第9話『決意』-3
宮殿の使用人が使う塔の大部屋は、広い談話室だ。夕方を過ぎたこの時間、休憩している使用人もちらほらいる。宮殿内とは違い、使用人塔の一角でもあるこの部屋は、煌びやかではないが、テーブルとソファだけはたくさんある。シャルロット達は、そのひとつを囲ってソファに座った。
「えぇ!?じゃああんたあの晩のぞ……っあむ!」
「声が大きい!!」
ミーガンの口を、シャルロットは慌てで塞いだ。阻止したシャルロットの声の方がずっと大きく、室内の面々が振り返る。シャルロットは笑顔で「何でもないです」と周囲に手を振った。ミーガンに、皆を紹介し、一人目のワットで既にこの騒ぎだ。ミーガンが、じろじろとワットを見つめた。
「へぇー、あなた強いんだね!」
「さぁ、自慢できるほどじゃねぇけど」
褒められても、さほど嬉しくもないらしい。お構いなしに、ミーガンが続けた。
「そう?エリオットはあれでも警備隊の分隊長やってるんだし!」
「お兄ちゃんの前じゃ褒めないでよ、調子に乗るから!」
思わず笑ってしまう。そう、あれでも、エリオットは剣の腕には自信があるだろう。宮殿内の警備隊分隊長――二十六あるその隊の、一つを任されているのだから。一隊、その下には数十人の兵が付いている。数百人いる警備兵の中で、上から三十人以内に入るエリオットの腕は、シャルロットからしても大きく自慢できる。
(あぁ…どおりで)
あの晩を思い出し、ワットは一人で納得した。あれは、確かに強かった。
「腹減ったー…」
隣で、パスが呟いた。言われてみれば、朝から何も食べていない。昼間も休憩なしで、ここまで来たのだ。窓の外は、もうすっかり暗くなっている。
「俺、ひとまず帰るぜ」
ワットが立ち上がった。
「え?帰るって、どこに?」
「家だよ、決まってんだろ」
「え!…家、あったんだ」
悪気もなく、そんな意見が漏れる。「当然だろ」と言わんばかりの目で、ワットがシャルロットを見下ろしながら肩に荷をかけた。
「うちに泊まればいいのに」
「何日も無断であけてたんだ。さすがに家主が気づいたかもしんねぇし…」
わずかに、残念に感じた。エリオット達に会えたのは嬉しい。しかし、ワット達とももっと一緒にいたかった。
「明日…!」
「ん?」
「…また、来るよね?」
ワットは考えるように間をおいて、「ああ」と答えた。その言葉に、ひとまずほっとした。
「私も、そっちにお邪魔させて貰おうかしら」
「え、メレイちゃんも!?」
思わず、シャルロットが声を上げた。皆、うちに泊まってくれればいいのに。既に支度を整えたワットは、面倒くさそうにメレイを見下ろした。
「お前こそシャルロットんちに泊めてもらえよ」
「せっかくの再会を邪魔したくないわ」
メレイが荷を持って立ち上がる。ワットは、エリオットやミーガンを見て、その気持ちも分かる気がした。
「しょーがねぇな…。ほら行くぞ。じゃあな、明日また来んわ」
ワットが歩き出すと、それに続いたメレイが振り返った。
「パスは?」
「え?」
何も考えていなかったのか、パスははっとしたように顔を上げた。
「あんたも来る?」
「…おい、なんでてめーが誘ってんだよ」
ワットが足を止め、振り返る。
「あら、二人の方がいい?」
一瞬、にわかにシャルロットの視線が痛い。ワットがため息をついた。
「…ったく、しょーがねぇな。三人じゃ狭くてしょうがねぇぜ」
ワットが歩き出すと、パスは慌ててソファから降りた。
「シャルロット、明日な!」
三人が部屋から出て行くと、ニースが立ち上がった。
「じゃあ、私も失礼するよ。ディルート殿が部屋を用意してくれたようだ。シャルロット、また明日」
「あ、は、はい。おやすみなさい…」
静かにソファを立ち、ニースも部屋から出て行った。
「…つまんないの、皆もっといればいいのに」
ぽつりと、シャルロットは呟いた。空気を変えるように、ミーガンがシャルロットの腕を取る。
「ね、今日私泊まりに行くわ!旅の話聞かせて!」
「もちろん…!早く支度しなきゃ!」
笑い合い、シャルロット達もソファを立った。
翌日、日も高く上った正午頃、シャルロットは部屋のベッドで目を覚ました。
