第6話『3人の候補者』-4
選挙会場の中央広場は、人で溢れていた。混み合いすぎて歩けない場所まである。広場の中心部には壇があり、そこに正装したイオード、ラダ、レイシスの姿が見えた。互いに同じ壇上にいるにもかかわらず、三人の視線は別々の方向を向いている。
「投票ってどうやってするんですか?」
選挙経験のないシャルロットは、ずっと疑問に思っていた。
「地域によっても様々だがここでは無記名式の投票で行うとララさんに聞いた。壇の前に木箱が三つあるだろう?」
ニースが中央方面を指差したが、背の低いシャルロットには人の頭しか見えなかった。残念なことに、ニースはそれに気が付いていなかった。
「“自分の指示する候補者のなの書いてある箱に木の実を入れる”というものらしいな。不正がないよう木の実は管理側で作られた――」
「お兄さん!まだ木の実もらってないんじゃない?そこのお譲ちゃんも!」
「へ?」
突然、選挙のたすきをかけた女性から、小さな木の実を渡された。見たこともないような光る黄色の塗料が塗られている。シャルロットは目をまるくした。
「わあ、こんな色見たことない…」
「不正がないように作られた物、らしいな」
ニースがつけたした。女性はワットとパスにもそれを渡し、すぐに人ごみに消えていった。
「ほえ〜…。私も投票していいのかな」
木の実を空に透かすと、頭の上にワットの手がのった。
「やめとけよ、よそ者が口出すことじゃねーしな」
その手が、ニ、三度シャルロットの頭を軽く叩いた。
「そろそろ正午か。もっと早くくれば曲芸師のショーが見れたのに!」
「パスがワットと喧嘩してたからじゃない」
悔しがるパスを見ると、笑ってしまう。大人ぶっていても、こういうところは子供だ。
「シャルロットこそキョロキョロして歩くの遅ぇじゃねーか!」
「そ、そんなことないもん!」
パスとシャルロットを尻目に、周囲を見回していたワットは人ごみの中にミントを見つけた。
「よう」
「あ、昨日の…、ワットさん」
どうやら一人のようだ。ミントが振り返った。
「ナードは?」
「さぁ、一緒じゃないわ。朝、部屋に行ったんだけどもういなくって…」
シャルロットもミントに気がついた。
「投票したのか?」
「しないわ」
ミントが苦く笑って木の実を見せる。
「ほんとは来る気もなかったんだけど…」
ミントの後ろを、二人の子供がきゃあきゃあと言いながら駆け抜けた。パスが自然と目で追った。
「…ん?」
「どうした?」
ニースがそれに気がついた。顔を上げず、パスは視線の先に目を凝らした。
「ん?あー…、何か見覚えのある奴がいた気がしたんだけど…。違ったかも」
カーンカーンッカーンッ
パスがニースを見上げた途端、高い鐘を突く音が広場を包んだ。そろそろ、投票締め切りという合図だ。
「さぁさぁ、あと少しで締め切りですよ!投票がまだの人は投票して下さい!投票の終わった人は後ろに下がって道を開けてくださーい!!」
壇の上で、若い男が声を張っている。いよいよだ――。
「きゃーっ!」
広場の興奮が高まる中、それを真っ二つに切り裂くかのような悲鳴が響き渡った。思わず、シャルロットは振り返った。
「ちょっと…!」「うわっ!!」
悲鳴の方面――シャルロット達とは対面側の広場の入り口から、次々と異変を感じ取った声が響く。
「何だ…?」
パスも振り返ったが、シャルロットと同様、人ごみでそれを見る事もできない。
「なになに?どうしたの?」
かろうじて、ニースとワットはそれを確認できた。そこには、町人達とはまるで違った格好の男達が数十人立っていた。ざっと、五十人近くはいるだろう。古びた格好、雰囲気から見ておそらく――。
「…山賊」
「え?!」
ワットの落とした声に、シャルロットは思わずにごった声を上げた。ワットの視線の先の男達は、見える限り全員、腰や背に剣を下げている。
山賊らが歩き進むと町人達は逃げるように道をあけた。先頭の男が背から剣を抜き、壇上を指した。
「よう、いい騒ぎだな」
「な、何だ!?」
笑ったような、それでもはっきりとした言葉に、壇上の選挙を取り締まっていあ男性が驚いた。その壇上に、イオード達候補者の姿はない。
「程度のいいカモがわんさかいやがるぜ」
先頭の男が周囲を見回した。
「な、何だ?どうしたんだ?」
パスがワットの服を引いても、ワットは視線を遠くに向けたままだ。
「さ、山賊って…!」
