第5話『町長選挙』-4
「あら、お客様用のお茶が…」
「え?」
シャルロットはお茶の支度をしているイデルを振り返った。イオード家のキッチンは、外見と違い、床とキッチン台は石でできている。水瓶もいくつかあり、食器棚もある、一般家庭とは思えない豪華なキッチンだ。
「お茶がきれているのよ。いやだわ…、あそこの納屋はいつも手が届かなくって若い子に取って貰っているんだけど…」
「私が行きましょうか?」
「え?…そんな手伝って貰った上に…」
「いいですよ。家の外の納屋ですよね?」
「じゃあ、お願いしましょうかしら。私も一緒に行きますわ」
「いいえ、大丈夫です。別の準備をしていて下さい。その方が、早いですから」
「あ、じゃあ入って三つ目の棚の上から三段めにありますから…お願いします」
「はい」
シャルロットはそのままキッチンを出た。外の庭に行って納屋のドアを開けると、中は真っ暗でイデルの言っていた意味がよくわかった。ドアを開けて納屋の中に入った。
「く…暗い…。明かり…、どこかわかんないし…。ま、いいか」
シャルロットは思わず独り言を言っていた。ドアを閉め、納屋の隙間から入る日だけを頼りに置くに進む。
カタンッ
「な、何!?」
突然、背後で物音がした。しかし、振り返っても暗くてよくわからない。気味が悪いと思いながらも気を取り直してイデルに言われたとおりの場所を探した。
「三つ目の棚の、上から一…二…三段目っと…」
呟きながら、棚からお茶缶を取り出した。
「コレね」
シャルロットはそれからお茶の間を暗闇の中で握った。
(暗くて気持ちの悪いとこ…。早く出よ…)
そう思った瞬間、突然両耳の辺りに何かの感触が触った。
「!?…いっ…あむッ」
「…声を立てるな」
その感触は、誰かの手だった。シャルロットは叫び声をあげる前に、後ろから両手で口をふさがれた。男の声だ。シャルロットはそのままバランスを崩し、その手の主にぶつかった。自分よりも大きな男が、自分の口をふさいでいる。恐怖から、シャルロットは口をふさがれた手に思いっきり噛み付いた。
「い゛ってー!!」
相手は大声を上げてシャルロットを突き離した。シャルロットもお茶缶を握り締めたまま相手から逃れ、振り返って相手を見た瞬間に、納屋に明かりがついた。
「どうしました!?」
イデルが驚いた顔で納屋に入ってきた。明かりをつけてくれたのだ。
「…ち…っ!いってーな…!!」
二十代半ばほどの男が反対側の壁に片手をかばって立っていた。ワットよりも年上だろうが、しかし、顔は少年の顔立ちだ。手の痛みから顔をゆがめ、長い黒髪を後ろで縛り、かざりけのない格好のしっかりした体格の青年だ。こちらをジロリと睨んでいる。
「ナード様!?」
イデルが驚いて青年に歩き寄った。青年はイデルとすれ違うように唖然としているシャルロットを睨みつけて納屋の入り口に向かった。
「くそ…っ思いっきり噛みやがって…!」
青年が呟きに、シャルロットはムッとした。
「なっ何よ!そっちが脅かすから…!!ちょっと!!」
シャルロットが言い返している間に青年は納屋の出口に向かった。
「来たことオヤジには言うなよ」
イデルに言い、青年はそのまま納屋から出て行った。青年の態度に、シャルロットは完全に頭にきた。
「何なの、今の!!」
イデルが怒ったシャルロットに近寄った。
「イオード様のご子息のナード様ですわ。何日ぶりに家に顔を出したと思ったら…」
「ナード…?」
女性は悲しそうに微笑んだ。
「イオード様とナード様は今は少し…、仲がよろしくありませんの。でも、ちゃんと話し合えばきっと…」
イデルがその先を話さずナードの行き先を目で追っていたので、シャルロットは何も言えなかった。
「結局帰ってこなかったな。ルキスのやつ客を待たせておいて!」
夕方、四人はイオードの家を出てララの宿屋に向かって歩いていた。結局イオードは夕方になっても戻らず、日も落ちる頃になったのでひとまずイデルに帰されたのだ。
「あの家のメシは相変わらず上手かったなー」
パスが一人で呟いた。シャルロットはディルートの件をワットから聞いて、ナードの事など頭から消えさっていた。
「まだ信じられない…。ディルート様が、そんなことをなさるなんて…」
ディルートには絶対の信頼を寄せている。しかし、国王としての一面を知るわけでは無いシャルロットは、胸の中がかすかに痛んだ。
「今回の方法は悪くはない。犠牲を払うよりもずっと良いだろう」
ニースのさらりとした言葉にも、胸が痛んだ。ディルートはニースを利用したのだ。ニースは、どう思っているのだろう。
「…はい…」
それを聞く勇気はなく、シャルロットは頭をブンブンと振った。
(だめ!ディルート様は、お兄ちゃんを心配して下さったんだから!)
