第5話『町長選挙』-1
「ここだよ。ここが入口だ」
「静かね」
「そりゃ、夜中だからな」
ワットの皮肉を、シャルロットは聞き流した。
パスの案内でファヅバックの町に到着したのは、もうすっかり日も落ち、月が昇った真夜中だった。パスの案内した町の入り口には円柱の木で作られた門があり、大きく『ファヅバック ― 西門 ― 』と書かれ、その門は木の扉で硬く閉ざされていた。
門の両側は暗闇で見えなくなるまで延々と背の高い太い木で作られた柵があり、門以外の場所からは出入りすることは不可能だという事を示している。馬を歩かせ、閉じられた門の目の前まで来ると、門の向こうから男の声がした。
「誰だ?」
「オレだよおっちゃん、パスだ」
用心深そうな男の声に、パスがシャルロットの後ろから身を乗り出して声を上げた。
ガタンッ
門の扉の大人の目線の高さに小さな覗き口が現れ、そこから男の目元が現れた。たいまつで揺れて見える目元は、何だか不気味だ。
「パス!?何してんだこんな夜中に森に出るなんて!」
シャルロットはパスが男と会話できるように馬を扉に寄せた。
「後で話すからとにかく入れてよ」
その言葉に、男はパスに向ける親しみのある目とは対照的な視線をシャルロット達に向けた。
「あんた方は?」
ぶっきらぼうな言い方だ。
「大丈夫だよ、おっちゃん。山賊じゃないぜ」
パスが言うと、ニースが馬で前に出た。
「私は火の王国からの使者、ニース=ダークインです。この者は砂の王国からの使者で、後ろの彼はその護衛。町長にお会いするためにやって来ました。中に入れて頂きたい」
男は予想もしていなかった答えに数秒あっけにとられたが、無理やり首を振って我に返ると、急に態度を改めた。
「身分を証明できるものは?」
ニースは着ている火の王国の上着のポケットから、首のタイを取り出して紋章を見せた。燃えたぎる炎の中でいまにもはばたこうとする鳳凰の紋章――。火の王国の紋章だ。
「これで良いか?」
「…お待ち下さい」
そのタイで男はニースを信用したようだ。
カタンッ
男はのぞき窓を閉じた。
「ちょっと下がれ」
パスの声に、シャルロットとニースは馬を数歩扉から遠ざけた。
ガコンッ ズガガガガ…!!
門の扉が、重々しく上がった。男が何かの仕掛けを利用して、扉を縄で持ち上げたようだ。
「…お入りください」
シャルロット達は馬に乗ったままわずかに頭を下げて門をくぐった。
門の内側は静かな闇の中にある町だった。人は一人も出歩いていないが、規則正しく一列に並ぶ家々には明かりが灯っていた。家は木や草、石で作られたように見えるが、暗くて詳しくは判別できない。だが、見渡す限りの家々に、町の広さが伺えた。
「サンキュー」
パスが言うと、男は縄を手に握りながらゆっくりと扉を閉め、たいまつを持ってニースに歩き寄った。
「町長にお会いになるのですか?」
「そのつもりだが、今日はもう遅い…。とりあえず宿に泊まるつもりです」
「そうですか…。こんな時間ではもう人を入れる宿など少ないでしょう。パス、ララの宿屋にこの方達を案内してやってくれ」
パスはシャルロットの馬から下りて一人で町の方を見ていたが、振り返って面倒くさそうにため息をついた。
「しょーがねぇなぁ…。お前ら金持ってんだろうな?」
「こら!早く行け!」
男が怒ると、パスは慌ててシャルロットの乗った馬の手綱を引いて左を指差した。
「わ、わかったよ!ホラ行こうぜ。あっちだ」
パスに案内されて歩いているときも町の中は暗闇でほとんどよく見えなかった。
「ここだ」
五分ほど馬で歩いて到着した家は、木造の二階建ての家だった。二階部分の外壁に、『西の宿屋』と書かれている。家の一階の一室にはまだ明かりがついていた。パスが馬から飛び降りた。
「馬はその辺につないどけよ」
パスが宿屋の玄関そばにある柵を指さしたので、シャルロット達は馬から降りて言われたとおりに柱に手綱を結びつけた。パスは家の玄関に続く木の階段三段を勢いよく登ると、ドア叩いた。
