第8話『正体』-4
部屋は全員が入れる広い部屋だった。そこで夕食をとった後、シャルロット達は船内で自由に過ごした。行きとは違い、船内を自由に散策する余裕があるのも大きな差だ。部屋には、ニースだけが残っていた。
「あれ?ワット達は?」
部屋のドアが開き、パスが戻ってきた。ニースは一人、ベッドに腰掛けて本を読んでいたところだった。パスがチラリと表紙を見ても、何の興味もわかない文学本だ。
「三人とも甲板に行ったよ。シャルロットは個室にいると気分が悪くなるそうだ。ワットもメレイもそれについていった」
ニースはまた本に目を落としたが、パスはその場から動いていない。ニースは再び顔を上げた。
「どうした?」
「…いや…その…」
「…何だ?」
わずかに、疑問詞を強くする。パスは目を逸らした。そして、勢いよくニースに顔を向けた。
「ドミニキィに着いた後も、お前らと一緒に行きたいんだ!」
パスの言葉に、ニースはそれほどの驚きは見せなかった。――薄々、予感はあった。この少年を知っていれば、諦めていない事は、誰にでも予測が着く。ニースは改めてため息をついた。
「…前にも言ったけどそれは…」
「ちょっと位考えてくれよ!オレ、シャルロット達にも聞いてくるから!」
「パ…」
ニースが腰を上げた時には、既にパスは部屋を飛び出していた。静かになった部屋で、ニースは再びベッドに腰を下ろし、本を開いた。
「シャルロットか…」
短い間だったが、彼女達のおかげでずいぶん明るい旅路になった。そう思ったのも束の間、開いたままのドアの向こうで、物音がした。
「パス?」
戻ってきたのだろうか。顔を上げたが、返事がない。不審に思い、ニースは腰を上げた。
「あ!いたいた!」
パスの声で、船首の手すりに寄りかかっていたシャルロットとメレイは振り返った。
「あのさ!頼みがあんだけど…」
「キャーーーッ!!」
突然、女性の甲高い叫び声が船上に走った。ぎょっとして、シャルロット達は顔を見合わせた。
「な、何!?」
周囲を見回しても、何もない。船首にいた他の客達も、同じように顔を見合わせているだけだ。だが――。
「助けて!!」
もう一度、悲鳴が走った。今度はもっと近い――。振り返ると同時に、シャルロット達は動きが止まった。船内のドアから出てきたドレスの若い女性が、顔を引きつらせている。しかし、何よりも目を引いたのはその後ろ――女性の首筋にナイフを当てた、若い男だった。
「静かにしろ!貴様らも大人しくしているんだな!」
「たっ助けて!船員が刺されて…っ!」
男の怒鳴り声に負けず、女性が狼狽して叫んだ。しかし、乗客達はざわついて周囲と顔を見合わせることしかできなかった。シャルロットは、すぐに船尾にそこから見える目を向けた。そこに、ワットがいるはずだ。
ワットは一人、ベンチから起き上がっていた。さすがに騒ぎが聞こえたのだろう。しかし、その顔はわずかに寝ぼけている。
(何してんのよ!)
声に出したかったが、それはできなかった。女性を捕まえた男は見覚えがある。乗船のときに見かけた男達の一人だ。とすれば、彼には仲間が数人いる。
男が指をくわえ、ひゅうと口笛を吹いた。同時に、仲間と思われる男達が船内から三、四人姿を現した。
「船は貰う!貴様らからは有り金全部いただくぜ。おい、船員は船から下りろ」
降りろと言われても、ここは夜の海のど真ん中だ。偶然甲板にいた船員がぎょっとすると同時に、男達の一人が彼を掴み、引っ張ったかと思った瞬間、その勢いで船から放り出した。
「うわあああっ」
誰もが口を覆い、悲鳴を漏らした。海に落ちた音と共に、船員の悲鳴が消える。パスがすぐにそれを覗こうとしたが、メレイに腕を掴まれた。女性を人質に取った男が声を張った。
「女は全員ここに座れ!男はこっちだ!」
言われたとおり、男女に分かれて乗客達は動き出した。元々大して乗客がいなかったとはいえ、大きな船だ。ここにいる客達だけでも、二十人前後。船内からも、連れ出されたらしい。
「おい!そこのお前もだ!!」
男の一人が指差したのは、船尾のベンチにいるワットだ。それに気がつき、ワットが不機嫌そうに立ち上がった。「動いてやっている」ような動作は遅く、男をわずかに苛立たせる。ワットがそばを通り過ぎる時、シャルロットは口を動かした。
(お願い、何とかしてよ)
声には出さなくても、わかるはずだ。しかし、ワットの視線はそのまま人質に取られた女性に移ってしまった。その目は、既に覚めている。――死人が出るのはごめんだ。
ワットは、言われたとおりに他の乗客と一緒に腰を下ろした。乗客の数が多すぎる。到底、守りきれる人数ではない。乱闘になれば、確実に被害は出るだろう。シャルロットと目が合うと、ワットはその不安げな目とは対照的に陽気に笑った。
(こんなときに何笑ってんのよ!!)
