第8話『正体』-2
「見えてきた!あれだよ!あれ!」
――ようやく、が抜けている。パスのはしゃいだ声が飛ぶと、パス以外の全員がそう思った。
ファヅバックから森を抜けて海岸沿いに出たのは、既に夕日が水平線に沈み始めた頃だった。当初の予定では、日中にはパスを送り届けてシャルロット達はウィルバックへ向かうはずだったというのに。
「全っ然違う方向だったじゃねーか」
ワットが嫌味を込めて言った。一緒の馬に乗るシャルロットを押しのけて前方を眺めていたパスが、目を細めて振り返る。
「オレだけならあっちのが近道なんだよ」
「もう、やめてよ」
ため息が出そうだ。当初、パスに案内してもらった道はとても馬の通れる道ではなかった。結局、パスを頼りに森の中を行ったり来たりしたおかげで、もうくたくただ。口喧嘩など、聞きたくもない。それでも、ニースとメレイは、文句一つ漏らさなかった。こういう時、やはり年齢的な差を感じさせる。メレイはニースよりは若いだろうが、ワットよりは年上だろう。
「あれがパスの家?」
話題を戻すように、シャルロットは前を指差した。砂浜の向こう、海よりも手前に、小さな二階建ての小屋が見える。木で作られたいびつな小屋は、おそらく手作りなのだろう。シャルロットが振り返ると、パスが馬から飛び降りた。
「そ!こっちだ、ついて来な」
「あ、ちょっと待…」
「パス!」
突然、知らない男の声に遮られた。反射的に、シャルロットとパスを含めた全員が振り返る。
「父ちゃん!」
パスが、口を開けて言った。シャルロット達の後ろ、そこに立っていたのは、三十代半ばほどの男だ。黒の短髪に、鋭い目、背も高く、体格もいい。擦り切れた服に、右肩に長い木の棒を担ぎ、その両端にはバケツがぶら下がっていた。パスが、男に駆け寄った。
「父ちゃん、勝手に留守にしてゴメ…」
ゴッ!
思わず、シャルロットは口に手を当てた。男が、こぶしをパスの頭に落としたのだ。
「バカ野郎!心配かけやがって!」
「何だよ!!ララんとこからちゃんと信号送ったろ!?」
両手で頭を抑え、パスが涙目で抗議した。男が砂浜にバケツを置いた。
「四日も空けるとは聞いてねえぞ。それにファヅバックじゃ町長選で一悶着あったそうじゃねえか」
「…そ、それはオレのせいじゃ…」
目を逸らし、パスの声が小さくなると、男はパスの後ろに並ぶシャルロット達に目を向けた。鋭い眼差しは、睨まれているわけではないが、こちらを動揺させるような力がある。
「あんた達は?」
「…あ、えっと…」
一瞬、どう答えたものかと迷った。
「ララの宿屋に一緒に泊まっていたやつらだよ」
パスが、気を取り直したように答えた。それを聞き、男がもう一度シャルロット達を見回した。
「…息子が世話になったようだ。俺はパスの父親だ」
「こんにちは」
メレイだけが、変わらぬ微笑で答えた。――厳しい父親。それが、シャルロットの男に対する印象だった。パスが、意気込んで父親を見上げた。
「父ちゃん、大事な話があるんだ!」
パスを見下ろす顔、その片眉がわずかに上がった。
「何言ってやがる、そんな事!!」
月が昇り、海が静かに闇と同化する。打ち寄せる波の音がわずかに届く小屋――パスの家で、パスの父が呆れたように声をあげた。居間は狭く、中心に火を起こせる砂場があり、その中心ではスープが鍋の中で沸騰し始めたところだ。シャルロット達はそれを囲んで絨毯に座っていた。奇抜な色の刺繍の入ったタペストリーや、木彫りの置物が多い。
パスの父は、名をヴィンオーリといった。髪や目、肌の色がパスとよく似ているが、顔つきはヴィンオーリの方がずっと鋭い。大人の男だからという見方もあるが、それでもパスは叔母であるララの方に似ているだろう。
(パスはお母さん似ね)
シャルロットはヴィンオーリを見つめて思った。
「いいだろ!?オレ、外の世界を見てみたいんだ。父ちゃんだって…」
