第8話『正体』-3
「パスが一緒に来ることは私は構いませんが、息子さんの身の安全が保証できません。同行といっても、ウィルバックか…砂の王国の入り口が限界でしょう。砂の王国の先は…砂漠を越える事になりますので」
居間に敷かれた布団に座ったまま、ニースが言った。ヴィンオーリが、それに振り返る。
「そうか」
「私は…」
ニースが言いかけて、シャルロットを横目で確認した。
「私の旅には、危険が付きまといます。…命を狙われる事も」
シャルロットは思わずニースを見たが、ニースは振り返らなかった。
「…そうか。じゃあ、それで頼む」
「本気かよ」
呆れたように、ワットがこぼした。
「あいつはもう寝ちまったかな」
ヴィンオーリが二階への梯子を登っていくと、それを目で追うシャルロットに、ワットが気がついた。
「やっぱ好みなんだろ」
「…だから違うってば!そうじゃなくって、何か…いいなぁ…って。あったかいよね…お父さんって…」
その暖かいぬくもりは、シャルロットの知らないものだ。両親のいない自分にとっては――。突然、頭の上に手が乗った。思わず、顔を上げる。
「お前には、兄貴がいんだろ?」
ワットの笑顔に、シャルロットはまばたきをした。もうすぐ、エリオットにも会えるではないか。
「…うん!」
シャルロットは、わずかに心が躍った。
二階では、メレイが荷の整理をしていた。その奥のベッドで、パスが頭から布団をかぶっている。
「さっきまで起きてたんですが…眠ってしまったみたいですね」
パスを見て、メレイが言った。ヴィンオーリが静かにパスのベッドの脇に座った。
「行っていいぞ。ダークイン殿と」
「ホントか!?」
パスが、布団を払いのけて飛び起きた。寝たふりをしていたのだろう。ヴィンオーリも、それを見抜いていたのか。
「…ああ。しかし、ウィルバックまでの約束だ。長くても、西の大陸の入り口まで。…分ったな」
ヴィンオーリの手が、パスの頭に乗った。
「あんまりはしゃぎすぎるじゃねぇぞ」
ヴィンオーリの笑みに、パスが同じように歯を見せた。
「サンキュー父ちゃん!!」
喜びで跳ね回るパスに、メレイが小さく笑った。
翌朝、ここにきたときと同じ人数で、シャルロット達は出発することになった。パスの荷物は、もしかしたらシャルロットの荷よりも多いかもしれない。一体何をそんなに持ってきているのか。
「さあ、行こうか」
ニースの声に、シャルロットは振り返った。いつものように額にゴーグルをセットしたパスは、ヴィンオーリと話をしていた。
「気をつけて行けよ」
「うん、行ってくる」
いつも口達者なパスも、父親の前では小さな子供だ。頭を撫でられた後、パスはワットの馬の背に乗った。
「行ってくる!」
馬を進めた後も、パスはずっと後ろを向いて大きく手を振っていた。やがて森に入り、ヴィンオーリの姿が見えなくなると、ワットは後ろでパスが目をこすっているのが分った。
「何だ、お前泣いてんの?」
「うっせーな!そんなんじゃねぇよ!」
パスがワットから顔をそむけて腕で顔をふいた。「どうせすぐ帰るんだろうが」と、ワットがからかっても、パスは聞こえないふりをしていた。
ウィルバックへは、夜までに到着予定だ。それにしても、相変わらず蒸し暑い。
「なぁ、水は?パスんちから持ってきただろ?」
ワットが服を仰ぎながらシャルロットの横に馬をつけた。
「うん。この子に積んだ荷の横にかけて…」
「どれ?」
振り返ると同時に、シャルロットは言葉が止まった。思った以上に、ワットとの顔が近かったからだ。
「何?」
「…ううん、なんでもない!そこにかかってるから。勝手に取って」
どうせ、手を伸ばしても届かない。シャルロットは顔を背けた。
「サンキュ」
ワットが空を仰いで水を飲むのを横目で見ると、ふいに、ファヅバックでワットに助けられた事を思い出した。
(考えたら…お兄ちゃん以外の人に…あんな風に守ってもらったのって初めてだ)
あの時は、頷くだけで精一杯だった。あの真剣な目――。水を飲み終えたワットが、シャルロットの視線に気が付いた。
「だから…、何?」
その怪訝そうな言い方に、教えてやりたくなくなった。せっかく、褒めたい出来事なのに。
「なんでもない」
棘のある言葉に、ワットもそれ以上聞くのはやめた。その代わり、背でずっと黙っているパスに声をかける。
「今日はえらい静かだな、どうかしたのか?」
「な、何でもねぇよ!」
急に我に返ったように、パスに睨まれた。
「…どいつもこいつも…」
意味の分からない連れ達に、ワットが小さく舌打ちした。
