第9話『決意』-4
思わず、口から出そうだった。――もしも、一緒について行けたなら。皆と一緒に、新しい国を回って歩くなんてどんなに楽しい事だろう。しかし、同時にニースがそれを快く思わないのは分かってる。パスを見てきたのだから、当然だ。
食堂でミーガンに皆の分の昼食を頼み、皆を呼びにニースの部屋に戻ろうとしたが、シャルロットは足が重かった。――戻りたくない。そんな気分に駆られ、シャルロットは、廊下の窓辺に腰掛けた。皆と笑って昼食をとれる自信はない。
(…嫌だな…。私一人、ここでお終いなんて…)
ニースの旅は、まだ終わったわけではないのに。目の前を通り過ぎる使用人の足音で、シャルロットは我に返った。忙しさに目まぐるしく働く彼ら――。そう、自分は、彼らと同じのはずだ。
「やだ…っ!バカみたい!」
首を振り、シャルロットは再び廊下を進んだ。
(そうよ。ディルート様への恩も忘れて!ちっちゃい頃から雇ってもらっておいて、勝手に辞めるなんてできない。…そうよ、怖いことだっていっぱいあったじゃない。いつもワットに助けてもらって…)
行きたくなくなる理由を模索すると、シャルロットは足が止まった。
(そうよね、ワットなんて…最初はちょっと怖いかもって思ったけど…。口は悪くても、結局いつも助けくれてた。…ニース様はいつも優しくて…。すごい人なのに、意外と自分には無頓着な人…。一人だったら、きっとご飯も食べないわね)
そう思うと、わずかに笑みがこぼれる。
(パスも一緒になって、ずっと騒がしくてあっという間だったけど…それでも皆といたから…楽しかった…)
その時、突然後ろから肩を叩かれた。
「ひゃっ!」
「わっ」
飛び上がるほど驚いたが、メレイはシャルロットの声に驚いて声を上げた。メレイの後ろには、ワットとパスも一緒だ。
「…驚かせちゃった?」
「メ、メレイちゃん…!びっくりした…。どうしたの?ニース様の部屋にいたんじゃ…」
言葉の途中で気がついた。メレイの背負っている荷に。初めてファヅバックでメレイと会った時と同じ格好だ。
「メレイ…どっか行くの?」
「ええ。残念だけど、お昼は一緒できないわ。元々そのつもりだったんだけど…、今日ここに来たのは今までのお礼を言う為よ。言う前にシャルロットが行っちゃったから」
メレイがいつものように微笑んだ。
「ど、どこ行くの?」
「そうね…、バントベル王国を一通り回ったら、次は『風の王国』かしら」
「え!?」
シャルロットは思わず声を上げた。それはつまり――。
「ここでお別れするわ。短い間だったけど、今までありがと」
「そんな…!」
確かに、たった数日。それでも、メレイと別れるのは寂しかった。胸が締まる感覚に、思わず顔が歪む。
「そんな顔しないでよ。あんたには、笑顔が一番似合うわ」
メレイの笑顔に、シャルロットは笑みを返せなかった。
「…メレイがいなくなったら、…やだよ。皆だって…そう言うよ」
うつむいたシャルロットの頭を、メレイがそっと撫でた。女性にしては長身のメレイは、ヒールのせいもあるが、並べば頭一つ分近くの差がある。
「じゃあ、あなたが皆のそばにいてあげなさい」
その言葉に、シャルロットは顔を上げた。メレイの顔からは、笑みが消えていた。その代わり、――わずかに、悲しげな目。メレイのそんな目を、シャルロットは初めて見た。
「私にはできないの。いつか、またどこかで会えたら…」
言葉の途中で、メレイは話すのを止めた。
「…何でもないわ。元気でね。あんた達も。ニースによろしく」
首を伸ばし、ワットとパスに顔を向ける。ワットとパスは、それぞれ「ああ」、「おう」と返事をした。
メレイはそのまま、いつものようにヒールの音を立てて廊下を歩いていった。その背を見つめたまま、シャルロットはメレイの姿が見えなくなるまで声をかけられなかった。
「どうした?」
ワットが、シャルロットに歩き寄った。既にメレイの姿は見えないというのに、その廊下から目が離せない。シャルロットは、胸に一つ、決意が灯った。
「私…、やっぱり…」
「何だよ?」
ワットの声に、シャルロットは勢いよく振り返った。
「ごめん!急用!!」
「は!?」
ワットが反応する前に、シャルロットはメレイとは逆方向へ廊下を走った。そうだ。決めた――。
「…何だ?あいつ…」
変なのは、今に始まったことではないが。そんな事を考えながら、廊下の先に消えていくシャルロットの背を眺める。
「…なぁ、オレたちのメシは?」
「…さあ…」
パスの声にも、ワットはさほど考えずに返事をした。
厨房のミーガンは、仕事着で皿をまとめて運んでいた。いつも降ろした耳元でそろえた髪すらも、跳ねるように二つに結んでいる。シャルロットが出入り口から顔を出して手招きをすると、ミーガンは付近に皿を置いてやってきた。
「どうしたの?」
