第35話『最後の戦い』-1
既に、周囲の決着はつき始めていた。数の勝負か、立っているのはほぼ兵士のみ。メレイの背を目で追いながら、ワットは視界の隅に入った光景に我に返った。倒れたアイリーンを囲い、シャルロット達がしゃがみこんでいる。
「アイリーン、しっかりし……いっ!」
シンナを抱えたままのアイリーンの肩に触れた途端、シャルロットは手を引っ込めた。静電気でも起きたかのような痛み。「どうした」ニースが、その背後から呼びかけた。
「ニース様、これ……」
振り返ったシャルロットにニースが倒れた二人を覗きこむ。アイリーンとシンナは、気を失っていた。泥にまみれ、アイリーンがしっかりとシンナを抱え込んでいる。そしてその体には線をつけたような切り傷が無数に刻まれていた。
「おいおい……!」
横から、思わずパスが手を伸ばす。「触れるな」その手を、ニースが掴んだ。
「シンナの糸が絡まってる。下手に動かすと切断しかねない」
その言葉に、パスがごくりと息を呑む。よく見ると、アイリーンの傷の上にはまだ泥にまみれた細い線がいくつもあった。
「ゆっくりほどいていくしかないな……」
眉をひそめ、ニースが呟く。エディが上から二人を目を細めて見つめた。
「良かった、ひどい怪我はしてないみたいだ」
「おい、大丈夫か?!」
ニースの後ろから、ワットが駆け戻ってきた。
「大丈夫よ、生きてる。ただ二人とも気を失ってるの……」
「二人って……」
振り返ったシャルロットの言葉に、ワットはアイリーンとシンナを見下ろした。その視線を、シンナに絞る。
「こいつは縛り上げておくんだな」
「……ど、どうすんだ?」
ワットの言葉に、パスが不安げにニースを見上げた。「賞金首だ。審議にかけられても先は見えてる」答えないニースの代わりに、ワットが冷たく言った。
「イガはメレイが……」
言いかけで、後ろからメレイが戻ってくるのが視界に入り、ワットは言葉を止めた。顔の返り血は雨で拭ったのか、消えている。しかし、服にはいまだにそのあとがべっとりと付着していた。思わず、パスは息を呑んだ。
「メレイ……」
シャルロットの声に、メレイは目をそらしたまま答えなかった。
「隊長!」
カルディの声に、シャルロット達の視線は兵士達に移動した。
「カルディ、よく来てくれた……!」
「当然です! 殺された仲間の為に……動かないわけにはいきませんから」
腰に剣を納め、かたく目を閉じる。カルディの体は、戦いで傷だらけになっていた。「城へ向かって下さい。ジクセル……ルジューエルは必ずインショウ様と一緒にいるでしょう」
いつの間にか、雨は小降りになり、ほとんどやんでいる。ルジューエルの名に、ニースは思わずメレイに目を向けた。メレイが、その目を伏せる。
「行きましょう」
メレイが背を向けると、ニースはアイリーンを振り返った。そばにしゃがんだエディが、ゆっくりと糸をとき始めている。
「……アイリーンを、任せていいか」
「はい」
顔を上げ、エディはしっかりと頷いた。「オ、オレも……」慌てて立ち上がったパスの頭を、ワットが押さえた。
「お前も残れ」
「え……!」
その言葉に、思わず目を見開く。「な、何言ってんだ、オレはついてくぞ!」
「ここに残ってエディについてろ」
「だって……」
「残れ」
有無を言わさぬ即答に、パスが言葉を詰まらせる。
「まだ足も立ってねぇだろ。さっきみたいに罠にはまっても、助けらんねぇぜ」
「そんなもん……」
怖くない、とばかりに口を開いた途端、ワットの手が肩に乗った。思いもしないほどに、優しく置かれた手だった。
「……お前は、知らない間に随分成長したな。ガキの癖に女二人もかばうなんて……たいした奴だ」
パスはそのまま、言葉を失ってしまった。ワットが顔をあげ、ニースを振り返る。ニースはワットを始め、メレイの背、シャルロットに目を合わせた。
「行くぞ」
ニースの言葉に、ワットとシャルロットは同時に頷いた。
