第35話『最後の戦い』-4
文字数の関係上、前話から続けて編集しています。
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「ゲホ! ……ク!」
薄暗い洞窟の中のランプの炎に、ワットの視界が揺れた。――ドシャ!
それと同時に、肩膝が地に落ちる。
一閃斬られた胸を押さえると、痛みよりも熱がそれを支配した。じんわりと、服が鮮血に染まる。
それを楽しむかのように、見上げた先のユチアがにやりと笑った。
「もう終いか?」
その剣先を地面に落とす。ワットのサーベルは、既にユチアの後ろまで飛ばされて転がっていた。「ケ……ッ」余裕の表情に、ワットは鼻で笑った。
「これくらい……何てことねぇよ」
これほどまでに、言葉と裏腹な心中はない。息は上がり、全力で息を吸いたい胸は、焼けるように痛む。――しかし、負けを認めればそれで終わりだ。それだけは、してはいけない。
(へっ……、いっそ逃げちまうか……?)
――役目はもう果たした。ニース達は、今頃奴らに追いついただろうか。以前の自分なら、適当にあしらって間違いなくそうしただろう。だが――。
「……てめえには……貸しがあるからな……!」
「……あ?」
小声すぎて、ユチアには聞き取れなかった。――その瞬間。
代わりに、風切り音が耳をついた。
立ち上がると同時にワットが放った仕込みナイフが、肩をかすったのだ。
「チッ!」
同時に、ワットが舌を打つ。首を狙ったが、とっさに身をそらされたのだ。ユチアが、剣を握りなおす。焼け付くような痛みを排除し、ワットは足を引いて腕を構えた。
「今度こそ誓ったんだよ! あいつに!」
「何言ってやがる」
それを「フン」と笑い、ユチアが再び剣を振る。それを避けながら、ワットの目は別のものを捕らえていた。視界の隅に映る、洞窟の壁に飾られたオブジェ。十字状に飾られたサーベルだ。ここがまだ城の内部に近い位置だった事を、幸運に思うべきか。道の両側に飾られたオブジェは、一つがそれと、反対側には火の王国の紋章でもある鳳凰の石膏になっている。
(武器なしじゃコイツとはやれねえ……!)
どうやってあそこのオブジェを取って武器とするか。――長くは考えていられない。ユチアの攻撃は早い。そう何度も避けられるものではない。どこかに回り込んで――。
剣先をかわした瞬間、ワットの視界に黒い影が入り込んだ。
(しまっ……!)
後悔するには、遅すぎた。影に気付くのと同時に、ワットの腹にはユチアの蹴りが入っていた。――ズザッ!
その勢いに負け、吹っ飛ばされる。
「ゲホ! ……ゲホ!」
斬撃を受けていた傷よりもわずかに下だったことは幸運だったか、不幸だったか。みぞおちに入ったそれによって、ワットは呼吸すらもままならなかった。両手を地につけ、やっとの思いで息を吸う。
「ケッ……所詮この程度か」
ユチアが舌を打った。「武器も持たねぇでオレとやろうなんて……」言いかけで、その言葉が止まる。しかし、ワットにはそれが遠い世界の出来事のように感じた。――俺もここまでか。
「ワット!」
遠くなりかけた意識を裂くように、女の声が頭に入った。幻聴か?
「ワット!」
――いや、違う。この声は――。
頭にかかったもやが、一気に消し飛んだ。見開いた目に、去って行った筈の道から、息を切らせたシャルロットが立っているのが見えた。
「な……!」
倒れこんだワットに、シャルロットはとっさに足を踏み出した。――しかし。
「へぇ……」
口の端を上げ、歪めた笑みでユチアがその間に立ち塞がった。思わず、シャルロットは足を止めた。
「戻ってくるとはな。こいつをのピンチにわざわざ。……お笑いだな」
嘲るような言葉。シャルロットは胸が熱くなってくるのを感じた。ユチアの握る剣に、目を留める。――武器なしで、こいつには立ち向かえない。
素早く目を走らせると、壁にかかった十字状に飾られたサーベルのオブジェが目に入った。その一本を手に取り、両手で構える。ワットはユチアの背の後ろで倒れたままだ。そこから、床には血痕が飛び散っている。そしてユチアの持つ剣の先に付いた鮮血――。
「……あんたを……許さないわ」
腹の底から湧き上がる怒りを込め、ユチアを睨み付けた。しかし、それに反応するようにユチアが笑う。
「相変わらず、良い度胸だ」
地面に落ちていた剣先が、シャルロットに向いた。
「お前と対峙するのは何度目だったか。……妙な縁だったな」
一歩一歩、ユチアが足を進める。
「や、やめろ!」
腹を押さえ、ワットは残る力を振り絞って立ち上がった。「逃げろ……逃げてくれ!」しかし、体は思うように動かない。立ち上がっても、すぐに片膝が落ちる。――クソ!