こんな所に。シャルロット自身、厨房まで来る事は珍しい。同じ時間は、普段は自分も仕事中の時間だから。シャルロットはミーガンの両肩を勢いよく掴んだ。
「私行く!皆と一緒に、旅を続けたいの!!」
「はぁっ!?」
大声に、ミーガンはさらなる大声で返した。
「一緒にって…!!何言って…!だいたいこの先ってどこに行くの!?付き人の仕事はもう終わったんでしょ?ここでの仕事は…」
突然の言葉に、ミーガンも、自分で何を言っているのか分からなくなっている。
「エリオットにだって…」
「これから言いに行くの!」
勢いで、ミーガンの言葉を遮った。
「お願い、賛成して!?お兄ちゃんにはきっと反対されるけど…!」
――賛成してくれれば、心強い。親友からの賛同があれば――。祈るような瞳に、ミーガンがわずかに落ち着きを取り戻した。
「本気…なの…?」
しっかりと、頷く。それを見て、ミーガンが笑った。
「あんたが本気なら、間違いないよ」
「ありがとう!」
その言葉が欲しかった。ミーガンの肩から手を離し、シャルロットはエリオットの元に走った。
「何だと?!」
エリオットの反応は、予想通りだった。その怒鳴り声に負けず、シャルロットはエリオットの腕を掴んだ。
「だから!私、また皆と一緒に行きたいの!!いいでしょ、お兄ちゃん!!」
あっさり、その手が払われる。――宮殿内の廊下。周囲には多くの使用人達が行き交っていたが、二人の視界にはまるで入らなかった。
「聞くまでも無い!!駄目に決まってんだろ!!」
ざわめく周囲に、丁度、シャルロットを探して宮殿内を歩いていたワットとパスが通りかかった。
「お、いたいた、シャルロ…」
「お願い!!私どうしても行きたいの!!」
「ディルート様への恩をあだで返す気か!?だいたい国外がどれほど危険な物か、お前はわかってないだろ!!」
パスの振り上げた手は、シャルロット達の怒鳴り声で固まった。
「じゃあお兄ちゃんは分るっていうの!?」
「今までの俺の仕事知ってんだろ!」
周囲などまるで目に入れない二人だが、こういう事はよくあるのだろうか、さほど通り過ぎる使用人達も目を向けるものの、気にしているようには見えない。「うわ…」と、パスが呟いた。
「あいつら、怒り方一緒だぜ」
「…さすが兄妹」
ワットが小さく加える。怒りに怒りで返す彼らの喧嘩は、簡単には納まりそうにない。ため息をつきつつ、ワットは二人の方に歩いた。エリオットが、さらに続ける。
「お前、ここでの仕事はどうするつもりだ!ディルート様に拾ってもらってなきゃ俺達は生きてないんだぞ!ダークイン様と一緒に国外に出て、何ヶ月仕事あける気だ!バカも休み休み言え!」
突然振り返ったエリオットに、タイミング悪く、ワットがぶつかった。
「…おっと!」
肩だけだったが、相当頭に血が上っていたと見えるエリオットは、ワットを睨み挨拶もせずにその場から去った。ワットの後ろのパスが、その背を目で追った。
「…こえーな、シャルロットの兄貴は…」
しかし、ワットには、それよりももっと気にかかる事がある。
「シャルロット…今言ってたのは…」
ワットの視線に、シャルロットは言葉に詰まった。しかし、今度は言わなくてはならない。いや、伝えたい。
「…わたっ…私…っ!私もついて行きたいの!足手まといかもしれないけど、私も行きたいの!」
「…シャル…」
「南の大陸で…ちょっとの間だったけど、私知らない世界をいっぱい見たわ…。怖いこともあったけど…それ以上に…楽しかった」
「おい、そういう話は…」
「ずっとそういう世界が見たいっていつも思ってた!ホントよ!?」
口喧嘩で勢いのついていたシャルロットの言葉には、ワットが口を挟む隙がない。
「お兄ちゃんにわかってもらえなくても私も行くわ!こんなに自分で何かしようなんて思ったことない。…そうだ!私これからディルート様に言ってくるわ!!」
「お…おい…」
ワットが止めるまもなく、シャルロットは廊下を走った。
「何だ…?シャルロットも来んのか?」
パスがぽかんとワットを見上げた。ワットは、まだ廊下の先を走っているシャルロットから目を離していない。
「さあ…。とりあえずニースんとこ戻るぞ。…出発、ちょっと待ってもらおうぜ」
「ダークイン殿の付き人を延長したい?」
ディルートが目を丸くして聞き返した。玉座の間からは離れた宮殿内の廊下で、美しい后と、娘のオリディアと一緒に、ディルートは歩いていた。そこを、呼び止めた。後ろには付き人が数人いたが、普段から使用人達への気配りのあるディルートは、シャルロットの声にも耳を傾け、足を止めてくれた。シャルロットは大きく頭を下げた。
「…は、はい!私をこのままニー…ダークイン様の付き人として行かせてください!絶対に、足手まといになるような真似は致しません!!」
「あなた、この子がダークイン殿の付き人で南の大陸へ行ったという…?」
