第1話『隣国からの使者』-2
ガラーン ガラーン
正午の鐘が城下町・ベル街から王国全体に鳴り響くと、王宮の使用人達はそれを合図に1時間程度の休みに入る。モップを片手に第2塔の水場を掃除していたシャルロットも、それと同時にモップを壁に立てかけた。
「シャルロット、昼休みだぞー!」
「はぁーい!!」
わかってますと言わんばかりに、大声で返事をする。手を洗ってから、シャルロットは螺旋階段を下りて自宅へと戻った。
「ただいまー」
誰もいないはずの家に声をかけて靴を脱ぐと、居間に立つエリオットの姿に驚いた。今朝の寝ぼけ姿とは違い、エリオットは髪を整え、すっかり王宮の衛兵らしい格好に身を包んでいる。腰には剣を下げていた。
「あれ?仕事は夜からでしょ?しかも正装なんかしちゃって…どうしたの?」
台所の水瓶から水を汲み、ひとまず仕事の疲れを癒す。エリオットは上着のボタンを留め、シャルロットにかまっている暇はないといった様子を見せた。
「今日は特別な仕事が入っているんだ。お前も聞いただろ?火の国からの来客の話」
「うん、朝礼で。今日来るんだって?でも関係ないでしょ」
その言葉に、エリオットが自慢げに笑みを見せた。居間から自室のカーテンを開け、部屋に入る。
「大あり。なんたって付き人に指名されてるんだよ。うちの隊長から」
「ええ!?なんで?!」
シャルロットは思わずコップを置いてエリオットの部屋に飛び込んだ。エリオットは平然と支度を続けている。
「そりゃーお前、日頃の働きが良いからだろ」
「冗談じゃなくて!」
余裕の無い妹に、エリオットは小さく息をついた。
「…まぁ、そうだな。冗談はさておき。志願したんだよ。給料が良いから」
なんでもないように話すエリオットに、シャルロットは不安は隠せなかった。
「でも付き人って何するの?給料高いって、危ないことするんじゃ…」
「まあな。何たってウィルバックまで行くんだから」
「なんですって!?」
あまりの答えに、シャルロットは思わず声を上げた。
「ウィルバック!?南の大陸じゃない!!何しに行くのよそんなとこまで!!」
シャルロットをよけ、エリオットは袖をとめながら居間に戻った。
「怒鳴るなよ。言ったろ?“付き人”。護衛もかねてんだよ」
シャルロットは動揺で言葉がうまく回らなかった。
「な…っ何でそんなのに志願しちゃったのよ!それに護衛って…、相手は火の王国一番の剣士様でしょ!?護衛なんて必要ないじゃない!」
「お前なあ、仕事は1つじゃないんだぞ。付き人、護衛、それからウィルバックの町長にディルート様からの書状も届けなくちゃならない。あそこも最近ずいぶん大きな町になったからな」
エリオットの落ち着いた言葉に、シャルロットも次第に落ち着きを取り戻した。エリオットと一緒に、テーブルの前に座る。
「…あ、危なくないの?」
「平気だろ。南の大陸には何回か行ったけど、ベル街の周辺よりは安全な所だったさ。それにもう決まった仕事だ。今更キャンセルは出来ないよ」
安全といわれても、思わずしかめっ面になってしまう。それでも、キャンセルできないのは事実だ。仕方なく、シャルロットは頷いた。
「……分かったわよ。安全ならいいわ。…まったく、いっつも勝手に決めちゃうんだから!」
シャルロットが頬を膨らませると、エリオットは目の前にパンを一切れ置いてくれた。
「まぁまぁ、早く昼メシ食っちまいな」
「…はぁい」
仕方なく、パンをかじる。エリオットは台所で手を拭いていた。腹が満たされてくる頃には、シャルロットの考えもすっかり変わっていた。
「ねえ!給料高いって、どれくらい?新しい家具買えるかな!」
エリオットは部屋に戻る途中にシャルロットの頭を軽くこづいた。