怒鳴ってやりたい気分にかられた時、船内から最後と思われる乗客達と、男達の仲間であろう男が三人、姿を現した。その中乗客の中には、ニースもいた。腰に剣を下げているものの、目立った行動にはでていないようだ。
男達は船員を集めて小船で船から追い出した。船の周りを漂う彼らが、先に船から放り出された船員を拾い上げているのが見えて、わずかに胸が降りた。ニースが、ワットの付近に腰を下ろしたのが見えた。パスは、子供だと判断されたのかシャルロットとメレイと一緒に、ワット達とは反対側の女性達の群れに座った。――金目当てのジャック。これだけ豪華な船なら、当然かもしれない。
男の一人が、シャルロットの近くにいたドレスの女性の腕を引いた。女性が、小さく悲鳴を上げる。かまわず、前に転がった女性の高価そうなネックレスを男が引きちぎった。
「痛い!何をするのよ!」
女性のヒステリックな叫びは、男の癪に触った。男が、仲間を振り返る。
「おい、この女は海に捨てろ」
ニースとワットが、思わず立ち上がった。二人の体格のいい男が同時に立ち上がれば、当然全員の視線が向く。男性達の中で唯一立ち上がった二人に、男が目を向けた。
「何だ、やろうってのか?」
しかし、その問いには答えられない。男が、あざけるように笑った。
「お前らの連れは…あいつらだったな」
その視線と、シャルロットの視線が重なった。そうだ、自分が彼らを見ている代わり、彼らも、自分達を見ている筈だ。顔に力をいれ、シャルロットは男を睨んだ。だが、あっという間に別の手に引かれ、シャルロットとメレイ、パスの三人は女性達の輪から前に連れ出された。
「いてっ!!」
パスが、床に転がされた。手と膝を床につけられ、首を押さえつけられる。シャルロットとメレイは、後ろから首に腕を回され、さらにシャルロットには首に剣を当てられた。今にも刺さりそうな剣先に、シャルロットは顔を背けた。それを見て、男が笑った。
「…まだやる気があるか?」
ニースは床に手をついたままの女性とシャルロットを交互に見て、静かに目を閉じた。それから、黙ってその場に座った。
(ニース様…!)
シャルロットはどうにもできなかった。このままではあの女性が――。
ワットは海に一瞬目をやると、笑った男を激しく睨みつけた。
「必ず後悔させてやるぜ…!」
怒りを抑えた声で言い、ワットはそのままその場に音を立てて座った。男が、高く笑った。
「そのザマでよく言う。おい」
男が仲間に顔を向けたが、もはやワットの視界には入っていなかった。しだいに怒りが募るのが自分でもわかる。それは、男にとって気がつかなくて幸いだった視線だろう。
ワットの後ろで、ニースが小声で話した。
(この波の高さならさっきの船員の乗った船に拾ってもらえる。ここは抑えないとシャルロット達が危険だ)
忠告の言葉だろうが、そんな事はわかっている――。その時、ワットの隣の男性が立ち上がった。あまりに突然の事で、ワットとニースは同時に見上げる事しかできなかった。中年の男だ。しかし、身なりはいい。
「その人を離してくれ!」
――女性の連れか。男性は、誰が止める間もなく女性の元へ駆け出した。
「お、おいオッサン!止せ!」
ワットが思わず立ち上がった。しかし、男性は女性にたどり着く前に、別の男に蹴飛ばされてうつぶせに転んだ。男が、男性の背を踏みつける――。
「死にてぇらしいな…。望み通りにしてやるぜ」
「や、やめてぇ!!」
男が腰の剣を抜くと、女性が叫んだ。シャルロットは、自分も人質だという事など頭から吹っ飛んだ。
「ワット!!その人助けて!…イタッ!!」
同時に、腕を締め上げられた。ニースとワットが、同時に剣と短刀に手をかけるも、距離が遠すぎる。
「やめろ!」
間に合わない。ニースが男に剣を投げつけようとした瞬間、手が止まった。別の影が、視界に入り込んだのだ。それは、短刀に手をかけていたワットも同じだった。
ギンッ!!