「ダークイン殿は国外任務だ。子供が一緒に行動してたら足手まといにしかならねぇだろ」
有無を言わせぬ口調に、パスが言葉を詰まらせた。ヴィンオーリの目線が、シャルロット達を一周した。
「すまない、息子が困らせているようだ。見たとおり、こんな家だからもてなしもできねぇが、一晩くらいくつろいでいってくれ」
「と、とんでもないです、こちらこそお世話になります…!」
シャルロットは慌てて手を振った。すっかり日も落ち、先程今夜はここで世話になることが決まったばかりだ。とはいえ、一階は居間兼玄関と台所、そのまま直結の梯子で二階にどうやら二部屋あるだけの家らしい。
「息子さんにお世話になったのはこちらのほうです。彼にララさんの宿屋を紹介してもらいまして」
ニースの視線に、パスは得意気に鼻をすすった。同じように、ヴィンオーリがパスを見た。
「こいつはララんとこに入り浸ってるからな。それにして、もう山賊を引っ掛けるのはやめろ。何度も言ってんだろ」
「何だよ!父ちゃんだってやるじゃねーか!」
「あれはやつらに灸を据えてるだけだ」
パスの抗議に、ヴィオーリが静かに答える。パスが壁に飾られたオブジェを指差した。銀色の鎖の両端に、鉄製の二本の棒がついている。さらに、棒の先には数センチの鋭い刃が光っていた。どうやら武器のようだ。その刃の輝きは、常に磨かれているように見える。
「父ちゃんは強えんだぜ!こいつの技じゃあ誰にも負けねえ!」
自分の事のように、パスが自慢した。ワットが、顔をあげた。
「…変わった武器だな」
見たこともない、と言った意見だったが、シャルロットには見覚えがあった。材質こそ違うものの、ファヅバックでパスが使った「あれ」によく似ている。
「真似して造ったんだよ。コレは」
そんな視線に気がついたのか、パスがポケットからあの時の武器を取り出した。そうだ、鎖を縄に、鉄が木に変わっただけのものだ。
「ヌンチャクと呼ばれてる。俺のは通常のものより、鎖を長く作ってもらったが…」
「だからオレも長めにしてみたんだ!」
鍋がさらに激しく沸騰を始めると、黙ってヴィンオーリがそれを人数分の器に盛り始めた。しかし、その動きはどこかぎこちない。
「あ、やります」
シャルロットは、代わりにその木のしゃくを持った。その間も、パスはヴィンオーリに身を乗り出していた。
「なぁ、いいだろ?しばらく家にいないことになるけど…」
「誰が、いつ、許可したんだ?」
ワットが、パスの隣から頭をぐしゃりと揺らした。即座に、パスがそれを払う。
「何すんだよ!それにお前に頼んだりしねーよ!いいだろ、ニース!」
「え?」
会話に入っていなかったニースは、シャルロットからスープを受け取り、間抜けな返事をしただけだった。
「大体、何でそんなについてきたいんだ?」
ワットの言葉に、パスが一瞬ヴィンオーリを見つめ、うつむく。かと思えば、すぐに立ち上がった。
「コイツの手入れしてくる!」
自分のヌンチャクを持ち、パスは居間の隅にある梯子から二階に姿を消した。
「何だあいつ…」
頭上を見上げ、ワットが呟いた。
「…俺のせいかな」
ヴィンオーリが、小さく言った。
「…何でですか?」
当然の疑問が、口からこぼれる。シャルロットが見つめると、ヴィンオーリは目を伏せた。
「俺は昔…放浪者だったんだ。世界のあちこちを気ままに回ってた。その時の話を、あいつにはずっと聞かせた。その分、外に対する憧れが強いのかもしれない。…皆さんには、迷惑をかける」
一瞬間を置き、ワットがはっとした。
「ちょっと待て、あんたは…パスが行くのを止めないのか?」
「…俺に…止める権利はない」
思わず、シャルロットを含め全員の口が「え」と言いたげになる。ワットが一番最初に言葉を発した。
「…親なんだからあるだろ。つーか、あんなガキがついてきら足手まとい…」
「ワット!」
思わず、シャルロットはワットの分のスープを無理やり手渡して黙らせた。父親の前で、息子の悪口なんて!