先は見えずとも、大変な事態なのは分かる。シャルロットが動揺している間に、パスはワットの腕を引っ張ると、あっという間にその背に飛び乗った。
「おわっ!何だよ!」
ワットが振り返ったが、パスは無視して遠方に見える山賊らに手をかざした。必死に何かを探す目は――。
「ワット!あいつだ!」
「あ?」
思ったとおりと言わんばかりの大声に、ワットが怪訝な顔を向ける。
「昨日お前が伸したヤローだよ!あいつがいる!」
「ぁあ?」
一応、その方面に目を凝らすが、分からない。どれも同じに見える上に、顔だって覚えていない。
山賊の一人が、一人の女性に歩きよった。
「それくれよ」
「きゃあ!」
男が女性の手荷物を奪い取った。
「おっおい!」
町人の、若い男性が山賊の腕を掴む。
「…あぁ?」
誰も止める暇もなかった。山賊の男が、男性を睨み返した途端、男性の腕から血が飛んだ。
「キャーッ!!」「ぅあーッ!!」
短刀で切りつけられたのだ。一瞬で、周囲はパニックになった。悲鳴をあげ、我先にとその場を逃げ出す。
「おいおい!」
騒ぎ始めた遠方に、パスがワットの肩に乗ったまま声を上げた。壇上では男性が警備の町人に声を飛ばしている。
「捕らえろ!!山賊全員だ!!」
「は、はい!!」
警備の若い男性達が慌ててかけだすも、凶器を持っている山賊達の方がはるかに強い。彼らの武器は、せいぜい木刀だ。それは、さらに場を混乱に陥れるだけだった。
あっという間に、壇上に山賊が飛び乗った。
「俺達はランデージ賊団だ!!全員動くな!抵抗する奴らは殺す!いろいろ頂いてくぜ!!」
広場は混乱に陥った。人々が逃げ惑い、山賊達が強奪を始めた。シャルロットはワットの腕を引いた。
「ど、どうしよう!」
パスがワットの肩から飛び降りた。ニースがあたりを厳しい表情で見回す。
「シャルロット達はどこかに隠れていろ」
ニースが腰の剣を握った。
「奴らを捕らえる。ワット、協力してくれ」
「ニース様…!」
目を細めるニースの顔を、シャルロットは初めて見た。だが、この目は知っている。兄が、戦いに赴く時の目と同じだ。ニースに手を伸ばそうとした瞬間――。
「きゃっ!!」
突然、ミントが首を腕で後ろに引かれてよろけた。
「上玉だな。こっちに来いよ!」
「…な…っ!」
「ミントちゃん!」
背後に現れた山賊が、ミントを掴んだのだ。しかし、ミントが山賊を見る前に、山賊の頭にこぶしが落ちてきた。
ゴッ!!
山賊はミントの後ろに倒れ込んで気絶した。ワットが殴ったのだ。
「ゴホッゴホッ」
「ミントちゃん!」
ミントが首を押さえてうずくまった。
「ニース、協力するぜ。お前らはその辺の家に隠れてろ。外にでるなよ」
「ちょ…っ待って!」
手を伸ばしたが、遅かった。ワットはこぶしで音を鳴らし、ニースと顔を合わせると二人はあっという間に人ごみにまぎれて姿を消した。
ワットは走りながら腰の短刀を抜いた。
「…大した奴らじゃあなさそうだな」
「だが数が多い。別れた方が早いか…」
隣を走るニースも、既に視線は別の方角を見ている。
「賛成」
ワットはそのまま、ニースとは別の方面へ走った。
「こっちだ、家の中にいようぜ!」
周囲が混乱する中、パスがミントの手を引いた。しかし、ミントは広場の中心の壇へ視線を泳がせ、必死で何かを探している。
「パパ…!パパはどこ!?」
パスの手をほどき、ミントは広場の中心に向かってあっという間に走っていった。
「おい待て!!」
慌てて、パスは足を踏み出した。はたと思い出したように、直前でシャルロットを振り返った。
「シャルロット!オレはミントを連れてくるからお前は…」
「あ!前!」
シャルロットの口が「あ」っと開き、パスの前方を指差した。
「え!?…うあ!!」
遅かった。パスは、正面にいた山賊に突っ込んでしまっていた。
「パス!」
駆け寄ろうとした途端、シャルロットは足が止まった。それと同時に、パスも言葉が出ない様子だ。
「…お、お前…っ!!」
ぶつかった山賊を見上げ、パスは固まった。相手は、昨日自分達ともめた男ではないか。
「テメェ…、今日はテメェと女だけか…」
周囲を見回し、男がニヤリと笑った。パスはとっさに男から離れ、シャルロットの前に立った。
「ちょうどいい、あの時の礼がまだだったな」
男が腰の短刀を抜いて一歩、パスとシャルロットに近付いた。周囲の混乱で、誰も自分達を助けてくれはしない。
(…どうしよう、逃げなきゃ…っ!!)