シャルロットには、かけらも引く気など無かった。目の前で、ユチアの剣が振りあがる。――ガキン!
「きゃっ!」
シャルロットの振ったサーベルは、いとも簡単に弾かれた。手を離れたそれが、ユチアのはるか後ろに音を立てて転がる。
「イタ……ッ」
手首を押さえたのも束の間、ユチアの片手がシャルロットの胸ぐらを掴み、一瞬にして、シャルロットは壁に叩きつけられた。
「うぐ!」
背中と後頭部の痛みに目を開けた途端、シャルロットは息を呑んだ。押さえつけられた胸元。もう一方の手から繋がる、長剣の切っ先。白銀に光るそれは、シャルロットの首元につけられていた。冷たい針のような金属の感触が、喉を伝う。
「本当に惜しい素材だったよ、お前は」
ユチアの顔が、数センチほどに近づいた。「お前みたいな占い師はそうはいねぇ。だが……」話すたびに、息がかかる。それでも、シャルロットは恐怖を感じなかった。この男より、殺されるより、何より怖いのは――。
唇を噛み、ユチアを睨み上げた。その顔に、ユチアがにやりと笑う。
「オレ達とはとことん気が合わねぇな」
「……こっちのセリフよ、卑怯者!」
愛する人を、奪われること。
「シャルロットを離せ!」
突然、怒鳴り声が洞窟に響き渡った。――知っている声。しかし、その場にはいる筈のない声。
その先には、城の出口から出てきたパスが、息を切らせて立っていた。勇ましい叫び声とは裏腹に、息の荒い表情には恐怖をこらえているのが伺える。ユチアが振り返ると、パスは目を細めた。この状況が、分からないわけではない。
仁王立ちのまま両のこぶしを握り締め、ワットを睨んだ。
「何寝てやがる!」
しかしワットはその怒声にも答える気力はない。ユチアはシャルロットを離さないままパスを見据えた。――見覚えは、ある。その視線に、パスは全身の刃を目に込めた。
「シャルロットから離れろ! オレが相手だ!」
「……まだこんなガキがいたのか」
腰からヌンチャクを取り出し、足を引いてパスが構える。するとユチアは、シャルロットから手を離した。
「ゴホッ! う……!」
絞められていた喉が開放され、体に空気が戻る。白くなった目の前に、色が戻る――。
ユチアが一歩一歩、パスに近づいた。それを何とか視界で捕らえたワットは、歯を食いしばった。――まずい。
ガキン! パスが飛ばしたヌンチャクは、簡単に弾かれた。しかし、それにひるまず第二撃。パスがヌンチャクを回転させてユチアに向かって振った。――入る!
だが、確信はそれがユチアの顔に入る寸前で、打ち砕かれた。ユチアが腕にはめた手甲で、それを弾いたのだ。パスには、次の体勢に入る余裕はなかった。
ひるんだ瞬間、パスの腹にはユチアの膝が入っていた。声もなく、パスの体が宙に浮く。剣を握った腕が、大きく引かれた。一瞬、シャルロットは悲鳴が出なかった。
「……パス!」
パスを貫こうとしたユチアの剣は、別のサーベルによってその勢いを殺された。パスが、蹴られた勢いのまま地面に転がり落ちる。ゆっくりとユチアが向けた視線の先には、それを投げた体勢のままのワットがいた。
「相手は俺のはずだ……!」
「へぇ、まだ立てたのか」
勢いよく、ユチアの剣がワットのサーベルに重なった。しかし、ワットはその勢いには負けなかった。
「これで終いだ……!」
その気迫が、張り詰めた炎のように重なった。ワットとユチアが撃ち合いを始めると、シャルロットは隙を見てパスに駆け寄った。
「パス!」
「……う」
地面に伏したパスが、濁った声を漏らした。
(良かった、生きてる!)
