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同じ天の下  作者: コトリ
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第35話『星空の誓い』-4




 ニースの回りは静かだった。まるで、周囲の乱闘から区切られた空間のように。

「シンナ=イーヴ」

 剣の切っ先をシンナに向け、その姿を見据える。

「君の戦術は知ってる。俺には敵わない。抵抗しなければ俺も攻撃はしない。……だから戦うな」

 ニースの言葉に、シンナは目を細めた。ばかばかしいと思ったか、それとも疑っているのか。両手に銀の玉を握ったまま、腕を高く上げる。睨みつけられた目に、同意の意思は無かった。

 途端に、ドッと音を立ててニースの足元の泥が舞い上がった。しかし、それが起こったのはニースがそこから飛びのいた一瞬あとだった。同時に、シンナが眉をひそめる。小さな唇を、ぎゅっとかみ締めた。――攻撃が届く前から避けられた事などなかったのに。

 二撃、三撃と放っても、結果は同じだった。避けるばかりでなく、ニースが隙を見ては剣を振る。そのたびに、シンナの手足に赤い血しぶきが飛んだ。

「おい!」

 ニースとの戦いを前に、アイリーンが叫んだ。それに反応し、戦いの最中にもかかわらずシンナが振り返る。同時にニースも動きを止めたが、シンナはすぐにニースに視線を戻し、攻撃を仕掛けた。

「あいつ……!」

 唇を噛み、アイリーンは二人のもとへ駆け出そうとした。――が、エディに腕を掴まれた。

「だめだ! アイリーン!」

 しかし、アイリーンはそれを耳に入れようとはしなかった。「おい! お前!」その手を振りほどかんばかりの勢いで、アイリーンは力の限りで叫んだ。

「もうやめろよ! お前、こんなことして何になるってんだよ!」

 瞬間、シンナの動きが鈍った。その変化に、ニースが気が付かないわけがない。――アイリーンの言葉を聴いている?

 その瞬間に突き出した剣が、シンナの片腕をかすった。再び、一筋の赤い線がその腕ににじむ。先程よりも攻撃が当たる。飛ばす攻撃に切れがない。シンナを抑えることが、ニースにとって全力である必要が無くなっていく。

「答えろよ!」

 アイリーンの言葉に、ついにシンナが攻撃をやめた。ニースから間合いを取り、その目をエディに腕を掴まれいているアイリーンに向ける。シンナのまっすぐな視線に、アイリーンは言葉を詰まらせた。

「……答える? 何を?」

 ぽつりと、シンナが言った。

「お前が……お前がやってる事だ!」

 アイリーンが顔をしかめた。「誰かを傷つけて……殺して……! 命令されてやってるだけだと……?! ふざけんな! お前、何とも思わないのかよ!」

 その言葉に、シンナがじっとアイリーンを見つめた。

「……アタシは」

 ぽつりと、呟く。その目が、ゆっくりとニースに戻った。剣を下げ、その間合いから動かずにまっすぐ自分を見据えている。その体には目立った外傷は無い。引き換え、自分はどうだ。視線を落とせば、見慣れたこの白い手足は傷だらけだった。白い服にも、鮮血がにじんでいる。

「……いけない事」

 アイリーンを見据え、シンナが呟いた。

「人を苦しめること……。でも、アタシは苦しくない。……姉様あねさまはそうしろって言ってた」

「お前の姉様ってのも! そこのあいつも! ずっとひどい事してきてんだよ! お前はそれを手伝って……! 何とも思わないのかって聞いてんだ!」

「アイリーン……!」

 エディがアイリーンを押さえきれなくなると、シャルロットはアイリーンを正面から抱いて押さえた。

 シンナが片手を目元に当て、顔を歪める。

「アタシ……アタシは……!」

「お前には、大事な人がいないのかよ!」

 アイリーンの言葉が、シンナに遠い過去を蘇らせた。

 ――はるか昔。幼い自分が、過ごした日々を。

 今よりもずっと小さな体で下から見上げる黒髪の男の姿。漆黒の、冷たい目が自分に降りる。――ルジューエル。

 他人には見せない、自分だけが知っている綺麗な微笑。――エフィウレ。

 強くて大きな体。その体に登る事がなくなったのは、いつからだったか。――イガ。

 皆の顔を見るのが大好きだった。周囲で何が起こっていても、自分には関係無いのだから。だって、皆は笑っていた。

(兄様……、姉様……、大兄様……、ユッちゃん……)

「……だめ……! ……やめろ……!」

 両手で頭を押さえ、シンナが目をつぶってうめいた。――その時。

 ギン! 思考を遮るような金属音で、シンナは我に返った。

「……大兄様……!」

 遠くで戦っているイガ、メレイ、ワットが目に入った。考えるまでもなく、イガが劣勢なのは見てとれる。呼びかけようとした途端、イガの視線がこちらに向いた。

「何をしている!」

 その怒声に、思わずシンナの体が震えた。「そいつを片付けろ!」怒鳴りながらも、イガはメレイの剣を受け流し、ワットの隙をついて斧を振った。シンナは慌てて銀の玉を持ち直した。――そうだ。

(あんなコの言う事なんか知らない。アタシはアタシのやる事をやるだけ……)