国王を疑う頭に、シャルロットは気を取り直してパスに話しかけた。
「パスは…、イオードさんの家に行ったことあったのね」
「昔父ちゃんと何度かな。それより、お前ら選挙までここにいるんだろ?」
「ああ、そうだな。ララさんの宿に、しばらくやっかいになろうと思っている」
「ふーん」
ニースが答えると、パスは何かを思いついたような、意味ありげな返事をした。
「だめ…、眠れない」
シャルロットはベットから起きた。夜になって、一人部屋のベッドに横になっても、昨日のようにすぐには眠れなかった。
(ディルート様のこと考えちゃって…。水でも飲もう)
部屋を出て、階段を下りようとして、一階の明かりに気が付いた。
「…ララさん?」
「あら、シャルロットさん…」
真夜中だったが、ララが食堂の椅子に座ってグラスで水を飲んでいた。既に皆は眠った後だ。ララが少し驚いたように立ち上がった。
「眠れない?何か飲む?」
「…すみません、お願いします」
シャルロットはララの座っていた椅子の正面に座った。
すぐにグラスが目の前に置かれ、ララも座った。
「少しね…、あの子のことを、考えていたの」
「…あの子?パスの事ですか?」
シャルロットはグラスを持って答えた。
「時々あの子のことを思うと、眠れなくなるのよ」
昼間とは違う、影を落としたララの顔に、シャルロットは違う雰囲気を受け取った。
「前にも言ったけど、パスは私の姉さんの子供なの。でも、あの子は私のこと、本当の母親みたいに慕ってくれてる。姉さんが亡くなってからは特に…」
「…え?」
シャルロットは目を大きくした。
「…パスのお母さん…、亡くなって…るんですか?」
「もう四年も前になるわ」
シャルロットはどうしていいか判らずに、無言で聞いていた。
「せっかくヴィンオーリが戻ってきた矢先の事だった。病にかかってね。ヴィンオーリは酷く自分を責めたけど…」
「あの…、パスのお父さんは今どこに?」
「彼にはこの町でパスと一緒に私達と暮らそうって何度も言ってるんだけど…、聞き入れてもらえないわ。姉さんと住んでいた家に、今も住んでるの。ここの町は森に囲まれてるでしょ?森のはずれの一番北の海辺に家があるわ。パスはしょっちゅう町に下りてくるけど、ヴィンオーリはこない。町の人達が、あまり好きじゃないの」
「…戻ってきたっていうのは?」
「ヴィンオーリは探検家で…よく世界中を飛び回っていたの。今はもう遠出をすることはなくなってしまったけど、あの人の話を聞くのは、皆大好きなのよ。パスももちろん、私もね」
シャルロットが聞き入っていたその時、階段から足音がした。二人が振り向くと、ワットだった。
「…何だ?」
寝ぼけ気味でグシャグシャの髪をしたワットが階段を下りてくると、シャルロットが立ち上がった。
「ワット!何してんのよ…」
「起きたら話し声がしたからさ…」
ワットは半分寝ているようで、シャルロットの言うこともあまり理解していない様子だった。
「バカね、フラフラじゃない!なんで起きてきたのよ…」
シャルロットがワットを支えると、ララはクスッと笑った。
「ごめんなさいね、ワットさん、起こしてしまって…。さ、私達も寝ましょう」
ララは立ち上がってシャルロットと自分の分のグラスを片付けた。
「はい、すみません」
どんな顔をすればいいのか分からなかった。半分寝ているワットの背中を押し、シャルロットは二階に上った。部屋にワットを戻すと、シャルロットは部屋のベッドに戻ったが、ディルートのことより今度はパスのことが気になり眠ることはできなかった。
翌朝、シャルロットはベットの上で気持ちよさそうに寝返りをうったが、一気に目が覚めた。
「やだ!寝過ごした!」
勢いよく起きあがると、大急ぎで身支度を整えて一階に下りた。
「おはようございます!」
息を切らして階段を駆け下りると皆はテーブルを囲んで朝食をとっていた。
「めずらしいな。お前が寝坊なんて」
ワットが振り返った。今日はワットに先を越されたようだ。
「あれから、よく眠れたみたいね」
ララが笑うと、シャルロットは何だか気恥ずかしかった。
「朝食を用意してあるわ。今日は皆適当に食べているから…」
ララはカウンターの中に入ると、シャルロットが部屋を見回した。ニースの姿がない。
「ニース様は?」
パスがパンをほおばりながらシャルロットを見上げた。
「ニースなら出かけたぜ。今日はレイシスに会いに行くって言ってた。レイシス=マンラ。あいつの家は町のはずれで東門のちかくだからちょっと時間がかかる。だから早めに出ていったんだ」
「えぇ?!」
思わず声を上げてしまった。
「起こしてくれれば良かったのに!付き人も私の仕事なんだから!」
「オレ、何度かドア叩いたけど、反応なかったぞ」
シャルロットが息をつく頃、ララが目の前に朝食を並べてくれた。
「あ、すみません。頂きます」
「なぁ、今日は暇なんだろ?」
朝食を食べ終えたパスが言った。
「う〜ん。そうね、ニース様いないんだったらする事ないし…。いまどの辺にいるか判らないから、追えないし…」
「じゃあ、今日は町に出ようぜ。オレが案内してやるよ。昨日観光したいって言ってただろ?」
「ホントに!?お金少しなら持ってきたの!お兄ちゃん達におみやげ買いたいわ!」
シャルロットがパッと明るくなった。
「俺も行こうかな」
ワットも賛成した。
「よし!食い終わったら行こうぜ!」
「うん!」