第4話『森の少年』-3
「ふぅ、サッパリした!髪までどろどろだったからなぁー…」
シャルロットは水洗いした衣服を持ってきれいな服に着替えると、それを川辺の岩に置いた。少年が、洗って濡れた髪のまま、バンダナとゴーグルを取って岩の上に座ったのが見えた。泥だらけのシャツを河で洗ったのか、片手でシャツを持っている。先ほどまでの鋭い勢いではなく、諦めたような雰囲気があった。
よくよく見ると、少年はまだ幼い。短い薄茶色の髪に青い目の、手足の細い少年だ。やはり、12歳前後だろう。シャルロットは、少年の前の岩に腰掛け、洗った髪を指ですいた。
「ね、名前なんて言うの?私はね、シャルロット」
少年は目をそらしていたが、わずかにシャルロットに視線をうつすと、また目線をそらした。
「…パス」
「パス?よろしく」
笑顔で答えると、パスはまたシャルロットを見返した。
「…ん?」
「熊なわけねーだろバカ女」
顔を背けると同時に、パスが鼻で笑った。
「それ絶対ワットには言わないで!!」
パスの胸ぐらを掴み、赤面した顔で思いっきり引っ張っところに、ワットとニースが茂みの向こうからやってきた。ワットはなぜか頭からびしょ濡れだった。
「どうしたの?濡れちゃって…」
ワットは付近の岩に不機嫌に腰掛けた。
「こいつに聞けよ。さっき逃げようとしやがって、俺まで濡れちまったぜ!」
どうやら、パスが水で洗っている最中、ワットは見張りをしていたようだ。シャルロットが声を高くして笑うと、ワットは眉をひそめ、口をまげた。
「確かに笑えるな。こんな森の中で、マジで熊が出ると思ってる事なんて特に?」
聞こえていた。シャルロットは顔を赤くしてワットを睨んだが、ワットはそ知らぬ顔だった。ニースが、パスの隣の岩に座った。
「なぜあんな所で盗賊まがいのことをやっていたんだ?相手が悪かったら殺されてるところだ」
ニースの問いに、パスは顔を背けた。
「…うっせぇな。いつもはこんなヘマしねぇんだよ…っいて!」
ワットが、パスの頭を掴み、目線を合わせてしゃがんだ。
「あのなぁ、お前…パスって言ったか?さっきのこと許してやってるんだから少しは反省しろよ」
「…何すんだよ!お前がそんな紛らわしい格好してるのが悪いんだろ!?」
パスは顔を起こすと、掴まれた頭を抑えて顔をあげた。
「あーもう!喧嘩しないでよ2人とも!」
シャルロットが二人の間に入った途端、
グゥ〜ッ
パスの腹が鳴った。パスは思わず顔をしかめ、腹を押さえた。シャルロットは一瞬あっけにとられたが、思わず笑いがこぼれた。
「ニース様、せっかくですからこの辺りで少し休みません?ちょうど川のそばで水もありますから私何か作ります。パスもお腹空いてるんでしょ?ワットも。さっき言ってたじゃない。食べながら話そうよ」
シャルロットの言葉に、ワットはどうでもよくなったらしく、パスから手を離した。
「…同感。俺も腹減ってるし」
「そうだな」
ニースも付け足した。しかし、パスはまだ警戒を失っていなかった。
シャルロットは笑ってパスを見た。
「薪を集めるの、手伝ってくれる?」
薪で火をおこし、シャルロットは火にかけた鍋の前に座った。持参の大きいスプーンでゆっくりと鍋を混ぜながら、ウィルバックで買った野菜を煮てスープを作るのだ。ニースは馬を近くまで連れてくるために席を外していた。最後の薪をパスが無愛想にシャルロットに渡した。
「ありがと」
シャルロットが薪を受け取ると、パスは近くの岩に腰掛けた。