パスを抱えて安心した途端、鋭い刃の音に振り返った。ワットと激しく打ち合うユチアの顔からは、その笑みが消えている。先程までと、ワットは気迫が違う。完全に、勢いはユチアを上回っていた。
ワットのサーベルが、ユチアの胸を切りつけた。その感触に、ユチアが舌を打った。
「しつけぇ野郎だな……!」
「ワット……!」
その剣の速さに、シャルロットは目を細めた。いつそれがワットを傷つけるかと思うと、恐怖で直視できない。パスを抱く手に、力が入った。
「ハ! この程度じゃさっきと変わんねぇぜ! お前を殺して、あの女とガキを殺る――。そうすりゃオレの仕事は終わりだ!」
だが言葉とは裏腹に、ユチアは確実にワットの守りに殺されている。その瞬間、ワットの蹴りが、ユチアの腹に入った。
「グ……ッ!」
転ばずとも、ユチアが体勢を崩し、咳き込む。「……野郎!」
「てめえこそ、んな喋ってねーで、もっと周りをよく見ろ」
ワットが、にやりと口の端をあげた。それが企みの笑みだと気が付いた時には、ユチアには遅すぎた。サーベルとは逆の手、ワットの左手には、小さなナイフが握られていた。
風を切る音と共に、ユチアの真横をそれが通過した。顔面に当たりかけたそれを、ユチアが反射的に避けたのだ。――捕らえた。
身を翻したワットは、ユチアの浮いた剣を避け、その左足に向けて、上からサーベルを落とすように貫いた。
「ウアッ!」
一瞬足をぐらつかせ、ユチアがその場に倒れこんた。その拍子に長剣が手から離れ、ユチアは足をかばうように押さえたまま、起き上がってはこなかった。肩で息をしたまま、ワットはユチアを見下ろした。その足には、サーベルが刺さったままだ。――終わった。
「う……グ……!」
しかしその直後、ワットは目を見張った。ユチアが、その両手で足に突き刺さったサーベルを掴み、力を込めたのだ。
「な……!」
ワットの声が出る前に、激痛を伴う叫び声が、どう屈従に響き渡った。ユチアが自分の腿に突き刺さったサーベルを、力ずくで引き抜いたのだ。
シャルロットは思わず声を漏らし、目をそむけた。――なんて男だ。
「グ……ウ……!」
大量に溢れた血液が、ユチアを中心に広がり始める。ユチアは、痛みで起き上がれないどころか、ワットを気にかける余裕もないようだ。ワットはユチアに背を向け、パスとシャルロットに駆け寄った。
「大丈夫か? パスは……」
「大丈夫、生きてる」
シャルロットの答えに、ワットの顔がかすかに緩んだ。パスが腹を押さえながら自分の足で立ち上がる。
「ワット、血が……」
一緒に立ち上がり、シャルロットはワットの胸元を触った。切れた服の部分を中心に、そこから血痕が広がっている。
「深手じゃない。ニース達を追おう、パスを抱えてく」
ワットはシャルロットにサーベルを渡し、よろけるパスの腰元を掴むと肩に担いだ。
「うお! てめーもう少しマシな運び方できねーのかよ……!」
担がれながらも、パスが文句を言った。「黙ってねーと捨ててくぞ」それを受け流し、ワットが足を進める。血だらけのサーベルを片手に、シャルロットもその後を続こうと足を踏み出した。
「……待て!」
その途端、地を這うような声にシャルロットは振り返った。倒れたままのユチアが、足をかばい、顔を向けていた。
「……何で殺さねぇ……!」
息も絶え絶えのユチアの気迫は、恐ろしいものがある。しかし、それを見つめるワットの目には、既にひとかけらの熱もなかった。
「俺はお前らとは違う」
ワットと目を合わせたまま、ユチアは一瞬目を見開いた。その意味を頭で理解すると、鼻で笑った。
「馬鹿か」
言葉の終わりと同時に、ユチアは唯一上げていた顔も地面に伏した。気を失ったのか、それとも倒れただけか。どちらにしろ、もう動けないだろう。シャルロットはワットと顔を見合わせた。
「行くぞ」
ワットの言葉に、シャルロットは頷いてその背に続いて走った。