熱かったのか、ワットに睨まれたがそれは無視した。ニースが、話を進めた。
「失礼ですが、もしかしてあなたは、あの『ヴィンオーリ=ドーティ』…ですか?」
ニースの問いに、ヴィンオーリがわずかに目を見開いた。
「…やはり…。ラリアさんが名を呼ぶのを聞いて、もしやと思っていたのですが…」
「ニース様、ご存知だったんですか?」
シャルロットの言葉に、ニースはヴィンオーリに視線を戻した。
「『冒険家・ヴィンオーリ=ドーティ』本で読んだことが。世界を旅した探検家でたしか…」
ニースが語尾を濁らせた。
「…何だよ?」
「いや…、何でもない」
ワットの問いに答えないニースに、ヴィンオーリが気が付いた。
「ああ…。これか?」
ヴィンオーリが半袖のシャツの左側を肩までまくった。シャルロットは息を呑んだ。その左肩にあるのは――傷跡。手のひらほどはあるだろう、肌の色がそこだけ白く変わっている。シャルロットは思わず目をそらた。
メレイが、わずかに顔をしかめた。
「それは…」
「北の大陸に行った時にね。このおかげで、今でも左腕はほとんど使い物にならない。これが、俺が旅をやめた理由だ」
何て言えばいいか――、シャルロットは言葉が出てこなかった。
「当時は自分の愚かさを呪ったが…、今思えばあれは俺にとってはいい機会だった。元々この地にイリアと…ああ、俺の妻だけど、パスも残していたし…。それを期に、俺は旅を止めてこの地に戻った」
息をつくように、ヴィンオーリがスープを口にした。
「…ところが三人で暮らしたのも束の間、イリアは病で死んだ。気付けば、三人で暮らした時間はほんのわずかだった…。…俺の勝手で、パスには辛い思いをさせた。だから俺には、あいつを止める権利なんて無い…。できることと言えば、あいつが一緒に行きたいっていうあんたらの人間性を見るくらい…」
ヴィンオーリの視線に、シャルロットは思わず身が固まった。胸を、射抜かれるような視線だ。その視線が、順々に一周する。
「それは、心配なさそうだな」
最後に目が合うと、ヴィンオーリは小さく笑いを落とした。
夜、シャルロットとメレイは、パスの部屋を貸してもらえる事になった。人数から、全員が居間で寝ることはできない。とりあえずニースとワット、ヴィンオーリが寝られるように居間を片付ける必要があった。
「あれ?」
ふいに、窓の外が目に入った。ずっと、姿がないと思っていたが、ヴィンオーリはどうやら浜辺にいたようだ。
「ヴィンオーリさんだ」
シャルロットは窓に手をつけた。
「何してるのかな」
暗がりで、よく見えないが座って何か作業しているのが見える。その後ろから、ワットが同じように窓に手をついた。
「ずいぶん気にするな。あーゆーの好み?」
「ち、違うわよ!…そんなんじゃなくて…」
冗談とわかりつつも、顔が赤くなる。ワットを見上げ、シャルロットは自分自身、ヴィンオーリが気になる理由は分かっていた。
「なんかいいなぁって思って…」
窓から手を離し、玄関に向かった。
「どこ行くんだ?」
「ちょっと外!」
「は…?」
ワットの返答も聞かず、シャルロットは家を出た。
「ヴィンオーリさん」
シャルロットの声に、ヴィンオーリが振り返った。
「どうした?眠れないのか?」
「い、いえ、ちょっと姿が見えたものですから…」
後ろ手を合わせ、目を合わせるとやはり照れてしまう。わずかに不思議に思ったかもしれないが、ヴィンオーリはそのまま仕事を続けた。砂浜にすわり、何やら細い木を編んでいるようだ。
「ファヅバックの知り合いに頼まれていてね。町には、こういうものを作る人間はいないらしい」
「へぇ…」
小さくうなずき、それを見る。どうやら、籠のようなものらしい。
「君は…」
「え?」
「ダークイン殿の付き人といったか…」
「はい」
静かな波打つ音が周囲に響く。宮殿でも、裏の海からよく聞こえたなと、シャルロットは思い出していた。
「なんとか、あいつを連れて行ってやれるようにダークイン殿に頼めないかな」
「え?」
ヴィンオーリの言葉に、シャルロットは顔を上げた。
「さっきも言ったけど、あいつが外に憧れるのは俺の所為でもある…。その分、行きたいって言う気持ちも…わかっちまうんだよな」
――ああ、そうか。シャルロットはヴィンオーリを見つめた。
この人は、パスを行かせてあげたいんだ。自分は、もう遠出のできる――パスを連れて行ける体ではないから。
「君も…、あいつの事、よろしく頼む」
ヴィンオーリの笑みは、静かで、ほんのわずかだが、それでもとても暖かかった。自然と、シャルロットは微笑みを返していた。