ドンドンッ
「ララ!オレだよ、開けて!」
ドンドンドンッ
「ララ!パスだ!」
暗闇の中にドアをたたく音が響き渡ると、シャルロット達は荷を抱え、パスの後ろに立った。シャルロットの荷物はいつの間にかワットが持ってくれていた。パスがドアを叩き続けいてると、ドアの向こうで物音がした。ドアの鍵を外す音と同時に、パスは叩くのを止めた。同時にドアが勢いよく開き、女性が顔を出した。
「パス!?何してるのこんな時間に!」
二十代半ばだろうか、きれいな女性だ。地味な色のロングスカートに胸元にボタンのついたTシャツ、ショートブーツ。女性の髪質と薄茶色の髪、青い目をした顔が、どことなくパスと似ている。
「ヴィンオーリが心配するじゃない!」
女性はしゃがんでパスの肩をとって叱った。後ろのワットが女性を見てあごに手を当てた。
「お、かっわいー…」
ワットの呟きが聞こえたシャルロットは思わずニースの陰に隠れてワットの腹を肘で思いっきり突いた。
「ぐぉっ…!」
無防備だったワットは腹を抑えてそれをこらえた。そんな事は知らず、パスが女性を見上げた。
「それよりこいつら客なんだ。今日泊めてやって」
「お客さん?」
女性が不思議そうに三人を見ると、ニースが小さく会釈をした。
「夜分遅くに申し訳ありません。三人、泊まれる部屋はありますか?」
女性は微笑んだ。
「ええ。ありますよ。とりあえずお入り下さい」
女性に案内されて家の中に入ると、最後に入ったパスが家に鍵をかけた。
部屋は狭いが、きれいな家だ。入ってすぐの所に木造りの椅子とテーブルが並んでいて、その奥にキッチンカウンターがある。宿屋の食堂だろう。女性がパスに言った。
「ほら、ここに泊まることをヴィンオーリに報せてらっしゃい」
「うん」
女性に背を押されると、パスは部屋の奥にある階段を勢いよく上がって行った。女性は一息つき、近くに立っていたシャルロットを見て笑った。
「あなた達パスの知り合いなの?あの子が人を連れてくるなんて本当に珍しい。サービスしちゃうわ。部屋の鍵を持ってくるから少し待っていて」
女性は部屋の奥にあるカウンターの引き出しを開けて中を探った。ワットは家を見回してから女性のほうを見た。
「あいつ、ここに住んでるのか?」
「いいえ、似たようなものだけど違うわ。あの子の家は、もっと北の方にあるの」
女性が振り返ってニッコリと笑った。ワットも笑顔につられて調子のいい笑顔をしていたので、シャルロットはもう一発ひじ鉄を狙ったが、腹に入る前にワットが手のひらで受け止めた。シャルロットが頬を膨らませた時、女性と目が合い、照れ笑いをしてワットから離れた。
「パスのお姉さん…ですか?」
「フフッそう見えた?よく間違われるのよね」
女性が楽しそうに言ったとき、パスが階段上からヒョイッと顔を出した。
「よく間違われるのはこっちだよな。『お母さんですか?』ってね。ちなみにオレ、今12歳」
女性が勢いよく振り返った。
「パス!泊めてあげないわよ!」
パスはまた素早く階段の上に姿を消した。
「…まったく!…、ああ、あったわ」
女性は棚から鍵を二つ取り出した。
「部屋は二階よ」
女性がカウンターから出て三人を二階に案内した。
「言い遅れたけど、私はララ。パスは私の姉の子なんです」
「道理で…、似ているはずですね」
ニースが言った。
「叔母様を呼び捨て…」
シャルロットの家族は兄だけだったが、もし叔母がいたとしても、呼び捨てにはしていないだろう。
「フフッ。あの子が産まれた時、私、まだ叔母さんって呼ばれるのが嫌で、名前で呼ばせてたのよ。そうしたらそのまま定着しちゃって…」
階段を上がって二階にでると、四角い狭い廊下に出た。部屋が壁づたいに左右合わせて六個、正面に二つある。
「えーっと…」
ララが部屋の鍵番号を調べている時、右の一番奥の部屋からパスが出てきて、ララに手を差し出した。