 シンナは銀の玉から糸を片手で張った。いつもは見えないそれが、雨の影響で今ははっきりとその線が見える。しかし怪我のせいか、手に力が入らない。息だって、まだ整いきっていない。

(……でも)

 視線を、銀の玉から剣の切っ先を地面に下げたままのニースに視線を移した。ニースは黙って自分を見つめている。

(この人、……強いんだ)

 ――ギン! 強い金属音に、シンナは振り返った。ワットが、イガの片斧を吹き飛ばしたのだ。斧は空を切り、回転を重ねてその重心と共に泥の地面に叩き落ちた。

「グ……!」

 その拍子に打たれた手をかばい、イガが顔を歪めた。――追撃。ワットが足を踏ん張り、短刀を振り上げた。

「もらった!」

 シンナには、イガの姿以外何も見えなかった。

(嫌だ……!)

 途端に、シンナはニースから向きを変えて標的を絞った。その片腕を全力で引いた瞬間、誰の目から見ても、その標的は判断できた。

「ワッ……」

 思わず、シャルロットの手から力が抜けた。その途端、アイリーンがその腕から飛び出した。同時に、シャルロットは我に返った。しかし伸ばした手は、アイリーンの腕をすり抜けた。

「アイリーン!」

「大兄様!」

 シンナが攻撃を放った瞬間、ニースがワットを振り返った。

「ワット!」

 ――バキン! 音を立てて、ワットの短刀がイガに触れる前に空中で粉々に砕けた。

「な……!」

 同時に、一瞬でそれが誰の仕業だか分かる。遠くのシンナを睨むと、シンナは腕を戻し、身を翻してニ撃目に入ろうとしていた。イガがシンナを振り返った隙に、武器を失ったワットは離れた場所に落ちていたイガの斧に飛びついた。

「しつけぇんだよガキが!」

 あの攻撃で横槍を入れられたら勝ち目がない。ワットはシンナめがけて斧に回転をかけて投げつけた。重心のあるそれは、一直線にシンナがワットめがけて放っていた糸をもからめったままシンナへと向かった。

 当然、シンナの目にもそれが見えない筈がなかった。しかし、シンナにとって、それは重要なことではなかった。ただ、イガが無事だった。それだけが、体中を支配してしまっていた。自分に向かって飛んでくるそれが見える。しかし――。

「……ユッちゃん、兄様……、姉様……」

 ワットは眉をひそめた。――ありえない。そんな事は――。

イガが目を見張った。

「何してる避けろ!」

 イガの声も、シンナにとって遠い世界のものだった。

 シャルロットは口を押さえた。

「だめ!」

 その瞬間、巻き取った糸ごとシンナの立っていた場所を突きぬけた斧は、その数メートル先に転がり、泥を跳ね上げた。同時に、アイリーンと一緒にシンナは泥の地面に転がった。その寸前、アイリーンが衝突するようにシンナを地面に引き倒したのだ。倒れたまま、二人は動かなかった。

「アイリーン!」

 シャルロットとエディ、パスがアイリーンに駆け寄った。シンナを抱えるようにして倒れたアイリーンは、シャルロット達がそばにしゃがみこんでもぴくりとも動かなかった。

 一気に冷えこんだ全身の汗に、ワットは我に返った。「アイリーン……」――思わず、ほっとした。

 あれをシンナが避けないなど、考えもしていなかった。たとえ賞金首でも、少女を殺したりしたら、それに耐えられる自信は無い。一瞬で思い知らされたそれに、ワットは舌を打ちたい気分で目を閉じた。

 そのせいで、背後にイガが立ち上がった事にすら、気が付かなかった。イガがワットの背を狙い、その斧を振り上げた瞬間――。

「……ガ!」

 鈍い音と同時に、ワットは振り返った。――加えて、イガのうめき声。

 音を立てて、イガが振り上げていた斧がその手から落ち、泥を跳ね上げる。ゆっくりと、ワットの目の前に立つイガの口から血が一筋流れた。しかし、ワットが目を見張ったのは、そんなところではない。その胸から突き出た、真っ赤に染まった剣の切っ先だった。

「貴……様……!」

 振り返りたくとも、その体を貫く剣のせいで身動きは取れない。イガは視界の端で背に立っているメレイを捕らえたが、その途端、さらに吐血した。メレイが、一層剣を深く差し込んだのだ。イガの足が、二、三歩よろめく。

「メレ……」

 ワットの言葉は、それ以上続かなかった。イガの背後に立つメレイの目は、いつもの明るい彼女のそれではない。まるで鋭く光る、その剣の切っ先と同じ赤茶色の目だ。

「……エフィ……ル……イ……」

 雨の降り注ぐ空を見上げ、イガがこぼす。メレイが、一気に剣を引き抜いた。

「……すまな………」

 わずかに足をふらつかせ、イガは空をあおいだままま地面に倒れ、同時に泥とその血を跳ね上げた。

 ワットの正面に向き合うように立つメレイには、全身にその返り血が降りかかっていた。既に動かなくなったイガを、メレイは表情もなく見下ろしている。弱まり始めた雨が、その顔から血を洗い流していく。

 剣を振って血を飛ばし、メレイは背に剣を納めた。そのまま、ワットとすれ違い、歩き出す。見開かれたワットの目に、一度も視線を合わせることはなかった。



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