大きな剣の音に、シャルロットとパスは思わず目をつぶった。ニースとワットは、剣と短刀を振り上げたまま動きが止まっている。うめくような声と一緒に、男が地面に倒れた。
そう、倒れたのは男性ではなく、男性を殺そうとした男の方だ。既に抵抗を諦めていた男性が、おそるおそる目を開ける。目の前にいた男は、既に自分の横に倒れている。目の前にいるのは――、女性だ。
「悪いけど、もう我慢の限界だわ。人質って結構疲れるのよ」
剣を肩に置き、周囲に言ったのはメレイだった。腰に手を当て、もう一方の手にあるのは自らを人質に取っていた男が腰から下げていた剣だ。シャルロットとパスは、その声に思わず顔を上げた。誰よりも先に我に返ったのは、メレイを人質に押さえていた男だった。
「こ…っの女!」
男がメレイに殴りかかったが、メレイは男とすれ違うようにしてそれをかわした。同時に、その剣の柄を男の後頭部に叩き付けた。鈍い音と共に、男は自分が突っ込んだ勢いのまま倒れ込んだ。
シャルロットとパスは、声もでなかった。メレイに視線が集まる中、その隙に、ニースが男の一人を倒した。
「く、くそっ!こいつら…!おい!そこのガキと女を殺せ!!」
パスとシャルロットを人質に取っていた男達が、同時に剣を抜いた。しかし、ワットがすぐに短刀を投げつけた。
「うわっ!」
当然、寸分の狂いもなく放てるものでは無い。しかし、短刀に恐れをなした男達は自らシャルロット達を手放し、それを飛び避けた。短刀は、シャルロットとパスの間を通り抜けて壁に突き刺さった。シャルロットは、一瞬で足の力が抜けてしまった。
「おっと!」
駆け寄ったワットに、それを支えられた。
「大丈夫か?」
「…う、うん!」
両側に転がった男達が、すぐにワットにかかってきたが、ワットはシャルロットを下がらせると同時に靴に仕込んだナイフを男の足に投げつけた。もう一人が怯んだ隙に、腹に膝を入れる。ワットが一瞬で二人を倒す頃、ニースは剣で周囲の男達を倒しきっていた。残るは一人、女性を殺せと命じた男だけ――。
メレイが助けた男性に、女性が飛びついた。
「あっあなた!しっかりして!大丈夫?!」
「あ、ああ…。あの方に…礼を…」
男性がメレイを見上げる。同時に、ニースもメレイを振り返った。その視線に気が付いても、メレイは振り返らずにワットを見つめた。
「ち、畜生!何なんだ貴様ら…っ!!」
「言ったろ、後悔させてやるって。…さーて、どうしてやるか…」
指を鳴らし、ワットは男に近づいたと同時にその腹を思いっきり膝で蹴り上げた。
「グッ!!」
鈍い音、低いうめき声と共に、男はその場に倒れて気を失った。ワットが、小さく舌打ちした。
「…んだよ、もう終わりか」
男は、びくりともしない。直後、周囲の乗客達から歓声が上がった。ワットに駆け寄ったパスが、その背を思いっきり叩いた。
「やったぜ!!案外チョロいな!」
「お前な…」
呆れた視線をパスに向けると、ワットはその向こうでへたりこんでいるシャルロットが目に入った。
「シャルロット?平気か?」
「う、うん。何か…ちょっと…、まだドキドキしてる見たい」
平静を装っても、心臓の鼓動は抑えられない。怖かったのは、事実だ。自分ではなく、目の前で人が殺されるのでは、と。ワットが笑ってシャルロットの腕を掴んだ。
「腰でも抜けた?」
「そ、そんなんじゃないもん」
――図星。思わず、顔が熱くなる。ワットが、その腕を持ってシャルロットを一気に立ち上げた。
「キャッ!…あ、ありがと…。また…助けられちゃったね」
「どういたしまして」
わずかに、照れくさい。しかし、すぐにそんな事はどうでもよくなった。その目で探す人は、すぐに目に付いた。メレイは、お礼を言う乗客達に囲まれていたから。
シャルロットを含め、全員が過去の会話を思い出していた。
『無用心だよな、女の一人旅なんて』
そして同時に思った。不用心じゃない理由が、判ったな、――と。