「父ちゃんに報せてきた。後はオレがやるよ」
「そう?じゃあお願いね」
ララはパスに鍵を渡すと、シャルロット、ニース、ワットに小さく会釈をした。
「失礼します」
ララはそのまま一階に下りて行った。ワットがニヤついてパスの頭を軽く叩いた。
「いやぁ、可愛い叔母さんだな!何歳だ?」
パスはワットの手を煩わしそうに振り払った。
「知らねぇよ、聞いても教えてくれねぇし。ララは母ちゃんの妹で、歳は離れたと思うけど…」
「ふぅん」
ワットはパスの言葉を聴きながら一階に向かう階段を眺めていた。パスは何となくワットの性格を感じ取ったのか、疑わしい目をワットに向けた。
「言っとくけどあいつ結婚してんぞ」
「え?んだよ…」
ワットは残念そうだったが、パスは無視してシャルロットに鍵を一つ渡した。
「お前はこっちの部屋だ」
ニースにも鍵を一つ渡して部屋を指差した。
「お前とお前はこっちだ」
「あ?こんなに他の部屋があいてるのに相部屋なのか?」
ワットが怪訝そう言った。
「金を出すんだったらもう一部屋とるけど?」
「ララはサービスするって言ってたぜ?」
「バカ言ってんじゃねーよ」
ワットがカチンときてパスの頭に一発入れようとしたが、シャルロットが腕を掴んだのでやめた。パスが続けた。
「商売でそこまでサービスできるかよ。だいたい今日はホントだったら宿は開いてないんだ。泊まれるのはオレのおかげなんだぜ」
「開いていない?…だから、私達以外の客の姿がなかったのか」
ニースがあたりを見回しながら言った。
「いまジーンが…ああ、ここのダンナが東の町まで遠出してるんだ。あいつがララ一人で宿を開くのは危ないからってさ」
「そうか、迷惑をかけるな」
シャルロットはパスが出てきた部屋を見ていた。
「あそこにお父さんがいるの?」
「違うよ。父ちゃんは家にいる。さっきは今日はここに泊まるって報せてきただけだ」
「え?どうやって?おうちが見えるの?」
「明かりで話すんだよ」
ニースが会話に興味を持った。
「明かり?…信号か」
「ああ、屋根に登れば森を越えてうちまでよく見えるからな」
「へぇ、面白そう!見せて!」
シャルロットが楽しそうにパスの手を引いたが、ワットが口を夾んだ。
「おいおい、明日にしようぜ。俺は疲れたから早く寝てぇよ」
「そうだな」
ニースも同意したので、シャルロットは仕方なくパスの手を離した。
「お前はどこで寝んだ?」
「オレの部屋」
パスが先程出てきた部屋を指さした。
「じゃーな。朝飯はララに頼んでおいてやるよ」
恩着せがましく言うと、パスは一階に下りていった。ワットは部屋の鍵を開けると思い出したようにシャルロットにシャルロットの分の荷を渡した。
「じゃあな」
「あ、ありがと。お休み。ニース様、お休みなさい」
「ああ、お休み」
シャルロットも部屋の鍵を開けて中に入った。
シャルロットは部屋の入り口に荷物を置いた。狭い一室だったが目に入ったベットにすぐに仰向けに倒れ込んだ。
「今日も長かったなぁー…」
疲れていたのか、シャルロットはそのまま自分でも気づかぬうちに深い眠りに落ちた。
ワットが部屋のベットに腰掛けて大あくびをしている時、ニースが入り口近くの小さなテーブルに例のビンを置いた。
「それ、明日詳しく調べた方がいいぜ。普通じゃねぇよ…、あんな猛毒のプレゼントなんて、お前よっぽどそいつに恨まれてんだな?」
ワットは頭のバンダナを取り、ベルトごと短刀を枕元に放った。そのままベッドに横になる。ニースはテーブルの横に座り、ビンを手に取って頭上にすかして見た。
「詳しい資料は持ち合わせていないが、多少の解析ならできるかもしれないな…」
ワットは一度横になったら、眠気に耐え切れなくなってきて、目を閉じた。
「明日にしろよ。焦った頭での考え事は無駄だぜ」
「ああ、そうだな」
ニースはそう答えたが、ビンを眺めるのをやめなかった。ワットは、そのまま眠りに落ちた。