第10話『始まり』-2
宮殿から出て荒野を進むと、すぐベル街に入った。昼に近くなるに連れて人通りの多いこの街は、メインストリートはとても馬では歩けない。ワットの案内で、シャルロット達は裏道を馬で通過した。
「お兄ちゃんが知ってた!?」
思わず、シャルロットは声を上げた。出発直前の話を、たった今ワットに聞いたところだ。
「お前が言ったんだと思った」
ワットがこぼしたが、それは当然の事だろう。しかし、シャルロットも言ってはいない。
「…お兄ちゃんもワットの顔覚えてたのかな…。もう何日も前のことなのに…びっくり」
あの闇夜で、サングラスさえかけていたのに。さすがに、剣を交えると雰囲気で分かるのだろうか。
「――で、謝れたんだ」
「…いや」
「え!何で!」
再び、ワットに顔を向ける。ワットはかすかに笑った。
「…謝るより…お前を守ってくれってさ」
シャルロットは言葉に詰まった。兄が、そんなところにまで気を回してくれていたとは。
「お兄ちゃん…」
嬉しさで、胸が詰まる。「いい兄君だな」と、ニースが言った。その言葉に、シャルロットは涙ぐみそうになった。
「あ、この辺、ワットの家じゃねえ?」
ニースの後ろで、パスが周囲を見渡しながら言った。
「確かだいぶ路地の中だったよな。眺めは良かったけど…」
「え!寄ってみたい!」
思わず立候補。ワットが、どんな所に住んでいたかは興味がある。
「治安が良い場所じゃない。お前は近づくな」
あっさり却下され、シャルロットは頬を膨らませた。
「メレイのヤツも…今頃この辺にいんのかなぁ」
パスがポツリと呟いた。そうだ。あの時、ろくに別れも言えないまま、去ってしまったメレイ――。目を閉じると、彼女の笑顔が思い出せた。
「また…会えるといいね。ううん、…会える…気がするわ」
昼も過ぎる頃になると、ベル街を抜けてバント市を通過した。バント市は住宅地で、バントベル王国内では一番の居住率がある住宅街だ。家も、さほど効果ではない一般家庭が並ぶ。
「宮殿で働いている人も、ここの出身の人は多いのよ」
あたりを見回しながら、馬を進める。ミーガンの両親も、ここの出身だと聞いたことがあった。馬をゆっくり進ませるだけで、市の外れについた。小さな柵の囲いは、一応野犬除けとされているが、あまり効果があるようには見えない。見張りもない柵を通り越し、シャルロット達は一面に広がる荒野に足を踏み入れた。
「…何にもないな」
ニースの後ろで、パスが首を伸ばした。乾いた風が地面を撫でる音が響く。一面は、黄色に近い土の荒野――そして、そびえ立つ巨大な崖が、見えるはずのその先の視界を遮っている。
「この先は砂漠まで国境とラサの村しかない。それまでずっとこんな感じだろう」
馬を進めながら、ニースが地図を確認した。一応、道が存在しているようで、それにそって歩く。平坦な道でそれほど苦難もないが、付近には岩や崖、ちょっとした死角が非常に多い。
「そろそろ日が落ちそうですね」
見上げれば、青かった空は次第に白みを帯び始めている。
「一日でここまで来れば充分だろう。この先の国境で休ませてもらえれば…」
言葉の途中で、ニースは言葉を止めた。「ニース様?」と、シャルロットは首をかしげた。しかし、ニースはシャルロットなど見ていない。同時に、隣のワットが馬を止めた。
「何だ?」
パスが、同じく馬を止めたニースを見上げる。その途端、シャルロットは付近の岩陰に物音を聞き取った。
「やだ…、野犬…?」
バント市を出るときの柵を思い出し、シャルロットは手綱を握った。
「…より悪そうだ」
ワットの返事と同時に、数人の若い男達が姿をあらわした。岩陰に潜んでいたのか、古びた服装で、その雰囲気は一目で自分達に危険な存在だと判別できた。――盗賊だ。
反応すらできないシャルロットの馬の手綱を、ワットが横から引き寄せた。男達は全員で七人。こちらをバカにした態度を見せた。男達が道の進路と退路をふさぐと、ワットが馬から下りて後ろに回った。前方には、ニースがいる。
「シャルロットの馬に乗れ」
「あ、ああ」