后が、隣に立つディルートを見つめた。年齢にそぐわない美貌で評判の后が、低めの落ち着いた声で言った。ディルートが、「ああ」と返事をすると、信じ難いように、宝石のような后の目がシャルロットを見つめた。
「その為に長い間宮殿をあけることになりますが、必ずダークイン様のお役に立ちますから…っ!!」
ディルートの許可さえもらえれば、出国できる。シャルロットは必死の思いで頭を下げた。兄を説得するには、これしかない。その肩に、ふと優しい手が触れた。その手が、シャルロットの顔を起こさせる。
「顔をおあげなさい。…あなたのような若い娘が、このような事をするものではありませんよ」
「…ビロス様…」
シャルロットは后――、ビロスを見つめた。ビロスが、ディルートを振り返る。
「お話をお聞きしたときも思いましたが、危険な道にこの子のような若い娘に付き添わせるなど――…。私は反対ですわ」
「あら、面白そうじゃない。本人が行きたいと言っているのだから、行かせてさしあげたらどうですの、お父様」
「オリディア、お黙りなさい」
割って入った娘に、ビロスが厳しく言った。ディルートの目が、シャルロットをとらえた。
「お前の兄は…なんと申しておる?」
思わず、シャルロットは言葉に詰まった。運の悪い事に、ディルートはその反応を見逃さなかったようだ。
「賛成しておるわけはなかろう」
それは、その通りだ。嘘はつけない。
「もし…。もしも兄が許可を出したなら、私は許可しよう」
その言葉に、思わずシャルロットは顔を上げた。同時に、「あなた」と、ビロスが険しい顔でディルートを見つめる。しかし、そんな言葉にかまわず、ディルートが微笑んだ。
「許可がでたら、もう一度来るとよい」
「…はっはい!ありがとうございます!!」
深く頭を下げると、ディルート達は、そのまま廊下を進んで行った。その先で、ビロスはディルートに納得のいかない目を向けた。
「なぜあのような若い娘を国外に出すことに許可など…。あの子の兄が許可をしたらどうするおつもりなのです。もし何かあったら……あなた」
ビロスの言葉を、ディルートはほとんど聴いていなかった。
「…いや、少し考えるところがあってな…。あの娘はエリオットの妹だ。もしかしたら…」
「エリオットってあの馬鹿みたいに真面目な分隊長?」
オリディアが割って入った。ビロスの厳しい目が、オリディアをとらえる。
「オリディア、口にはお気を付けなさい」
黙って口を尖らす娘を眺めた後は、三人の中でも、その話題は消えていった。
日が落ちた頃、ワットに呼ばれたニースは、シャルロットの家で夕食をとる事になった。昼過ぎにワットから話を聞きいていたとはいえ、思わず、食事を取る手が止まった。
「…何というか…」
呆れたため息が漏れた。シャルロットの家の居間、その食卓には、シャルロットの作った料理が並んでいる。エリオットは仕事で不在だが、ニースとワット、パスを含めた中で、シャルロットは座ったまま頭を下げた。
「ニース様にご迷惑はおかけしないように頑張ります。ご飯も作るし、雑用だって…」
「あ、シャルロットがいればメシの心配はないな!」
パスが食事をほおばりながら口を挟む。黙々と食事を続けるワットも、日中ニースを引き止めに部屋にやってきたくらいだ。おそらく反対はしていない。その面々に、ニースはいまさら断る気力もなかった。もう一度、ため息が漏れる。
「…構わぬよ。ワットもパスもくるんだ。シャルロットが一緒でも、これまでと変わりないだけだし…」
シャルロットは顔を上げた。ニースの目が、まっすぐに自分をとらえている。
「分かっていると思うが危険は承知の上だな」
「…はい」
しっかりと、シャルロットは頷いた。「心配すんなよ、俺がついてる」と、ワットが食事を続けながら口を挟んだ。ニースが、食卓の面々を見回した。
「…それにしても…最初は一人のはずだったのに、私の旅はどんどん連れが増えていくな…」
嬉しいのか悲しいのか。ニースのため息に、シャルロットは何も言えなかった。もはや、自分もその要因の一つでしかない。
「でも、兄貴に了解得ないと駄目なんだろ?」
――いくらこちらが良くても。ワットの言葉に、シャルロットは現実に引き戻された。
「…う。それは…」
言葉の途中で、玄関のドアが開いた。――エリオットだ。
「お、お帰り…!」
わずかに腰を上げ、シャルロットが顔を向けた。ドアを開けた途端、エリオットは来訪者達に気がついたようだ。靴を脱ぎ、黙ってニースに会釈をした。
「お兄ちゃん、ご飯…」
「狭い家ですがゆっくりしていって下さい」
ニースに言うと、エリオットはそのまま手前の自室に入り、カーテンを閉めた。立ち上がったままのシャルロットに、取り付く島はない。
「…出発は明日だぜ」
ワットの呟きが、シャルロットの胸に刺さった。