パスのズボンから、その腰に挟んだ棒とロープが見えた。
「何だソレ」
ふいに隣にいたワットが手を伸ばすと、パスは弾けるように手を払った。
「さわんなよ」
ワットの片眉が上がったが、とりあえず怒りは押さえ込んだようだ。そこへニースが馬を三頭引き連れて戻ってきた。ニースを見て、ワットは気分が変わった。
「なぁ、そう言えば、アレどうした?」
「あれ?」
ワットに言われ、シャルロットはまったくわからず首をかしげた。
「ホラ、あの貰ったビンだよ。食えるんじゃなかったっけ?」
「…。あ、うん。持ってるよ、荷物の中に」
シャルロットは荷を指差した。
「開けてみた?」
「まさか。ニース様から預かってるだけだもん」
「じゃあ味もわかんねぇじゃん。ニース、あれ、開けていいか?シャルロットが商人から貰ったビン」
「ああ、かまわない」
ワットが立ち上がって荷からビンを取り出した。ニースはポケットから地図を取り出して広げ、それに興味は無い様子だった。
ワットが取り出したビンを上下に手で投げ下げしているのを見ると、シャルロットはそのビンが宙に舞うのになぜか目を奪われた。
「ほれ」
ワットが、ビンをシャルロットに投げた。それを受け取った途端、シャルロットの背に寒気が走った。
「…どうした?」
思わず肩があがったか、ワットがシャルロットを見て言った。自然と、パスとニースも顔を向けた。シャルロットは、我に返ると慌てて手を振った。
「え?な、何でもない。それより…」
言葉の途中でニースが急に立ち上がり、シャルロットは言葉をとめた。
「…ニース様?」
ニースは腰の剣に手をかけると、周囲を警戒する様子だった。シャルロットは首をかしげたが、隣のワットから笑みが消えた。
「…何かいるな」
急にワットに腕を引かれたので、シャルロットはワットにぶつかった。
「何……?」
「シッ、静かにしろ」
パスがワットとニースを交互に見ながら不安げに顔を上げていると、その背後の草むらからの葉すれの音に、パスは飛び上がって振り返ると、数歩後ずさりをした。
ガサガサッ
シャルロットも反射的に振り返った。すると、そこからガラの悪い古びた格好の男が7、8人出てきた。山賊だ。
「げ…っ!!」
パスが腹のそこから濁った声を出した。シャルロットは思わずワットの後ろに隠れた。
山賊達の一番先頭、中心にいる男が、シャルロット達全員と荷物をぐるりと見回すと、軽く舌打ちをした。
「…んだよ、ハズレだな。ろくなモンも持ってなさそうだ」
一人なら、座り込んでしまうかもしれないが、ワットの強さは知っている。とりあえず、ワットの背後に隠れて腕にしがみついた。
「何だ?テメェらは」
ワットが笑みを含んで好戦的に言うと、山賊達は顔を見合わせ、声を上げて笑った。
シャルロット達が山賊と顔を合わせている間に、パスがその背後から逃げようとしたが、その正面からも山賊が現れ、思わず動きが止まった。気がついたニースは、パスの腕を引いて自分の後ろに持っていった。パスは驚いてニースを見上げた。
山賊達は笑ってシャルロット達を囲んだ。
「金目の物を出しな。大人しくしてりゃあ命は助けてやるぜ。ハハハッ!」
山賊達の笑いに、パスとシャルロットは顔を見合わせたが、ワットは変わらず態度を崩さず、ニースにいたっては、何も感じていないように見える。
「ワリィけど、ンなモンあったら俺が欲しいくらいだ」
「…何だと?」
(また挑発して!)
