金目のものが取られている様子は無い。それを言おうとしたが、そんな雰囲気ではなさそうだ。
ワットの気迫とは裏腹に、ワットを睨み上げながら少女が笑った。
「…私が素直に案内するとでも思ってんの?」
「しないんだったら、自分の身の心配をするんだな」
鋭い目で、ワットは少女を見下ろした。脅しとは思えない目に、少女が腹を抑えながら立ち上がった。
「何かしようってんならこっちだって…」
言いかけで、少女の言葉が止まった。そして、その目が捕らえているのはいつの間にか自分ではなくその後ろ――。それを確認する前に、少女がかすかに笑った。先程までの敵意をむき出したものではなく、余裕のある笑みを見せた。
「…気が変わった」
少女が呟いた。
「いいよ、…案内してあげる。私だって一晩中こんなところにいるのは嫌だもん」
明らかに、策があるとしか思えなかった。しかし、そんな手の内を探っている暇はない。視界の端で、少女が荷と一緒にあった自分の十字の武器を拾い、縦に振った。金属音を立て、十字に突き出た刃が再び棒に収納される。少女はそれを一本ずつ、両の腰紐にさした。
「せっかくだから、荷物もまとめて全部持ってきたら?」
ワット達は顔を見合わせた。選択は、既に決まっていた。
気がついた場所は、ランプの明かりに照らされた一室だった。
森の中とは違う静けさに目を開けると、古びた木箱が部屋の隅に積みあがっているのが見えた。それと、こげ茶色の木の壁――。
途端に、シャルロットは身が凍った。部屋にいるのは、自分だけではない。男が一人、壁に寄りかかって腕を組んでいる。男の真横に、ドアがあった。
「…気がついたか」
シャルロットを見下ろし、低い声で男が言った。黒い短髪の、体の大きい男だ。あちこちが擦り切れた古びた服は、ラサの村人達より、ずっと汚い。男の黒く冷めた目を見つめ返すと、シャルロットの脳裏に記憶が蘇った。自分はパスと一緒にいたはずだ。それがなぜこんな場所に――?
「こ、ここは…?」
「ゴール山道の山小屋だ」
「私なんでこんなところに…。あなたは?…皆は…?」
そうだ、あの時、背後の誰かに何かをされ、気を失ったのだ。それが、この男――?
「質問はこっちからだ。目を覚ますのを待っていた」
シャルロットの目前まで歩くと、男が目を下ろした。よく見れば、まだ若い。ワットや兄とさほど変わらないかもしれない。
「一度しか言わないからよく聞け。探し物をしている。心当たりはないか?古い指輪だ」
「指…輪…?」
起き抜けのシャルロットにとって、その質問は少々難しかった。
「探している。お前らが持っているはずだ。荷には無かった」
男を見上げたまま、頭の中の記憶を探し回る。昼間の一件を思い出すまで、さして時間はかからなかった。
「もし知らぬふりをするならただでは…」
「…これ?」
シャルロットの差し出した手に、男の言葉が止まった。拾った指輪だ。ずっとポケットに入れていた。男の顔に、初めて表情が現れた。
「これをどこで…」
バンッ!!