パスは上ずった声でニースに従い、シャルロットの後ろに飛び移った。乗り主の離れたワットの馬を、シャルロットは手綱で引き寄せた。
「×××××××」
男の一人何かを言った。しかし、その声は聞こえたのに、シャルロットには男が何と言ったのか分からなかった。ニースが馬から下り、前方で腰の剣に手をかける。男達はにやにやと笑いながらそれを眺めて顔を合わせた。
「×××××?」
「××××××」
確かに声は聞こえているのに、何を話しているのかわからない。
「(…な、なんて言ってるの?)」
小声でパスに話しても、男達が出てきた事に驚いて口を開けているだけだった。男達がナイフや背にかけた剣を抜き始める。思わず、その刃物の光にぎくりとした。船上で、それを突きつけられた事を思い出す――。
「ワット」と、ニースが声をかけた。
「わかってる。…お前ら少し下がってろ」
ワットの言葉で、シャルロットは我に返った。
「馬から下りるなよ」
ワットが一歩、前に出ると、ニースも腰の剣を抜いた。シャルロットはその場でどうしていいのか分からなかった。男達が何かを叫び、前方、後方からワットとニースに襲い掛かった。ワットがそれを避け、短刀を振りかざす。シャルロットは思わず目を逸らした。――恐ろしくて見ていられない。
大きな刃のぶつかる音、争う声――。ふいに、パスに腕を引かれた。
「…おい」
「…え?」
薄めでパスを振り返ると、パスはあごで正面をさした。それにつられて視線を上げると、そこにいるのはワットとニースだ。いや、正確には、立っているのはその二人だけ――。あとの男達は、既に地面に付した後だった。腹の底から、気が抜けた。
「襲う相手ぐらい選ぶんだな。ま、これで当分悪さもできねえだろ」
短刀を腰に納めつつ、倒れている男の一人を踏みつける。男が、小さくうめき声を上げた。パスが「うおぉ」と、首を伸ばした。
「やるじゃねーか!」
「…見習ってみろ」
歩き寄ったワットが、パスの頭をぐしゃりと撫でる。子ども扱いが嫌いなパスは、それをすぐに払った。
「ワット、腕…!」
ワットの伸ばした腕に、小さな切り傷がついている。シャルロットが触れる前に、ワットがそれを指でぬぐった。
「…あ?ああ、かすり傷だ。…油断したからな」
たった今気がついたのか、ワットは気にも留めていない。ワットが再び馬に乗った。
「ニース様は…」
「平気だ。何とも無い」
振り返ると、ニースも馬に戻るところだった。息も乱れておらず、涼しい顔だ。シャルロットは安心で息が漏れた。
「…××××…」
倒れた男の一人が、顔を上げて何かをうめいた。シャルロットはそれに振り返ったが、ワットが「行くぞ」と、馬を進めた。
「死んだり…しないよな?」
不安げに、パスが後ろを振り返る。
「加減くらいしてる。シャルロット、早く来い」
「う、うん…」
何を言いたかったのだろう。それでも、ワット達と離れはじめる距離に、シャルロットは馬を進めた。
「ニース様」
馬を追いつかせ、ニースに言った。
「さっきの人達…あの、なんて言ってたか判りました?」
男達の声は確かに聞こえたのに、理解はできなかった。「完全には聞き取れなかったが…」と、ニースは、わずかに言葉を濁した。
「物を奪えと聞こえた。…おそらく…北端語だろう」
「北端…語?」
「ここよりも遥か北の大陸で使われている言語だ。俺はほとんど…」
ニースが、一度言葉を止めた。それに合わせて首を傾げたが、ニースは小さく笑った。
「俺はほとんど聞いた事は無い。文献で読んだことがある程度だ」
一瞬、「あれ」と思った。ニースは自分の事を、「俺」と言っていただろうか。
「…遥か北の大陸…」
それでも、会話は進む。シャルロットは、その大陸がどこを指すのかも検討もつかなかった。ただ、実際に自分と言葉の違う人間とであったのは、初めてのことだった。
「もしかしたら、今は盗賊だが…かつてはそこで暮らしていた移民だったのかもしれないな」
そう思うと、何ともやるせない気持ちになる。襲った相手も、昔は自分達と変わりがなかったのかもしれないと思うと――。その言葉に、シャルロットは返事ができなかった。