男から目をそらさず、シャルロットは前のパスの手を取り、ゆっくりと後ずさった。しかし、パスはその手を振り払った。
「…お前なんかにやられるかよ!」
同時に、ポケットから二本の木の棒を取り出す。シャルロットは慌てた。
「パ、パスッ!」
短刀を持った男にかなうわけがない。シャルロットはもう一度パスの肩を掴んだが、パスは動かなかった。意識は、完全に男に向いているようだ。
「ガキだからってナメんなよ!オレはお前みたいな悪党どもが一番嫌いなんだ!!」
パスの勢いに、男は片眉を上げた。
「ケッ…ガキが…!」
男が、パスに向かってまっすぐに短刀を振った。パスが、それを横にそって避け、シャルロットも反射的に後ろに下がって逃げた。男が舌打ちして追撃に入る。しかし、体勢を立て直したのはパスの方が先だった。
ヒュッ!
パスの手から、二本の棒のうち、一本が離れた。二本の棒は、先端がロープでつながれている。
男とシャルロットは同時にそれに視線をとられた。パスが手に残った棒を思いっきり後ろに引くと、それを一気に男に向かって振り下ろした。
「ウァッ!!」
反動で、ロープにくくられたもう一本の棒が、見事に男の手元に当たった。弾かれた短刀が宙を舞って跳ね上がる。
男に当たって不安定になった棒を、パスが引き寄せてもう一方の手で掴んだ。シャルロットは唖然と口を開いたが、それは、パス自身の驚きにはかなわなかっただろう。
「…ま、マジ?当たった…」
「す…すごい…っ!…何今の!!」
興奮のあまり、シャルロットは両手を合わせてパスに駆け寄った。
「こんのガキ…っ!!」
頭に予想外の打撃を受け、男は顔を真っ赤にしてパスを睨み付けた。男を見て、パスが得意げに男を指差して笑った。
「はっはーん!ざっまーみろってんだ!」
「ぶっ殺してやる!!」
「…いッ!」
まずいと思った時には、遅かった。怒りでパスが子供ということなど頭から吹っ飛んだ男の勢い殺意に、パスは血の気が引いた。男が短刀を拾って本気で駆けてくると、パスがもう一度同じ攻撃を仕掛けた。
しかし、焦ったせいか、今度男に当たる前にそれは手元に戻ってきた。男がかわしたのではなく、パスが外したのだ。
「げっ!外れ…ぅわっ!!」
パスは男が短刀を正面から向けてきたのを横に飛んで転がってよけた。
「パス!」
ガキが!調子に乗りやがって!」
男がまた短刀を振ると、パスは慌てて立ち上がり、シャルロットに駆け寄ってその手を思いっきり掴んだ。
「こういう時はな…!!」
「え!?何!?」
反応する間も無かった。パスはシャルロットの手を引いて走った。
「…わっ!?」
「逃げるが勝ちだ!!」
「!?ま、待ちやがれ!!」
突然全力で逃げた二人にあっけにとられた男は一瞬出遅れたが、すぐに我に返り、二人を追った。
ワットは若い女性二人組を捕まえようとしていた男を蹴り飛ばし、女性を助けた。
「テッメェ!!」
ワットに蹴飛ばされた男は逆上し、剣を抜いて斬りかかってきたが、ワットは近くの木板を男に向かって投げた。
「ぶっ!」
男の顔面に木版があたり、男はそのまま倒れた。当たりを見回しても、周囲の混乱はまったく収まっていない。
「数人伸したくらいじゃ全然足りねぇ…くそっ…。数だけは一人前だな…!ニースは何処行っちまったんだ…?」
「あ、ありがとうございました!!」
助けられた女性達がワットに駆け寄ったが、ワットは見向きもせずに答えた。
「そいつを縄で縛って家に隠れてな」
やるべきことは、まだ終わっていない。
「な、何何だこいつは!!」「グッ強い…っ!」
ワットとはまったく別の広場の外れ、ニースは、山賊三人を倒したところだった。息一つ乱さず、ニースは剣を腰に収めたまま、町人が警備で使っている木刀を手に地に伏した山賊たちを見下ろした。倒れた山賊達に、家の影に隠れていた町人達が飛び出してきて、その手足をロープで縛った。ニースは周りを見回した。
(たいした賊団ではないが数が多い。頭を捕らえれば収拾がつくか…?)