男の手に指輪が乗る前に、部屋のドアが勢いよく開いた。反射的に振り返るも、それより早く、シャルロットを小さな手が掴んだ。
「きゃ!!」
「母様の指輪!!」
飛びついてきた少年――ほんの幼い少年が、あっという間にシャルロットから指輪を取り上げた。それを部屋の明かりに透かし、光り輝く指輪を満面の笑みで見つめている。シャルロットが言葉を失っている間に、少年が男に笑みを向けた。
「ウェイ兄!ありがとう!!」
少年はそのまま、部屋から飛び出した。少年は、パスよりもはるかに幼い。開けっ放しになったドアに顔を向けると、シャルロットは口が開いた。ドアの向こうから、彼よりもさらに小さいであろう子供達が、珍しげに部屋を覗き込んでいる。足のおぼつかない少女から、意思を持っていそうな少年まで。それでも、全員がまだ幼い。見つかった事に気がつき、子供達がドアに身を隠した。
「…まったく」
呆れたように、男が小さく息をついた。
「ちっちゃい子がいっぱい…」
同じようにドアの先を見つめるシャルロットに、男が顔を向けた。その目は、先程より鋭さが消えている。
「お前、賊団の一味じゃないのか?」
「賊!?」
驚くよりも、そんな風に見えるのかが衝撃だった。慌てて何度も首を横に振った。
「ち、違うわ!」
「じゃあ――…」
言いかけで、男が再びドアに気をとられた。隠れた子供達が、再びこちらを覗き始めたのだ。一番小さな少女と、目が合った。指をくわえ、とても愛らしい。自然と、笑みを向けると、少女も笑った。
男が息をついてドアに手を伸ばした。
「…おいで、エルゼ」
男の声は、先程シャルロットに向けられた声とはまるで違った。穏やかで、とても優しい声――。その言葉に、少女が指をくわえたまま歩きよってきた。男の足に抱きつき、その目をもう一度シャルロットに向けた。
「このおねえちゃんだあれ?おにいちゃんのおともだち?」
「エルゼ、この人は違うよ」
慣れた手つきで、男が少女を優しく抱き上げた。
「ウィルの指輪を持っていてくれた人だ。もう大丈夫だから部屋で寝ていなさい」
「おにいちゃんは?」
「お兄ちゃんはまだ寝ないよ。ウィルお兄ちゃんが一緒に寝てくれる」
とろりとした目で、少女が頷いた。
「お休み」
男が少女を床に下ろすと、少女は「おやすみなさい」と小さく行って部屋を出て行った。
「か、可愛い…」
思わず、心の声が漏れた。少女の後に続き、男がドアに立ち、その向こうを見回した。
「全員部屋にいろ」
姿は見えないが、「はーい」と返事が聞こえる。皆、子供の声だ。男がドアを閉めると、再び部屋には自分と男だけになった。
「あなたの妹…なの?」
「…みたいなものだ。それよりすまなかったな。手荒な真似をした。どうやら悪い輩ではないようだ」
男の態度は、最初よりは温和になっている。もしかしたら、本来はさきほど子供に話したような彼が本当なのかもしれない。
「ワット…私の一緒にいた人達はどこにいるの?」
顔を見上げたシャルロットに、男がため息をついた。
「俺の留守中に、子供達が早とちりをしたようだ。君達を賊だと勘違いしたのだろう。イア達が弓で射たと言っていた」
「イア?」
「さっきの子供の一人だ。その時に今の…ウィルが指輪を落としてね。大事なものだったんだ」
昼間の一軒が、頭の中で繋がった。まさかあの時、自分達が彼らを脅かしていたとは。
「誰かの結婚指輪みたいだったけど…」
「あの子の母親のものだ。戻って探したが見つからなかったらしい。それできっと君達が持っていると思ったんだろう。夜になってから、もう一度君達のところへ行った。だが、反対にこっちの一人が君の仲間に捕まった」
記憶に無い話に、「え」と顔を上げる。
「事情を聞いて駆けつけたが、君達が安全だという保障は無かった。あの子の安全と、指輪の為に君を連れ去った」
自分は誘拐されたのか――。今更ながら繋がる話に、シャルロットはわずかに言葉に詰まった。
「あなたは…、あなたの他はみんな子供だけなの?あなた達だけで暮らしているの?」
おそらく、子供は十人以上はいる。こんな森の中に、村があるとも思えない――。
男が、ドアノブに手をかけた。わずかに、シャルロットを振り返る。その目は再び最初に見た男の目だった。
「俺は君を信用したわけじゃない。ミウの為に、君は交換の人質だ。朝までこの部屋にいてもらう」
「その子は…ミウって子は…」
「あの子は、俺の妹だ」
「あそこよ」
ミウを先頭に、ワットとニース、パスは森の中の坂を一時間以上も登った。あまりの道に、馬は置いて来ざる得なかった。ようやくたどりついた少女の指先には、木造の小屋がある。ミウが立ち止まり、振り返った。
「行けば?仲間がいるわよ」
余裕を見せる少女の話し方に、ワットは眉をひそめた。「…クソガキが…」と漏らしながらも、一足で少女を追い抜かす。「オレも!」と、パスが続いた。ニースは少女に目を留めた。
「なぜ…、急に案内してくれる気になったんだ?」
ニースと目を合わせ、少女がにやりと笑った。この手の笑みを、ニースは知らないわけではなかった。勝利を確信する笑み――。
少女が、指を加えた。同時に吹かれる指笛――。甲高い音が、静かな森に響く。
「何を…?」
「…すぐわかるよ」
そのままの笑みで、少女は小屋に足を進めた。
「あんた達は、ウェイ兄には絶対敵わないから」