雨を含んだ土は、地盤が緩んで進みづらい。倒した賊達の後始末をつけるカルディ達と一緒に、アイリーンとエディ、パスを残し、シャルロット達は城に向かった。
馬は、新しくカルディ達から貰い受けた。ニースとメレイは一頭ずつ貰ったが、シャルロットは速度と安全を考えて、ワットの背に乗る事にした。次第に白み始めた空の中、シャルロットはワット達が心配で仕方がなかった。戦わなかった自分には、ほとんど傷がない。引き換え、ワットはシンナの攻撃による多数の傷と、ニースもメレイもそれなりに怪我を負っている。――こんな状態で、城について大丈夫なのか。
公道を抜け、シャルロット達は城下町の脇を突っ切った。
シャルロット達が目指す火の城の上階、バルコニー。朝日の差し始めたそこは、朝露に濡れた赤茶色の大地が延々と見渡せる。まさに絶景ともいえるその場所から、エフィウレはその細い手を手すりに置いた。
――はるか遠く。城下町の横から、城へ向かう馬が三頭。朝日に背を押されるように、かなりの速度で近づいてきている。それが誰かなど考えるまでもない。報告は、既に受けている。未練もないように手すりから手を離し、エフィウレは室内に戻った。高級感を漂わせるその部屋は、その部屋の主の身分が決して低いものではないと思わせる。ベッドの端に腰掛けた、いつもの火の王国の制服を着た黒髪の男に笑みを向けた。彼は先程から、机に飾られていたリンゴを一つ、片手で無造作に投げ下げしている。
「奴らが来たわ」
エフィウレの言葉に、ルジューエルは振り返りもせずリンゴを投げるのをやめた。ふっと、それに視線を落とす。
「……イガは、もう戻らないか」
「ええ」
そう答え、エフィウレはヒールの音を吸収する絨毯の上を進み、ルジューエルのそばに立った。
「討ち取ったのは、ダークインか、ギャレットか……」
目を伏せ、ルジューエルがその口元に小さく笑みを浮かばせる。「イガとシンナでも敵わないとはな」その呟きに、エフィウレは返事をしないままその横顔を見下ろした。ふいに、ルジューエルが立ち上がった。その顔からは、既に笑みは消えている。
「インショウを連れてこい」
ルジューエルが机にリンゴを置くのと同時に、それはグシャリと音を立てて潰れた。
城壁を越えるのは、難があった。日が昇ると同時に警備兵の数はあっという間に増え普通の門からの入城は不可能だった。ニースの案内で、シャルロット達はワットを城壁に登らせ、内側から手薄であろう扉の一つを開けてもらう事にした。開いた扉からシャルロットが顔を出すと、足元には兵士が三人ほど倒れていた。
「気絶してるだけだ」
不安げに上げた顔に、ワットが言った。シンナに短刀を壊されたワットは、カルディ達から、サーベルの一つを貰い受けている。しかし、使い慣れないそれは腰に差したままだった。兵士や使用人達の目を縫って、シャルロット達四人は城に入った。
「シャルロット」
柱の影に入ったところで、ニースが振り返った。その視線に、ワットとメレイが合わせて振り返る。
「インショウ様の居場所がわかるか?」
柱一つ移動するのにすら苦労するこの状態で、インショウ一人を探して城中を回るわけにはいかない。ニースの言いたい事はわかる。そしてシャルロット自身、その為にここまで来たのだと強く思い返した。
「……大丈夫か?」
唇を噛んだ顔を、いつの間にかワットが覗き込んでいた。視線が重なると、シャルロットは一瞬迷った。――できないかもしれない。いや、できるかもしれない。
(……ううん)
――そんな事を言っている暇は、ない。
「やる。やれるわ」
その為に、ここまでついてきたのだ。ニースの助けになる為に。そう、以前もやった事があるではないか。夢中でニース達を追った、南の大陸で。
(お願い……)
シャルロットは目を閉じ、両手を胸元で握った。――この体に流れる血が私のものなら、一度でいいから、私に力を貸して!