窓の外から光が差し込んでいる。エリオットの部屋と居間に続くカーテンが空いているが、家には誰もいないことが空気で分かる。昨夜は遅くまでミーガンと話していたが、そのミーガンも既に仕事の時間だろう。エリオットも夜には帰っていたが、あまり話せてなかった。何より、シャルロット自身の体が思ったよりもずっと疲れていたらしい。熟睡で、皆が出て行くときも、まったく気がつかなかった。
「寝過ごしちゃった…」
ゆっくりとベッドから降り、髪を結う。居間で顔を洗い、部屋を見回すと、次第に実感が沸いてきた。これはいつもの生活だ。――帰ってきたのだ、家に。
家を出て、螺旋の階段を駆け上る。外は刺すような日差しに、一転の曇りもない青い空だった。屋上では、他の使用人がたくさんの洗濯物を干していた。それを通過し、宮殿に続く橋を渡るところで、呼び止められた。大量の洗濯物の隙間から、シャルロットよりも若い小柄な少女達が顔を出していた。
「久しぶり!朝聞いてたけど、帰ってきてたんだね!」
「あ!ホントだシャルロットだ!おつかれさんだったね!」
使用人仲間でもある少女達だ。シャルロットは笑顔で返事をした。
「ミカ!グミ!追加だ!戻って来…」
宮殿の側から、男が顔を出した。その途端、男は言葉を止めた。
「シャルロット!」
「スイード!」
仕事着のスイードが、駆け寄ってきた。
「ミーガンから聞いてたけど…帰ってきたのか!俺もう謹慎とけたからさっそく昨日は外に出ててさ。お疲れさんだったな」
「…う、うん」
笑顔で歓迎するスイードに、シャルロットは目をそらした。しかし、友人の微妙な変化にスイードが気が付かないわけがない。
「どうした?」
「あ…ううん。何か…今更だけど、終わったんだなって、実感してきちゃった」
スイードには、素直にそれが言えた。皆が喜んでくれるだけに、自分がそんな考えでは申し訳ない気がしていたから。スイードがわずかに首をかしげると、後ろから少女達が顔を出した。
「スイードさぁん、追加ですかぁ?」
一人が、面倒くさげにスイードに言った。首を伸ばし、スイードが「ああ」と返事をする。
「…悪い、今大忙しでさ。今日は休みなんだろ?また後でな。グミ!それも持ってきてくれ!こっちは俺が持ってく」
「はぁーい」
「じゃあな」
スイードが橋を戻っていくと、少女達がそれについて宮殿内に入っていった。シャルロットの行き先も、同じ入り口だ。廊下に入っても、既にスイード達の姿は無かった。その代わり――。
「おーい、シャルロット!」
「あれ、パス?!」
振り返ると、パスが後ろから走ってきた。服装は、いつもと変わらない。
「早いね、もうワットんちから来たの?ここで何して…」
「いいからこいよ!」
言葉の途中で、パスがシャルロットの手を引いた。
着いた先は、ニースの部屋だった。綺麗で広い、客人用の部屋だ。先に部屋にいたワットとメレイは、椅子に座っている。部屋に入ると同時に、ベッドの上にまとめられた荷が目に入った。
「ニース様!もう立つんですか…!?」
「ああ、次へ行かなくてはならない。シャルロット、世話になった。ありがとう」
いつも通りさらりと言うニースに、シャルロットは言葉が出なかった。そんなシャルロットをよそに、ニースはワットを振り返った。
「ワットはどうする?もともとシャルロットの為に同行していたのだろう?」
「…だな。どうすっか…」
「部屋も期待できないしね」
天井を仰ぐワットに、メレイが口を挟んだ。
「そういえば家はどうだったんだ?」
「家主に散々言われたよ。昨夜は何とか泊めて貰えたけど、追い出されたも同然だな」
ため息をつくワットに対し、パスは笑いながら勢いよくベッドに座った。
「お前がキレたりすっからだぜ」
「おめーのが先だったろ。…ま、そんなとこだ。この国にも飽きたころだったし…俺も行くかな…。面白そうだ」
にやりと笑うワットに、「当然オレも」と、パスが付け加えた。
「シャルロットは…」
「パス」
言葉の途中で、メレイが遮った。パスは何かに気が付いたように、「あ」と言う顔をした。
「そうだ、昼飯を食おうと思ってたんだよ!それでオレ、シャルロットを呼びに行ったとこだったんだ。どっかで食わせてもらえんのか?」
パスの質問に、シャルロットははっと我に返った。
「あ…、うん。使用人用の食堂でよければ、頼めば作ってもらえるわ。昨日の…ミーガン。あの子のパパが、料理長なの。私言ってくるから、ちょっと待ってて」
「おい、シャル…」
ワットの言葉が終わる前に、シャルロットは逃げるように部屋から出ていった。