同時に、背後に殺気と共に男が剣を振りかぶっていた。
ガッ!!
町人達の悲鳴と共に、ニースは辛くもそれを横に避けてかわした。
反射的にとはいえ、それを避けられた男は舌打ちした。肩から布を羽織った若い男だ。再びニースに向かって剣を構えている。ニースは後ろに引いて間合いをとり木刀を構えたが、また後ろから別の男に剣で攻撃さた。ニースはそれを避けると同時に、相手に木刀で一撃をいれた。
低く鈍い音と共に相手はそのまま声もなく崩れたが、ニースを狙って、また違う男が背後から剣を向けてきた。振り返ると同時に相手の剣の手元を狙い、頭上に向けて木刀を振った。何かが割れるような音が、ニースの耳にも届いた。
「グワッ!!」
ニースは男よりはるかに速かった。男が悲鳴を上げると同時に、男の剣はニースの頭上に舞った。それを、ニースが片手で掴み取る。男が反応する前に、ニースはそれを振りかぶり、男の向かって投げ飛ばした。
「ぅわっ!!」
男は両手で顔面を防ぐことで精一杯だった。剣は男のマントに刺さり、男はその勢いに引っ張られて近くの樽の並びに突っ込んだ。
ガッシャーン!!
「わっ!」「きゃっ!」
ちょうど、町人が数人隠れていたようだ。声が聞こえたが、大事ではないことは予測がつく。ニースはすぐに残った男を振り返った。
さすがに、かかってきた男もニースの反撃を見て動きが止まっている。しかし、そこへさらに家の影から三人が笑みを浮かべて現れた。全員、肩から身を隠すように布を羽織っている。
姿を見せたと同時に男達はその布を地面に捨てた。ニースと戦う為だろうか、布を捨てた男達が着ていた服は、明らかに異国の服だ。
(…山賊…ではないな…)
木刀を固く握り、ニースは目を細めた。
タタタタッ
パスとシャルロットは人混みの混乱の中を駆け抜けていた。
他の賊ともすれ違ったが、金目のものを持っていない二人は誰の眼中にも入らない。
「うわぁ〜ん、あ〜ん!」
通りすがり、シャルロットが一人で泣いている小さな子供が目に入った。混乱の中で親とはぐれてしまったのだろうか、四、五歳の女の子が混乱の中で一人立ちつくしている。
「あの子!」
突然シャルロットが足を止めたので、その手が離れ、パスが振り返った。
「何だ!?」
しかし、シャルロットは既に駆け出した後だった。
「おい!どこ行くんだよ!」
シャルロットを見るのと同時に、同じ視界で追ってくる男が見える。
「放っとけないわ!」
シャルロットは女の子を抱きかかえると、パスに向かって叫んだ。
「!?…そいつ…、わかった!とにかくどっかの家に逃げてろ!!」
「うん!」
今更一緒には走れない距離まで、シャルロットは離れている。パスとシャルロットは、互いに別方向に走り出した。男は、足を止め、別れた二人を見て笑った。
「追うならガキより女だな…」
シャルロットは後ろを振り返る余裕はなかったが、男が追ってきたことはわかった。
(どうしよう…っ!!)
女の子を抱えて必死に走るシャルロットは、赤毛のポニーテールの女性の横を通り過ぎると、すぐにその後を男が通り過ぎた。
女性が2人の背を振り返ったが、シャルロットはまったく目には入っていなかった。