幾秒、暗闇の中で沈黙が続いただろうか。導かれるように、指先が前に出た。――ああ。この感じ。以前この国を訪れた時に垣間見た若い青年、インショウ国王。その目線、そのしぐさが――。
「あっち……!」
目を開けると同時に、シャルロットは一つの通路を指差していた。「あっちの方に」即座に、ニースが周囲を見回して通路の先を確認する。
「……鳳凰の間だな」
ニースが安全を示す手招きをしたので、シャルロットとワット、メレイは通路を駆け抜けた。
「妙だな。この辺、警備が全然いねえ」
「ここまで来たら関係ないわ」
メレイが、あっさりと答える。「おい」ふいに、ワットがシャルロットの手を引いた。
「大丈夫か?」
「う、うん」
顔を上げ、頷いて見せる。先頭から、ニースが振り返った。
「この先のホールの奥が鳳凰の間だ。使用人達はここを通らないから見張りも……」
言いかけで、言葉が止まった。同時に、ホールに出て道が開け、ニースの足が止まる。「どうした?」背後にいたワットとシャルロット、メレイも足を止めた。
「何……」
言いかけで、メレイの視界にその原因が入った。ワットの背から、シャルロットは首を伸ばした。だだ広い壁と同じ色の灰色のホールだ。一番奥にある中央の階段にむかって、四方の入り口から赤に金の刺繍が付いた絨毯がまっすぐに伸びている。シャルロット達が顔を出したのは、中央の階段より左になるが、その階段の下に、人が立っているのが目に入った。
「ニース様……!」
思わず、ワットの腕を掴んだ。同時に、向こうもそれに気が付いたようだ。立っていたのは三人だ。男が二人に、女が一人。この広すぎるホールには、自分達と彼ら以外は誰もいない。
三人とも、その顔は既に脳裏に焼きついている。男の一人が、ニースを見て目を見開いた。
「ニース……!」
ニースがここにいることが信じられないように。その見開かれた目が、やがて憎悪を含むように細くなった。
「……インショウ様」
同じように、ニースが呟く。暗い紫色の着物をまとったインショウは、以前シャルロットが見たときとなんら変わりない。いや、その顔に、少年らしさがなくなってしまったというべきか。目の下が、暗く落ち込んでいた。傍らに立つのは、火のの王国の兵士の服装をしたルジューエルと濃紺の細身のドレスをまとったエフィウレだった。
「なぜ戻ってきた!」
静かなホールに、インショウの声が響き渡った。シャルロットは思わずニースを見上げた。しかし、その背からは何も伺えない。インショウを見つめると、その後ろで口の端を上げるルジューエルが目に入った。
「お前は私を裏切って国から逃げた! 今では入国禁止令が出された反逆者だ! 私に殺してほしいのか!」
響き渡る怒声に、ニースは答えなかった。ただ、ゆっくりと足を踏み出し、ホールの中心へ進んだ。シャルロットはワットを見上げたが、ワットは周囲に目を配らせ、シャルロットの手を引いた。メレイも同様に動いたところをみると、見張り葉いないと判断したのだろう。
「何故だ……! 私はお前を兄のように思っていたのに……! ……それなのに!」
「……インショウ様」
言葉を詰まらせるインショウの顔が、怒りからゆがみに変わる。それはまるで、彼の心の傷をそのまま写しとっているかのようだった。それに心を痛めるように、ニースが目を細める。
「国外への追っ手を出さなかったのも……無駄だったようだな!」
硬く握り締めた両手を、わなわなと震わす。――どうして。
口からこぼれかけた言葉を発する前に、シャルロットはワットに腕を掴まれた。その顔を見上げるも、ワットの目はインショウ達から離れていない。シャルロットは唇を噛んだ。――悔しいかった。ニースが罵倒されるのは、自分のそれより耐えられない。身の危険を冒してまでニースがここに戻ってきたのは、まぎれもない彼の為なのに。
「……インショウ様」
沈黙を破るように、ニースが言った。「戦など絶対に間違っています。私はそれをもう一度だけそれをあなたに伝えるために戻ってきました。今、この国の人間は誰一人争いなど求めておりません。お父上がいかに……」
「もう一度だけ?」
言葉の途中で、怒りを込めた声でインショウが遮った。「私が聞かぬとあらばどうだというのだ! 私を殺すとでも? お前が?! 自分の立場がわかっていないようだな!」
「ちょっとあんた!」
瞬間的に、シャルロットは叫んでいた。限界だ。これ以上、黙っていられるものか。「あんた、ずっとニース様と一緒にいた癖に、ニース様の気持ちもわかんないの?!」
「……何!?」
割って入った異国の少女に、インショウはまるでゴミでも見るかのような目でシャルロットを睨んだ。しかしインショウのそれは、シャルロットにとって恐怖のかけらもない。「おい」ワットが、やめろと腕をひっぱる。だが、そんな事は耳にも入らなかった。
「ニース様は自分の為に動いたりしない! ここに戻ってきたのはこの国の人間と! あんたの為なのに! ニース様がどんだけあんたの事を心配してたか! あんたがルジューエルに……」
「シャルロット!」
ニースの声に、シャルロットは反射的に言葉が途切れた。思わず、指先で口を押さえる。ニースを振り返るも、ニースはまっすぐにインショウ達を見つめている。つられるように、その視線を追った。まっすぐ見返されるのは、ルジューエルの漆黒の目だ。
「これで……最後だ」
ニースが、ゆっくりと腰から剣を抜いた。