予感はしていた。こういう場合、自分に自信のあるワットは相手をからかいたいくらいの気分なのだろう。
当然、それは山賊達のカンにさわったようだ。パスは慌ててワットの腕を叩き、小声で怒鳴った。
「(おい、お前!何言ってんだよフザけんな!!)」
「いいから、ガキはひっこんでな。シャルロットもだ」
口の端を上げて笑い、ワットはシャルロットをパスのほうに押した。
パスはこぶしに力をいれ、眉をひそめた。
「な、ナメんなよ!オレだって…ぅおっ!」
言葉の途中でシャルロットがパスを抱えて引いたので、パスは足がよろけた。
「いいから…!こっちにきてて」
「な、何で…っ!」
意味も分からず、パスはシャルロットを見上げた。
「いい度胸だな、テメェ」
山賊がワットに手を伸ばすと、ワットはそれを軽快に払った。
「男に触られても嬉しくねぇな」
その態度に、山賊の男はあきらかに形相が変わった。
「おい!この男は殺っちまえ!!」
男が振り返って怒鳴るのと同時に、周囲の男の2人がワットにナイフを向けた。1人がワットをまっすぐ刺そうとしたが、ワットはそれを後ろにそってかわした。
「おっと!」
別の山賊がワットの腕を掴んだ。
「だから触んなっつってんだろ」
ワットはその男の腹を鋭く蹴った。低く鈍い音と共に、男は短く声をあげて衝撃で吹っ飛び、茂みの向こうに倒れた。ナイフの男が後ろからもう一度きたが、ワットは振り向きざまに裏拳で顔を殴ると、男はそのまま倒れて気を失った。
「野郎――…」
いっせいに、ワットに山賊がかかるほどの勢いだったが、ニースの側にいた山賊は、それは出来なかった。鞘に剣を入れたまま、ニースがそれを山賊達に向けたからだ。
「今のうちに引け。さもないと容赦はしない」
後ろ背しか見えなかったが、ニースから発せられる雰囲気は、いつもの優しい雰囲気ではない。一瞬、声すらも普段より低く感じた。顔色が変わっているというのに、山賊達は引く様子は見せなかった。
「ぐ…っなっなめやがって!!」
山賊達が、ナイフや剣をニースに向けた。ワットの方は、当然、全員を同時に相手はできない。二人が争いを始めた途端、いきなりシャルロットの手から、手に持っていたビンが奪われた。
「何持ってんだ?」
「あ!!ちょっと!!」
シャルロットは思わず自分よりも頭一つ以上背の高い男からビンを取り戻そうと手をだしたが、まるで届かない。それどころか、男に突き飛ばされて後ろにひっくり返った。が、男が頭上にビンを振り上げると、その拍子にその中身が男に降りかかった。
「うわっ!!!」
「あーっ!」
男と同時に、シャルロットが声を上げた。その声に、ワットが山賊の攻撃をよけつつ相手を殴り倒しながら振り返った。
「バカお前ら何やってんだ!」
「ゲホッ…!!こ、このアマ…!」
男は粉をかぶった怒りがシャルロットに向いた。しかし、シャルロットも、自分の体が男よりもずっと小さいことなど忘れ、怒りで周囲が見えなくなった。
「…ひっどいっ!」
手に当たる物を掴んだ。近くにあった、料理中の鍋――。思わず、男が目を見開いて動きを止めた。
「お、おい待て…ッ!!!」
思いっきり力をいれたが、スープがたっぷり入った鍋は思ったより重かった。持ち上げた途端に、手を滑らせてしまった。
「あっ!!」
ガッシャンッ!!
「ぅあっちいーーっ!!」
男のひざから下にスープがかかり、慌てて払った。男の叫び声に、その場にいた全員が思わず振り返った。シャルロットは我に返った。男がスープを払っている間に自分が相手にしていた五人の山賊を全員殴り伏せたワットが来て、男を蹴り飛ばした。
パスは口を開けたままだったが、わずかな金属音に振り返った。ニースが、三人を剣を鞘に収めたままで倒し、剣を腰に縛りなおしたところだった。パスはあいた口がふさがっていなかった。
「…マ、マジかよ…」
男達のうめき声が響く中、ワットは転がった鍋を拾った。
「お前、これ全身かけてたら相当ヤバイぜ」
「重くて手が滑っちゃったの!」
かける気が満々だったシャルロットは、悔しくて頬を膨らませたが、ワットにはそれ以上かける言葉は無かった。