「アホ。そんなことより早く仕事に戻れよ。処罰中なんだから…。じゃあ、俺、警備隊長んとこ行ってくるから」
「うん」
靴を履くエリオットに、シャルロットはミーガンの事を思い出した。
「…あ、そうだ。今日の夜ミーガン泊まりに来るから」
「そうか、じゃあ俺の分もメシ頼んでおいてくれよ。朝食うから」
「いーよ。頼んでおいてあげる。じゃあね、いってらっしゃい」
手を振ると、エリオットは軽く手を上げてそのまま出ていった。シャルロットは、再びテーブルに戻ってパンをかじった。
「さて、さっさと食べちゃわなきゃ」
日が暮れると共に、シャルロットの仕事も終わる。オレンジ色の夕日が差す宮殿の廊下を、木のバケツを数個両手で抱えながら、シャルロットは最後の片付けに入っていた。
「よっ!仕事もう終わりそう?」
突然肩を叩かれ、振り返るとミーガンがいた。
「あー、もーちょっと!これ片づけたら終わり」
シャルロットの答えを聞く前に、ミーガンは別の会話を耳に入れた。廊下の下から、誰かの会話が聞こえる。廊下の下を覗き込んだミーガンは、慌ててシャルロットの腕を引いた。
「ねぇ!もしかして、あれ噂の剣士様じゃない?」
「え?どこどこ?」
好奇心から、慌ててバケツを抱えてミーガンの隣につく。下のホールに、見慣れない長身の男性を中心に、城の警備兵達が数人話し込んでいた。
20代後半程だろうか、黒い髪で、肩下まであるまっすぐな髪を無造作に一本に縛った男性は、砂の王国の衛兵とは違い、見たことのない兵士の格好をしている。腰には立派な剣が下げ、その身分の高さを象徴している。男性の周りの警備兵の中に、エリオットの姿があった。
ミーガンは珍しいものを見るように火の王国からの来客を指差している。
「ホラ、あれよあれ。人だかりになってんじゃない。もう到着してたのね」
訪問者を視察し、ミーガンが笑った。
「へぇー。ちょっと恐そうだけどカッコイイじゃん!思ったより若いわね。シャルロットもそう思わない?」
「スイードはどうしたスイードは!」
2人の笑い声に気がついたのか、エリオットがこちらに向かって小さく手で『あっちへいけ』とやった。2人は、慌てて身を隠した。
「見つかっちゃったよ…。私、バケツ片づけて来ちゃうね。後でウチで会おう」
「オッケイ」
ミーガンは手を振って廊下の角を曲がっていった。シャルロットはもう一度こっそりホールを覗き込んだ。あそこはここから階段を使えばすぐの場所だ。シャルロットはバケツを持ったまま、走って階段に向かった。
息を切らして階下まで降りると、エリオットを含めた警備兵の一団が去るところだった。見たところ、ダークインは一緒にはいない。シャルロットは反射的に柱の陰に隠れた。エリオット達は、ダークインについての話で盛り上がっているようだ。
「やーっぱり憧れるよなー。火の王国一の剣士だぜ?」
「手合わせは断られちまったけどな」
「ばーか!お前の腕でかなうわけないだろ?」
1人がエリオットを見て笑った。
「付き人をやるのは羨ましいけど俺はごめんだな」
「言えるな。ちょっと一緒に旅はできねぇぜ。間がもたねぇよ」
「はいはい、何とでも言えよ」
仲間の言葉を軽くかわし、その賑やかな一団が通過する。その声が聞こえなくなる頃に、シャルロットはホールに入った。ダークインは、まだそこにいた。
近くで見ると確かに恐そうな印象がある。それは、表情が硬いせいだろうか。一瞬、話しかけるのをやめようかと戸惑った。ダークインがシャルロットに気がつかぬまま、反対方向の出口から去ろうとしている。
「あ…」
思わず呼び止めようと前に出た途端――
ガツン!!ガラガラ!ガラン!!