森では何の障害もなく馬を進めることができ、ウィルバックにはまだ日も落ちない時間に到着した。
「ウィルバックは久しぶりだぜー」
パスがワットの後ろで大きく伸びをした。ウィルバックに入り、メインストリートを抜け、最初に訪れた宿屋が目に入る。ほんのわずかなのに、懐かしい。歩く道を、高い鐘の音が響いた。
「船の出る音…ですね」
メレイが遠くの港を眺めた。
「大きな港だからな。遅くまで船が出ているのかもしれない」
「おい、まさか乗るつもりかよ…」
ニースの雰囲気に、ワットが「勘弁してくれ」といわんばかりに呟いた。一日中馬に乗った疲労を考えれば、当然だ。
「すまない、少し調べてくるから待っていてくれ」
「え?」
シャルロットが反応する前に、ニースは馬を蹴って行ってしまった。
「お急ぎの旅と聞いてはいましたけど、本当にお急ぎのようですね」
メレイが、小さく呟いた。
しかし、シャルロットはまったく別の事を考えていた。――ウィルバックまで戻ってきた。それはつまり、帰国が近いことを意味している。そしてそれは、彼らと別れることを――。
「お、もう戻ってきた」
思考を遮るように、パスが言った。馬を止め、ニースがシャルロット達を見回した。
「今日の最終の船に間に合いそうだ。今の次の船になるから、今から一時間後。疲れているところすまないが、それに乗ろうと思う。船内で休むことにしよう」
「マジかよ…」
ワットがため息をついた。
「文句言わないの!さ、行こう!」
言ってしまえばシャルロットもワットと同じ意見だが、ニースがそうしたいなら、自分はニースの味方でなくてはならない。
「オレ民間船は初めてなんだ!」
「私船はちょっと苦手だわ。でも景色は大好きよ!」
パスとシャルロットが笑い合っても、ワットは気乗りしない様子だった。
「…ったく、子供は元気だねぇ」
そう言いながら、再び馬を歩かせた。
港に着いたシャルロット達は、周囲から明らかに浮いていた。
「こりゃあ行きとは大違いだな」
船を見上げ、ワットが呟く。目の前にあるのは、豪華客船――といっても過言ではないほどの船だ。おそらく、港を上げても最大級の船だろう。
「すっごー…い…。おっきーい」
シャルロットとパスはそろって口を開けた。乗り込む客層も、ドレスや高貴な服をまとった人達ばかりだ。自分達とはまるで違う。
「かなり上流階級の向けの船のようですけど…」
メレイがニースに顔を向けた。
「金は?」
当然の疑問である。ワットの言葉に、ニースは「問題ない」とだけ言った。聞けば、豪華なだけに高価で、空き室は多いのだと言う。話を通し、割り引いてもらったそうだ。
「客室を余らせるより、安値でも人を乗せた方が儲けはでるからな」
「つーか、そんな頼みする奴、いねーからだろ」
ワットが言った。だが、悪い話ではない。
乗船中、シャルロットは唯一、自分達と同じくらいの身分であろう男達数人のグループを見た。
(何だ、普通のお客もいるじゃない)
そう思うと、少し安心もできた。
――甲板。船尾の手すりから、シャルロットは身を乗り出した。水平線上に沈む夕日が美しい。吹き抜ける風にそよぐ髪を抑え、船尾からは南の大陸が見渡せた。
「気持ちいいねー、私海って大好き!…あ!パスのうちが見えるよ!」
「マジ?!オレこっち側の海って初めて来たから知らなかったな」
同じように身を乗り出し、パスはシャルロットの指差す方角を眺めた。
「あんまり乗り出すなよ」
背後から、ワットが忠告する。
「今聞いたんだけど、向こうに到着すんのは明日の昼頃になりそうだと。豪華船は足も速いよな。なぁ、部屋で飯でも食おうぜ。腹減った」
「賛成!オレ魚がいい!」
「私も!じゃあ、メレイさん呼ぼっか」
「メレイはどこにいんだ?」
ワットが聞いた。
「船首にいるはずよ」
「…結局誰も休んでねぇじゃんか。…じゃ俺は、先に戻ってる」
ワットがきびすを返すと、シャルロットはふいに思いついた。
「ワットがあんな綺麗な人放っておくなんて珍しいね」
「…あのな、お前俺の事なんだと思ってんだよ」
呆れた目で、ワットが振り返る。
「それに俺だって女なら誰でもいいってワケじゃねーの。俺はああいう上流の女は好みじゃないんだ。それに…」
言葉の途中で、ワットは話すのを止めた。
「それに?」
シャルロットが首をかしげた。「いや」と、ワットは答え、先に行ってしまった。何だったのだろう。シャルロットの背後では、パスが再び身を乗り出して港を眺めていた。水平線から、ウィルバックの港が消えていくところだった。