「あっ!」
手のバケツが柱にぶつかり、手から離れて大きな音を立てて転がった。慌ててそれを拾い上げると、顔を上げると同時にダークインの視線が自分に注がれていることに気がついた。
なんて間の抜けた事を。自己嫌悪に陥りつつも、シャルロットは小さく会釈をした。
「…あ、あの…」
他国の人間とはいえ、身分の高い見知らぬ人に恥をさらしていることは間違いない。熱くなる顔を押さえ、シャルロットは早くこの場を立ち去りたかった。
「…大丈夫か?」
硬い表情のまま、ダークインが言った。その声に、シャルロットはわずかに我を取り戻した。低く落ち着いた声は、その容姿に違わない厳格そうな声だ。両手を横に揃え、シャルロットはこぶしを握って、気を引き締めた。
「あ、あの、私ここの使用人のシャルロットと申します!」
「…はい」
シャルロットの言葉に、ダークインは表情一つ変えなかった。
「この度、ダークイン様の付き人をしますエリオットの妹です!」
「…はい」
力を込めて話すシャルロットと違い、ダークインの声に温度差は無い。そんな事も視界に入らず、シャルロットは話を続けた。
「兄は昔から剣の腕は立ちますけど…あ、ダークイン様から見れば大したことはないのかも知れませんが、いえ、そうじゃなくって、衛兵としては凄いんですけど性格がちょっと単純で時々困ることもあるんですけど…、それに怒りっぽくて人のやることにもすぐ反対するし…」
話すことに必死になりすぎて、いつの間にかダークインがぽかんと自分を見つめている事に気がつき、シャルロットは我に返った。
「あ…っ、ごめんなさいそうじゃなくって!何が言いたいのかというと…。とっても大事な兄なんです。…だから兄のこと…、よろしくお願いします!」
勢いよく頭を下げると、一気に話し通したことで息が荒くなった。しかし、それは失敗だったかもしれない。下げてしまった頭は、上げるタイミングを失っていた。――何言ってんの、私!
次第に熱くなる顔に、シャルロットは恐る恐る顔を上げると――。
「あーーーーーーーっ!」
別の叫び声に、シャルロットの緊張は一瞬にして飛んだ。驚きで声の主を振り返ると、4人の古びた格好の子供に、あっという間に囲まれた。1人はシャルロットの足にしがみつき、3人はダークインを指を指し、足にしがみついている。
「この人がにいちゃん達の言ってたウワサのケンシ様ー?」
「強いのー?」
「剣見せてー!」
「シャレルー、遊ぼうよー!」
おかまいなしに喋る子供達に、シャルロットは子供の首根っこを掴んでダークインから引き離した。
「こっこらっ!!あんた達!!やめなさい!」
怒りでも買ったらとんでもない事に――。
「いえ、構いませんよ」
ダークインの言葉に、シャルロットは思わず子供から手が離れた。ダークインが、正面の子供の頭を撫でているではないか。シャルロットは抱えた子供に髪を引っ張られていたが、そんな事も忘れてしまうほど驚いた。その硬い表情が、わずかに和らいでいる。子供と目線の高さを合わせ、ダークインは優しく微笑んだ。そのやさしい雰囲気は、先程までのエリオット達と一緒の時とはかけ離れている。
シャルロットが子供を降ろすと、その子もダークインに走っていった。子供の扱いに慣れているのか、ダークインは一人一人うまく接している。
「あーーっ!も、申し訳ありませんダークイン様!!」
同時に、青年の声が割って入った。その声の主も、シャルロットは知っていた。シャルロットよりも5つ近く上の、使用人仲間の青年だ。青年が子供達に怒りの表情で駆け寄ってくると、子供達はクモの子を散らすようにその場を逃げ出した。
「ぎゃー!逃げろー!兄ちゃんだー!」
あっという間に散り散りに逃げた子供達に対し、青年はシャルロット隣で一瞬だけ足を止めた。
「ダークイン様!!失礼を致しまして申し訳ありません!!シャルロットちゃん、悪い!」
ダークインに素早く頭を下げ、青年は声を上げて子供達を追った。
「こら待てー!」
そんな声も、すぐに遠くなっていく。残されたシャルロットは、ダークインと顔を見合わせると思わず笑ってしまった。ダークインも、その笑みにつられてくれた。
「すみません、いつもあんな感じなんです」
「…元気な子達だ」
「唯一の取り柄ですから」
同じ硬い表情でも、シャルロットにはそれがにわかに柔らかく見えた。ダークインの目が、シャルロットを見下ろした。並ぶと、ダークインはとても背が高い。
「…君の兄君と一緒に向かうのは南の大陸の町、ウィルバックだけだ。1ヶ月もしないで帰って来られる。だから安心して待っていなさい」
落ち着いた大人の雰囲気に、シャルロットはわずかに安心を覚えた。この人になら、兄を任せても安心できる。
(この人、とってもいい人だわ)
「…はい」
自然とほころぶ笑顔で、シャルロットは答えた。